決闘
「なんだって?」
「お姉ちゃんは、なにか手にもってたら、ほんきだせないの」
――素手が本気――
クロが腰を落とす。それだけで、足に根が生えたように見えた。
両手を交互に大きく回す。それだけで、腕が鈍器に見えた。
右手をまっすぐ前に伸ばし、指でチョイチョイ。
おいでおいでだ。
「のぁーっ!」
ブローマンが爆発した。一気に間合いを詰め、鉄塊がごとき体躯を駆使し、高い場所から大剣を振り下ろす!
唸りを上げて振り下ろされた凶器。クロは――
ブローマンの顔面数㎝のところに顔を寄せていた。
大剣を振り下ろす腕をとっていた。体を回転させていた。ブローマンの重心がクロの腰の上から、空中へ移動していた。ブローマンの両足が浮き上がっていた。
ブローマンの懐へ、驚異の速度で飛び込んだクロが、一本背負いを決めた。
さらに、性悪なことに、クロは掴んだ腕を放さない。手首を掴んだまま、微妙なベクトルを与える。腕に伝わった運動が胴に伝わり、胴が角度を変える。
ちょうど、受け身がとれない角度に。
大地を震わさんばかりの墜落。ブローマンの100㎏を超えた自重と全身鎧の自重が全てブローマンに乗っかった。
「ぐふぅ」
ブローマンの口から出た音は声ではない。肺腑より漏れた空気の音だ。
「見えない」
戦斧の攻撃も、素手での攻防も、アレッジの目で捕らえきれなかった。
ふと気になることがあって、視線を落とす。チョコに向けて落とす。
「見えるのか?」
「うん。さいきんね」
チョコはえらそうに腕を組んだ。大人のまねごとだ。
クロは、魔界で、最初からずっとこの速度で戦ってきた。それをずっと見ていたら、チョコの目も慣れるというもの。チョコは、戦斧の一撃からブローマンを転がすところまで、全部を目で追っていた。
チョコの動体視力の良さは、先祖返りした獣人の能力だ。そこへ魔素の影響。まだ幼いチョコの伸び代は半端ない。この子はまだまだ伸びる。
ブローマンが固まっていたのは僅かの間。すぐに腕と膝を付き、起きあがろうとして……起きあがれなかった。
クロに腕を捕まれたまま。体をひねることも、足払いを出すことも出来ない。ただただ左腕と両足で四つんばいになっているだけ。
クロに腕を動かされた。逆関節を決められていて、逆らうことが出来ない。腕を動かされるまま体が追従する。
左腕が支えきれず、両肩を地に付けねばならなかった。顔が土をなめる。
クロが背中に尻を降ろした。屈辱だが抗うことが出来ない。さらに腕を動かされると、足が付いていかない。地面に投げ出さざるを得ない。
右腕をまっすぐ上に伸ばしたまま、うつぶせに寝ころぶ。その背にはクロが足を組んで座っている。
「そろそろ降参することをお勧めするが?」
ブローマンから奪い取った大刀の刃がブローマンの大動脈を優しく撫でる。いつの間に手に入れた?
「まっ、まだまだぁ!」
「ここまで意地を張ると、ただのだだっ子だが?」
「ぬぐううっ!」
動かせぬ体を無理矢理動かす。肩関節を力づくで外すつもりだ。
「何が君をそうさせるのかねぇ。しかたない、もう少し付き合ってあげよう」
クロがお尻を上げた。
ブローマンはみっともない姿でその場から這いずり出し、大振りな仕草で立ち上がった。
再び両者は対峙する。
「理由を聞きたかったけど、もういいや。どうせ意地とか面子だろう?」
大刀をブローマンに向け放り投げる。ブローマンは柄の部分をつかみ取った。
「殺すか殺されるかだ」
ブローマンは、思うところがあるのか、何かを意識の外へと追い出した。剣を正面に構える。
「おやおや、攻防一体の構えだね。さっきの方が怖かったんだけど、こりゃやりやすい。どうしたんだい? 心が乱れたのかな? お悩みごとが有ればお姉さんに相談してみなさい。悪いようにはしないよ」
「絶対相談するなよ!」
アレッジの合いの手が入る。もはやツッコミの領域。
ブローマンはやりとりを一切耳に入れていなかった。明鏡止水の心境……のように見える。
じりじりと間合いを詰めていくブローマン。足運びの妙技!
クロは足を止めたまま。膝を軽く曲げ、手首をプラプラさせているだけ。
もう少しで剣の間合いに入る。あと、3センチ、2センチ、1センチ――
「ハッ!」
短い気合い一閃! 大剣の先頭がクロの首に吸い込まれて――
「発っ!」
瞬間移動に等しい高速度でブローマンの内側に飛び込んだクロ。手のひらをブローマンの脇腹に当て終わっていた。
ブオン!
そんな音を立て、ブローマンの巨体が飛んだ。後方へ。
「ぬぐおぉー!」
さすが勇者の仲間。空中で姿勢を直し、足の裏から着地する。だが遅い。またクロに密着されている。
軽く手を鳩尾に当てているクロ。密着した体勢からどうやって――
メキョッ!
嫌な音がブローマンの腹より聞こえた。
腹部を覆う金属を凹ませ、またもや後方へ蹈鞴を踏む。
「くうっ、鳩尾に入れられるのは何年ぶり――」
「しゃべってる暇無いだろ?」
クロの手のひらが、鎧に置かれていた。
「発ッ!」
ベコン!
右脇腹部分の装甲が凹んだ。
「……どうやって凹ましてんだ? 触れてるだけだぞ。ゼロ距離から? 殴るにしても腕を引かなきゃ……」
「おじちゃん、お姉ちゃんの足のうらをみて」
「え?」
足の裏? アレッジはすぐ気がついた。足下のことだ。
なぜなら、クロが攻撃を仕掛けるたび、足下から土埃が舞っている。ここしばらく雨が降ってないので、地面が乾燥している。
「地面と敵をつないでるんだって」
解った! 解った気がした。
あれは技だ。長い年月で研鑽された高等な格闘技を使ってるのだ。真似しろと言われても真似ることなど出来ないが。先ほどの体術と今の技。達人の領域だ。
「斧をもってアレすると、よろいのおじちゃん、きっと死んでるよ」
クロは本気でいくと言って戦斧を捨てた。それはクロが素手の格闘が得意だから、という理由ではなかった。武器を持ったまま本気出すと、オーバーキルになってしまうので武器を手放したに過ぎない。
これは手加減! 勇者の仲間が手加減されている!?
「あ、もうすぐ終わっちゃうよ」
チョコが小さい指で、とある場所を指した。
そこに、クロの斧が突き刺さっていた。
ブローマンは殴られつつ、一歩一歩、戦斧が突き刺さる地点へ近づいている。
武器を持たない相手に、こちらの攻撃は掠りもせず、一方的にボコられ、位置を誘導される。
クロは戦斧の位置へブローマンを追い込んでいたのだ。戦斧でとどめを刺すつもりだ。ブローマンの首が切り落とされる鮮明なイメージが湧いた。
「まるで素人相手の戦いじゃねぇか!」
ブローマンは一方的に殴られていた。いつの間にか攻撃も出していない。打ち込み用の木もいいところだ。
胸部接合部が凹んだ。
左肩の装甲がはじけ飛んだ。
右手に持っていた大剣が飛んでいった。
顎が異様な方向へ曲がった。
世界が右に回転し、地面がブローマンの顔に向かって倒れてくる。そして衝撃。鼻の奥に広がるツーン感。
ブローマンは、顔面を地面に突き刺し倒れていた。地面が倒れてきたのではない。ブローマンが倒れたのだ。
顔の横に戦斧が突き刺さっている。それが今、クロの手により引き抜かれた。
「そーれ」
クロは戦斧を振りかぶっていた。恐竜の太い首を両断した振り下ろしだ!
ブローマンはそれを見ているしかない。体が動かない。戦う気力が抜けていた。もういいかな、と。
死を受け入れた。
「首がピョンと飛ぶ♪」
ドガッ。
戦斧が音の速度で振り下ろされ、土にまで食い込んだ。
ブローマンの首横1センチの場所に食い込んでいた。
また口に土臭さが広がる。
ブローマンは飛び散る土塊を感じるしかなかった。おっくうで、眼球すら動かせないのだ。
「殺そうと思ったけど、やめておくよ。君、死ねると思ったろう? 死を覚悟した生き物を殺しても面白くないし、寝覚めが悪いしね――」
ざくりと音を立て、戦斧が引き抜かれた。戦斧に付いていた土がこぼれ落ち、ブローマンの顔にかかるが、払おうともしない。
「――それは嘘だ」
ここまで機嫌のよい顔をしていたクロだが、急変した。怒りの表情を露わにした。




