ここは私に任せて、君たちは先へゆけ!
「猿みたいに仲間を呼ぶタイプか。小賢しい。チョコ、距離は?!」
「ずっと遠く! まだ時間はあるよ! 飛ぶのがおそいよ!」
ザラスは2人のやりとりに驚いていた。
「そんなに早く分かるのか? 俺には何も聞こえんぞ?」
チョコの耳は羽音を聞いたのだ。ザラスはブラックチョコレートの異様な撃破率の謎が分かった気がした。
だが、理解が感情を上回らなかった。人より劣っている獣人が役に立つなんて。
「獣人は優れた五感を持つ。特にエンシェント獣人であるチョコちゃんはね。これはブラックチョコレートの企業秘密だ。内密にお願いしますよ」
「そういう事か」
ザラスの目が、理解の色で染まっていく。
「数は?!」
「遠くだからわかんない! 1匹じゃないよ! たくさんだよ!」
ザラスとクロの目が合った。
「全員戦闘用意!」
ザラスが叫ぶ。悲壮な決意を込めて。
「その命令は中止!」
クロが叫んだ。ザラスを上回る大声だ。
「ザラス先輩。みんなを連れて撤収したまえ!」
クロは、戦斧を腰から抜き、手に持った。
「お、おいクロ。お前何を考えている?」
クロはザラスの前に指を三本立てた。それを一つずつ折っていく。
「1、暁さんは戦える力を残しているか?
2、わたしが暁さんを庇いながら戦わなきゃならないのか?
3、14人全滅するか、確実に12人生還するか?
暁の星リーダーとして、責任者として、どれを選ぶ?」
クロは手のひらでクルクルと戦斧を回している。
ザラスはチョコを見つめた。チョコはクロの言いつけ通り、前方を凝視したままピクリとも動かない。
「あの子も戦ってるのか?」
どうだい、あんな獣人に助けられてる気分は? ザラスは、クロが言いそうな台詞を予想していた。
「どうだい、あんな幼子に助けられてる気分は?」
ザラスの予想とはちょっとだけ違った答えが返ってきた。
「言ってろ!」
ザラスのプライドが叫ばせた。
そして、声のトーンを落とした。
「……クロ、約束してくれ。必ず生きて帰ってくるって」
対してクロはきょとんとした顔をしていた。
「生きて帰るつもりだが?」
それを信じろと?
「申し訳ねぇ、クロ。この恩は生涯忘れねぇッ!」
何倍もの戦力比。しかも幻覚魔法を使う魔獣が相手。
誰がどう考えても……。
ザラスは多大な勘違いをしていた。クロは生きて帰れるだろう、余裕で。
「帰ったら晩ゴハンをおごってくれ。それでいい」
クロにとっちゃ、その程度の仕事だ。
「ああ、一生おごってやるよ!」
いいのかそんな約束をして?
「俺も残るぜ!」
膝から下をガクガクいわせたレニーが剣を抜いて構えている。
「ザラス先輩」
「任せろ」
ザラスはレニーをぶん殴って従わせた。ヘトヘトなはずなのに、ザラスは責任感が強い男だ。
「じゃあ、な、クロ。出口で待ってるぜ」
「ああ、後で必ず出口で落ち合おう! 晩ゴハンの件、忘れるなよ!」
ぺらぺらと手を振って答えるクロ。もうすでに彼女の意識は襲いかかって来るであろう魔獣に向けられていた。
「クローッ! 俺も待ってる! 帰ってきたら付き合ってくれ!」
「断る!」
レニー君の叫びには、にべもない。
「チョコ! 敵は!?」
「もうすぐ! かずは10匹よりおおいよ!」
1対10以上の戦い。ザラスは泣いた。
「死ぬなッ、クローッ!」
暁のメンバーの尻を叩き、ザラスは後退。角を曲がって見えなくなった。
「11、12、12匹だよ!」
魔獣はすぐそこまで迫っているらしい。
「チョコも下がって防御態勢に入れ!」
「はーい!」
チョコはいつもの通り。素早くクロの後ろに下がり、荷物と盾を使って亀の子式防御態勢に入る。
クロが飛び出した。人ならざる加速力。あの角を曲がれば魔獣とご対面だ。
攻略者を目指して飛ぶ魔獣は、暁の星を全滅に追いやった女の顔をした鳥の魔獣だ。
魔獣はクロに急襲をかけたつもりだ。だが奇襲を受けてしまった。
鉞を投擲!
先頭を飛ぶ1匹が頭をかち割られて墜落した。
後ろを飛ぶ魔獣が順番に。何事かと散開したが、今度は後ろの者から順に落とされていく。
「空を飛ぼうが地を這おうが、柔らかい集団と相性が良いな。とぉー!」
人ならざるジャンプ力。3メートルは飛び上がり、魔獣の額を戦斧でカチ割る。続いて横様に振り払い、最後の1匹の胴に戦斧を叩き込む。
着地。弧を描いて戻ってきた鉞が、クロの手に収まる。
ドサドサと音を立てて、魔獣が床に落ちた。
クロはずっと目を閉じていた。目さえ合わせなければ幻覚の魔法に掛からない。目を閉じて戦闘できる人だけの戦法だ!
「チョコ! 哨戒態勢!」
「りょーかい!」
荷物の陰から飛び出し、先に立って耳をそばだてる。
10分経過。
20分経過。
「こないねー」
「うん、あれで最後だったのかな? それじゃ、我々も撤退しよう。はい、警戒しつつ撤退!」
「りょーかい!」
念のため、角を曲がって身を隠し、水筒の水を飲みながら警戒。チョコの耳は何も捕らえなかったので、本格的に撤退することにした。
他人が攻略した魔界であるから、なにを見落としているかわからない。用心に用心を重ねて撤退していく。
1時間ばかり戻ったところで晩ゴハンにした。
チョコの電池が切れかけてきたからもある。
今日はここでお泊まりだ。
「いつもより楽ちんだったね」
「だねー。ふぁー。くー、すぴー……」
チョコの電池が切れた。
そして、暁の星一行は――
どろっどろの撤退劇である。
クロが抜かれることを想定しているから、後ろが気が気でない。
この状態で襲われたら、子供が相手でも負ける自信がある。それにクロの犠牲を無駄にしてはいけない!
全員とっくに体力が底をついていた。肉体が悲鳴を上げている。だのに何時間も歩き続けた。クロが命がけで稼いでくれた時間を無駄にしてはいけない! その一念で。
……たぶん、クロはろくな死に方をしないであろう。
六時間も歩いたところ、もうどうにもならなくなった。
ザラスが気力だけで歩哨に立ち、残りに睡眠をとらせた。ベテランの1人が浅い眠りより醒めたとき、初めてザラスは体を横たえた。
30分も経たないうちに睡眠から醒めた。その頃になると全員起きていたが、皆同じような浅い眠りしかとれていない。
レニーの焦燥がひどかった。「クロが、クロが」と譫言のように繰り返す。
「クロのため生きて戻れ。そして敵討ちだ。安心しろ、お前を先頭で突っ込ませてやる」
ドスの利いた声は、レニーの心に復讐の火を灯させる。恨み辛みで良い。生きる目的が出来ればそれで良い。
レーションを囓り、水を飲み、腹を満たすと気力なんて物はどっかから沸いてくるもんだ。
落ち武者の様になりながら、暁の星12人は全員生還した。
魔界の門をくぐる。
皆、安心感から力を無くして倒れ込んだ。
「大丈夫ですか?」
クロ専用の調査員が待っていた。
「ああ、俺たちはな。くっ、代わりにクロが……」
「ただいまー!」
魔界からとても元気にチョコが飛び出してきた。
「あー、今一歩で追いつけなかったか」
ニヤニヤ笑いのクロが魔界から出てきた。
「クロ?」
「おまえ、無事……相手は幻覚の魔獣だぞ? 10匹相手に?」
「クローッ!」
「相性かな? 後で説明するよ。皆さん無事で何より。あ、調査員の人。無事任務終了です!」
クロは、泣きじゃくりながら抱きついてきたレニー君の鼻骨に膝を合わせながら、素っ頓狂な顔をする暁の面々に挨拶していた。
「何があったのですかな?」
疎外感甚だしい調査員は、途方に暮れていた。




