魔宮祭り
翌朝。チョコはいつもより早くに目覚めた。出発を急かす。まるで遠足当日の幼稚園児である。
2人は普段着で魔宮へ歩いていった。
チョコはいつものアイボリーホワイトのワンピース。クロは短いジャケット(買った)を羽織って、スパッツの上にミニスカート。背中まで伸びた髪は束ねず後ろへ流したまま。
お遊びということなので、剣だの斧だのは持ってない。……スカートのベルトに、これみよがしに幅広のナイフを差しているだけだ。
さて、魔宮であるが……、攻略する訳でなし、中へ入れない。これはクロ達だけでなく、有象無象の人々も同じだ。魔宮の入り口に続く大通りがお祭り会場だった。
「ざっと1万人ばかりいるのではなかろうか?」
それは多すぎ。
「チョコ、お祭りはじめて!」
村に祭りがなかったはずはなし。参加させてもらえなかっただけだ。
ちょっと辛い過去が顔を出したが、生来の無邪気さが負の側面を覆い隠してくれていた。
そこは、まだ朝だというのに、お祭り騒ぎだった。
行き交う人々。自然と出来かがった大通りの左右に隙間無く並ぶ屋台。屋台が先に立てられ、参道を作ったと見るべきか?
縁日の浅草寺門前町の混み具合と表現すればだいたい合ってる。
「えーっとね、チョコねー、どれにしようかな?」
「チョコや、よく考えて選ぶんだよ。約束したよね? 買えるのは3つまでだって」
「うーんうーん! お肉かって、オモチャ買って、お面かって、飲みものかって、あ、1つおおい」
チョコは指を折りながら、欲しい物を数えていた。
「お肉はいつも食べてるから、外してみたらどうだい?」
「うーんうーん」
お肉を外すことはチョコにとって大問題だったらしい。
「いつもと雰囲気が違うね。スリが少なく、痴漢が多い。それ、ポッキリ」
「アーッ!」
お尻を触ろうと手を伸ばしてきた卑劣漢の指を反対方向へ音が出るまで折り曲げたのは何回目だろうか。いちいち数えていない。
選択肢からお肉を外したチョコは、ピストン式の水鉄砲のオモチャを買った。水鉄砲って、この世界にもあったんだ。
それとお面。
「何のお面だい?」
問うクロに、チョコは狐尻尾をゆらゆらさせながら答えた。
「きつねさん!」
「はっはっはっ! 無駄遣いの極地だね」
帽子のように狐面を頭にかぶせたチョコは、右手に揚げパン、左手にジュースのコップを持ってご満悦のご様子だ。チョコ・パーフェクトフォルムである。
1つ多くなったのは、クロが甘やかしたからだ。
魔宮の入り口付近は広場になっており、勇者を一目見ようとする人と、魔界へ潜ろうとする攻略者でごった返していた。
「まるで全席立ち見のコンサート会場みたいだね」
「だねー!」
小さいチョコが踏みつぶされそうなので、クロの肩へ乗せていた。肩車である。
魔宮から騎士が出てきたところだ。人が一斉にそちらへ移動した。
「おっと、その中に! おーい! こっちこっち!」
クロが手を振った。見知った顔を見かけたのだろう。
「うるせー! だれだ、お前!?」
レニー君だった。
「……って、お前クロか?」
いつもは髪を結い上げて、見た目ショートっぽくしているクロだが、今日は長い髪を下ろし、女の子っぽく化けている。
「はっはっはっ! 見直したかい?」
「うるせー! ばーか!」
語彙力が減退し、頬が赤くなった。
「今日はクロにかまってる暇ねーんだ! あっち行けっ!」
レニー君と小チームを組む先輩方がフル装備で魔宮に向かっていた。
「レニー君、君、昨日帰ってきたばかりじゃないのかい? 連日で潜るのはどうかな? お姉さん心配だよ」
「うるせー! 俺だって怪我してて大変なんだよ!」
「じゃなんで潜る……あ、ごめん! そういう性癖だったんだ!」
「違っ! 違ぇーよ! クロが変なことばかり言うから俺はッ! 風評被害で訴えるぞ!」
「ふむ」
クロは口元に拳を当てた。
「そういう性癖の男の子も有りかな?」
「え? いや、……うるせー! ザラスさんら暁の本体が、一昨日に魔界へ潜ったまま予定日を越えても戻ってこないから、許可を得て偵察に潜るんだよ! こっちは大変なんだよ! ムキーッ!」
「ばか! レニー黙れって!」
飛ぶ鳥を落とす勢いの「暁の星」である。リーダを含む一軍の未帰還という醜態はさらせない……らしい。
「一昨日って事は、時間的に小魔界だね?」
さらに低級攻略者向けの小魔界未帰還は、もっと恥ずかしい。ちなみに、日程で魔界の規模が解る。
「特殊な性癖の魔界かい?」
レニーが突っかかりかけたが、先輩攻略者がレニーの口を物理的に閉じた。
「魔法系の魔界としか聞いてない。もういいだろう? 急ぐんだ」
「モガガ!」
まだ言い足りないのか、足掻くレニーを引きずって、暁の星二軍は魔宮へ入っていった。
9つの神鎧について、聞きたかったのだけど……。
「ま、しかたないか」
「きをつけてねー!」
チョコはブンブンと手を振って見送っていた。
「魔法系だって?」
興味津々。クロは目を輝かせている。
「そんな魔界があったんだ! へぇー! しかし、あれ? うーん、これはこれは……大惨事?」
クロは腕を組んで小首を傾げていた。
「チョコ君、お昼を屋台で済まそう。串肉で良いかな?」
「おにく! わーい!」
賛成してくれたようだ。
「ハムも買いたくないかい?」
「ハムほしい! 食べたい!」
「よしよし、ついでに水の魔晶石も買っちゃうぞ!」
「なんだか、魔界にもぐるみたいだね!」
「潜るのはレニー君だよ。明後日には帰ってくるだろう。――何もなければ」
その日1日、二人は買い物を楽しんだ。
お祭り騒ぎの翌日。
クロとチョコはお風呂に入ったり、お昼寝したりと体力の回復とリフレッシュに努めた。
さっそく、女将さんが商売を始めた。
「風呂湧かしたんだ。あんたら入るかい? 100セスタだよ」
「あの子が入った後かな?」
こないだの筋肉質の中年男だ。食堂の椅子を蹴って立ち上がる。食いつきがよい。
「もうすぐ出てくるよ。ほら出てきた」
ほかほかと湯気を立てたクロと、ほっぺをピンクに染めたチョコが、タオルを頭に巻いた姿で、食堂に腰掛けた。
「獣人も入ってたのか。俺は止めとく」
がたんと音を立て椅子に座った。
「おや、なんだい? 獣人は駄目かい? あんたよりよっぽど綺麗にしてるよ」
「汚れとかじゃなくて、穢らわしいんだよ。俺は駄目なんだ」
現代日本でも、日頃どれだけ綺麗にしていても犬や猫、馬や羊が入って体を洗った風呂を忌避する人が多いだろう。
筋肉質の中年男だけにとどまらず、この世界の住人のほとんどが、獣人と獣を同一視している。酷い話だが、それがこの世界の当たり前なのだ。
むしろ、現代を生きる日本人の方が獣人を忌避せず、受け入れる人が大多数を占めるだろう。獣美少女、及びケモ幼女が入浴した後に入浴する事を忌避する日本人はいない。(決めつけ)
「酷い話じゃないか、筋肉中年A君」
特に怒ってる風でもなく、クロが会話に入ってきた。
「え? 中年A? 俺? 中年? お兄ちゃんじゃないの?」
中年A氏は悲しそうな顔をしている。
「この世界の神話をよく知らないのだが、人も獣人も動物も神様が作ったんじゃないのかい? みな兄弟だよ」
「うーんどうだったかねぇ、あたしゃ無信心でさ、教会の難しい話し聞いたら寝ちまう病気でね!」
「女将さんもわたしと同様、神様を蔑ろにするタイプだったんだね。どうりで親近感を憶えるはずだ」
「よしとくれ!」
女将さんが怒った。
「人も獣も神が産みだしたと神話には書かれているよ」
A氏。彼は体中を筋肉に覆われているが、かろうじて脳まで筋肉に浸食されていないらしい。
「残念ながら、俺ん所の教会じゃ獣人のことは無視されている」
「えぇ!」
クロが目を剥いた。
「じゃあ、獣人は教会へ行かなくていいし、お布施を強制される事もないのか! 神様、気が利くじゃないか!」
「罰当たりだね!」
女将さんが怒ったまま、さらに怖い顔をした。
「チョコちゃんの村じゃどうだった? お祭りがあったようだから、神も祀ってあるのかな?」
「うーん、よく解らない」
チョコの耳がヘタレている。
代わりにクロが張り切っていた。
「獣の神様が居て、人の神と張り合ってブイブイいわせていてほしいな!」
「残念ながら、ってか、クロさんホントに教会へ行ったことないんだね。えーっと、神はすでに死んだ」
「よし来た!」
クロの琴線の何処かに触れたのだろう。たぶん「神は死んだ」の部分だろう。無神論者以前に、神に依らず進化した一族だからであろうか? どこかの文明に毒されているのだろうか?
「この子は!」
女将さんが腕をまくり上げた。
A氏は眉をハの字にして、まあまあとなだめている。
「ザックリと説明すると、創世の女神様が色んな神様を産んで、最後に動物と人を産んで、なんやかんやしている間に、息子達に、これも神様なんだが、なんやかんやあって殺された。で、死体が大地や山や海や川になりました。女神様は死の国であの世の神になりました。って話だ」
「ふーん」
よくある大地母神神話。「大地の神」が母神だったり、死の国の神だったり、或いは両方だったりする。
「残された神は?」
「最初の1万年、大地母神の死体を元にいろんなのを作ってたけど1万1年目にみんな死んだ」
「あ、死んだんだ」
「不老不死だったんだけど、女神様の死体を元にして作った果物とかを食べたんで、死の呪いが掛かったらしい」
レモン汁を振りかけたくなるほど重たい話だった。
「神話に獣人の話は出てこない。だから、獣人はこの世界にいてはいけない動物なんだ」
A氏の話はここで終わった。
「亜鉛は? 錫は? 金剛石は? 蜘蛛類は昆虫じゃないぞ 茸や黴や菌糸類は植物じゃないぞ? 亜硫酸ガスや魔素は空気じゃないぞ?」
「うーん、それらは聞いたことがないな。キンシルイ? 言葉自体、俺の知らない物まであるし!」
クロの質問にA氏が詰まった。
「俺も専門家じゃないから、細かいところまでは知らない。海の生き物とか、鉱物とか、地上の生物とか一纏めに生物として書かれてるんじゃないのかな?」
「なるほど、そこに誰かの恣意を感じるな」
クロは口を閉じた。これ以上、口にしないのがお利口さんだ。単に手抜きか、あるいは自分にとって都合よく解釈する権力主義の神職者が改変したか。
そもそも、誰が神話を書いたんだ? 神様に直接取材したんだろうね?
「ま、いっか」
神を頭から信用してないクロにとって、そこはどうでもいい話だった。
第一、クロは神罰がその身に下っても平然としていられる生物なのだ。むしろ神の怒りを活動エネルギーに変えて吸収貯蓄してしまうであろう。
そのあともA氏のうだうだした話が続いたが、クロは記憶に残さないよう努めて努力した。
いつか暇で暇でどうしょうもなくなったとき、教会へ行って調べるのも良いかとだけ思った。




