メイナードの想い
本日2話目の更新です。
フィリアはイアンの姿が視界から消えるまで見送ってから、胸の前で両手を重ねるようにして、ほうっと安堵の息を吐いた。
(メイナード様のお側にいながら、彼の呪詛を解く鍵を探すことを、私の研究の仕事として認めていただけるなんて。イアン様に何て感謝したらいいのか、わからないくらいだわ)
メイナードも、フィリアの表情をにこやかに見つめていた。
「フィリアの勤務先の所長のイアン様は、君のことをとても褒めて評価していたね。君の仕事への熱意も、きっと彼は理解してくれていたのだろうね」
「イアン様には買い被っていただいているような気もしますが、あのようなお言葉をいただけて、しかも私が調べようと思っていた資料まで揃えて来てくださって、本当にありがたく思っています。これで、メイナード様のお側を離れることなく、呪いを解く方法を探し始められそうです」
はにかみながらも、長めの前髪の間から明るく瞳を輝かせたフィリアを見て、メイナードの頬が薄く染まった。
「それは、君の優秀な仕事ぶりや、その裏側にある努力の積み重ねが認められてのことだと思うよ。君が側にいてくれて、僕も心強いよ」
「尊敬しているメイナード様にそんな風に言っていただけるなんて、私こそ嬉しく思います」
ぱっと花咲くような笑みを浮かべたフィリアを前にして、メイナードはさらに頬を染めると、しばし口を噤んでから、思案気に彼女を見つめた。
「……ところで、フィリア」
「はい、何でしょうか?」
「もう少し、僕の方に来てもらっても?」
「……? ええ、わかりました」
突然のメイナードの言葉に戸惑いながらも、フィリアが少し彼に近付き、身体を寄せて少し屈むと、二人の視線の高さがほぼ揃った。アメジストのような澄んだ彼の瞳に見つめられて、フィリアの胸はどきりと跳ねた。
彼はゆっくりと手を伸ばすと、フィリアの長めの前髪にそっと触れ、さらりと持ち上げた。メイナードのすぐ目の前で両目が露わになったフィリアは、肩をぴくりと跳ねさせると、そのまま緊張気味に目を伏せた。
「ごめんなさい、メイナード様。私の瞳は左右で色が違っていて、気味が悪いですよね」
悲しげに小さな声でそう呟いたフィリアに向かって、メイナードは首を横に振ると、じっと彼女の瞳を間近から見つめた。
「いや、僕はそうは思わないよ、フィリア。君の瞳は神秘的で、とても美しい」
フィリアは、はっとして視線を上げた。そこには、メイナードの真っ直ぐな瞳があった。彼は輝く宝石でも見つめるかのように、彼女の瞳をうっとりと覗き込んでいた。
「なぜ、君は瞳を前髪で隠すようにしているのだろうと、そう不思議に思っていたんだ。せっかく綺麗なのに、もったいないと思ってね」
「……!!」
メイナードの言葉に、フィリアの頬は一気にかあっと熱を帯びた。
「メイナード様、私には、お世辞を言っていただく必要はないのですよ」
どぎまぎとしながらそう言ったフィリアに、彼はにっこりと笑い掛けた。
「いや、これは僕の本心だ。できるなら、僕の前だけでいいから、これからはもっと君の瞳を見せてくれたら嬉しいよ」
彼の優しい笑顔は、以前の美しかった時の彼の笑顔と変わらなかった。フィリアは鼓動が自然と速くなるのを感じながら、こくりと頷いた。
その時、ドアが数回ノックされ、フィリアは思わず一歩後ろに飛び退いた。メイナードが返事をすると、ドアの隙間から先程の使用人が顔を覗かせた。
「お取込み中でしたでしょうか、すみません。そろそろ、フィリア様にご用意したお部屋をご案内しようかと思ってまいりましたが……」
「は、はい。今まいります」
フィリアはメイナードを振り返って頭を下げると、真っ赤になった顔を隠すように俯きながら、使用人の後について部屋を出て行った。
パタンと軽い音を立ててドアが閉まると、メイナードは思わず、フィリアと同様に赤くなっていた顔を片手で覆った。
(フィリアは、まるで天使のような女性だな)
国の英雄と呼ばれていた以前とは対照的に、傷付いて呪詛により痩せ衰え、すっかり見る影もなくなってしまった自分に対しても変わらずに向けられた、彼女の温かく包み込むような笑顔を思い出しながら、彼は小さく息を吐いた。
「……アンジェリカとは、まるで正反対だ」
メイナードは、知らず知らずのうちにそう呟いていた。
アンジェリカと婚約していた時は、彼は彼女を愛そうと努力していたにもかかわらず、彼女に触れられる度にどことなく違和感があり、一緒にいても気詰まりな感覚があった。我の強くプライドの高い彼女を屋敷まで送り届けた後は、彼は毎回のように、疲労感から溜息を吐いたものだった。
それが、フィリアといると全く違った。アーチヴァル伯爵家で彼女に話し掛けた時も、控え目ながらも聡明さの窺える受け答えをする優しい雰囲気の彼女に、メイナードは好印象を持っていた。この日に改めて彼女と話しているうちに、メイナードの心は驚く程彼女に惹かれていた。
(愛そうという努力などしなくても、フィリアといると、自然と胸が躍るのがわかる)
アンジェリカの姿が見えなくなると、メイナードは無意識のうちにほっとしたものだったけれど、温かくそっと寄り添うようなフィリアの姿が見えなくなった途端、彼の心はもう寂しさを感じていた。
つい先程も、上司であるイアンにフィリアがただ頭を撫でられただけで、胸の中にどこかもやもやとしたものを覚え、彼女が自分に嫁ぐと言ってくれた言葉を思い出して安堵したことに、メイナードは自分でも、その初めての感覚に戸惑いを感じていたのだった。
フィリアが出て行ったドアを見つめながら、メイナードは胸が締め付けられるような感覚を覚えて、ふっと小さく笑った。
(もう、彼女にまた会いたいと思うなんて。もしかすると、これが恋というものなのだろうか)
反対に、呪詛のせいでずっと苦しかった喉元は、心なしか少し軽くなったような気がした。
メイナードはゆっくりと上半身をベッドに倒すと、窓から差し込む陽射しが、フィリアが訪れる前とはまるで別物であるかのように眩しく感じた。暗かった心の中にまで光が差してきたように思いながら、彼はそっとその瞳を幸せそうに閉じたのだった。