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約束

 ほんのりと頬を染めたフィリアに、メイナードは驚きに目を瞠るとしばらく言葉を失っていた。恥ずかしさに俯いた彼女を見て、メイナードはようやく口を開いた。


「本気かい? アンジェリカも、多くの使用人たちでさえ、僕から離れていったというのに」

「はい。メイナード様の元に来ると決めたのは、私の意思です」


 フィリアは染まったままの顔を上げた。


「今までも、お会いする度に、私はメイナード様の優しい笑顔や言葉に救われていました。貴方様のお側にいられるなら、私は幸せなのです。……けれど、私では姉の代わりにはなれないでしょうか」


(メイナード様は、まだお姉様のことを想っていらっしゃるのかしら)


 降って湧いたようなこのメイナードとの縁談も、姉が何と言ったとしても、彼の気が進まないならば仕方ないと、フィリアはそう考えていた。

 華やかで美しく、聖女と呼ばれるほど強い魔力を持つ姉と、奇妙なオッドアイを隠すように過ごしている、目立った取り柄のない自分では、比べるべくもないと思っていたからだ。

 いくら姉に辛辣な言葉を掛けられたとはいえ、メイナードの気持ちがもしまだ姉にあるのなら、フィリアは彼に自分を受け入れるよう無理強いするつもりはなかった。


 緊張気味に少し表情を翳らせたフィリアの手を、メイナードはそっと取った。


「君にはアンジェリカの代わりなど求めてはいないよ、フィリア」


 メイナードはふっと遠くを見るような眼差しをした。


「僕は確かに王命でアンジェリカと婚約していたし、彼女を愛せるように努力してはいたが、結局、彼女という人がわからないままだった。僕の努力が足りなかっただけかもしれないし、彼女の回復魔法には感謝していたけれどね」

「それは、本当なのですか?」


 予想外の言葉に瞳を瞬いたフィリアに向かって、メイナードは頷くと優しく微笑んだ。


「アンジェリカには、最後にはっきりと拒絶される前からも、時々他人に向ける冷たさを感じることがあって戸惑ったものだが。君から受ける印象は彼女とは正反対だ。君は、思いやりのある素敵な女性だよ」


 淡い桃色に染まっていたフィリアの頬には、さらにかあっと血が上った。


「さっきも、君の顔を見たら何だかほっと心が温まったんだ。君の言葉も胸に染みたよ」


(メイナード様、そんな風に思ってくださっていたなんて)


 メイナードの言葉に、フィリアの瞳が微かに潤んだ。彼は思案気に宙に瞳を彷徨わせてから口を開いた。


「できれば、君にお願いしたいことがあるんだ」

「はい、何でしょうか?」


 メイナードは静かに続けた。


「君の言葉には、とても感謝しているよ。君がもし僕の側にいてくれたならどれほど嬉しいだろうかと、思わずそう考えてしまった。だが、僕が危険だと判断したら、ルディたちを連れてここを離れてくれないか?」

「……それはどういう意味ですか?」


 困惑気味に瞳を揺らしたフィリアに、メイナードは自分の首元を指し示した。


「この、僕の首から顎にかけて広がっている赤黒い点が見えるかい?」

「ええ」


 頷いたフィリアに、メイナードは続けた。


「これは、僕がある魔物からこの身体に傷を負ったのと同じ戦いの時に、ここに現れたものだ。日に日に広がってきているが、これは恐らく呪詛の一種だろう」

「呪詛、ですか?」

「そうだ。厳しい戦いだったが、どうにか勝利が見えた時、対峙していた魔物が絶命する直前に僕を睨み付けたんだ。その時から首が締め付けられるような違和感があって、見ればこのような赤黒い点……いや、紋のようなものが浮かび上がっていた」


 フィリアははっとして彼の首から顎へと広がる斑点に目を凝らすと、小さく息を呑んだ。


「これは……」


 遠目に見ると赤黒い斑点のようにしか見えなかったけれど、近くでよく見ると、それは一つ一つが不思議な形で皮膚から盛り上がっていて、一定の規則性を持って並んでいるように見えた。


(確かに、そういう呪いを使う魔物がいると、古い文献で読んだことはあるわ)


 非常に強い力を持つ高度な魔物に限った話ではあったけれど、自らの死を悟った魔物が、命と引き換えに敵に呪詛を用いるということは、過去にも起きていたようだった。


 メイナードはふっと力なく笑った。


「はじめは一本の線のような形で、首の周りに現れていたこの紋様は、少しずつ伸びていっているんだ」


 フィリアがよく見ると、メイナードの首から顎を覆うようにして、ぐるぐると気味の悪い紋の連なりが巻き付くように伸びていた。こくりと唾を飲んだフィリアに、メイナードは顎の上部に現れているその紋の先端を示した。


「今日も、ここに新しい紋が浮き出てきた。今は顎までだが、そのうちに顔を覆うだろう。それまで、僕の命が持つかもわからないが」

「……! そんな……」


 フィリアは震える手で、彼の示した場所の側にそっと触れた。確かに、彼の言葉の通り、白い皮膚から薄く盛り上がってきている赤みがかった紋があるのがわかった。

 メイナードはフィリアを見つめた。


「この呪詛が、僕の魔力も、生命力も奪っていっているのがわかる。まだ僕もどうにか必死に抵抗しているが、それも時間の問題だろう。それに、この呪いは、今は僕に向かってきているのが感じられるが、僕が耐え切れなくなった時、周囲まで危険に晒す可能性がないとも言い切れない」

「……だから、メイナード様は先程あのようなことを?」

「ああ、そうだ。僕から気味の悪い発疹が移ると噂して、僕を恐れてこの屋敷を出て行った使用人たちは正しかったのだろうと思っているよ」


 屋敷に人が少なかったことにようやく合点がいったフィリアは、メイナードを見つめ返した。


「私は、メイナード様のお側を離れるつもりはありません。でも、今の状況に手を拱いているつもりもありません」


 フィリアは彼の手にそっと自分の手を重ねた。


「私、仕事でもちょうどこのような分野が専門でしたし、必ずメイナード様が助かる方法を見付け出すとお約束しますから。……だから、あんなに寂しいことは、もうこれからは仰らないでください」


 メイナードはしばらく黙り込んでいたけれど、フィリアの瞳に浮かぶ強い意志を感じて、小さく頷いた。


「ありがとう、フィリア。君は優しいだけでなく、強い女性だね」


 フィリアの温かな微笑みに、メイナードの両目には薄らと涙が浮かんでいた。

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