裏側の事情
フィリアが王立学院の入学時に受けた魔力判定で、姉のアンジェリカとは対照的に最低ランクの評価を受けた時、両親からの姉との差別は決定的なものとなった。魔力判定までは彼女に向けられていた両親の多少の期待が、完全に霧散した瞬間だったからだ。
両親の愛情も期待も、すべてがアンジェリカに向けられていることを、その後のフィリアは嫌でも感じざるを得なかった。アンジェリカも、フィリアのことを冷ややかに見下していた。
そんなアンジェリカの態度も手伝って、屋敷の使用人も、王立学院の学生たちも、陰に日向にフィリアに心無い言葉を吐くようになった。
「フィリア様って、本当にあのアンジェリカ様の妹なのかしら?」
「あの長い前髪の間から覗くオッドアイ、何だか気味が悪いわ」
「姉妹といっても、容姿も魔力も比べものにならないもの。フィリア様は、全ての長所を集めた姉のアンジェリカ様の搾りかすね」
せめて学業だけはと、魔法を直接使う科目以外では優秀な成績を収めていたフィリアだったけれど、それでも両親の視線は彼女に向けられることはなかった。
次第に周囲に心を閉ざすようになったフィリアに温かな言葉を掛けてくれた数少ない人間の一人が、アンジェリカの婚約者となったメイナードだった。
さらさらと流れる黒髪に、知的な紫色の瞳をしたメイナードは、婚約者のアンジェリカのいるアーチヴァル伯爵家を訪れる度に、フィリアに気さくに声を掛けてくれた。
アンジェリカが不満そうに顔を顰めても、他の者たちのようにフィリアの存在を空気のように扱うこともなく、メイナードはその端整な顔立ちを綻ばせて、彼女を気遣う言葉をくれたのだった。
「フィリア、久し振りだね。元気にしていたかい?」
そんな何気ない一言が掛けられる度に、フィリアの心は温かな人柄をしたメイナードに惹かれていった。彼がその美しい顔に笑みを浮かべる時、確かにフィリアの胸は高鳴ったけれど、何より、彼女にも分け隔てなく向けられる彼の優しさが、フィリアは大好きだったのだ。
国の英雄と呼ばれるほど魔法の腕に優れた青年で、姉の婚約者。決して叶うはずのない想いではあったけれど、フィリアは彼を慕う気持ちをそっと胸の奥にしまい込んでいたのだった。
(彼ほどの方が、生死を彷徨うほどの怪我を負ったなんて……。けれど、本当に私が彼のお側に行ってもよいものなのかしら)
まだ混乱した胸を抱えながら、フィリアは父と話をするために彼の書斎へと向かった。
フィリアが父の書斎のドアの前に立った時、部屋の中から話し声が漏れ聞こえて来た。
「それは本当かい、アンジェリカ?」
「ええ、お父様。私の婚約者は、メイナード様に代わって、先日魔術師団長に就任したダグラス様になると、もう陛下からも内諾を得ています」
「まあ、何よりね」
アンジェリカの言葉に、父と母がほっとしたように息を吐いたのが、フィリアにも扉越しにわかった。
「魔術師団でこそ私の力は活かされるべきだと、陛下も当然そう理解なさっていますもの」
「私もその通りだと思うよ、アンジェリカ。……だが、今後メイナード様はどうなるのだ?」
やや声を潜めた父に向かって、アンジェリカは笑みを含めて言葉を返した。
「ああ、それは。魔術師として使いものにならなくなったからと、彼をここで私が見捨てたように見えては、さすがに平民の心象が悪くなるのではないかと、陛下もそれを懸念なさっていたようですが。でも、それももう解決済みですわ」
「どういうことなの、それは?」
母の訝しげな声が続く。息を詰めるようにして耳を澄ませていたフィリアの耳に、姉の高い声が響いた。
「そこにいるのでしょう、フィリア? 入っていらっしゃい」
フィリアの肩がびくりと跳ねた。
(お姉様は、私がいることに気付いていらしたのね)
ガチャリとドアを開けて、フィリアは決まり悪そうに部屋に入った。そんな彼女を見て、アンジェリカがふっと笑みを零した。
「盗み聞きとは、いい趣味をしているわね」
姉と、その両脇で冷ややかな表情をしている両親を前にして、後ろ手でドアを閉めたフィリアは固い顔で立ち尽くしていた。
「でも、今回は許してあげる。あなたのお蔭で、私はメイナード様から解放されるのだから」
アンジェリカの言葉に、両親は戸惑ったように彼女とフィリアを交互に見つめていた。アンジェリカは微笑みを浮かべて続けた。
「妹が、どうしても彼の側で支えたいと訴えているのだと、そう陛下にお伝えしたの。聖女の私の妹がそこまで言うのならと、陛下も安堵したように納得して、メイナード様の婚約者を代えることに賛成してくださったわ」
(ああ、さっきのお姉様の言葉はそういう意味だったのね。私が答える前から、もう全てが決まっていたのだわ)
さっき聞いたばかりの姉の言葉を思い出し、フィリアはようやく合点がいっていた。姉の言葉は絶対で、フィリアにはこれまで彼女に意見する権利などなかったからだ。
「お父様、お母様。どう思われますか?」
「ああ、非常にいい考えだと思うよ」
「フィリア、あなたがついていて差し上げれば、メイナード様も安心でしょう」
両親は揃って、フィリアが記憶している中では一番嬉しそうな笑みを浮かべていた。
フィリアは真っ直ぐに姉と両親を見つめた。
「承りました。けれど、メイナード様は納得していらっしゃるのでしょうか?」
アンジェリカはやや表情を険しくした。
「彼には選択権はないわ。……さあ、わかったら早く荷物を纏めて、彼のところに行ってちょうだい」
フィリアは静かに頷いた。
「はい。メイナード様をお支えできるように務めます」
それだけ言って、両親と姉に背を向けたフィリアの耳に、呟くような姉の声が届いた。
「……彼の姿を前にしても、今と同じ言葉を言えるかしら」
姉の言葉に困惑を覚えつつ、フィリアは父の部屋を後にした。