手掛かりを探して
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フィリアはメイナードの部屋の前まで行くと、遠慮がちにそっとドアをノックした。
部屋の中から聞こえて来たメイナードの声に、フィリアはドアを開いて部屋へと足を踏み入れた。
既にベッドに身体を横たえていたメイナードを見つめて、フィリアは申し訳なさそうに口を開いた。
「すみません、お休みのところをお邪魔してしまって」
メイナードはフィリアの姿にその瞳を輝かせると、すぐに首を横に振った。
「いや。君がまた来てくれて嬉しいよ」
メイナードが上体を起こそうとしているのがわかり、フィリアはすぐに彼に手を貸して助け起こした。
彼の言葉の通り、フィリアを見て嬉しそうにしている様子に、彼女もふわりと頬を染めると口元を綻ばせた。
「メイナード様は、お優しいですね。私、先程イアン様が持って来てくださった資料を、うっかりこちらに置き忘れてしまって。これだけ取らせていただいたら、すぐに失礼しますね」
テーブルに積み上がっていた大量の資料を腕に抱えて微笑み、メイナードに背を向けようとしていたフィリアを、彼は少し寂しげに見つめた。
「これからその分厚い本や書類に目を通すのかい? ……もし僕が君の邪魔にならないようなら、もう少しこの部屋にいてはもらえないだろうか。もしよかったら、そこのテーブルと椅子を使って欲しい」
フィリアは彼の意外な言葉に目を瞬いた。
「よろしいのですか? 私の方こそ、もしメイナード様のお邪魔にならないようでしたら、喜んで」
メイナードはフィリアを見上げて嬉しそうに笑った。
「ありがとう、フィリア。君がこの部屋を去ってからどこか寂しくて、早くまた君の顔が見たいと思っていたんだ。……こんなことを言って、迷惑じゃないかな?」
「そんなことは……!」
少し不安気な表情を浮かべたメイナードを見つめて、フィリアは真っ赤になりながら勢いよく首を横に振った。
「私、メイナード様にまたお会いできるのを心待ちにして、こちらのお屋敷に来たのです。……メイナード様がご存知だったかはわかりませんが、今までも、私の実家にいらしてくださる度に、お目にかかるのを楽しみにしていたのですよ」
「本当かい?」
驚いた様子のメイナードに、フィリアは恥ずかしそうに頷いた。
「実家でも、聖女と呼ばれる姉と私とでは、暗黙の扱いの差のようなものがあったのですが、メイナード様は、私にも分け隔てなく接してくださいましたね。貴方様の優しさに、私はいつも救われていたのです」
「そんな風に君が思ってくれていたなんて、知らなかったよ」
フィリアはすっかり染まった頬を隠すように、俯きがちに続けた。
「国の英雄と呼ばれるメイナード様が、その名声に驕ることもなく、婚約者の妹に過ぎない私にも気さくに接してくださって、私がどれほど嬉しかったか。……貴方様のお側にいられるこんな機会がいただけて、私は本当に幸せに思っているのです」
メイナードはフィリアの言葉にふっと瞳を細めると、独り言のように小さく呟いた。
「ついさっきまで絶望の淵にいたはずなのに。何が人生を変えるかは、わからないものだな……」
フィリアは小さく首を傾げた。
「あの、今何か?」
「いや。君が僕のところに来てくれたことは、信じられないような幸運だと、改めて思っていたんだ」
メイナードの瞳に浮かぶ優しい色に、フィリアは耳まで赤くなりながら、恥ずかしさから話を逸らすようにして、資料が今さっきまで置かれていたテーブルを見つめた。
「あの、本当にメイナード様のお邪魔にならないようなら、こちらをお借りしますね」
「ああ」
メイナードが頷いたのを見て、フィリアは手に抱えた資料を再びテーブルに下ろすと、その脇にある椅子に腰を下ろした。
フィリアは一番分厚い本を手に取り、栞が挟まれたページを開こうとしたけれど、メイナードの首元に浮かび上がっている赤黒い呪詛に視線を移すと、本をいったん静かに閉じた。
「あの、もう一度、メイナード様のお首から顎にかけての部分を見せていただいてもよろしいですか?」
「ああ、構わないよ」
特殊な魔物の毒や傷に苦しむ患者が出て、なかなか回復が進まずに治療方法を探すような場合、イアンは常々、患者の症状を注意深く観察することを重視していた。
そんなイアンの姿を近くで見ていたフィリアは、再び椅子から立ち上がってメイナードに歩み寄った。
(今までに見たこともない呪いに、つい過去の文献から事例を調べようとしてしまったけれど、メイナード様に掛けられた呪詛の状況をまずはよく確認すべきだわ。イアン様が、メイナード様のお側での研究を私に認めてくださったことには、きっとその意図もあったはず)
自分を信じてメイナードを任せてくれたイアンに心の中で感謝しながら、フィリアはメイナードの隣で少し屈むと、彼の首元に連なって浮かび上がっている赤黒い部分にそっと触れた。禍々しい色をした呪詛に直接指先で触れただけで、フィリアは背筋にぞくりと悪寒を覚えた。
(このじくじくとした不思議な模様自体が生きているようだわ。これが、竜の呪詛……)
まるで、命を落とした竜が、蛇のような身体から呪詛の形に姿を変えて、メイナードの首に螺旋状に巻き付いてその生命力を奪い取っているかのようだった。呪いの文字の羅列が、蠢きながら彼の首に食い込み蝕んでいる様子が見えたような気がして、フィリアはこくりと唾を飲んだ。
厳しい表情で唇を引き結んだフィリアを見て、メイナードが遠慮がちに尋ねた。
「こんなものに触れて気持ちが悪くはないかい、フィリア? アンジェリカですら、直接触ることは避けていたのに」
「いえ。……ただ、これほどの呪いにも屈せずにいられるメイナード様はご立派だと思っていました。恐らく、メイナード様以外の方だったら、これほどの呪いを掛けられたら一溜まりもなかったことでしょう」




