第七話
生きてました
足取り軽やかに消え去った少女を見送り、リンデイアは宿の中へ足を踏み入れた。
入ってすぐは併設された食堂のようで、がやがやとした人の話し声と共にいい香りが漂ってくる。
市場の女将たちの評判通り期待できそうだと、小さく笑みを浮かべた。
「はいよー、いらっしゃいお兄さん! さっきうちの子が言ってた宿屋の客ってのはアンタかい?」
カウンターから出てきたのは赤毛を後ろに束ねたご婦人、歳の頃は四十半ばといったところか。非常に妖艶でグラマラスな体型と底抜けに明るい雰囲気がミスマッチながら、二人きりではどんな顔をするのだろうかと救いようもない想像をするリンデイア。
「ああ、女将さんかな? さっき表で妹さんに声をかけたんだが今夜空いている残りの一部屋でよろしく頼むよ。それからこれ、持ち込みの食材を預けても?」
わざとらしいリップサービスに目をくるりと丸くする女将は、イメージ通りの豪快な笑い声を上げた。
「妹さんだって? あれはうちのバカ娘よ! 全くとんでもないお世辞だね、お兄さん。はははっ悪い気はしないけども」
手際よく食材を受け取り、厨房へ向かう女将。
何やら声をかけると、厨房から逞しい腕が食材の入った袋を受け取った。
どうやらシャイな店主が厨房担当らしい。
未亡人であることを少し期待していたリンデイアはやや気落ちするものの、持ち前のへこたれなさで気を取り直す。
「おや、本当に姉妹かと思ったんだが。記帳はそこかな? ……と、これで頼むよ」
「はいはい、リンディさんね。三階の角部屋だよ。宿泊は一晩につき5ディル。連泊なら2泊目からは3ディルに値下げになるけど、どうする?」
急ぎの旅ではあるものの、本来東の砦までは領地から一月ほどかかる。リンデイアの足では一週間足らずで着いてしまうので、移動手段を隠している身としては各地で滞在時間を調節する予定だった。
「そうだね、三日ほどお世話になるよ。先に払っておいても? ……そしたらこれで」
「あいよ、11ディルだね。これが鍵。風呂も予約制だけどあるから、使うなら声かけてちょうだいね」
その他、宿内のことや食堂の利用に関して女将がテキパキと説明する中、リンデイアは真面目に聞いている顔で魅惑的な肢体に目をやっていた。
よく女性は邪な視線に敏感だと言われるものだが、生憎とその視線の主も(一応)女性であるため、匙加減が上手い。
『邪な視線』が『熱の籠った視線』に変換されるツラのいい男(に扮した)リンデイア。
女将は落ち着かない様子で手早く説明を終えた。
「………えっと、そんな感じなんだけどね。何か質問は?」
「強いていうなら貴女の名前くらいかな?」
カウンターに肘をつき、身をかがめ上目遣いのように自身を見つめる若いイケメンに、女将は視線を泳がせまくる。
「あ、アイシャよ」
「アイシャさん。素敵な名前だね。ところで厨房にいるのは旦那さんかい? ここの料理は美味しいって聞いてるんで、期待しているんだ。楽しみにしているよ」
「ああ、あれか。あれはうちの弟。生憎と店主はもうどこにいるかもわからないんでね。でも期待していいよ! 前の旦那よりうちの弟は腕がいいからね。受け取った食材も上手いこと調理してくれるさ」
期待した通り未亡人だと把握したリンデイアは心の中でニヤつきながら、表面上は麗しい微笑みを浮かべている。そのうち女に刺されるだろうと口々に言われ続けるがどこ吹く風の女は全く持って懲りない。
「そうか、弟さんか。なら俺にもチャンスがありそうだね。それじゃあまた後で」
流し目をくれたまま振り返り、手を振りながら三階へ向かうリンデイアの背を女将はしばらくぽーっと眺めていたが、はっと目を覚ましたように首を振ってカウンターへ戻って行った。
その様子を見逃さなかったリンデイアは、「娘も可愛かったし、この町の滞在期間を延ばすべきかなぁ」などとくだらないことを考えていた。
部屋へ入ったリンデイアはまず警戒魔法の類をドアや窓へかけて回る。
自身の身元が割れていないだろうとは思いつつ、外泊の際の癖だった。
「さてさて、今のうちに……」
テーブルの上へ地図を広げ、書き込みを加えていく。
最悪の場合、三国を絡めた戦になることは必ず避けなくてはいけない。
歩けば女を口説きまくるだけの女ではないのだ。
自身のやるべきことを忘れたわけではないリンデイアは、最悪を想定した戦略を今のうちに練り上げる。
東の戦闘狂、ミルスティア帝国。
西の傭兵国家ドランフェン。
かつて、まだミルスティアが事ある毎に戦を起こしていた頃。およそ数百年前から傭兵としての仕事の多くを請け負っていたドランフェン。そのつながりは金銭によるものとはいえ深いものがある。
加えて現在のドランフェンの国母はミルスティア王家を出自としている。
今回東の砦で暗躍しているのがミルスティアの手の者であれば、ドランフェンが一枚噛んでいるのは間違いないだろう。
このグレンディア公国を中心として東と西より攻め入れられればかなりの苦戦を強いられるのは間違いない。
もちろんリンデイアの強大な力を持ってすれば負けることはないだろうと自負するものの、大きな被害を受けることは容易に想像できた。
特にミルスティアの帝国騎士、ドランフェンの第一部隊には厄介な相手もいる。
相手の戦略、侵攻ルートを数パターン地図上に巡らせ、リンデイアは思わず舌打ちした。
おそらく東の砦から侵攻し始め、それを討とうと公国の兵力が東側へ舵を切ると同時に西から傭兵部隊が攻め入るだろう。
あるいは東と西、同時に侵攻を始め此方の戦力を分散させるつもりか。
一騎当千、万能に近い力を持つリンデイアであるが、生憎と分身は身につけていない。
同時の進行が最も厄介である。
「どうせなら東を早々に片付けてしまいたいが……」
自身の力をなるべく抑えつつ、それぞれの国をどう嗜めるかが肝になる。
出る杭は打たれるというのを重々承知しているリンデイアは、自身の身と囲った女たちの幸せを軸に策を練っていくのであった。
一刻ほど経った頃、遠慮がちに客室がノックされた。
「はーい、どちら様です?」
「リュカです。宿の娘の」
だらしなくソファで地図と睨めっこしていたリンデイアは素早く身なりを整え、ドアの縁へ手をついてそれはもうキザったらしく戸を開いた。
「やあ、先ほど振りだね? どうしたんだい?」
「そろそろ夕飯の時間なので、お兄さん何時ごろに来るかお母さん…あっ女将が聞いてこいって!」
慌てて呼び方を女将に直す様子から、普段から注意をされているのだろうとわかる。
早めの夕飯になるが夜には用事もある、悪くない時間だろう。
リンデイアはくすくすと笑いながらそのままリュカについて行くことにした。
果たしてリンデイアの夜の用事とはなんなのか??(すっとぼけ)