第一話
はじまってしまいました
広々とした空間、天井には魔法障壁が利用され、青々とした空が広がっている。
左右には鷹の意匠が凝らされた壁の上に、これまた手の凝った刺繍が入ったタペストリーが荘厳に並んでいる。
自然、神話等がモチーフである装飾品が多い中、威風堂々と並ぶ肖像画は歴代の王族らだった。
謁見の間として使われる大広間には、豪奢な礼服をまとった老若様々な男たちが集まっていた。
国の上位貴族が雁首揃え佇み、すでに一刻が経とうとしている。
集められた者は皆国内において力の強い家であったり、重要拠点を領地に構える貴族ばかり。
普段は各々の領地にて絶対君主よろしく君臨する彼の者らも、今ばかりはひどく居心地悪そうな顔をしていた。
王の御前ともなれば上位貴族といえどもただの人。
東の砦に居住まう老公などはもうすでに立っていることすらままならないのか青い顔で杖を握りしめている。
恰幅のいい青年貴族はしきりに汗を拭き周囲の顔を窺っていた。
それもそのはず、この全くもって踊らない会議が始まってから一刻、沈黙が場を支配してから半刻は経つ。
その場にいる上位貴族は皆揃って誰かが何かを口にすることに流れを任せようと愛想笑いや態とらしい咳払いを時折挟みながら、決して己の意見は口にしようとしなかった。
国の重大局面において自らの発言で泣きを見ることは避けたいのである。
国王は彼らを試すつもりか、はたまた自らの舵取りに自信がないのか同じように沈黙を守り王座に鎮座していた。
いよいよ老公の杖を持つ手すら震え始めた頃、異様な空気が包み込む中で国王は重い腰を上げる。
「……フォンディーヌ公を呼べ」
その言葉を待っていたとばかりに騎士団長は下っ端兵士へ顎をしゃくり、1人の若い兵が広間から駆け出す。
誰が吐いたか、はたまた皆同時だったか、あちらこちらで安堵のため息が漏れた。
少しばかりして広間に駆け戻ってきた若い兵は荒い呼吸を整えながらも、勢いそのままに述べる。
「フォンディーヌ公のお目見えでございます!」
しきたりに沿って入り口に控えた兵士らが敬礼をしようとするが、入ってきた人物は小蝿でも払うように手で制した。
「そのようなことは結構。事態は刻一刻を争うのでしょう……であるからして私が呼ばれたのですから」
カツカツと広間の中心に躍り出た人物――フォンディーヌ公は恭しく一礼する。
見事なカーテシーを披露する彼女に一時見惚れかける周囲であったが、その慇懃な態度とは裏腹に、隠しきれない不敵不遜な笑みを見て背筋に冷たい汗が走る。
「フォンディーヌ家が当主、リンデイア・フォンディーヌただいま参上仕りました。国王陛下におかれましては本日もご健勝なようで……しかしながらご気分は優れないと見える。して、如何様なことでこのフォンディーヌをお呼びで?」
彼女はゆるりと上位貴族らの顔を見渡して王へ尋ねた。
ようやっと会議は踊り出す。
ことの始まりは二月ほど前のこと。
東に砦を構える老公の元へ、管轄の小さな農村から一報が入る。
――国境付近の山に盗賊が根城を築いている。
冷え込み始めた頃合いのことである。
街へと立ち入ることのできないようなゴロツキは冬場を乗り越えようと洞窟を仮住まいに通行者を狙った強奪を繰り返すことは珍しくはない。
今回も冒険者へ依頼でも出せばすぐに片付くことだろうと老公は判断した。
部下へ命を出し自らの名義でギルドへ依頼を通告するが、待てど暮らせど討伐完了の報告は得られない。
むしろそもそもそのようなことをわざわざ自分に報告を上げずとも良いと零した老公は、部下が気を利かせて勝手に処理をしていることだろうと思っていたくらいだ。
その程度によくある案件で、大したことではないことが殆どの事例だった。
「……そして、蓋を開けてみればまだ解決には至っていなかったと」
ゆるりとした動作でフォンディーヌ公は東の老公――バルト伯を見やる。
ひゅ、と喉から小さな悲鳴が漏れたバルト伯であったが、一つ咳払いをし誤魔化した。
「い、いたずらに事を大きくするまでもないと判断したまでのことだ。そもそもこの時期に盗賊が人里近くに根城を構えることなどよくある話ではないか、であるからして、」
「であるからして、部下の報告がないことを疑問にも思わず、果てにはようやっと気づいた時には消えたのは馬が12頭に人間56名だと? たったの二月でこの被害、”よくある話”の範疇はとっくに超えてるのではありませんか?」
痛いところを突かれたとばかり、小さく呻いたのちバルト公は再び沈黙の人となった。
そんなことは構わない様子でフォンディーヌ公は続ける。
「何よりも問題なのことは、此度の被害がそもそも盗賊である確証は何もないことでしょう。『山間の付近で人が消える、恐らくは盗賊の仕業であろう』……ここまではバルト伯も仰る通り、確かによくある話かもしれません。ただそれが盗賊を目にしたものもおらず、果てには誰一人、討伐に行った者たちも帰ってこないとなれば話は別だ」
鋭い目つきで周囲を見渡すフォンディーヌ公の眼光に上位貴族らは殊更縮こまる。
そんな中、国王は慌てた様子で訊ねる。
「ではなにか、盗賊以外別の何かの仕業だと? まさか特級の魔獣でも……」
落ち着きなく口ひげを擦る王を、フォンディーヌ公は感情の籠らぬ目で見つめたのち一つ呟いた。
「魔獣の類なら、いいのですがねぇ」
「……魔獣ならばいいだと? 特級だとすれば一大事では済まないのだぞ、フォンディーヌ!」
王は声を荒げフォンディーヌ公を睨みつける。
怒気にあてられ貴族らはびくりと肩を揺らした。
そもそもの事件の発端ともいえるバルト公などはすでに虫の息だ。
しかし当のフォンディーヌ公はどこ吹く風。
やれやれと言わんばかりに肩をすくめる。
「まあ、落ち着いてくださいませ陛下。私とて出来れば此度の一件、ただの腕の立つ盗賊の仕業と思いたいところですが、それには被害がひどすぎる」
ゆったりと語りかける聞き心地の良い彼女の声に、周囲は自然と耳を傾けさせられた。
さながら舞台の演者のように、広々とした謁見の間を歩きながらフォンディーヌ公は己の想定を述べ始めた。
「まず初めに、最初の農村からの陳情に関しては致し方のないことでしょう。この季節に洞窟も複数存在するような山間近くで行方不明者が出始めれば、盗賊の仕業と思うのは至極当然。しかしながら、ここで気になるのはやはり被害件数です」
喉が渇いたのか、壁際に控えるメイドの持つトレイから水の入ったグラスを一つ取ると、フォンディーヌ公は優雅に飲み干す。
メイドは近場で見る若き女帝をうっとりとした顔で見つめていたが、そばに控える年配のメイドの咳払いで背筋を正した。
フォンディーヌ公はその他貴族や国王に見えない角度でくすりと笑い、メイド二人にウインクをしたのちに話へ戻る。
メイドらは溜息をこぼしながら、彼女が再び喉を潤せるよう新たなグラスを用意し始めた。
「失礼。何分来てすぐ喋り通しだったものですから。さて、話に戻りましょう。先ほど申しました被害件数、馬が12頭に人間56名。私の部下にも裏取りはさせていますが、バルト公、この数に間違いはありませんね?」
先ほどまでは小娘が何をとばかりに噛みついたバルト伯もすでに空気に呑まれたか、壊れたおもちゃの様にこくこくと頷いた。
「これだけの数が二月に消え、尚且つ何の目撃情報も得られないなど本来あり得ない。それこそ先ほど話に上がったように魔獣の仕業であれば食い荒らされた遺体でも出てこなければおかしいのです」
つい先ほどまで沈黙が支配していた場は彼女の独壇場だった。皆度々相槌を打ちながら、彼女の次の言葉を待つ。
「それこそ魔獣であればどれほど良かったか……。陛下、下手をすればこれは戦の前触れです」
「なんだと?」
「件の場所は東の砦付近、人知れずそこへ居座り、目撃者となり得る者を皆消し去りながら全くの痕跡を残さずにいられるとすれば……」
「……ミルスティアか」
大陸の中央部に位置する自国、グレンディア広国。
中央に位置するからこそ交易で物流の要とされ栄えてきたが、近年その地位も揺らぎ始めた。
魔法技術の発達により物流方法はかつての陸路をベースとしたもの以外にも選択肢が増え、いちいち面倒な手続きを踏まずとも物を運ぶことはそう難しくなくなってしまったのだ。
西に位置する傭兵国家、南に位置する聖教国、北に位置する魔道技術国家、そして東に位置するはミルスティア帝国。
かつては別大陸に住まう者らが海を渡り、この中央大陸へ流れ着いたことがルーツとされるミルスティアは、戦争狂いで有名だった。
この100年ばかりで落ち着いたとされているが、ついに動き出した可能性が高い。
「ミルスティアの先代王の第二王女は西のドランフェンへ輿入れし、今では国母となっています。とすればもし戦となれば、最悪の場合」
「ミルスティアとドランフェン、両方を相手にしなければならない……、そう言いたいのだな?」
国王とフォンディーヌ公のやりとりを聞いて、貴族らは騒めきだした。中にはバルト伯を責め立てる者もいる。
「ええい、静まれ! 静まらぬか……しかし、まだそうと決まったわけではない」
「ええ。決まったわけではありません。しかしながら最悪を想定しておけば、おのずと結末は多少なりとも好転しますでしょう。して陛下、私に現地へ赴く許可を」
「……ほう、公爵自ら対処すると申すか?」
「はい。本来であればバルト伯主導の元調査すべきでしょうが……、まあ相手を刺激しかねません。本当にミルスティアの手の者であれば、町にもすでに間者がおりましょう。しかしながらバルト伯、もちろん貴公の助力も惜しむことなくよろしくお願いいたしますよ」
相変わらず壊れたおもちゃよろしくバルト伯は首を振った。
「さて陛下。都では念のため戦の準備をお願いいたしますね」
「あぁ、抜かりなく」
これではどちらが王か……、謁見の間にいる者のいくらかがそう思ったとか思わないとか。
はたして、踊り出した会議の波紋がはどこへ行くのか。
知るは神と、リンデイア・フォンディーヌばかり。
リンデイア(と私)の明日はどっちだ!