Bar.4
「クリップボードで思いっきり叩くって言うのは酷いんじゃないでしょうか?」
風峯くんが振り返って涙目で言う。一方、保健医さんは全く悪びれずに、
「純情な少女を誑かす悪い狼にはコレくらいの制裁は必要よ」
「いや別に誑かしてないし・・・・」
「自覚が無いなんて、なお悪いね。そんなんだから責任取れって女の子に追い回されるのよ」
「ち、違っ!それ違う。責任取らなきゃいけないことなんて何もしてないですよ、俺」
「見苦しいわよ。子供と言ってももう高校生。男ならきちんと責任を取りなさい。あれだけの数の女の子に対してだからねぇ、きついわねぇ。でも自業自得よね?」
「だから・・・誤解されるような事言わないでください」
「事実でしょう?」
「違います」
それから二人は押し黙って睨みあった。っていうか、
「あ、あの、お二人はお知り合いなんですか?」
すごく仲の良さそうな――まあ会話の内容はほとんど口争いだったけど、遠慮の要らなさそうな関係に、私はそう感じた。
しかし保健医さんは首を振る。
「プライベートなって意味?違うわよ。この小生意気な少年とは去年の春にこの部屋で知り合った、ただの先生と生徒。始めの内は中学生上がりの可愛い坊やだったのにどんどん態度が大きくなっていくから、私も遠慮無くものを言い始めたって訳」
「いや、ここ居心地がいいもんだからつい、ね」
「そうね。患者さんにはいい環境でいて欲しいと言う私の願いと努力の賜物ね。だから、その居心地の良さを壊す少年を排除しようと言うのも自然の成り行きね」
「うわっ、ひでえ。聞いた?亜希。排除だってよ」
いきなり私に話を振ってくる風峯くん。私は慌てて反射的に頷く。
「う、うん・・・・」
「・・・亜希、ね」
保健医さんが呟いた。私たちの視線が彼女に向く。
「あのね、風峯君。君のそういう軟派な態度が、女の子に追いかけ回される原因だって分からないの?」
「う・・・。いや分からない訳じゃないけど、可愛い女の子と仲良くしたいって言うのは男として普通の感情じゃないでしょうか」
「・・・・はぁ・・・もう勝手になさい。馬鹿につける薬がないとはまさにこの事ね・・・・・。でも、いい加減その子から離れないと、今度は角度が半分になるわよ?」
保健医さんが呆れたように溜息を付いた後、クリップボードをひらひらとさせて告げる。
角度が半分って・・・なに?数学の話?
私は首を傾げるけれど、風峯くんは何か心当たりがあったらしく、ささっと私から身を引いて、
「90度は勘弁・・・」
何か、今度は二人がいたずらっ子な弟とそれを叱り付けるお姉さんのように見えて、私はついくすくすと笑ってしまった。
それにつられたのか、二人も笑い出して、五時間目終了間近な保健室に穏やかな空気が流れた。
♪
現金な事に、風峯くんとお話をする事ができて、私の気持ちの悪さはどこかに吹っ飛んでしまっていた。保健医さんもそれを体調が回復したと判断して、私は六時間目から授業に復帰した。
楓歌ちゃんはすごく心配そうな顔をして大丈夫かと聞いてきたけど、私が笑顔で返事をすると安心してくれた。
そして、何事も無く七時間目と掃除、終礼も終わって、放課後。
楓歌ちゃんはまた明日と言って部活に行ってしまい、私は一人で帰る準備をしていた。他の人たちは、楓歌ちゃんもだけど、もう既に部活に行ってしまったり帰ったりしている。
いつ帰る準備をしているのかすごく不思議だ。みんな終礼が終わったらすぐに席を発ってる。だから私はいつも帰りが人より遅い。何でだろう?
そんなもう人もまばらな2-Bの教室のドアが、勢い良く開いた。
・・・・あれ、もう放課後だから初めから開いてたはずなのに、なんでまた開くんだろう・・・?
私が首を傾げていると、ドアを開けた生徒、同じクラスの桐里瑛子さんが教室を見回したあと何故かがっくりと肩を落とした。
「あー・・・やっぱりもう皆いない・・・・もーっ!」
ど、どうしたんだろう?
私は少し心配になったので、近付いて訊ねた。
「ど、どうしたの、桐里さん?」
「あ・・・亜希ちゃん!あたしの天使っ!」
「え?え?」
いきなり桐里さんにがしっと手を取られた上に天使呼ばわりされて私はきょとんとする。
「ごめんね、亜希ちゃんにこんな事頼んだらばちが当たる気もするけど、他に頼める人がいないの!・・・その・・・ごみ、捨てといてくれない?」
「・・・・・ごみ?」
私は首を回してごみ箱を見た。ぱんぱんだ。青いごみ箱の上のふちまでごみが溜まっている。
「あたし、今週当番だったんだけど・・・昨日も忘れててさ、今日も忘れたら向こう一ヶ月ごみ当番って言われて・・・でも、今から部活の大事なミーティングがあって、抜けられないのよ。・・・お願い、できる?」
「うん、そんな事ならぜんぜん大丈夫だよ」
私が頷くと、
「ありがとっ、亜希ちゃん!大好きっ!」
いきなり抱き締められた。そ、そこまで感激しなくても・・・。
桐里さんは私を解放して、本当にありがとうともう一度お礼を言って、颯爽と駆けていった。
元気だなぁ。私にもあれくらいの運動神経があればなぁ・・・。
ごみ袋の口を閉じてごみ箱から取り出してみたんだけど、これ、意外と重たい・・・。普通は紙とかばっかりだから結構軽いんだけど、今日のはすごく押し込まれてるみたい。袋が破れないか心配・・・。
私はその袋を両手で抱えて、昇降口まで行く。ごみの集積所は外にあるから一旦外靴に履き替えないといけない。
靴を履いて、再びごみ袋を抱え、歩く・・・・結構辛いかも。袋よりも私の体力のほうが心配になってきた・・・。
ふーふー言いながら、私はやっとの事で集積所に着いた。
「おー、お嬢ちゃん、お疲れ様!頑張ったねぇ!」
用務員の田中さんが元気な声で労ってくれた。田中さんはすごく明るくて楽しい人なので、生徒から人気者のおじさんだ。
「はい・・・頑張り、ました」
私が息を整えながらそう言うと、田中さんはあっはっはと豪快に笑って、私が運んできたごみ袋を片手でぽいとごみ袋の山の中に投げ入れた。
あー、あんなに簡単に投げられると頑張って運んできたのにちょっと虚しいかも・・・。
と思っていると、後ろから、
「田中さん、これもお願いします」
「おぅ!お、風峯の坊ちゃんじゃないか!昨日も来たって事は、今週当番かい?」
え、えぇ!?か、風峯くん!?
私が慌てて振り向くと、私だと分かっていなかったらしく、風峯くんも少し驚いた顔をした。
「ええ、そうですよ・・・って、あれ、亜希?亜希もごみ当番?」
「え?あ、ううん。違うけど、友達に頼まれて・・・・」
「おや、坊ちゃん、お嬢ちゃんとお友達かい?」
田中さんは風峯くんからごみ袋を受け取りながら元気に聞いてくる。
「ええ、まあそんな所です」
「そうかいそうかい!いいねぇ、青春だねぇ!あっはっは!」
ばしばしと風峯くんの肩を叩いて、またしても豪快に笑う田中さん。意味はよく分からないけど、やっぱり楽しい人だ。
「大分疲れてるみたいだね」
ごみ集積所から帰る道すがら、風峯くんが話しかけてきた。
「うん・・・結構、重かったから」
「ふぅん・・・。亜希、友達に頼まれたって言ってたよな?それって面倒な仕事を押し付けられたって事?もしそうなら――」
「え?ち、違うよ。別にそういう訳じゃなくて・・・その、忘れてて、部活が抜けられないから、私が引き受けただけ・・・」
風峯くんが妙に真剣な顔で聞いてくるから、私は慌てて弁解した。すると風峯くんは少しの間、難しい顔をした後に、ぷっと吹き出して、
「亜希、もう少し分かりやすい説明をしような。理解するのに苦労したよ」
私は顔が真っ赤になっていくのが分かり、思わず俯いてしまった。
♪
B組に帰って、家に帰る準備も終わり、私は席を立った。
今日は、ちゃんと体操服も持ってるよ!
そして教室を出ようとした所で、ドアの前に風峯くんが立っているのに気付いた。
「亜希、もう帰る?」
「え?あ、う、うん」
「そっか、なら一緒に帰ろう。亨も七海も先に帰っちゃったから、俺も一人なんだ」
「え?・・・あ、ぅ・・・えぇ?」
突然の提案に、私は奇妙な声を出してしまった。風峯くんが苦笑してる。うぅ、恥ずかしい・・・。
「どうせ、駅まで一緒だろ?」
「う、うん・・・あれ、どうして――」
「分かるのかって?そりゃ分かるよ。亜希は一年の時もB組だっただろ。電車を使わないで来れる距離の生徒は元CかDだから・・・」
「あ、そ、そっか」
そうだった。桜高校の一年生の時のクラス分けは出身中学別になっていて、桜町周辺の中学出身の生徒はC組とD組に、桜町より東側の中学出身の生徒はA組とB組に、西側の中学出身の生徒はE組とF組に分かれる。だから、同じ中学出身の子とはほぼ間違いなく同じクラスになる。
二年生の時のクラス分けは、文系と理系で分かれていて、文系はA、B、C、D組のどれかに、理系はE、F組のどちらかに分かれる。
文理が分かれた後は一応ランダムにクラス分けされているらしい、けど、あまりクラスが変わらない人が多いのは何でだろう。私も楓歌ちゃんもBのままだし、風峯くんたちもAのままだ。
ちなみに、三年生の時のクラス分けは、文理は変わらずに、狙う大学のレベルごとに分かれるらしい。
それはともかく、一年生の時、私はB組で、風峯くんはA組だったから・・・。
「じゃあ、風峯くんも東の方なんだね」
「ああ、俺んちは東も東、県境だから。通学に少なくとも一時間はかかるよ」
「そうなんだ・・・。大変だね」
昇降口に向かいながら、そんな話をする。
って、わ、私、風峯くんと普通に喋ってる!昨日までは遠くから見ているだけの存在だった風峯くんとっ!うわわわわ!だ、大丈夫かなっ?私、変じゃないよね??
そんな心情が表情に出てたのか、風峯くんが不思議そうな顔で訊ねてきた。
「ん?どうした、亜希」
「え?んーん、何でもないの!」
靴箱で、私は靴を取り出す振りをして慌てて風峯くんから顔を逸らす。
い、意識しちゃだめよ・・・って、無理だけど~!
昇降口を出て、私が校門に向かうと、風峯くんが意外そうな声を上げた。
「あれ?亜希、自転車は?」
「え?あ、そ、その・・・・」
駅までは一キロ以上あるから、ほとんどの生徒は駅から学校まで自転車で通学してる。だから、普通は昇降口から直接校門に向かわずに一旦駐輪場に向かうんだけど・・・・。
「パンクでもしてるのか?」
「あ、いや、その・・・・・わ、私、歩きだから」
ごにょごにょと、これ以上聞いてこないでと願いながら、私は言う。
だけど、その願いは届かなかったみたい。
「え?何で?」
「そ、その・・・・・・」
うぅ、恥ずかしくて言いたくないのに・・・・風峯くんがじっと答えを待ってるよ~。
私は、諦めて仕方なく答えた。
「私、自転車乗れないの・・・・・」




