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Bar.2


「ど、どーしたの、お姉ちゃん?」


 酷く沈んで帰宅した私に、妹の真希まきが心配そうに声をかけてきた。

 私は静かに首を振る。


「ううん、なんでもないの……。ただ、自分のばかさ加減に落ち込んでるだけだから……」


 うなだれる私に、真希が苦笑いする。


「あ~、またやっちゃったの?」

「ま、またって言わないで……・哀しくなるから」


 私は真希から目を逸らすために俯く。手に提げた体操服の袋が眼に入った。


 ……ホントに、泣きたい。


 私のその様子に気付いたのか、ソファに座っていた真希が立ち上がって私の目の前に立つ。

 まだ中学三年生で二つ年下のくせに、私より身長が十センチ以上高い。ちょっと悔しい。


「よしよし」


 そして、私をきゅっと抱いて頭を撫でてくる。

 明らかに立場が逆だけど、見た目にはまったく違和感がない、らしい。それがまた哀しい。

 とはいえ、さすがに姉としての威厳とか立場とかが……!


「ま、真希、子供じゃないんだから!」


 私は妹の胸に手を当てて押し戻す。

 すると真希はくすくすと笑って、


「お姉ちゃん、そういう言い方、すごく子供っぽいよ?」

 

 カーっと顔が赤くなるのが分かる。それをごまかすためにそっぽを向いて、真希にきつく言う。

 

「もうっ!真希は今年受験でしょ!勉強しなさい!」

「は~い」

 

 全然堪えた様子のない真希はにこにこと笑いながら自分の部屋に入っていった。

 

 残された私と、学校指定の通学バッグと、体操服の袋……。

 私は体操服を袋から取り出すと、洗濯機の中に乱暴に放り込んだ。洗濯機のドラムが僅かに音をたて、すぐに静かになった。

 

 すごくむなしかった……。


     ♪


 夕ご飯を食べて、お風呂に入って、眠る前。明日の予習をしていた私の耳に、ノックの音が聞こえてきた。

 

「はーい」

 

 私は振り返らずに反射的に返事をする。だってそうしないと今なんとか繋がりそうな英語の文章がこんがらがっちゃうから。

 

 ドアが開いて誰かが入ってくるのも気にせずに私は英和辞書を片手に頭の中で和訳を繋げていく……。

 と、急に後ろから抱きつかれた。

 

「きゃっ!?」

 

 私は驚いて振り返る。ことはできなかった。頭に抱きつかれていたから。

 でも、誰かは分かる。こんなことをするのは、うちには真希以外にはいない。

 

「真希?どうしたの?」

 

 私の側頭部に頬擦りをしていた真希が、気持ちよさそうに答える。

 

「うん、お姉ちゃん元気になったかな~って思って」

 

 真希が心配してくれていたことが嬉しくて、私はシャーペンから手を離して真希の髪を撫でる。

 

「ん。もう大丈夫。だって……いつものことだもん」

 

 哀しいけど、事実だよ。自分でもわかってる。

 私がそう言うと、真希は頬擦りをぴたりと止め、すっと私から離れた。

 

「真希……?」

 

 私が不思議に思って振り向こうとした所で、真希が回転椅子の背もたれを掴んでくるっと回転させ、私を乗せたまま椅子を勢いよく押した。

 

「えっ!?あっ!」

 

 私は状況が飲み込めず真希のされるがままに、急に止められた椅子から放り出された。そして、ぽふっ、という感じにベッドにうつ伏せに横たわっていた。

 

 眼をぱちくりさせる私の横に腰をおろした真希が、上から覗き込むように囁きかけてくる。

 

「お姉ちゃん、そういう風に自虐的にならないで。だって、お姉ちゃんは抜けてるところが可愛いんだもん。きっちりしてたらあたしのお姉ちゃんじゃないよ」

「……それって、褒めてるの?けなしてるの?」

「愛してるのよ、お姉ちゃん♪」

 

 そう言うと真希は私の上から抱きついてきた。

 真希はことあるごとに私に抱きついてくる。小さいころは可愛いものだと思ってたけど、最近はなにか私の方が可愛がられている感じがして、少し楽しくない。

 とはいえ、真希のことは大好きだし、かわいい妹とスキンシップをとることはやぶさかではないので、私は溜息を吐いて諦め、真希の好きなようにさせるのだった。


     ♪


 翌日のお昼休み。私はお弁当を食べながら、昨日聞いてしまってから気になっていたことを楓歌ちゃんに聞いてみた。

 

「ねぇ、楓歌ちゃん、E組の瀬川さんと麻生くんって付き合ってるの?」

「え?……そうねぇ……。どうなのかしら。私も気になって前にいろんな人に訊いたんだけどね……。ほら、ウチのバレー部の二年に安藤夏実あんどうなつみっていう子がいるの知ってるでしょ?」

「うん」

 

 前に楓歌ちゃんから聞いたことがある。楓歌ちゃんと並んで二年生レギュラーの女の子だって。たしか……何だったっけ『ルベラ』っていうポジション?あれ?『ロベラ』だっけ?

 

「リベロよ」

「あ、そうそう、それ……って、あれ?口に出てた?」

「いや、口には出てなかったけどもろに顔に出てたから……。まあそれはいいとして、その夏実がね、実はその二人と同じ中学出身でさ。町内の桜南中学。それで、中学時代のこと聞いてみたのよ。三年の時は三人とも同じクラスだったんだって。そんで、その頃から瀬川さんと麻生はすごく仲がよかったらしいよ。不確定情報だけど、幼馴染とかいう噂があったりするし。朝は毎日一緒に登校してるし、帰りも一緒のことが多いって。まあ同じバスケ部だしね。とりあえずただならぬ関係ではあるけれど、何故か麻生は二人が恋人であるということを頑なに否定している。そこが謎なんだよね……。まあ、結論としては友達以上恋人未満と言うことで皆は納得してるみたいだけど」

「ふぅん……そうなんだ……」

 

 ということは、あんまり他の人が入る隙は無いって思っていいのかな……いいよね。ね?

 私は誰にでもなく心の中で訊いてみる。もちろん返事は無いけど、心の平穏が多少は得られるからそれでいいの。

 そんなことを考えていると、楓歌ちゃんがなにやら思案顔で聞いてきた。

 

「でも、どうしていきなりそんな事を?」

「え?う、ううん、なんとなく……」

 

 そう言ったものの、楓歌ちゃんはまるで納得した顔ではない。

 

「亜希、あんたは気付いてないかもしれないけどね、亜希の考えってすっごく分かりやすいのよ。すぐ顔に出るし。こういう恋愛ごとについて、あんたはただの好奇心で聞いたりはしないでしょ。多分、昨日だれかから聞いたんでしょ、それも風峯と何か関係した形で」

「な、なななな何で風峯くんがで、出てくるの、かな?」

「……あのさぁ、もういいかげん諦めようよ、亜希。バレバレだから。もう、誰が見たってもろバレだから。あんたの風峯を見つめる視線の熱さと言ったらもう……」

 

 そ、そんな……。ばればれって……誰が見ても分かるって……。じゃ、じゃあもしかして皆にも知られてるの?そうなの?ていうかいつ気付いたのよー……。

 私が呆然としていると、楓歌ちゃんがよしよしという感じで頭を撫でてきた。

 

「大丈夫大丈夫。そんなにたくさんの人は知らないよ、多分。亜希のことを見てないと分からないから。でも、亜希のことを見てたら分かるってことで……まあウチのクラスの大半の女子と一部の男子は気付いているでしょうね」

 

 そ、そうなんだ……知られちゃってるんだ……。は、恥ずかしい……でも、一部の男子って言うのは……?

 

「楓歌ちゃん、その一部の男子ってどういうこと?女子は大半なのに?」

「あー、まあそこは気にしなくていいよ。亜希はその天然っぷりがウリなんだから」

「??」

 

 よく分からないけど、まあいいや。いやよくないけど。みんなに知られちゃってるなんて……もう学校来れないよー。

 

「ああ、それからもう明日から学校来れないよーとか考えちゃだめよ。亜希はこのクラスに必要なんだから。勉強に疲れた皆を癒すオアシスとして」

 

 びっくりだ。どうして私の考えていたことが分かったんだろう。

 

「な、なんで……」

「分かったのかって?それはあたしが亜希の親友だからよ!」

 

 わ、私も楓歌ちゃんの親友だけど、楓歌ちゃんが何考えてるかなんて全然分からないよ……?なにか理不尽だ。

 

「それは、経験の差よ」

 

 だからどうして分かるのー……。


     ♪


 とりあえず楓歌ちゃんはそれ以上深く追求してこなかったので助かった。聞かれたら、昨日風峯くんたちの会話を立ち聞きしたことを話さなきゃならなかったから。

 

 お昼休みが終わって、五時間目。体育だ。

 食事の後の運動は少しつらい。昨日みたいな四時間目もつらいけど。空腹のときはあまり運動したくないもの。

 

 というか、二日続けての体育というのは嫌な時間割だ。今はまだ春過ぎだからいいけど、夏になると体育は水泳になる。水着は普通みんな一着しか買わないから、その日のうちに洗濯して乾かさないといけない。

 だから、二日続けての体育が組まれているクラスは夏になると毎週のように体育の先生に不満をぶつける。今年の二年生の犠牲者は私たちB組とA組というわけ。他のクラスは隔日、つまり月水金の時間割に収まっている。

 

 昨日の夜から今日にかけて天気があまりよくなかったので、今日の体育は校庭ではなく体育館ですることになっていた。私は着替えるのが遅くて楓歌ちゃんに置いていかれてしまったので(ちょっと悲しい……)、一人で体育館に向かっていた。

 

 そんな私と対向して、数人の生徒が歩いてくる。お昼休みに体育館で遊んでいた生徒たちみたいだ。体育館はお昼休みには開放されて、主に男子がバスケットをして遊んでいるらしい。行ったことはないけど。

 歩いてくる子の中に女子も数人いるのは、混じってバスケをする子もいるみたいだけど、主に男子の見物だって。バスケ部はかっこいい男子が多いからなぁ。

 

 そんな事を考えながら体育館に足を向ける。

 体育館の入り口はたくさんあるけど、普通の生徒は体育館の西側に付いている入り口を使う。西側には両開きのスライド式の扉が三つ付いていて、体育館の外側、各扉の間には仕切りのように上靴入れが並んでいる。

 教室棟は体育館の南側にあるので、三つの扉のうち一番南の扉を皆使うんだけど、北側の扉のところに生徒がいるのが見えた。なんとなく気になって目をやる……。

 

 制服を来た女の子と、体操服の男の子……って、あれは風峯くん!?

 風峯くんが靴箱の前の段差にこちらを向く形で座っていて、そのすぐ目の前で女子生徒が風峯くんに向かってしゃがみ込んでいた。

 

 ……き、気になる……。

 

 私は横目でその様子を窺いながら、不自然にゆっくりと歩を進めた。

 二人の会話が僅かに聞こえる。

 

「大丈夫だって……」

 

 風峯くんだ。

 

「念には念をって言うでしょ。それに、風峯君、特にスポーツとかしてないんでしょ?」

 

 風峯くんが投げ出している足の前で俯いている後姿の女の子の声……何か少し聞き覚えがある。

 

「うん……それが?」

「だから、こういうのあまり経験してないんじゃない?」

「……ま、否定はしないよ」

「なら、大人しくしてなさい」

「……はいはい」

 

 す、すごいなあ。

 何がすごいって、風峯くん相手にあんな態度を取れることがだ。

 

 大抵の女の子は、あがってしまってしどろもどろになってしまうか(私とか。話した事無いけど、多分、ううん、絶対そうなる)、好感を持たれようと変に意識した、媚びたような態度を取るか、または意識しないように素知らぬ顔をしてしまうんだけど……彼女は、普通だった。というか、風峯くんを軽くあしらっているようにも見えた。私には到底不可能だ。

 そんな畏敬の念を感じていると、彼女が顔を上げた。

 

「よし、これで大丈夫。体操服着てるって事は今から体育だよね?見学した方がいいと思うけど……」

「それは無理」

 

 風峯くんがいたずらっぽく笑った。その笑顔に、胸が疼いた。

 私にその笑顔を向けて欲しい、そう、思った。と同時に、その笑顔を向けてもらっている見も知らぬ女の子に嫉妬を覚えていた。

 

「そう言うと思った。どうせ止めてもやるだろうから止めないわ。だからその分頑丈にテーピングしといたしね。取る時に少し苦労するかもしれないけど、そこは我慢してね」

 

 そう言って彼女は立ち上がった。脇に抱えた小さめのバッグに何かしまっている。そして立ち位置を変えたことで、その顔が私からも見えて……。

 

 っ!?あ、れは……。

 私の驚愕をよそに、風峯くんが軽く口を開く。

 

「まさか。これは大事にしないとな。なんたって学年のアイドルに手当てしてもらったんだから」

 

 あれは、瀬川、さん……。

 瀬川さんは困ったように風峯くんを一瞥して、

 

「もう、そういう言い方、止めてよ。だいたい、それを言うなら風峯君もでしょ。学年一のプレーボーイさん?」

 

 言っている事は嫌味なのに、何故か全然そう感じなかった。

 それは風峯くんも同じだったようで、まるで嫌な顔をせずに、むしろ楽しそうに答えた。

 

「俺、そんな言われ方してんの?」

 

 イヤだ。なんでかは分からなかったけど、これ以上聞きたくなかった。

 でも、私は体育館に逃げ込むこともできずに二人の会話を聞いていた。

 

「一部からは、ね」

「もしかして、瀬川さんもそう思ってる?」

 

 そこで不意に風峯くんの笑顔の端が真剣になった。

 どうして?どうして今までどおりの笑顔じゃないの?

 

 さっきは笑顔を瀬川さんに向けることを嫉妬していたのに、今は真剣な顔を向けることに嫉妬……ううん、怖い。恐怖を感じていた。分からない。何が怖いのか……。

 

「さあ、どうかな?」

 

 小刻みに足が震えだした私などお構いなしに、瀬川さんが邪気の無い笑みを浮かべる。

 その笑顔から、そんな風には思ってないと、私にも伝わってきた。伝わってきて欲しくなんか無いのに……どうして自分がそんな事を思うのかも分からない。

 

「参ったな。どうも瀬川さんには敵いそうも無い。降参だ」

 

 ほっとしたように笑う風峯くん。なんでだろう……今度は急に悲しくなってきた。

 瀬川さんが、すぐ近くで楽しそうに笑う声がどこか遠くに聞こえた。

 

「風峯君って、思ってたより面白いね」

「瀬川さんがどう思っていたのか知りたいね」

「それは秘密。さてと、じゃあ私はそろそろ行くね。もうすぐ時間だし。先生に何か言われたら、私がテーピングしたって言えば多分何も言われないと思う。それじゃ、くれぐれも無理はしないでね」

 

 瀬川さんが言った直後に予鈴が鳴った。私ははっとして、急いで体育館に駆け込んだ。

 

「瀬川さん、ありがとう!」

 

 最後に背後から聞こえてきた風峯くんの声が、私の心に深く突き刺さった。


週に1回くらいの更新を目指します。

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