キッスの香り
短編推理小説《大和太郎事件簿/キッスの香り》
キッスの香り1;プロローグ
出会い;2005年 3月4日(金)午後9時頃
池袋にある北辰会館本部道場での空手稽古の帰り、いつもの裏通りを歩きながら、駅前西口広場にある『弁慶寿司』に向かっていた時のことであった。後ろのほうから近づいて来ていたジョギングの足音のペースが、突然速くなったのを大和太郎は感じた。
『殺られる?』と思った瞬間、太郎の体は、反射的に真横にシフトしていた。急に太郎に避けられて、走ってきた黒い影は、前につんのめりながら、バタンと地面にうつ伏せに倒れこんだ。直ちに、太郎はその影の背中に馬乗りになって、右腕を後ろ手に押さえ込んだ。数メートル先に刃渡り30センチ程度の肉きり包丁が転がっている。
「女か!」太郎は影の柔らかい右腕と、上から押さえ込んだ左肩の感触で相手を認知した。
街灯の薄明かりの中で、ジョギングウェアの女に声を掛けた。
「何のつもりだ!」
「・・・・・・・」
女の体から力が抜けているのを感じた太郎は、他に凶器を持っていないのを確かめてから、女の腕を後ろ手に押さえたまま、立ち上がり、女も引き起こした。
「訳を訊かしてもらおうか。」後ろから、女の耳元でささやいた。
女性特有の甘味な香水の香りが少し漂っているのを感じながら、女の右腕を軽く締め上げた。
「うっ・・・・・・・。」女は黙ってうな垂れている。
探偵稼業をしているのでどこかで恨みを買っている可能性はあるが、思い当たる節がない。
この女は、一体誰だろう?警察に連絡する前に、狙われた理由を聞いておきたいが、しゃべらないかもしれない。とにかく女の顔を確認するために、街灯がついた電柱の下まで女を後ろから押していき、自分のベルトをはずして女を後ろ手に電柱に縛りつけた。警察に電話するため、上着のポケットから携帯電話を取り出しながら、うな垂れた女の顔を起こした。
太郎と目が会った瞬間、女ははっとして、顔色が変わった。
「すいません。人違いです。」と女がいった。
「人違い?命を狙うのに確認しない奴がどこにいる。嘘をつくな。」と太郎が声を張り上げた。
「いえ。本当です。申し訳ありません。」
「・・・・・・・・。」太郎は考え込んだ。
「あんたのなまえは?」
「・・・・・・・・。」女は黙っている。
「いずれにしろ、警察に連絡する。」
「勘弁してください。」女が言った。
「理由によっては、警察に連絡するのは止めても良いが・・・・。」と太郎は言葉を濁した。
「・・・・・・・・・・・・。」
しばしの沈黙の後、太郎が言った。
「警察に連絡すれば、あんたの名前は知れるんだ。今、聞かしてもらおうか。そこからどうするかを考える。他の通行人が来て、今の我々ふたりの状態を見たら、必ず、警察に連絡するだろう。この私が連絡する前にな。さっ、早く決めろ。」
「・・・・。わかりました。お話いたします。」
キッスの香り2
事情;
《大和探偵事務所 よろず相談、調査を安価にお請けいたします。当すし屋にお尋ねください》の看板が掛かった『弁慶寿司』のドア−をあけて、二人は中へ入った。
「いらっしゃいあし。」板前が、驚いたような顔をしながら、太郎に言った。
「おっ。別嬪さんですね。探偵さんも隅に置けないねえ。」
カウンターには、数人の客が座っていたが、4人掛けのテーブルが空いているのをみて太郎が言った。
「板さん、今日はテーブルをかりるよ。」
「へい、遠慮なくどうぞ。へっへっへ。」にやにやしながら、板前が、気前よく返事した。
「いつものやつを握ってもらえますか。」と太郎が板前に言った。
「女性の方はどうしやす?」と、板前が太郎に訊いた。
「いや、いらない。ちょっと訳ありなんで。」と太郎が言った。
お茶が出てくるのを待ってから、太郎が女に小声で訊いた。
「名前は?」
「香西妙子と申します。」
「で、命を狙っている相手の名前は?」
「それは・・・・・。」
「一応、訊かしてもらえますか。」と太郎は念押しした。
「滝田三郎」です。
「えっ。滝田!空手をしている滝田三郎ですか?」 と、太郎は驚いたように訊き返した。
滝田三郎 39歳。父親の経営する滝田建設の専務取締役である。大和太郎と同じように、実践空手・北辰会館の準会員である。 北辰会館は、正会員のほかに、他流派の空手家が北辰流の空手道場で稽古できるように、準会員制度を設けている。流派の交流を通じて、私闘を封じ込める狙いがある。かって、北辰会館の創始者である大葉周達が台湾の拳闘家から私闘を挑まれた経験から、私闘を防ぐためにこの制度を思いついたらしい。大和太郎も滝田と一度だけ組み手稽古を行った経験がある。滝田の空手は邪拳であると一部の会員からは揶揄されている。太郎は、実践空手に邪拳も正統拳もないと思っている。喧嘩するのに正義、不正義は関係ない。相手を倒すためのルールなどないのが喧嘩である。喧嘩の理由には正義、不正義はあるかもしれないが、『力なき正義は無力なり』、『正義なき力は暴力なり』(空手家、故大山倍達の言葉)であると太郎は考えている。滝田はルール違反を承知で、相手の急所を狙ってくる。相手が受けられる程度で急所を狙い、そのことで相手に余分な想念を生じさせ、反応が鈍ったところで、攻撃を仕掛け、相手を倒す。この急所狙いを、邪道と呼ぶのがスポーツ空手である。昔、柔術では、関節技を得意としたが、現在柔道などでは、禁じ手にされている。 格闘技とスポーツの違いを明確にしておく必要があるのかも知れない。大和太郎としては、護身のために空手稽古しているのであるから、利用できる技はすべてマスターしたいと思っているので、滝田のような人間との稽古は大歓迎である。人間としての付き合いはしたくないが。
太郎は、滝田のなまえを訊いて、香西妙子が太郎を滝田と間違えた理由がわかった。北辰会館の事務員もよく、太郎の後姿を見て、「滝田さん」と声を掛けてくる。背丈、体格、頭の格好が似ているのである。また、服装もスーツ姿で稽古にくる場合が多いので、後ろ姿では区別がつかないらしい。滝田は北辰会館へは運転手付の車で来るが、帰りは池袋駅から電車で帰るのが常である。
「なぜ、滝田をねらっているのか?」 と太郎が妙子に訊いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「いいだろう。その件はこれ以上訊かない。あなたの身分証明をしてもらおうか。」
「自動車免許証が池袋駅のコインロッカーに入れてあるので、取ってきます。」
「逃げるつもりか?」
「いいえ、戻ってきます!」
「・・・・・・・・・。」太郎は考え込んだ。
「じゃ、一緒に行きましょう。」と妙子が言った。
ちょうどそのとき、板前が、注文の握り寿司をテーブルにはこんできた。
「お待ちぃ。何をひそひそとお話ですか?探偵さん。」と板前が話し掛けた。
「あっ。いや。ちょっと。」返事にならない返事を太郎がした。
「この人ね、私を誘っておきながら、いっしょに行きたくないみたい。いいかげんな奴!」と妙子が板前に向かって言った。
妙子と太郎の立場が突然逆転してしまった。『はらぺこ』で元気が出なくなっている太郎は、殺されかけた事が、どうでも良くなっていた。
「寿司を食べながら待っているから、一人で行ってもらえますか?戻って来なかったら警察に届け出ますよ。」と太郎が言った。
「判りました。」といって、妙子は表へ出て行った。
その後、妙子が戻ってきて、太郎は免許証で身元確認し、妙子を開放した。
妙子もあまり話したくない模様なので、滝田を殺したい理由については、今回は聞かないまま妙子を帰した。
キッスの香り3
滝田三郎、階段転落死亡事件;
2005年3月10日(木)午後10時頃 JR池袋駅 埼京線ホーム南端メトロポリタン口階段
突然、スーツ姿の男が階段の上からからホームに倒れ落ちてきた。
「キャー」とホームにいたOL風の女性が、驚きの声を上げた。
程なく、連絡を受けた駅員二人が駆けつけて、倒れている男を取り囲んでいる野次馬を掻き分けた。
男は目をむいて仰向けに倒れている。頭からどす黒い血が流れだしていた。
「救急車と警察に連絡!」と年配の駅員が、若い駅員に指示を出した。
JR池袋駅では、午後九時以降にはメトロポリタン口改札は閉鎖されているので、ホーム南端側階段の人通りはほとんどない。このため、事件が発生した原因を目撃した人はいなかった。所持している運転免許証から被害者は滝田三郎と判明した。
2005年3月11日(金)午後6時頃、北辰会館道場ロビー
滝田三郎の死亡事件が、会員の空手家の間でも噂されていた。
空手稽古に来た大和太郎も驚いて、状況について北辰会館の女性事務員に話しを訊いた。
「警察の話ですと、お酒を飲んでいて、足を滑らして、階段から落ちるときに、頭を打ったようです。それで意識不明になり、自分の舌による気道閉鎖からの窒息死です。救急処置の知識のある方が、野次馬の中にいればよかったのですが、救急車の到着が少し遅れたようです。」
「滝田さんはお酒を飲むのですか?」と太郎が、更に訊いた。
「お稽古のお仲間の話しでは、少しは飲まれるみたいです。でも泥酔するまで飲むことはないようです。」
「警察の判断では、事故死ということですか?」
「さあ?どうでしょうか。西口公園近くの池袋西口警察署が管轄ですから、そこで確認してみては如何でしょう?」と事務員が太郎に説明した。
太郎は、1週間前の香西妙子のことを思い出していた。
「滝田が階段で足を滑らすことはあっても、あの空手の実力から、転倒して頭を打つとは考えられない。現役の空手家で、実力もある人間が深酒をするとも考えられない。香西妙子か?まさか?」と、太郎は考え込んだ。
キッスの香り4
突然の訪問;3月13日(日)西武鉄道池袋線、高麗駅 近郊の住宅地
香西妙子の住居は、西武池袋線の高麗駅から徒歩10分くらいの山の手の住宅街の中にある。
大和太郎は、10日前にメモした住所を頼りに香西妙子の自宅を探し当て、東松山からバイクでここまで来た。東松山駅前の事務所からバイクで45分くらい掛かっていた。
太郎は、『香西』とかかれた表札の下にある呼び鈴のボタンを押した。
呼び鈴のスピーカーから若い女性の声で返事がした。
「どちら様でしょう?」
「大和太郎と申します。」
「ええっ!」と驚いた声が返ってきた。
「お待ちください。」と妙子の声がし、直ちに玄関のドアーがひらいた。
「突然で申し訳ありません」と、頭を掻きながら太郎がいった。
「ちょっとお待ちください。支度してきますから。」と言って、妙子はまた家の中に戻った。
5分くらいして、ジーンズ姿の妙子が玄関から出てきた。
「ここでは困りますので、車で近くのレストランに参りましょう。」と妙子が言った。
太郎は妙子の運転する車の後ろをバイクで追いかけて行った。
レストランにて;
「滝田三郎が池袋駅の階段で転落し、死亡しました。」と太郎が説明した。
この種の死亡事故は、新聞には載らない場合が多いので、妙子は事件のことを全然知らない様子であった。
「池袋西口警察署では、事故、他殺の両面で調査をはじめている模様です。」と太郎が、新聞記者を通じた聞き込みで得た情報を伝えた。
「今後、警察があなたの所へも事情聴取に訪れる可能性があります。私は、あなたが犯人とはかんがえておりませんが、警察は疑ってきます。万一、何かありましたら、ご相談にのります。この名刺の番号に、お電話ください。」と探偵営業を開始した太郎である。
「私が疑われている?本当ですか?」と妙子が心配そうに呟いた。
「10日前にあなたから聞いた事情を警察が知れば、たぶん疑ってくるでしょう。」
「どうしましょう?」
「心配いりません。10日前の私への間違い事件を含め、事実を話せば大丈夫でしょう。わたくしの所へ刑事が来れば、疑いを晴らしてあげます。」と太郎は、自信ありげに話した。
「よろしくお願いいたします。」と妙子が頭をさげた。
滝田建設と香西不動産、父親との関係などを確認した後、二人はレストランを出て、そこで分かれた。
高麗駅は池袋と埼玉県の秩父市を結ぶ、西武池袋線の沿線にある埼玉県内の駅である。
駅の改札を出ると、『天下大将軍』、『地下女将軍』と書かれた、男女の顔が入った朱色の柱が2本立っているのが目にはいる。これは、チャンスンといって、韓国ではよく目に付く村の守り神を表現しているものらしい。25分ほど歩くと、高麗神社(日高市大字新堀)がある。祭神は、紀元666年(天智天皇の時代)に朝鮮半島北部の高句麗国から渡来した弦武若光という人物らしい。当時、駿河から下野の範囲に住んでいた高麗人が、この地を開拓しており、その中心人物として、人々の尊敬を集めていた人物らしいい。
秋の紅葉時期には、紅く色づいたもみじが美しい神社である。また、出世の神様としても有名で、明治時代の政治家が多数参拝している。戦後では、芸能人なども参拝している。
また高麗駅近くの巾着田では、初秋に野生の彼岸花が一面に赤く広がり、見物客も多数訪れる。
キッスの香り5
池袋西口警察署捜査1課;2005年3月21日(月)捜査員報告会議
課長以下10名の課員による各事件の捜査報告がおこなわれている。
滝田三郎の死亡事件は、捜査本部はまだ出来ていないが、2名の刑事が情報収集を担当しており、その調査報告がなされた。
「滝田建設は1992年ころからの経済バブルの崩壊で事業が苦しくなったリニューアル系の中小不動産会社に多額の出資しています。資金の出所は、バブル時代に儲けた金をそのまま蓄えており、この金で各社の株を安価で手に入れたみたいです。その不動産会社の系列からの仕事で1994年以降に急拡大した中堅建設会社です。金融事業には手をだしていませんが、裏では金貸しを行っている可能性があります。現に、税務署の調査員が秘密裏に内定しているとの情報があります。滝田三郎は、この不動産会社対応の担当役員をしておりました。下請けの建築工事屋からの情報では、仕事を強引にもっていくやり方で、トラブルが発生することも度々で、恨みを被っていることも十分考えられます。2〜3の事案を調査しましたが、1件だけ死亡事故が発生していました。他殺の可能性もありますが、保険金2億円を家族に残るような形で死亡していますので本当は自殺と推定できます。管轄の入間警察署では、事故として処理されておりました。」と田川刑事が報告した。
「その死亡事故とは、どのような内容なんだ。」と秋田捜査1課長が訊いた。
「はい。10年前の1994年12月所沢市にある香西不動産社長の香西昭彦が入間警察署管内の路上で、自家用車のエンジンをかけたまま仮眠中に車内へ排気ガスが流入し、一酸化中毒で死亡しています。早朝の散歩で路上駐車されている車の中を覗いた人が第一発見者です。」と田川刑事の同僚の大木刑事が報告した。
「香西の家族構成は?」と秋田課長が訊いた。
「妻;静江54歳、長女;妙子25歳、長男;勝彦22歳です。自宅は、日高市武蔵台1丁目です。西武線の高麗駅が最寄駅です。事情聴取はまだ行っていません。不動産会社は、静江が引き継いで事業継続しています。従業員は3名います。入間警察署の話では、当時、滝田建設からの借金などの証拠はなかったとの事でした。ただ、従業員の話では、個人的に借金していたのではないかという事でした。この点に関し、入間署では特に詳細な調査はしなかったみたいです。長女の妙子は当時高校生でしたが、現在は、赤坂見附にあるゼネコン大手のK建設で開発営業部の事務員をしています。長男の勝彦は現在、学生で北海道に下宿しています。」と田川刑事が言った。
「わかった。マルサが動いているなら捜査2課にも協力要請して、もう少し調査してくれ。それから、香西静江、妙子親子にも取りあえず事情聴取をしてくれ。来週には、事故か殺人かの結論を出したい。 田川と大木には、頑張ってもらいたい。本日の会議はこれで終了する。」と秋田課長がいった。
相談;2005年3月25日(金)東松山市の大和探偵事務所
香西妙子が大和太郎に刑事が来たことを報告していた。
「事件当時のアリバイと、父の自殺で恨みがあるのではないかと訊かれました。大和さんとのことは、怖くて言えませんでした。以前もお話しましたが、事件当時は自宅におりましたのでアリバイを証明する人がいません。母が在宅していたのですが、近親者ですから証人になれません。」
と妙子がいった。
「そうですか、私のことを話しておいたほうが、容疑を晴らす上では楽だったんですが。警察がどう判断するかで、任意同行に発展することも有りますから、そのときは正直に答えてください。警察への心象を良くしておく事が重要です。空手の北辰会館にも池袋西口警察の人間がいますので、捜査状況をそれとなく訊いてみます。当面の調査費用は不要ですが、状況次第で調査契約をおねがいする事になるかも知れませんので、その心づもりをしておいてください。」
空き巣事件連絡;2005年3月30日(水)午後8時ころ/大和探偵事務所
大和探偵事務所の電話のベルが鳴った。
「はい、大和探偵事務所です。」
「香西妙子です。」
「ああ。何かご用でも?」
「昨晩と今日の昼間、母の会社と自宅に空き巣が入りました。どちらも室内を物色していっただけで、何も盗まれていません。それぞれ地元の警察がきましたが、調書を取っただけで返りました。」
「単なる物取りとはかんがえにくいですね。会社と自宅を同時期に狙っていますから、目的のものがあるはずです。心あたりはありますか?」
「母も私も心あたりはありません。」
「今ご自宅ですか?」
「ええ、そうです。今しがた警察が帰っていきましたから、これから後片付けをするつもりです。」
「あっ!現場をそのままにしておいてください。これからそちらに行って、調べたいのですが。40分くらいで到着します。よろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。お待ちしています。」
太郎は、東武東上線の東松山駅前の探偵事務所から西武線の高麗駅方面にバイクを走らせながら、この空き巣事件と滝田三郎の死亡事件との関係に頭をめぐらしていた。
「書類?写真?鍵・・・・?」いろいろな可能性が頭に浮かんできた。
「何故だ?会社事務所と自宅の2箇所、同時に空き巣。これは間違いなく何かを探している。それに、何故に池袋駅で滝田三郎を殺す必要があったのか?どうやって殺害したのか?JR池袋駅構内で目撃者がいないなんて?ありえない?事故死か?殺人場所の選定?」
夜の闇の中、バイクを走らせながら、太郎の探偵魂がフツフツと沸きあがってきた。
キッスの香り6
池袋西口警察署捜査1課;2005年4月4日(月)捜査員報告会議2
「飯能署の防犯係からの報告では、自宅で盗まれたものは空き巣対策に食卓に置いておいた3万円だけとの事です。」と田川刑事が行った。
「何んだ?その3万円は?」と秋田捜査一課課長が訊いた。
「ええ、空き巣は盗むものがない場合、腹いせに家の中のものを壊したりしますので、空き巣がはらを立てないように、目に付くところにお金を置いていたみたいです。」
「会社事務所の方はどうなんだ?」
「金庫は重たいので盗み出されていませんが、電気ドリルなどを使って壊されています。目撃者の話では、数人が電気工事屋の姿をしていて、ドアーも開いたままだったので、夜間工事をしているものと思ったそうです。」
「堂々たる犯行か? でっ、この盗みは、今回の死亡事件との関係はどうなんだ?」
「はっ。今のところなんとも判断できません。」と田川刑事が行った。
「2箇所同時の犯行だろ! 無関係はないだろう。単なる、偶然か?もっと考えろ。書類とか、何か盗まれていないのか?」と秋田課長が怒鳴った。
「はっ。香西静江と電話ではなしましたが、自宅の3万円以外、何も盗まれていないとの事でしたので。」と弱弱しく、田川刑事が返事した。
「その電気工事屋の姿と、滝田建設と関係はないのか?」
「これから調査する予定です。」と大木刑事が答えた。
「マルサの件はどうなんだ?」と秋田課長が訊いた。
「捜査2課のマル企(企業)担当からの情報では、マルサは滝田建設が15年以上前から中小の不動産会社に手広く融資している中で、その配当金を不当に隠す行為があると睨んでいるみたいです。捜査2課のマル暴(暴力団)担当からの情報ですが、滝田建設と指定暴力団/山菱連合傘下の剣竜会が昔から関係ありとのことです。剣竜会は組員10名ですが、フリーのチンピラをアルバイトで動かして、縄張りからテラ銭をとっているようです。マル暴の話では、証拠物がないので、今のところは泳がせているらしいです。」と大木刑事が報告した。
「鑑識からの報告では、頭部損傷の出血部以外に強い打撲痕が1箇所あり、この傷がどのようについたのか、疑問点があるとの事だ。また、出血部についても、単に転倒で頭部から出血するほどの致命傷が発生するか疑問あり、との見解が出ている。何らかの強い外力が加わらないと頭蓋骨損傷にはならないらしい。それに、滝田三郎は空手家だ。受身で転倒から頭を守る技は持っているはずだ。池袋駅の監視ビデオカメラの記録テープから不信人物がいないかもう一度見直してくれ。特に、メトロポリタン口通路の3台と埼京線ホーム階段付近のカメラの記録は念入りに確認しておくこと。殺人事件と断定するのは、鑑識の頭部損傷実験報告がきてからにする。大木、田川は引き続きの捜査をすること。以上、本日の会議は終了する。」と秋田課長が言った。
キッスの香り7
池袋駅埼京線ホーム南橋階段;2005年 4月7日(木) 午後10時ころ
太郎が現場検証をしているところへ、大木刑事が来た。
大木が職務質問をした。
「何をしているんですか?警察のものですが。」と警察手帳をみせた。
「ああっ。大和太郎と申します。私立探偵です。」と驚いて、太郎が返事した。
「探偵? でっ、ここで何をなさっているんですか?」と大木が、胡散臭そうに訊いた
「依頼人に関する事件がここでありましたので、その調査をしています。」
「依頼人?事件?」と大木がきいた。
「はい。滝田三郎と言う人がここで殺されました。」
「殺された?警察では、殺人とは決めていないが?」と大木が語気を強めていった。
「私は殺人とみています。滝田は準会員ながら北辰空手の4段です。受身など、運動神経はバツグンです。階段を踏みはずしたとしても、すぐに身をたて直すことができます。」
「それで?」
「ですから、何らかの殺人の証拠を探しているのです。」
「依頼人の名前は?」
「香西妙子さんです。刑事さんは滝田事件のことはご存知ですか?」と太郎が訊いた。
「私が事件の担当刑事です。」
「警察では、何故、殺人と考えていないのですか?」と太郎が訊いた。
「何かわかりましたか?」と太郎の質問を無視して、大木が言った。
「いえ、まだ何も発見していません。」
「刑事さんはここで何かさがしものでも?」と太郎が訊いた。
「質問しているのは、刑事である私の方だ。大和さんでしたね。身分証明書か何かお持ちですか?」と大木が、いらだって言った。
太郎の免許証を確認して大木刑事は立ち去った。その後も太郎はホームや階段などを調べ、デジカメで数箇所の写真撮影をして、東松山へ戻っていった。
キッスの香り8
池袋西口警察署捜査1課;2005年4月 8日(金)10:00AM鑑識課からの報告会議
「出血部の傷は、階段のエッジで打撲したものではありません。もう一つの出血していない打撲痕が倒れこんだときに階段エッジで発生したものと断定いたします。したがって、立っているときに、何らかの方法で、例えば大きなモンキレンチ(金属工具)などの鈍器で頭部に強打を加えられ、出血したと思われます。死因は、前回の会議で報告いたしましたように、意識不明により自分の舌で気道閉鎖が発生。そのための酸素不足による窒息死です。もう少し救急隊員が早く到着して応急措置をしていれば命は助かったでしょう。」と鑑識課員が報告した。
「鈍器は発見されていませんが、犯人が持ち去ったのでしょうか?」と田川刑事が質問した。
「モンキレンチといいましたが、実際はもっと違うものでしょう。」と鑑識課員。
「例えば?」
「判りませんが、傷の大きさから、かなり重たいものが、頭上から振り下ろされたと思われます。写真のように傷の位置がほぼ頭頂部にあります。これは転倒によるものでないことが明白です。凶器は発見されていません。犯人が持ち去ったのでしょう。」
「とにかく、これで、本件を殺人事件と断定し、警視庁に報告する。今後は捜査本部を設置し、人員強化する。」と秋田課長が宣言した。
「課長。昨日、大和太郎と名乗る私立探偵が、現場を徘徊して何かを調べていました。香西妙子からの依頼とか言っていましたが。もう少しこいつを追いかけますか。」と大木刑事が言った。
「大和太郎?どこかで聞いたことのある名前だな。」と秋田課長がいった。
「東武東上線の東松山で事務所を開いているとのことでしたが。」と大木刑事が答えた。
「ああ、そこの池袋駅前西口広場の弁慶寿司の探偵だ。」と田川刑事が言った。
「そうだ、4年前のスリーデーマーチ殺人事件の時に東松山署に絡んできた探偵だな。しかし、何故、香西妙子が滝田事件で探偵を雇うんだ?空き巣事件と滝田事件に何か関係あるな、こいつは。」と秋田課長が言った。
「大木、田川。香西不動産の社長の事故死をもう少し調べられるか?」
「はい。調べてみます。」と田川刑事が返事した。
「それから、駅の監視カメラの記録映像から、怪しい奴は出てきたか?」
「いえ。事件発生前後の20分間づつの映像を確認していますが、埼京線の乗客が数人、階段を上り降りして、メトロポリタン口通路を通行していますが、怪しい奴はいません。それから、滝田三郎は事件発生2分前に埼京線ホームから階段を上がっていっています。この時刻にはメトロポリタン口改札は閉鎖されていますから、何故上っていったのか不明です。」
「もう少し、時間幅を広げて記録ビデオを確認してくれ。誰かと階段で待ち合わせしていたのかもしれん。たとえば、犯人と。階段にビデオカメラが設置してあればよかったのにな。」と秋田課長が言った。
「それから、課長。」と大木刑事が言った。
「何だ、大木。」
「はっ。何か変なんですよね?駅が。」
「駅の何が変なんだ?」
「階段の雰囲気が、事件当日と昨日で何か違う印象なんですが、何が変なのか、わかりません。」
「もう一回、駅へ行って見てこい。バカヤロー!」と秋田課長が怒鳴った。
キッスの香り9
池袋駅埼京線ホーム・メトロポリタン口階段;2005年4月 8日(金)11:30AM
大木刑事がメトロポリタン口改札から通路を通って埼京線ホームに下りる階段を曲がると、階段の天井を見あげている男が目に入った。
「もしもし。何か探し物ですか?」と大木が男の後ろ姿に声をかけた。
「はい?」といって男が振り向いた。
「あっっ。」と二人の男は見合わせながら同じ声をあげた。
「このまえの探偵屋か。」
「この前の刑事さん。」と二人は言い合った。
「おまえ、ここで何をしている。怪しいな。ん!」と太郎を匂うようなしぐさをしながら大木が言った。
「いえ、この前撮った写真を観察していて、チョット気になることあったので、再度確認に来たんです。」と太郎が言った。
「確認?何を確認しているんだ?」と、大木が言った。
「刑事さんこそ、ここへ、何か見にきましたね。」と太郎が言った。
「相変わらず、素直じゃないな、おまえは。何をしているのか聞いているんだ。ああーん。」と太郎の顔をしゃくりあげるような仕草で、大木が言った。
「この階段の天井トップライトの鉄骨梁に大きな追加塗装の痕があるでしょ。ほれ、そこに。」と太郎は、鉄骨の真新しい塗料が塗られた痕跡を指差しながら、天井を見上げた。
「ああ確かにあるが、それがどうした。」と大木がきいた。
「ここに何か固定されていませんでしたか、事件当日に。この塗装痕は、傷を補修したものでしょう。」と太郎が言った。
「現場検証の時は、階段の床ばかり調査していたから、天井は気にしていなかったな。」といいながら、大木は鑑識課の報告にあった被害者の頭頂部の傷あとのことを思い出していた。
「駅事務所に行って訊きたいことがあるので、刑事さん、同行してくれませんか?」と太郎が言った。
「何を訊くんだ。」
「一緒に、来ていただければわかります。刑事さんがいると話が早いので、是非、おねがいです。」
「まあいいか。行ってやろう。」と大木が返事した。
キッスの香り10
日高市大字北平沢 白銀平;2005年 4月 9日(土)10時頃
県立奥武蔵自然公園のハイキング道にある、標高195mの白銀平には白いペンキで塗られたコンクリートの展望台がある。ハイキングに来ていた中年夫婦が、男の死体を発見した。
携帯電話での110番連絡を受け、現地駐在の日高交番と飯能警察署から現場検証の警察官と鑑識課員が到着したのは、40分後であった。
舗装が崩れて凸凹の細いハイキング道をパトカーが4台、展望台近くの広場まで登ってきた。
死亡推定時刻は3〜4日前と考えられた。
工事現場用作業服を着た死体は40歳前後、銃弾2発が腹部に打ち込まれ、出血多量が死因と判定された。
また、男の指紋が空き巣にあった香西妙子の家の近くで発見されていたタバコの空き箱に付着していた指紋と一致した。男の身元を示すものは残されていなかったが、池袋西口警察の滝田某殺人事件捜査本部に報告された。
キッスの香り11
池袋西口警察署捜査1課;2005年 4月11日(月)10:00AM 捜査会議
大木刑事がJR池袋駅埼京線ホーム階段の天井トップライトの件を報告している。
「駅の設備管理担当の話では、階段のトップライトにはテスト段階の特殊照明が設置されていたようです。現場検証のときは単なる照明としてしか考えていませんでしたから、特に気にもしていませんでした。事件発生の3日前から事件後4日間の合計1週間、設置されていた様です。玉田電気という工事会社が売り込みにきたようです。明るい昼間は照明は点灯しませんが、午前8時から午後8時までの間の1時間ごとに、癒しのための香りが放出され、階段上に甘くて優雅な香りを振りまいていたようです。通称アロマテラピーとかいうそうです。その照明装置の呼称は『キッスの香り』と命名されていたようです。」と大木が説明した。
「その『キッスの香り』が殺人にどう関係しているんだ、大木?」と秋田課長が訊いた。
「はっ。そのー。」と弱弱しい声で、大木刑事が返事した。
「そのー、何だ!大木。はっきり言え。」と秋田課長が怒鳴った。
「大和太郎という探偵屋の考えでは、この照明装置が凶器だというんです。」
「何をー。馬鹿ャやろー。探偵屋だ?しっかりしろ大木!」と秋田が大声をだした。
「まあ、探偵屋の推理が理にかなっているんです。癪にさわりますが。」と大木が言った。
「何といったんだ。そいつは。」
「はい。滝田三郎が照明の下に来た時、リモコン装置か何かで、照明から重い鉄の塊みたいなものを落下させて、滝田の頭部を直撃させた。滝田はそのショックで気絶し、階段に倒れ落ちた。だから、頭部には、鉄の塊と階段エッジによる2箇所の打撃痕があるはずだ、と言ったんです。このやろう、見ていたみたいなことを言いやがって、と思いましたが。」
「鉄の塊は現場には残されていなかったじゃないか。」と田川刑事が言った。
「鉄の塊には、チェーンかワイヤーが接続されており、モーターで引き上げる装置がついていて、リモコン操作で天井照明の中に巻き上げたと考えられます。だから現場検証では、階段の床などには何も残されていなかった訳です。トップライトの梁に、この衝撃ではがれた塗装を修復したと思われる痕が残っていました。」
「その大和太郎とかいう探偵の素性は調べたか?」
「はい。5年前の東松山のスリーデーマーチでの八丁湖殺人事件に関わった経緯のある探偵です。東松山署に問い合わせましたが、以前は、品川にあるS電気の営業をしていたようです。5年前に東松山に事務所を開業して、最初の事件がスリーデーマーチの事件のようです。探偵のヒントから一気に事件の真相に迫っていったらしいです。以来、オンボロの80CCバイクで東松山近辺の比企丘陵を風を切って走り回っているので、パトロール警官の間では『比企の風』とあだ名されているようです。」
「あの、世界に冠たるS電気か?まっ、信用しておくか。」と秋田が言った。
「ところで、リモコン操作をしているらしき人間は、駅の監視ビデオに写っているのか?」
「いえ、特に、見当たりませんが、メトロポリタン改札口への通路上にアベックが事件発生前からいちゃついています。事件後も現場検証の段階までは残って現場をのぞきこんでいました。他に怪しい奴は見当たりません。」
「そのアベックの顔ははっきり写っているのか?」
「いえ、近いほうのカメラには男が背を向ける形になっていますので、女の顔は男の頭の陰になっていて、はっきりしません。遠くのカメラでは、顔はわかりません。それに二人ともそろいの野球帽子をかぶっていましたので、顔が隠れています。男が女に変装している事も考えられます。」
「しかし、滝田を照明内の鉄塊の真下に誘導するのにどのような手法を使ったのかな?」
「探偵屋の考えでは、キッスの香りを発生させると同時に、小さな音を出して、滝田を鉄の下に誘導した。じつは、探偵屋は、滝田と同じ北辰会館の門下生で、組み手稽古も一緒にしている間柄だそうです。滝田は、好奇心の強いタイプで、滝田建設でも電気設備担当重役をしているので、天井照明には興味を持っていて、どこかからの情報で視察にきたのではないか、と言っていました。」
「その情報源が怪しいと言うことか。玉田電気は調べたか?」と秋田が言った。
「これからです。」
「そのアベックは、通路から階段の滝田の姿がみえるところにいたのか?大木」と佐藤刑事が訊いた。
「いや、階段は見えない場所にたっていた。しかし、探偵屋は、こうも言っていたな。映像を電波で飛ばすビデオカメラを天井トップライトの『キッスの香り』の中に、スモークガラス越しに設置しておき、リモコンの液晶画面で滝田の姿を見ながら、真下に来たところで、鉄の塊を落とすボタンを押したのだろうと。」
「よし。とりあえず、その線を大木と田川が追いかけろ。後、白銀平殺人事件のほうは、矢崎と佐藤が、飯能署と共同捜査してくれ。それと、JR池袋駅階段のトップライトの梁などの指紋採取を鑑識に頼んでくれ。以上。きょうの会議は終了する。」と秋田課長が言った。
「あっつ。それから、マルサの件だが、滝田建設への強制調査もありうるとの事だ。香西家の方にも証拠固めで家宅調査に行く可能性がある。その前に、われわれに関係する証拠か何かを探し出しておいてくれ。税務署に押さえられないようにしてくれ。先を越されるな、いいな。」と秋田課長が付け加えた。
キッスの香り12
東松山駅前 大和探偵事務所;2005年 4月12日(火) 午後2:00頃 依頼
電話のベルが鳴った。
「はい、大和探偵事務所です。」
「香西妙子です。」
「ああ。どうも。」
「こんにちは。実は、今日、警察が我が家の家宅捜査をしていったんです。なんでも、白銀平で、我が家に入った空き巣が拳銃で殺されたそうです。その関連調査ということでした。昨日の夜、会社から帰宅すると警察から電話があり、今日調査したいので、在宅するようにいわれました。母は社長で仕事を休めないので、私が、対応しました。殺人事件が重なって、何故か怖いんです。時々は警察官がパトロールしてくれますが、夜は怖いので、大和さまに自宅のガードマンをおねがいしたいのですが。」
「ええ、承知いたしました。では、身支度をして5時頃にはそちらへお伺いいたします。」
キッスの香り13
西武線高麗駅近郊 香西家1;2005年 4月12日(火) 午後5:00頃 到着
「大和さまのお部屋は亡くなった父の部屋でおねがいいたします。」と香西妙子が2階の
洋間に案内した。
「就寝はベッドになりますが、よろしいでしょうか?」
「ええ、結構です。」
「父の使用していた物がまだ残っておりますが、ご容赦ください。母が手放したくないようですので、そのままにしております。」
「お気遣いなく。チョット、家周辺を探査しますので、15分後に下の応接間で打ち合わせをしたいのですが。」と太郎が言って、部屋を出て行った。
・・・15分後・・・
香西家の間取りや庭の状況、隣家の状況を確認した後、太郎は、妙子の待つ応接間に現れた。
「お母様と妙子さんは、2階のご自分の部屋でお休みください。私は1階の居間か、この応接で夜間警備を致します。寝るのは、お二人が出勤されてからにいたします。彼らのねらいは、何かの証拠品とおもわれます。お二人の命が狙われている訳ではありませんから、外出は安全と思います。」
「お風呂は、1階にありますが、私共と供用になります。」
「昼間にシャワーを利用させていただきます。夜間は利用いたしません。」
「普段は、私は午後8時頃の帰宅で、母は午後9時頃の帰宅です。」と妙子が言った。
「そうですか。それから、1階の居間にあるパソコンを拝借してもよろしいですか?インターネットで情報を集めたいことがありますので。」と太郎が言った。
「ええ、どうぞご使用ください。」
「それから、今日の警察官は、捜査令状を提示しましたか?」
「いいえ。なかったです。」
「それから、どの部屋を調べていました?なにを探していたか判ります?」
「調べていた部屋は、母と父、それに私と弟の部屋、居間、応接です。何を探しているのかは訊きませんでした。机の引き出しや本棚、ああ、庭の物置の中も調べていました。」
「そうか、令状はなしか。物置の中も探していた、ふーむ。何か書類かな?」と太郎は呟いた。
「母の話ですと、母の会社の香西不動産にも捜査にきたみたいです。」
「そうですか。」
キッスの香り14
西武線高麗駅近郊 香西家2;2005年 4月13日(水) 午前9:00頃
静江、妙子親子が出勤した後、太郎はシャワーを浴びながら、事件を再考していた。
「池袋駅の設備管理官は玉田電気と言っていたな。白銀平の死体は工事作業員らしい、と妙子さんは言っていた。玉田電気とこの死体との関係は?警察は当然、この点の調査をはじめているな。それから、香西家に何が隠されているのか?空き巣のねらいは何かだが。事務所と自宅に共通する物は何か?妙子さんは何故に滝田三郎を殺そうとしたのか?この理由を確認する必要があるな。そういえば、S電気時代の後輩の沖田が映像音響システム工事で玉田電気を使っていたな。玉田電気を紹介してもらうか、沖田に。これだけの情報では、犯人像が見えないな。だが、装置製作費用など資金が必要だな。チョットした組織が動いているのは間違いない。滝田建設が関係しているのか?もっと他の組織か?そうか、作業員は拳銃で殺されているな。暴力団の筋もあるか。暴力団との利害関係のある組織は?滝田建設?政治家?警察?他には?・・・・・・。真相は?だな。警察も、香西家の何かを探している。何を探しているのか?とりあえず、持ってきたUSBメモリーに入っている空き巣が入った後の香西家の乱雑状態の写真を見直すとするか。」
現時点で、太郎は税務署の調査員が動いていることは知らなかった。
知らないことで、逆に、警察とは異なる視点で捜査することになる。そのため、警察より早く真相に到達することになるのである。
キッスの香り15
西武線高麗駅近郊 香西家3;2005年 4月13日(水) 午後9:00頃
太郎が静江、妙子親子と居間で話をしている。
「空き巣の入った後の散らかり具合を見ていたんですが、どの部屋も写真アルバムが開かれた状態で放置されています。本なども開かれた状態で転がっています。何か心あたりはありませんか?」と太郎が尋ねた。
「写真ですか?心当たりはないですね。」と母娘二人とも同じ返事。
「しかし、どうも写真を探しているとしか思えないのですがね。写真が入るような大きさの容器とか、どこかにないでしょうか?」と太郎。
「写真ではなくオルゴールでは?」と静江が行った。
「オルゴール?」
「昨年の9月ころ滝田三郎が突然会社にあらわれて、夫の生前に貸し金の担保として預かっていたもので、返却を忘れていた物だといって持ってきたのです。私が車の中で聞くものですから、自宅にも会社にも置いていません。私が会社にいる時は、社長机の中に入れていますけれど。でも、生前、夫がオルゴールを持っていたなんて知りませんでした。一体どこに置いていたのだろうかと思いますわ。」
「昨年の9月?」と妙子が怪訝そうに言った。
「何か?」と太郎がきいた。
「いいえ、なんでもありません。」と妙子が口ごもって返事した。
「そのオルゴールを見せていただけますか?」
「車から取ってきましょう。」といって、静江は車庫へ出て行った。
その間に、太郎が先ほどの9月の件で、妙子に質問した。
「先ほどの9月に何か意味がありますか、妙子さん?」
「じつは、母には聞かれたくなかったのでごまかしましたが、滝田三郎を殺そうとねらいはじめたのが昨年の9月頃だったのです。」と妙子が答えた。
「滝田に気づかれませんでしたか?」
「見つからないように、滝田の行動パターンを追っかけましたが、気づかれていたかもしれません。」
「ふーむ。」と太郎は考え込んだ。
静江がダイヤモンドをちりばめた20センチ立方の大きさのオルゴールを持ってきた。
「これは、ほんもののダイヤモンドでしょうか?」と太郎が訊いた。
「ええ、鑑定してもらいましたら、ほんものとの事でした。金額にして200万円くらいはするとの鑑定でした。」と静江が答えた。
「ご主人の生前には、見かけたことはなかったのですね?」と太郎が念を押した。
「ええ。妙子も見たことなかったでしょ?」と静江が妙子に言った。
「こんなの初めて見たわ。お母さん、もっと早くみせてくれればよかったのに。」
「ふーむ。」と太郎は再び考え込んだ。
「主人が会社に置いていたので、私どもは知らなかったのだと思いますが。」
太郎がオルゴールの蓋開けたり、箱の底を調べていると、上げ底になっているのを発見した。
上げ底を開くと、底から1枚のネガのないポラロイド写真が出てきた。
「あら、何でしょう?」と静江が驚きの声をあげた。
「この写真に見覚えはありますか?」と太郎が静江に訊いた。
「右側は滝田建設の社長さまですね。今より少しお若いときの写真では。左側の方は知りませんわ。」
写真には、二人の握手している男が写っている。真ん中のテーブルには1万円刷の札束が風呂敷の上に100束ほどおかれている。右下の日付けは1995年3月15日となっている。
太郎は、左側の男はどこかで見たような顔だなと思いながら、名前が出てこなかった。
「このオルゴールのことを知っている人は他にもいますか?」
「ええ、事務員の今井和子さんが知っています。滝田三郎が会社にきた時にいましたから。」
「その今井さんは、会社に入られて、長いのですか?」
「ええ。かれこれ7年くらいでしょうか。衆議院議員である宮前大悟先生の後援会事務所の紹介で入社されました。宮前先生には、主人の社長時代からお世話になっています。」
「7年前というと、1998年ですね。」
「ええ。ちょうどその頃、会社の経営状態が好転して忙しさを取り戻してきましたから、私が後援会に人材の紹介を依頼しまた。」
「判りました。このオルゴールと写真の件は、他言しないで下さい。身の危険にさらされる可能性もありますから。この写真は、私から池袋の警察に届けておきます。我々が持っていると危険ですので。」と太郎が言った。
キッスの香り16
高麗神社境内 参拝名士掲示板の前;2005年 4月16日(土) 午前10時頃
香西妙子が休日なので高麗神社にお参りに行くということで、太郎も同行することにした。
静江は、土、日は接客のため会社に出て行くので別行動となった。
妙子の車で高麗神社まで10分足らずで到着した。大鳥居の中の駐車場に車を止めて、境内の鳥居の前にある、明治16年以来の参拝諸名士の名称の掲示板をしばらく二人で眺めていた。
「ああ、衆議院議員の宮前大悟の名前も載っていますね。」と太郎が言った。
「どこです。ああ、ほんと。こちらには滝田慶介の名前もあるわ。」と妙子が言った。
「滝田慶介というと?」
「滝田建設の社長です。ああ、そう。滝田社長も宮前先生の後援会に入っておられると、母が行っていました。」
「ふーん。そうですか。」と言いながら、太郎は香西不動産の今井和子のことを思い出していた。
「あっ。大葉周達先生の名前も載っているのか。」と太郎が驚いたように言った。
「大葉先生?」
「ああ。池袋にある空手の北辰会館を創始した人です。」
大山倍達という空手家が寄贈した手水舎の竜頭の水で手と口を清めて、二人は拝殿に向かって行った。
礼拝中に、妙子が涙を流しているのに気づいた太郎は、参拝帰りがけに妙子に訊ねた。
「この神社に何か思い出でもありますか?」
「ええ。子供の頃、良く父に連れてこられました。お正月や縁日には、綿菓子やお人形などを買ってもらった思い出があります。楽しかったわ、あの頃は。それと・・・。」と、懐かしそうに話した後、妙子は少し口ごもって、悲しそうな顔をした。
「それと、何か?お父様との悲しい思い出ですか?」と太郎が訊いた。
「いえ。何でもないわ。さあ、帰りましょう。」と太郎を振り切るように、妙子は歩き出した。
キッスの香り17
池袋駅前西口広場 弁慶寿司;2005年 4月18日(月) 正午過ぎ
昼食の握り寿司を食べながら、S電気時代の後輩の沖田宗司から太郎は玉田電気についての情報を聞いていた。
「死んだ工事作業員は、アルバイト契約の大槻次郎という男で42歳とのことです。警察の人間もいろいろ質問して行ったらしいです。JR池袋駅階段天井の照明装置『キッスの香り』の工事では、玉田電気の社員3名と大槻の合計4人で設置工事を行ったみたいです。ただ、香りを放つエッセンス液の補充や機器の動作点検で、玉田電気が毎日の保守点検する契約だったらしいです。その保守点検は、大槻次郎が担当していたらしい。」と沖田が話した。
「何時頃、点検に行っていたのかな?」と、太郎が訊いた。
「大槻とは、午前11時頃点検の契約とかいっていました。」
「本当か?池袋駅の管理官の話だと、始発前の午前4時に2名で来ていたといっていたが。」と太郎が言った。
「あと、撤収工事に大槻も来ていたかどうかという点ですが、撤収は、玉田電気の社員3名で行なったそうです。」と、沖田は、太郎から依頼されていた玉田電気への質問内容の回答を報告をした。
「ということは、大槻ともう一人の人間が、天井の細工と、その解体を行い、証拠を隠したな。もう一人の人間が誰なのかだな。玉田電気ではもう一人が誰なのかは知らない訳だな。」
「そういう事です。で、どうなんですか、その香西妙子さんは?」
「え?妙子さんの何が?」
「いえ、美人なのかどうか?」
「お前、それがねらいで調査に協力したのか。まっ、いいか。美人じゃないけど、可愛いいといったところかな。一度紹介しようか、沖田。」
「ええ、お願いします。」と沖田は嬉しそうに笑った。
「玉田電気と滝田建設の関係はどうだった?」
「滝田建設の依頼で電気工事の下請けやることは多いみたいです。ただ、今回の『キッスの香り』は、装置開発会社の『アロマ城西』の依頼で池袋駅に売り込みを行ったみたいです。大和さんもご存知のように、玉田電気はJRの仕事を請け負うことが多いので、『アロマ城西』の方から話を持ち込んできたみたいです。『アロマ城西』はアロマテラピー用の芳香剤エッセンシャルのメーカーで、今、ブームに乗って急成長している会社らしいです。」と沖田が言った。
「あっ。それから、大槻次郎は暴力団との付き合いがあったみたいだと、玉田電気の営業マンが言っていました。」と沖田が付け加えた。
「そうか。ありがとう。大いに役に立つ情報だった。次に会うのは、いつもの通り、年末の旧開発推進課の忘年会だな。」
「違うじゃないですか、大和さん。香西妙子さんを紹介してもらう時でしょう。じゃ、またお会いいたしましょう。」と沖田が言った。
食事を終え、大和が支払いをして、二人は弁慶寿司を出て行った。
キッスの香り18
所沢市内 香西不動産社内;2005年 4月19日(火) 10時頃
香西昭彦が社長をしていた時から在職している年配の経理課員が社長の静江に前年度の決算報告書を説明する為、社長室に入ってきた。
静江が会社にいる時はいつも、車から社長室に持ってきて机の中に仕舞い込まれているオルゴールが、たまたま机の上に置かれているのを見た経理課員が言った。
「ああ、昭彦社長の紛失されたオルゴールが見つかったのですね。良かった。」
「岡村さん、このオルゴールの事ご存知なの?」と静江が訊いた。
「昭彦社長がお亡くなりになる4年くらい前に銀座の宝石店で購入されました。私もお供いたしましたから、よく覚えています。取引会社の社長の奥様にプレゼントする宝石を探しに行った店の装飾品として置いてあったのを見つけられて、強引におねがいして譲ってもらったいきさつがあります。プレゼント用の宝石の為に用意した金額で購入されましたので、よく覚えています。そのため、社長婦人へプレゼントは中止になりましたから。昭彦社長がお亡くなりになる1ヶ月くらい前に、オルゴールを紛失したと仰っていましたが。曲目が社長のお好きな大橋純子さんの曲で、なんと言いましたっけ、その曲名?」
「サファリ・ナイトよ。思い出すわ、若い時のことを。うふふ。」と静江が懐かしそうに笑って、オルゴールを開いた。清らかな音色だが、ややアップテンポの旋律が流れ出した。
「あの人、意外とナイーブでね。それでチョット意地っ張りで、私に迫ろうとするのだけれど、どことなくぎこちないところが有ったわ。で、私が銀座のクラブに誘ってあげたら、そこで、この曲が流れていたの。そこで、この曲の歌詞は俺たちのことを歌っているみたいだ、とあの人が言ったの。それ以来、二人の関係がスムーズに行くようになったのよ。この曲を好きだったわね、あの人。でも、よくオルゴールの曲になったと思うわ。この曲って難しいのよ。職人の方の技術って、優秀ね。」と感心しながら静江が言った。
「ご馳走さまです。」と経理課員が笑いながら言った。
キッスの香り19
東京・赤坂見附 オフィス街のそば屋にて;2005年 4月19日(火) 12時過ぎ頃
有線放送から大橋純子の『サファリ・ナイト』の歌声が流れている。
♪・・・ 熱い砂煙あげて〜、走るジープを見たよ〜、あれは・・・・・・・・・・・♪
♪・・・ 夜空の星一つ、打ち落とせないまま〜サファリ・ナイト、男と女は〜悲しい巡りあわせね〜追われる方も、追う方も愛し合い方をなぜか知らないなんて〜・・・・・♪
香西妙子は、そば屋を出た。
「ちょっと、散歩してから会社に戻るわ。」と言って会社の同僚と別れた。
紀尾井町への弁慶橋を渡っている時、高嶋敬一郎と弁慶濠でボートに乗った思い出が甦ってきた。
散り残っていた桜の花びらが風にのって、ひらひらと飛んでいる。
「あの時も、こんな景色だったわ。桜の花びらが水面に浮かんでいて、楽しかったわ・・。あの滝田三郎が現れなければ、こんな事にはならなかったのに・・・・。口惜しい。滝田が殺されたのも自業自得だわ。」と妙子は思った。
キッスの香り20
池袋西口警察署捜査1課;2005年 4月20日(水)10:00AM 捜査会議
「玉田電気からの情報で照明装置『キッスの香り』のメーカーである《アロマ城西》を調べました。アロマ城西は社長の高嶋敬太が1996年に創業し、アロマテラピー用のエッセンシャルオイルを製造、販売している会社です。今回の照明装置は、照明製造会社に100台ほど製作依頼しています。この照明の設置工事を今後、玉田電気が行っていく契約らしいです。創業当初は、イギリスからオイルを輸入していましたが、2000年から新潟の新井市に製造工場を建設しています。高嶋敬太は、創業前は宮前大悟議員の秘書でした。実は、高嶋敬太の息子の敬一郎32歳が、昨年の8月に自動車事故で死亡しています。夜の11時頃、本牧突堤の防波堤に激突し、爆発炎上で焼死しています。横浜の山手警察署で殺人の線で少し調査検討されましたが、目撃証言がないので事故死扱いになったようです。」と田川刑事が調査報告をした。
「殺人の可能性もあったのか?」と秋田課長が訊いた。
「ええ。車内に焼け爛れた35口径の拳銃が転がっていたようです。安全装置が掛かっていたので銃弾は飛び出していません。鉛の弾は熱で溶けてしまっていたようですが、空の薬きょうが弾倉内に残っていたようです。拳銃自体は高嶋敬一郎が所有していたものかどうかは不明です。」
「高嶋敬一郎の素性は?」
「紀尾井町にあるホテル『ニューダイヤ』の宴会担当営業をしていました。」
「そういえば、香西妙子は紀尾井町近隣の赤坂見附の会社に勤めていたな。高嶋敬一郎との関係はどうなんだ?もし関係があるなら、滝田三郎につながるぞ、こいつは。」と秋田課長が言った。
「今は、不明です。調査確認いたします。」と田川刑事が答えた。
「とにかく、アロマ城西社長の高嶋敬太、宮前大悟議員、滝田建設社長の滝田慶介、暴力団の剣竜会の関係を調査すること。それから、マルサと捜査2課の動きにも注意しておく事。先に動かれると、証拠隠滅が発生するかも知れんぞ。新たな殺人だ。死人に口無しだからな。」と秋田課長が言った。
「アロマ城西の創業資金はどこから出たんでしょうかね、課長?」と大木刑事が訊いた。
「大木、いいところに目をつけたな。おい、田川、どうなんだ?」
「未確認です。」
「探偵屋の大和が持ってきた写真に写っている滝田慶介と握手している人間が誰かですね。例えば、高嶋敬太だったら?写真の大金が創業資金だったら?」と大木が言った。
「田川、すぐ写真の人物を調べろ。」と秋田課長が言った。
キッスの香り21
東松山駅前 大和探偵事務所;2005年 4月22日(金)11:00AMころ
太郎が香西家の夜間警備から帰ってきて、事務所兼自宅で睡眠につこうとした時、電話が鳴った。
「池袋西口署の大木ですが、これから訊きたい事があるので会いたいのだが、いいですか。」
「えっ。これから池袋へ行くんですか?」
「いや、今、東松山駅にいるから、すぐにそちらに行くが、いいか?」
「ああよかった。この事務所でいいんですね。」と、ほっとしながら太郎が言った。
程なく、大木刑事が、ノックもせずに、事務所に入ってきた。
「すまないな。探偵さん」とソファーにどっかと座って言った。
「お前さんからもらったポラロイド写真に写っていた人物だが、知っているか。これだ。」といいながら、写真のコピーを太郎に見せた。
「一人は滝田建設の社長さんでしょ。もう一人はどこかで見た記憶がありますが、名前は知りません。」
「今、はやりのアロマテラピーのエッセンシャルオイルを製造販売している《アロマ城西》という会社の社長で高嶋敬太という。以前は、代議士の宮前大悟の私設秘書をしていた。この写真が何の目的で撮影されたのかが判らない。単なる記念撮影なら、滝田三郎がかくし持っていたのが不思議だ。それに、こんな大金と一緒に記念撮影するとは、代議士にとっては危険すぎる。どんな批判が出るかわからないからな。」
「刑事さん。それでしょう。」と太郎が言った。
「うんん?」と大木刑事が良くわからないと言った顔をした。
「つまりこういう事ではないでしょうか。滝田社長と高嶋敬太の間でなんらかの密約をした。この密約を守らない場合には、この写真をどちらかが公にする。もちろん共倒れの可能性があるが、約束違反をする方に、よりメリットがあると考えられる。すると、メリットのない方は、危険ではあるが、約束を守らせる為に、この写真を公表すると言って、相手を脅かす事で自分の利益を確保しようとできるわけです。だから、これと同じ場面のポラロイド写真がもう1枚あるはずです。この写真が滝田社長のものなら、高嶋社長がもう1枚の方を持っているはずです。」と太郎が推理を話した。
「では、なぜ、滝田三郎が父親の慶介の持っているべき写真をもっているんだ?」と大木が言う。
「うーん?」と太郎が考え込んだ。
「それから、高嶋敬太の息子の敬一郎が、昨年の8月に死んでいる。事故死という事になっているが、状況から殺人の可能性もある。この点は関係あるだろうか?」と大木が訊いた。
「その敬一郎なる人物はどのような死に方だったんですか?」と太郎がきいた。
「自分の車で、横浜本牧の堤防に激突炎上している。社内から焼け焦げた拳銃が発見されている。敬一郎の者かどうかは不明だ。」と大木が答えた。
「2世の反乱ですかね?それに対する、創業者の交換殺人?6ヶ月の間に二人が死亡と。ああ、写真の日付は1995年3月ですね。香西昭彦氏の死亡事件が1994年12月でしたよね。香西静江が保険金2億円を受け取っていますが、他に香西昭彦の生命保険金を受け取った人間がいませんでしたか?」と太郎が大木刑事に訊ねた。
「入間警察の当時の調査報告では、家族相続の2億円だけだ。」
「香西昭彦が滝田建設から借金をしていたのなら、滝田建設が保険金受取人になっている生命保険に加入していた可能性がありますよね。家族用の保険会社と、滝田建設用の保険会社は異なっていたのではないですか。保険会社で調べられますか?」と太郎が言った。
「なるほど。この写真に写っている大金は保険金か。」と大木が呟いた。
「そして、この保険金のために、香西昭彦を写真の二人が共謀して殺していたら、どうなります?」と太郎が言った。
「二人の間の密約とは、殺人の秘匿、か。」と大木が言った。
「その事をそれぞれの2世が、なにかの事件で知ってしまった。」
「事件とは?」と大木が訊いた。
「判りませんね。」と太郎。
「香西妙子が、高嶋敬一郎と付き合っていたみたいです。」と大木が田川刑事の調査内容を大和太郎に教えた。
「えっ。本当ですか?そうか。高麗神社での涙は高嶋敬一郎との思い出か。なるほど。とすると、妙子さんがその何かの事件のことを知っているかもしれませんね。」と太郎が言った。
「しまった。犯人が、妙子さんにその事を知られたと考えれば、命を狙う可能性があるんだ。大木刑事、至急、所沢警察署、赤坂警察署に連絡を取って、香西親子の身柄保全を依頼してもらえませんか。」と太郎が続けて言った。
「判った。すぐ電話しよう。電話、借りるよ。」と大木刑事があわただしく電話を取った。
キッスの香り22
池袋西口警察署捜査1課;2005年 4月25日(月)10:00AM 捜査会議
「身柄保全した香西妙子の話では、昨年の6月頃、紀尾井町のホテル『ニューダイヤ』で高嶋敬一郎とデートしていたところに、突然、滝田三郎が現れたそうです。二人だけで話がしたいと言って、滝田とロビーの片隅で話した後、敬一郎の態度が急によそよそしくなったらしいです。その後、何度か、敬一郎によそよそしい理由を訊いたが教えてくれなかったみたいです。ただ、滝田三郎が滝田建設の人間である事は教えてくれたようです。それで何度か滝田三郎に、敬一郎に何を話したかを訊いたみたいだが、答えはなかったようです。そうこうしているうちに、敬一郎が事故死したという事です。」と佐藤刑事が報告した。
「まっ、香西妙子は、事件の核心を知っていたと思われる滝田三郎、高嶋敬一郎と接触しているから、犯人も狙ってくるだろう。香西家周辺と、会社周辺の警備はしっかりしてもらうように所轄署には警視庁経由で依頼してあるが、本署からも応援を出しておく。」と秋田課長が言った。
「それから、10年前の香西昭彦死亡事故の件ですが、滝田建設が貸金の担保として香西昭彦に保険をかけており、その保険金2億円を保険会社2社から受け取っています。受取人名義は滝田建設です。」と田川刑事が確認報告をした。
「それで犯人は誰なんですか?」と後ろの方にすわっている刑事が訊いた。
「探偵屋の推理では、滝田慶介が高嶋敬一郎の殺人を指揮し、高嶋敬太が息子の復讐で滝田三郎を殺した、と見ています。」と大木刑事が言った。
「昨年の6月に滝田三郎が高嶋敬一郎にどのような話をしたかだな。」と秋田課長が言った。
「マルサの動きの話を探偵に教えたら、滝田三郎が高嶋敬一郎に会った理由は、それだと言っていましたね。10年前の写真を撮影したときのカメラマンは三郎だろうと言っていました。三郎は単なる資金援助の記念撮影と思っていたかも知れない、その時は。」と大木が付け加えた。
「10年前の香西勝彦の保険金収入が、滝田建設に入金されずに、滝田慶介と高嶋敬一郎が山分けした。マルサの追及でこの件が表面化すると、香西昭彦死亡事件の真相も表面化する心配があると考えた滝田慶介が高嶋敬一郎と今後について密談しているのを三郎に聴かれた。真相を知った三郎が、敬一郎に相談を持ちかけた。それが、ホテル『ニューダイヤ』のロビーでの会談だった訳だ。それを聴いたまじめな敬一郎は、父親を追及し、悩みだした。これが、香西妙子へのよそよそしい態度になって表れた。息子の敬一郎が真相を知ったのは、滝田慶介の所為だと思った敬太は慶介をなじった。そこで、慶介は敬一郎を殺害して口封じをした。とこんな話を探偵屋がしたんじゃないか、大木」と秋田課長が推理して見せた。
「その通りです、課長。そして息子の敬一郎が殺されたと確信した高嶋敬太が今度は、滝田三郎を殺して慶介へ復讐したという事ですかね。」と大木が返事した。
「あと、大槻次郎と付き合いのあった暴力団員の名前がわかりました。公安(委員会)がマークしている東灘連合傘下の虎駒組組員の橘という男です。虎駒組組長は宮前代議士と同郷県の出身です。」と山口刑事が報告した。
「判った。以上は推理の範囲だ。マルサと捜査2課がどの程度まで滝田建設の経理内容を把握しているかだ。それと香西妙子を狙ってくると思われるから、その殺し屋を必ず逮捕して、教唆者の特定に結び付ける。殺し屋には見つからないように香西家の周辺を警護してくれ。くれぐれも隠密理に行動するように伝達してくれ。以上で、本日の会議は終了する。それから、大木、探偵屋の大和太郎にも状況を説明して、妙な動きをしないように伝えておけ。」と秋田課長がいった。
キッスの香り23
東松山駅前 大和探偵事務所;2005年 4月26日(火)11:00AMころ
香西家の夜間警備から戻ってきて、ベッドに横になりながら太郎は事件を振り返っていた。
「事件の解決は、今後の滝田慶介の動きに掛かっているな。なんらかの手を打って、滝田慶介か、高嶋敬太を動かす必要があるな。滝田三郎が得意だったルール違反の急所ねらいで怒らせるか。そこから何らかの動きをしてくれれば、慶介、敬太に隙ができて、ふたりの逮捕につながるな。さて、どんな手を打つかな?」と太郎は考えを廻らせていた。
キッスの香り24
きれいに晴れわたる、穏やかな高原にて; 時刻及び場所不詳
〜上空からの鳥瞰映像がみえる〜
きれいに晴れた青空に、穏やかな風にそよぐ緑色の草木が見える。
草原の中のゆるやかに曲がっている一本道を、白色のロールスロイスのオープンカーがこちらに向かって、ゆっくりと走ってくる。
真っ赤な色をした後部シートには真っ白なウエディングドレスを着た花嫁と付添いの婦人が座っている。
運転席には、黒いタキシードを着た若い男性がハンドルを操作しながら、後部座席の女性と話している。
何を話しているのか、声は聞こえないが、3人とも、とても楽しそうな、幸せそうな顔をしている。
「なんとも穏やかな自然であること。」と香西妙子は感じた。
「これから高原の教会で式を挙げるのかしら。あら、隣の女性はお母様だわ。それに、運転手は敬一郎さんだ。そして、ウエディングドレスの女性は私だわ。」と思ったところで夢から覚めた。
キッスの香り25;エピローグ
横浜、根岸のレストラン『ドルフィン』にて ;2005年 5月20日(金) 4:00PM
松任谷由美の歌『海を見ていた午後』のことを思い出して、雰囲気を味わってみようかと、香西妙子は会社を早退して、待ち合わせ時間よりかなり早くレストランに到着していた。
♪♪♪・・・ あなたを思い出す〜この店に来る度〜坂を登って・・・♪
♪・・・紙ナプキンには〜インクがにじむから〜忘れないでって〜やっと書いた〜遠いあの日・・・♪
室内に流れる松任谷由美の歌声を聞きながら、
海の見える座席から風景を眺めていた妙子は、眠たくなってウトウトし、夢をみてしまった。
目が覚めた妙子は夢の余韻を楽しみたいと思った。
「今の夢、すごくリアリティがあったわ、なぜかしら? 5時30分まではまだ時間があるから、この周辺の公園を散歩でもしょうっと。」
妙子は席を立ってレストランを出て行った。
根岸森林公園は戦前は西洋式の競馬場であった。戦後、米軍キャンプ地のゴルフ場として使用されていたが、1977年に神奈川県に返還され、木立に囲まれた森林公園となった。
大きく広がっている芝生のゆるやかな凹凸の中に、アスファルトで舗装された散歩道が走っている。その道をジョギングや散歩する人が行き来している。芝生の上では、母親と戯れている小さな子供たちがはしゃぎ回っている。
夕暮れ時のひとこまの情景に暖かいものを感じながら、妙子は自然を満喫するように歩いていた。ふと、20メートルくらい先で、こちらに向かって手を振っている若い男性が目に入った。その男性が小走りに、妙子の方に向かって来る。
「このあたりに知り合いはいないけれど?」と思いながらその男性が近づいてくるの待った。
その男性は、妙子の横をすり抜けて走って行った。
「あら、やっぱり私ではなかったのね。」と思いながら、横を走り去る男性の顔を見た。
少し前方に歩いた後、妙子は振り返って若い男性の方を見た。赤く咲いているバラの木の傍で、
若い男性と若い女性が軽く話した後、お互いの顔を近づけて、軽く挨拶のキッスをするのが目に入った。思わず微笑んだ妙子は、ほのかなバラの香りがするのを感じた。
「でも、あの男性は敬一郎さんを10歳くらい若くしたみたいだった。そうすると、待っていた女の子は10年前の私に似ているかな?・・・うふふ。お幸せに。」と思い、微笑みながら、妙子は『ドルフィン』に向かって歩いていった。
再び レストラン『ドルフィン』にて ;2005年 5月20日(金) 5:30PM
5時半頃、妙子がレストランに戻ってくると、大和太郎とその友人の沖田宗司が席で待っていた。
「やあ、元気そうで何よりですね。」と太郎が妙子に声をかけた。
「紹介します。私の友人の沖田君です。こちら、香西妙子さんです。」と太郎が二人を紹介した。
「今回の事件では、いろいろお世話になりありがとうございました。母もよろしく伝えてほしいと申しておりました。」と妙子が太郎に礼を言った。
3人で食事をしながら、話しが事件のことに及んだ。
「今回の事件では沖田君にも情報収集の手伝いをしてもらいました。」と太郎が言った。
「それは、ありがとうございました。」と妙子が礼を言った。
「結局、犯人は自首したみたいですね。」と沖田が言った。
「滝田慶介と高嶋敬太がそれぞれ別々に自首した見たいだね。妙子さんにとっては敬一郎さんの仇を父親の敬太氏が取ってくれたと言うところかな?」と太郎が言った。
「でも、敬一郎氏はもう戻ってこないから、さびしいのには変わりないですよね。」と沖田が妙子を慰めるように言った。
「ええ。でも敬一郎さんが私のことを嫌いになったのではない事がわかって、嬉しいわ。」と妙子が複雑な表情をした。
「犯人はなぜ自首しようと思ったんでしょう。」と沖田が太郎に訊いた。
「何故だろうね。」と太郎がニヤリと笑った。
「大和さん。何か細工しましたね。」と沖田が突っ込んだ。
「いや、違うよ。未確認情報では、白銀平で殺された大槻次郎の友人の橘とか言う暴力団員が、滝田慶介と高嶋敬太が大金の前で握手している写真のコピーを送って、金を出さないと写真を公表すると脅かしたみたいだ。暴力団に脅されたらもうだめだと思って、二人は観念して自首したようだ。」と太郎がウインクしながら言った。
「でも、これ以上死人が出なくて良かったわ。」と妙子が言った。
「でも、誰かさんも一人くらい殺してみたかったのでは?」と太郎が妙子を冷やかした。
「いやな人ね。でも、滝田三郎と大和さんを間違えたおかげで事件解決につながったみたいだから、私も役立ったということね。」と笑いながら妙子が返事した。
「でも、妙子さんは、何故、滝田三郎を殺そうと思ったんですか?私の持っている情報では、殺すほどの理由が考えられないのですが。」と太郎が訊いた。
「太郎さんに最初に会ったときも訊かれましたわね。それはね、敬一郎さんが私を嫌いになったと思い込んだ理由が、滝田三郎が私と香西不動産の悪口を言ったと勘違いしていたのと、横浜の山手警察署で敬一郎さんの遺体確認に行ったとき、刑事さんから、事故で焼けた車の中に拳銃があって、殺人の可能性も有ると訊かされたことに因ります。それと、その時、父親の敬太さんも来ておられて、『滝田が殺した。』とポツリと言われたのを聞いた為でした。それで、敬一郎さんの仇を討ちたいと思ったんです。でも犯人は滝田三郎ではなく、滝田慶介だったんですね。今、思うと恥ずかしいわ。」と下を向きながら、妙子が喋った。
食事を終え、デザートが出る前に芳香のする花飾りがテーブルに置かれた。
「この香りに名前はついていますか?」と太郎がウエイトレスに訊いた。
「ええ、『キッスの香り』です。」と給仕の女性が答えて言った。
「この香りは、妙子さんの雰囲気にピッタリですね。」と訳の解らないことを沖田が言った。
「香西妙子には父親の昭彦死亡の真相を知らせないほうがいいな。」と大和太郎は、花飾りの甘味な匂いを嗅ぎながら思った。
『キッスの香り』 完




