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世界終末最終兵器者達  作者: ぞの
第一章
2/11

01:天使の聖水はいい匂い


 金色(こがね)よりなお綺麗な黄昏色の髪が、跳ねては落ちて、廃墟が立ち並ぶ廃れた街を駆ってゆく。


 ――こんなはずじゃ、なかったのに……!


 乾きが亀裂を奔らせ、僅かに血の滲んだ唇を噛み締めて、リーリエ=カミナルキは絶望に喘いだ。


「グガッ、ギャガガガガガガ!!」


「ギギギーギギギギギ!」


「グガガガガガガガー!!」


 数匹、いや十数匹。

 魂を引っ掻いたような不快な鳴き声がリーリエを追ってくる。


 足を止めたら死ぬ。背中で焦燥が燃えている。

 鉛に繋がれたような手足の重みが、沼を進んでいるような錯覚をもたらした。


 どうしてこうなった。

 こんなはずじゃなかった。


 あたしは天使の祝福を賜りし『使徒』、数少ない選ばれし存在だ。対悪魔の力『レヴォルト』だって十分に使いこなせる。その自負がある。自信がある。


 いつまでも子供だからと、任務に連れて行ってくれないお姉ちゃんに、もうあたしは戦えるんだって、見せつけてやるんだって――そう、思っていたのに。


「なんっ、でよ……!」


 ホームを出た姉を見失ってすぐ、黒い異形共に囲われた。


 『暴徒』――かつて魔物と呼ばれたモノ達の、成れの果て。悪魔の呪いに侵されて自我が消し飛び、命の灯火に群がる脳しか残っていない醜い怪物だ。


 背丈は幼いリーリエと同程度、薄汚い格好に二重のノコギリ歯を剥き、高い鷲鼻が幼女の匂いを捉えひくひくと歓喜する。そして暴徒に共通する特徴、黒目と赤い虹彩、種族的特徴の垣根を超え生える黒の角。


 かつてゴブリンと、そう呼ばれていた魔物だ。


 悪魔の呪いに感染し、暴徒と化したゴブリンは『ギ・ゴブリ』と呼称されている。


「ギギャギャギャ!!」


「きゃっ!?」


 猛ってリーリエの背中に踊りかかった数匹のギ・ゴブリが、バチンッ!! という甲高い破裂音に併せて吹き飛び、側面の廃墟の窓を割った。


 続きざまにバチバチ、バチ……と幼い身体から緑雷が迸る。超常の現象を成したリーリエは、しかし顔色を蒼白にした。


「ま、また……あたし……ッ」


 う、と喉元を迫り上がる胃液。口を抑えて、堪えきれずぶちまける。ゾクゾクと背筋から全身に広がる悪寒。眩む視界。揺れる頭――()()()()()()()


 思い出す。姉から散々言われていた。


 リーエは制御が甘い。使徒は暴徒に絶対数で負けているのだ。一対多数、連戦続きなど日常茶飯事。如何なる時でも完璧な制御が出来ないと、祝福が切れて使徒の力を十全に発揮できなくなる。


 そうなれば待っているのは――死。

 否、死よりも恐ろしい、使徒の咎落ちだ。


 逃げるのに必死で、反応が遅れた。

 結果、制御を謝り、過剰な祝福を発散してしまった。


 割れた窓からプスプスと煙が上がる。もがくような苦鳴からして、致命傷。だが、ギ・ゴブリの恐ろしい所は、その数の多さにある。


 感染以前は生殖能力が極めて高い魔物だった。暴徒となってもその特徴は変わらなかった。群れを成すことこそなくなったが、生者の匂いを嗅ぎ分け次から次に集まってくることハイエナの如し。


 それに比べて、リーリエは独り。

 それもたった今、祝福が完全に底を着いた。


 物陰からぞろぞろと姿を現す。嘲笑うような汚声が上がり、黒の異形に前を後ろを右を左を囲われる。


「ああ……ぁあああ……あぁ……!」


 リーリエは恐怖でおかしくなりそうだった。

 足は震え、立っているのもままならず尻もちを着き、ガチガチと歯を鳴らしてみっともなく失禁する。


 ああ、こんなことなら。

 こっそり後をつけたりしなければよかった。ちゃんと言うことを聞いておけばよかった。全部お姉ちゃんの言う通りだった。


 ――あたし、バカだ。

 ――あたし、弱いんだ。


 後悔しても、もう遅い。


「たす、けて……いやあ、たすけてぇえ……っ!」


 リーリエを中心に群がる異形は、我こそはと牽制しあって球をなす。何十と伸びた枯れ枝のような腕が迫る。唾液に濡れた牙が迫る。充満する黒の瘴気にあてられ、絶望に押し潰されて息が止まる。



 その時のことだった。

 


 びしゃ! と水をぶっかけられた。


「ひゃんっ!?」


 ヒヤリとした温度と、思ってもみないぬるっとした感触に、思わず変な声が出る。


 背後から大きな水の塊が飛来してきて、リーリエと彼女に群がるギ・ゴブリたちに直撃した。そしてこの水、妙にヌルヌルネバネバする。


 一瞬呆けたリーリエだったが、ついで発せられたギ・ゴブリ達の絶叫で我に返る。


「グギョアァアーーーー!?」


 暴走した小鬼らは地面をのたうち回り、異様なまでに苦しみ始めた。その矮躯からは、黒の瘴気を溶かしす白い浄化の煙が立ち上っている。


 よく見ればその煙は、小さな純白の『蝶』が群れているようにも見えた。


 それは、この水の塊が祝福に満ちていることを示しており、使徒(なかま)が来たことの証左でもあった。


 リーリエは振り返り、目を凝らした。

 空気が霞むほど遠く、街の果て。虫食い状態でなお崩れぬ巨大な城壁の上、翻る革ジャンと銀髪を見た。


 地面に広がるこの粘液はおそらく、あの人のレヴォルトの力だ。彼我の距離をものともしない凄技、とんでもない祝福の量、相当な実力者だとわかる。


 ――助かった。


 ほっと力が抜けて、自然と涙ぐむリーリエだったが、


「ひどいや師匠……まさか本当に投げるなんて」


「!?」


 ギ・ゴブリが喋った。

 驚愕のあまり目が飛び出るかと思った。


 慌てて見回してみるも、小さき暴徒達は断末魔もかくやの叫び声を上げて苦しんでいる。例え言葉を発する個体が紛れていたとしても、この死屍累々の状況でこんなにも淡々とした言葉を連ねられるだろうか。


 ……現実味がない。では、誰が――


「僕に痛覚がないから何をしてもいいと思ってるんだ……まるで悪魔。あれでどうして咎落ちしない?」


 ずるずるずる、と飛び散っていた液体が動く。一箇所に集まってベーカリーの中の生地みたいにこねくり回される。粘りのある液体はうねり、たわみ、振動し、脈打ち、そして――


「へっ!? いや、ええええええーーっ!?」


 苦しんだ末に絶命したギ・ゴブリ達の屍の上、一人の少年が立っていた。


「………………」


「………………」


 こちらに気づいた少年と目が合う。

 沈黙の帳に、リーリエが息を呑む音が響いた。


 肩口まで伸びる、白に近い薄灰の髪。男とも女とも判別できない中性的な顔。訝しがるように首を傾げてはいるが、その灰色の瞳に過ぎる波はない。


 目線の高さは一緒。リーリエと変わらぬ背丈で幼いはずなのに、朝の湖面のような静けさと、灰の儚さ、人形のような美しさを兼ね備えた少年だった。


 状況が状況であり、魅入られ言葉を失ったリーリエに対し、少年は右腕を持ち上げ――鼻をつまんだ。


「臭う」


「は?」


 急に何を言い出すのかと、怪訝に眉根を寄せたリーリエ。すんすんと己の体の匂いを嗅ぐ少年。


 ん? と思った。

 あれ? と声に出た。


 そういえば、()()()()()()


 落ちてきた水塊は、余すことなく集って少年となった。意味不明だがそれはいい。いまはいい。問題は水塊が飛来するその前、地面には水溜まりが出来ていたはずだ。


 リーリエから漏れ出たそれが、今は見当たらない。それどころか、リーリエの服も下着も濡れているような感じはしない。


 先の光景を思い出す。

 ばちゃりとぬるぬるの粘液がかかって、いろいろ混ざって、動き出して、人型に集って、少年になった。


 ……お?


「〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!?」


 ぼぼぼぼぼぼ!! と、一瞬にして蒼白だった顔面に赤みが差す。リーリエは声にならない悲鳴を上げた。


 ま、ま、ま、まさ、まさまさまさか……!!


「この臭いは生物の排泄――」


「ギ・ゴブリよ!!」


 遮るように叫んだ。


「え? そうだね」


 返りは棒読みだった。

 それが今のリーリエには、どこか小馬鹿にされているような感じがした。


「ギ・ゴブリの臭いなんだから!!」


「え? そうだね」


 ば、ば、バカにして……!!


 バチバチッ、と、どこから絞り出されたのか、僅かな祝福が緑雷となってリーリエの全身から迸った。激しい感情に起因する暴走だ。


「あ、あ、あたしの、あたしのおしっこじゃないんだからねッ!!」


 バチバチバチィッ!! 大量の緑雷が暴発する。

 その余波で少し痺れた少年は眉根を寄せる。


 怒鳴りつけるように言って、リーリエは勢いよく駆け出した。顔は伏せたまま。上げられない。茹で蛸みたいに真っ赤になってるからだ。


 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!

 失態だ。屈辱だ。もうお嫁に行けない!


「? 変なやつだ」


 少年は冷然とした態度を変えることは無かった。


 ――これは生物の排泄物の匂いだ。

 ――おそらくギ・ゴブリのもの。


 走り去っていく幼女を目で追いながら、少年は静かな声音で独りごちる。哀れ、下敷きになったギ・ゴブリが少年の祝福にあてられ、体液を撒き散らしながらもがき苦しみ死に絶えたらしい。


 なぜか花のような、()()()()も混じっている気がしたが……まあいい。


「……ん」


 小さくなる幼女を気に留めるのをやめ、少年は背後を振り返る。すると廃墟や物陰からぞろぞろとギ・ゴブリたちが姿を現した。


 数はざっと三十近い。中でも一際大きな個体が目立っていた。あれはゴブリンの上位種である、ホブゴブリンが悪魔の呪いに感染した暴徒『ギ・ホブゴブリ』である。


 対して少年は怖がるでもなく、平然とした顔で暴徒の集団と相対した。


 首から下がるネックレスに手を当てる。

 十字架に髑髏。趣味の悪い師匠の餞別だ。


「天使の名の元に、お前を救済する」


 抑揚のない一本調子な言葉は、あたかも天上の存在が告げた啓示のように。

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