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文化大革命の思想的背景

作者: 恵美乃海

1960年代に中国を席巻した文化大革命。その思想的背景について書いた文章です。

 04.6.8記  

 

 1960年代を中心に、中国に吹き荒れた文化大革命は、現在においては否定的な評価しかなされていない。  


 それは当然なことと思う。あれほどの混乱をひきおこし、非人間的な所業が 励行された運動を肯定的にとらえて良いはずがない。  

 が、ここで留意しなければいけないのは、文化大革命のその思想的背景、 そして、運動の原動力となったものは、歴史的に、ある程度の周期をもって 繰り返されることであろう、と推定できるということだ。

 

 文化大革命が開始されるまでの歴史的背景としては、中華人民共和国建国の指導者であった毛沢東が、独立後の大躍進政策の失敗もあり、党主席の地位は保ちつつも、国家主席は劉少奇が就任し、劉少奇、鄧小平を中心とする一派に実権を握られ、自らは、名目だけ のトップに祭り上げられる情勢となっていた。


 このことに危機感を抱いた毛沢東は、中国人民の間に根強く持たれていた、おのれの建国の指導者としてのカリスマ性を駆使して、人民大衆に直接的に働きかける形で反右派闘争を開始した。

 これが文化大革命の契機となった。


  ゆえに、その動機は指導者間の権力闘争であったわけだが、その理論を眺めてみれば、毛沢東は大衆心理というものを熟知した人物であったと言わざるをえない。  


 実権派と呼ばれた劉少奇一派は、いわば、市場経済に移行した現代中国の、そのさきがけとなる方向へ、中国を向かわせようとした勢力と理解すれば、良いかと思う。  


 この一派、さらに時代を下れば「悔い改めない走資派」と呼称されるようになる。


 これに対して毛沢東は何を唱えたか。


 中華人民共和国の建国により、社会主義国家が誕生したが、革命は今だ、途半ばである。

 中華人民共和国の誕生によっても、人々の根本的な意識は変革していない。  


 知的労働は、肉体労働よりも価値が高い。知識階級は、労働者階級よりも高い位置にいる。そのことに関する人々の意識は、なんら変わっていない。


 しかし、社会主義国家において、最も尊いのは、労働者農民ではないのか。自らの肉体を使う 労働者農民こそが最も尊ばれなければならない。


ただ知識を多く持っているというだけのことで、自らはぬくぬくとした環境に身をおいて、 我々の血と汗の結晶である労働の成果を奪い取る階級がこの国にまだ存在している。  


彼らに対して、闘争を開始せよ。  

 

 古来、中国、朝鮮半島の中心的思想となった儒教によれば、士大夫は自らの肉体を使って労働はしない、ということが前提であり、肉体労働というものは彼らにとって蔑視の対象でしかなく、 人間の根本的な意識として存在していると思われる、知的労働と肉体労働とのあいだの差別は 日本以上に大きいと思われる。  


 その中国において、古来からの価値観をひっくり返してしまう価値に基づいた 運動が発動された。


このとき、唱えられたスローガン 「造反有理」「批林批孔」は、これまで労働者農民の上に立ち 彼らに命令を下す立場にあったものに対して造反することこそが正しい。

 そして 、中国の古来からの中心思想であった儒教の理論的中核、孔子を批判せよ。ということである

(批林の林は、 林彪のこと。思想的批判と、権力闘争に基づく批判とが併記された訳の判らないスローガンだが、当時の中国にとって みれば、意味があったのであろう)。


 この運動は白紙答案の英雄をも生む。


 ある試験に全く回答することのできなかった男がその答案用紙 の余白に書く。


「私はこの問題に、全く答えることはできない。私は日々、自ら の肉体を使って労働し、 真の社会主義建設のために邁進している。私にこの問題に答えるような知識を習得するような時間はない」  


 男は、文化大革命を進める勢力によって英雄として祭り上げられる。  


 大衆はこの運動にのる。

 今まで、自分たちに偉そうに命令を下していた幹部を取り囲む。


 そして 彼らのエリート意識を反革命の名の下に徹底的に糾弾する。

 三角帽をかぶせて、 自己批判させる。  


 知識を持つことは悪。なぜなら、それは肉体労働を行わなかったことの証であるから。


下放政策というものが実施される。

 それは知識階級を都会から追放し、農村に赴かせ、肉体労働を させる、という政策である。


 知識階級のもつ、理屈に合わないエリート意識を、 徹底的に自己批判させ、 真の労働者となるべく、思想改造を図る。  


文化大革命は諸外国にも波及した。


 カンボジアの悲劇は、ポルポト一派が、知識階級の抹殺を図った ことをその端緒とする。

 

 その文化大革命の結果がどうなったかについてはあらためて記述する必要はないであろう。


 現代中国は市場主義経済を推し進めている。  


1960年代、文化大革命の原動力となった、その思想的背景を世界に向かって発信し続けた 中国政府は、今は、どういう思想的背景に則った結果なのか、私にはよく判らないが、 現代も様々なことで、日本を始めとして外国政府に対して批判を繰り返す。

 

 現在、世界は大競争社会にある、と巷間言われている。


 戦後、ある程度の期間 、西側を中心に目標とされ、 北欧がその最高度の成功例とされていた高福祉社会は、財政的破綻の元凶と位置づけられているかに思われる。


 別のところで、ニーチェ哲学について記述したが、この大競争社会を首肯するということは、広義において ニーチェのその中心思想を受け入れる、ということであると思う。  


 競争社会は何をもって競争するのか。

「知識」である。


 誰が、あるいはどこが 、最も高度な知識を保有し、 それを経済的勝利に結び付けられるかの戦いである。


 その「知識」による大競争社会が、行くところまで行き着いてしまったとき、 世界が、あらたな大転回を経験するとき、次に続く世界として、文化大革命を生んだその思想的背景が再び、この世界に出現する。  

 その可能性は、ゼロではないであろうと思う。


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