#04:視界ゼロの海に落ちて(前)(3)
俺と由香里、ふたりの掃除当番は正面玄関だった。
先のちびた竹箒。ないよりはマシだが、いかんせん性能が悪い。
「なあ、由香里。さっきのことだけど。ごめん」
「なんのこと?」
「味方、できなくて」
「ほんとにそう思ってる?」
じっと、俺の目を見ている。すぐに堪えきれなくなって……目を逸らしてしまう。
「ほら、やっぱり。ゴメンだなんて、そんなこと思ってないんだ」
「……ああもう、そうですよ! どうせ上っ面でごまかそうとしてましたよ! すいませんね」
「でも、気遣ってくれたんだ」
あらためて、その瞳を見つめようとする。
なんだかヘンだ、いつにも増してこの、どぎまぎとした感じ。
「遣われても嬉しくないくせに」
「うん! 嬉しくない」
満面のスマイル。
「由香里はさ、強すぎるんだよ。なんで、どうして、そんなに平気なんだよ。こんな針のムシロみたいな環境で……ん?」
悪寒がした。
「あ~、ついに本音を出したな~、無理しなくていいんだぞっ、それっ!」
いたずらっぽく笑いながら、竹箒で俺の背中を小突いてくる。
「出してねえし」
「出してたし~! なあんだ、渉も仲良くしたいんじゃん!」
「違うって、そういう意味じゃ……! あっ」
東門から入ってくる、誰かの影。
「あれは……」
その影は、先日、植えたばかりの花壇のところで止まった。
パンジーの花々に目をくれたなら、さっとひるがえって、俺たちがいる玄関の方へと。
「おい、由香里。あれ」
「……!」
まただ。嫌悪感を示している。
そのまま影は、こっちに歩いてくる。
「おーい、集!」
「先週ぶりだな、ふたりとも」
「集、よく学校に来るのか?」
「いや。たまーにだな。届け物とか。今日は別の用事だ」
「へえ、どんな」
「要人警護だ」
「教えてくれよ」
「渉! もういいでしょ」
ここで、由香里が割り込むのだった。
「なんでだよ、俺達の恩人じゃないか」
「恩人?」
「集が花壇づくりを手伝ってくれなかったら、今日みたいに合同班になるのだって、夢のまた夢だったんだから」
「……それは」
なんだか恨めしそうな面持ちになる。
「三良坂さん。ちょっといいですか」
ようやく、集の方を向いて話し出す。
「先日は、渉がお世話になりました。でも、今は掃除中ですので、会話はまたいつかにしてもらえませんか?」
「あ……そうだな、見てのとおりだよな。ごめんごめん! 時間とらせて」
「そんなことないって」
「また今度な」
そう言って手を振りながら、正面玄関に入っていく。
歩く姿をまじまじと見ていた。
「あたし、あの人きらい!」
「なんで? いい人だろ」
「どうしてもなの……あれ、渉?」
「……」
まただ。
また、悪寒が襲ってきた。ナニカが来ている。
「どうかしたの?」
「なんか、変な感じがする。向こうの西門からだ。あっちの方は、篤と砂羽の担当だけど……いやまさか、あのふたりがこんな不穏な印章を出すなんて」
「……あたしも感じた。いま」
由香里の視線の先。それは、確かに西側の校門だった。
でも、違う。この感じは、篤でも砂羽でもない。
「……あれか」
校門付近に、3名分の人影が現われた――遠くからでもわかる、これは圧倒的というやつだ。こちらの方に近づいてくる。
……初老ほどの男性の隣に、それぞれ男と女が附いている。侍衛だろうか。
侍衛というのは、早い話が警護役だ。
「……」
そうこう考えている間に、すぐ近くまで辿り着いてしまう。
「……」
この人達は、お客さんだ。俺と由香里は、おおげさに道を開ける。
ただ、じっと待つ。じっと……
やり過ごしたいと願う。
「……」
わずかに顔を上げる――目が、合ってしまった。女の方と。
なにやら気まずい。目線を逸らす。
「あら? あんた、どっかで見たことある」
パンク? な髪型の女だ。
額から頭頂部に至るまで、ツンツン頭のショートカット。かと思えば、もみあげのあたりからツインテール? が伸びている。
「覚えてる? 景山よ。山野辺の聚落で会ったことあるでしょ? ウチは、アンタのこと覚えてるよ。ねえ、道ノ上渉くん」
「ええと……たしか……秋の奉納祭りで……太鼓、教えてくれた……ような」
「そうそう~! でもさ、なんでこんなところにいるわけ? ここ、備後国府町でしょ? あ、確かそう、ハッピーマウンテンと合併したあたりで引っ越したんだっけ? それならさ」
「おい」
男の方だ。
無骨な感じだった。上背がある。
「あっ! ごめんね、川上。ちょっとだけ」
同僚にそう告げると、
「すいません、喬木様。ちょっとだけいいですか? 同郷なんです」
喬木というらしい、六十過ぎほどの男に寄っていく。
……角刈りのような髪型だった。スラリとした長身、灰色調のスーツがばっちり決まっている。
部下の要望に応えて、その手を右胸の前に掲げる。「よい」というサインだろうか? ゆっくりと喋りはじめる。
「おお、同郷か。そりゃあそりゃあ。わかった、好きにやれ。わしは用務を済ませてくる。校舎内では別の警護を頼んである」
「喬木様。オレと景山がいれば十分でしょう?」
「そーですよ。わたしと川上のふたりもいれば」
わかる。
今、この喬木という男の表情がわずかに歪んだのが。
このふたりは、主人の顔を見ないのだろうか?
「どういうことじゃ? それは」
――苛立ち。
この男が示した感情、それだけで空気が変わる。
「それはなんじゃ? 安心ができるということか? お前たち、訪れたこともない場所で、いったいどういう根拠があってそんな無責任なことを言える」
「! それは」
「え、ええーと……」
口を噤んでしまった。
「会議に参加した人間が刺客じゃったらどうする? どうやって責任をとるつもりじゃ」
「……」
ふたりとも、何も言わない。
心の底から後悔している顔つき。
「……ここは学校じゃ。わしらがイニシアチブを持つ領域ではない。餅は餅屋、ということだ」
「す、すいませんでしたっ」
景山が、さっと頭を下げる。
川上と呼ばれた男が主人の傍に寄った。
「喬木様。恐れ入ります。誰が、いったい誰が警護役を勤めるかだけでも教えていただけませんか」
「ふ~む……」
「あ、喬木議員。お疲れ様です」
――集。集だった。
玄関口から、ヌッと現われた。スリッパを持っている。
「喬木議員、お世話になっております。本日は宜しくお願いいたします」
例のふたりの方を見る。気圧されている。
「あちらが、喬木議員の侍衛の方々ですか?」
集は、そう言いながら、ふたりの方へと歩いていく。
そして、
「初めまして。この度、喬木議員の警護を勤めます、ハッピーマウンテン市教育委員会、教育総務課の――」
自己紹介を終える前に手をかざしたのは、川上だった。
「いや、いいんだ! あんたほどの方が俺たちに気を遣わなくても」
景山は、川上の後ろに隠れているような、いないような。
「わかりました。では、喬木議員。こちらへ」
よく見ると、その手にはスリッパのほか、靴ベラも持っている。
集に導かれて、喬木が玄関へと足を踏み入れようとする。振り向いた。
「川上。景山。恥になることはするなよ」
「かしこまりましたっ!」
恭しく敬礼をする。
主人が校内に入ってしまうと、敬礼を解いて、
「……さて、それでは」
川上が俺たちを見た。何歩分かこちらの方へと。
俺は、由香里の前に立ち塞がる。
「いま思い出したよ、お前たちのことを……景山よ。そいつらは故郷を捨てた連中だ。3年前に、道ノ上覚という者を中心にして、いくつかの世帯が山野辺を離れた」
「逃げたんじゃない」と叫びたかった。由香里の激情を感じる。
「あ、そういうことだったんだ! ウチ、知らなかった」
「構ってやるな。こいつらは負け犬だ。使用者としての重責に負けたんだ」
まずい。
これ以上は、由香里が前に出てしまう。
「あんたら、どうしたの? 弁解したっていいのよ? 別に負け犬でもいいじゃない。逃亡には成功したんだから。でも、あんたたち、あんまり楽しそうじゃないわ。ねえ、知ってる? 逃げ出した先に楽園なんかないのよ?」
「……好きに言ってください。俺達は掃除に戻ります」
「どうした! 悔しいんなら力を示してみろ……オレ達のルールは覚えてるだろう? 力は道理に優先する。そら、使用者としての力を見せてみろ」
俺は、呟いた――すぐ後ろにいる由香里に対して。
「由香里。頼むからなにもするなよ。この連中の意図はわかるだろ」
言った直後に、景山がにじり寄ってくる。
「ねーねー、とにかくさ、あんたらはこんなところで消耗してるってわけね? 最後に忠告しといてあげる……そうね、よく考えたら、あんたって悪くないわ。あんたじゃなくって、親の方が低能チキンだったって話よね。ええと、なんだっけ、そうよ……子どもに責任はない! てやつね。今日の新聞折込に挟まってた市の広報に書いてあったわ」
背中に圧を感じる。由香里の手だ。
……涙を流している。
「はあ~あ」
俺は、ワザとらしいため息を吐きながら、前に出た。
「あ、そ~だ!」
おいおい、アホみたいな声だな。我ながら。
「どうしたの? 道ノ上渉くん……えっ? なに……これ……」
「……どうだ?」
景山は、硬直している。
すぐさま、俺は走り出す。その脇を抜けようとして。
思い知らせてやる。
「そら、どうだ。見えないだろ――!?」
抜けた! と思った。思っていた。
その矢先、景山のつま先が、いま踏み出したばかりの足首を捉えていた。
「うがっ!」
そのまま、すっ転んでしまう。
「痛、くっそ……あ、ぎ、ぎゃあああああああああああああぁッ!!」
「アハハハ! こいつ、煽り耐性なさすぎじゃない?」
ヒールの踵。
それが、右手の指の付け根を踏んづけている――絶叫に打ちひしがれるしか術がなかった。
「うわ、だっさ、こいつ! ねえねえ、大人に手だしちゃだめだよね。あんた、いまウチらの目、見えなくしてたでしょ~? な・ん・て、珍しい概念力ッ! でもね」
「あぁ……ぐ……う……」
一瞬、痛みが引いた。ヒールが浮いたから――
「い、い゛いあ゛あああああああああぁぁっ!」
直後、踏み抜くようにしてヒールの踵が落とされた。
「いい? 目なんか見えなくても、ひよっこを転がすなんてわけないの。あ! そうだ……ねえ、ほかの生徒にも見てもらおうよ。ほらほら、何人かはもう集まってきてる!」
目を閉じている。痛みを紛らわすため。
でも、わかる。こいつは、嬉々として俺を見下ろしている。
「基本的人権ってやつの適用除外でよかったわ。ほんと、さまさまね」
「……景山よ。待て。これ以上の生徒連中が駆けつけることはない……わからないか? 微かではあるが、こいつからまた別の印章を感じる。おそらく、一般人の聴覚を封じているのだろう」
「へー。印章ね。こんなもん」
ジャララ、という勾玉同士が擦れる音。
使用者の手首に巻かれた装飾品、使用者免状を眺めているのだろう。
「こんなクソみたいな石で概念力の発動状況がわかるなんて、一般人の連中、ほんとに信じてるのかしら? ごまかそうと思えば、いくらでもごまかせるのに。追い詰められた状況だったり、よっぽど威力があるヤツを打とうとしてるなら話は別だけど」
……痛い。とにかく痛かった。
「う……う、あぁ……クソッ!」
「……『クソ』じゃねーだろうが、年上に向かってよぉーッ!!」
「ああああああああああああああぁッ!!」
右手指の骨が軋んだ。真っ赤な激流が体中を駆け巡る。
畜生、畜生、畜生――
「……景山よ」
呆れたような声色だった。
「俺はそこで煙草を吸ってる。早めにしろよ」




