九・朝の談合
九・午前七時五十三分 旅館あさみな内レストラン『神無月』
創大の死から一夜。遼は昨夜、会社に現状を報告して今後の対応を練り、停止しているツアーの再開などについての話し合いを警察と行った。
そうしている内に夜はあっという間に更けていき、遼に休む時間は殆ど無かった。一応、夜が明けた辺りで数時間の仮眠を取った後、遼は旅館にあるレストラン『神無月』で朝食を食べに行った。
『神無月』は旅館の和風の内装とは少々変わり、洋風のレストランとなっていて、従業員も和服を着た仲居ではなく、洋服を着たウェイターやウェイトレスだった。
レストランの中の空いている四人掛けのテーブルに座り、遼はウェイターに洋食のセットを頼んだ。一応、和食のセットも選べるのだが、遼は朝食にパンを食べる習慣なのでそちらを選ぶことにした。
注文を受けてから数分経って、遼の元に注文した食事が届いた。セットのメニューはパンとそれに付けるバター、サラダ、コーンスープ、茹で卵、コーヒーとなっている。
遼がコーンスープに口をつけ、パンをバターに塗って食べ始めた時、テーブルの近くに二宮が現れたのが見えた。二宮の服装は昨日と同じ様に詰襟の学生服で、何かビニール袋に入った手荷物を持っている。
「おはようございます。席をご一緒しても宜しいでしょうか」
「ええ、構いませんよ」
「ありがとうございます。ええと、メニューはどうなっているのかな」
二宮は持っていた手荷物をテーブルの下に置いて座ると、テーブルの上にあるメニュー表を眺め、近くにいるウェイターに「すいません!」と呼んだ。
「この納豆定食をお願いします」
注文を受けたウェイターは「かしこまりました」といって厨房へ向かった。
「捜査はどんな感じに進んでいるんですか? あれから何か進展とかはあったんですか?」
パンを食べ終えた遼はコーンスープを飲みながら二宮に訊いた。
「うーん、現状は何とも言えないですね。とりあえず今天堂院さんの奥様がこちらに向かっているので、彼女が来たらまた何かお伝え出来る事があるかもしれません」
「そうですか。それにしても殺人か自殺、結局どっちの方面で捜査することになったんですか?」
「いちおう、警察としては自殺のセンで捜査を進めているみたいです」
「いちおう? それはどういう意味で?」
「実を言うとここだけの話ですね……誰にも言っちゃ駄目ですよ、僕はこの事件は殺人だと確信を持っているんです」
「まさか。昨夜の押し入れの件だけでそう決めつけるんですか?」
「いえ、僕が確信を持った理由はそれもあるんですが、もう一つ、どうしても気になる事があったんです」
「何があったんですか」
「それはですね、ちょっと待ってください」
二宮はテーブルの下から先程持っていたビニール袋をテーブルの上に出した。袋から出されたのはカラフルな紙で包装された箱だった。
「それは?」
「天堂院さんの遺留品の八ッ橋です。現場にあった彼の荷物から発見されました」
「これがどうかしたんですか?」
「この箱ですね、お土産用の包装がされているんです。中身がソーダ味とチョコ味なので、恐らくお子さんの為に買ったのでしょう」
「なるほど……つまり二宮さんはこう言いたい訳ですか。自殺をするような人間がお土産を買うか? と」
「その通りです」
「だけどそれは決定的な証拠にはなり得ないんじゃないですか? 死んでしまっても、別の誰かの手で彼のお子さんにその八ッ橋を届けることは出来るんだから」
「そうか、その手がありましたか。それは思いつかなかったな」
二宮はそういうと、何者かが彼らの座るテーブルへと亡霊のように揺らめきながら近づいてきた。一体誰だ、と思ってじっと見てみると、それは千尋だった。彼女はテーブルまで来ると「ばたんきゅー」と呟くとテーブルの上にうつ伏せになって倒れてしまった。
「どうしたんですか、この人」
「昨夜は不眠不休で捜査に駆り出されたみたいですからね。体力が尽きて真っ白に燃え尽きちゃったんですよ。どうしようにも無いんでこのまま放っておきましょう」
二宮がそういっていると、ウェイトレスが二宮が頼んだ食事が載ったトレーを持って、テーブルへと来た。トレーを二宮の前に置く時、ウェイトレスは涎を垂らして熟睡している千尋を不審な目で見つめた。
「すいません。この人に一杯コーヒーを」二宮が注文をする。
「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」ウェイトレスはそれだけ言って彼らの元から去っていった。関わったら面倒なことになりそうだと感じ取ったのかもしれない。賢明な判断だっただろう。
「そういえばそちらはどうなっているんですか。ツアーの方は?」
二宮は納豆に、タレとからしが入った袋からタレだけをかけて箸でかき混ぜながら、遼に訊いた。
「ああ、またあとで参加者の皆さん全員に説明するんですが、この後昼までこの旅館で待機して、それからツアーを再開する事になりました」
「再開するんですか。それは良かった」
「ただ、昼からは映画村へ行って、そのまま愛知県に帰っちゃうんですけどね。何しろ今日のスケジュールの大部分が潰れてしまいましたから」
「それは残念です。まあ、こんな事態なんですから仕方ありません」
会話をしている内に遼は朝食を食べ終え、残ったコーヒーを啜った。そうしていると、二宮が頼んだ千尋のコーヒーが届いた。
すると、二宮は先程納豆に混ぜなかったからしをコーヒーの中へ入れ始めた。
「……二宮さん。一体、何をしているんですか?」
「眠気覚ましです。これくらいきつくやれば眠気も吹っ飛ぶでしょう」
――わざわざ彼女の為にコーヒーを頼むなんて、彼にしては変だと思ったが、まさかこんな思惑があったとは。そう思いながら遼はコーヒーを飲み終えた。
「ほら、起きなさい」二宮が千尋を叩き起こす。
「何よ」
「眠気覚ましの為にコーヒーを頼んだから。ほら、飲んで」
「えっ、たまには優しい事してくれるんだ。ありがと」
そう言って千尋はコーヒーカップを手に持ち、熱くなっているコーヒーを息を吹いて冷ました。
「それじゃあ僕は仕事に戻るので失礼します」遼は席を立った。
「お仕事、頑張ってください」
二宮にそういわれ、遼は会計で代金の代わりの食事券を出してレストランを出た。
店から出た時、レストランの中から「からぁーいっ!」という大きな悲鳴を彼は耳にした。