六・実行の時
六・午後八時二十一分 旅館あさみな別館・すずめの間
旅館の露天風呂から出て、自分が宿泊している「すずめの間」に戻った遼は遂に創大の殺害の準備を始めた。
まず手始めに彼は両手に手袋を着けると、自分の鍵付き鞄から透明な液体が入っている小さいタレビンを取り出す。中には雄大に飲ませるシアン化ナトリウム――テレビドラマなどでは青酸カリと呼ばれる、危険な毒が入っている。インターネットのいかがわしい通販サイトから手に入れたものだ。海外のサーバーを経由して注文したので、まず足がつくことは無い。これで創大を殺害する。
そしてもう一つ、遼は用意しておいた一枚の紙を取り出した。この紙は天堂院創大の“遺書”だ。もちろん、創大が書いたものではない。この“遺書”を創大が死んだ後、彼の傍に置くことで彼の死を自殺に見せかけるのだ。
遂に実行の時だ。今、創大は部屋を開けて露天風呂に居る。その隙にチェックイン時に女将の中将から渡された引率者用のマスターキーを使って、彼の宿泊する「つぐみの間」に侵入するのだ。その為に遼は先程まで露天風呂で、創大がいつ露天風呂に来て部屋を空けるのか探っていたのだ。
準備を終えた遼はタレビン入りの青酸カリ、紙、そしてマスターキーを持って部屋を出た。
つぐみの間の前に来た遼は念の為に部屋の扉をノックする。中に同伴者の飛鳥が居るかもしれないからだ。
ノックしてから数秒経ったが、中からの返事は無かった。部屋に誰も居ない事を確認した遼はマスターキーを使って扉を開け、部屋に侵入した。
部屋の中は既に布団が敷かれており、その周りに鞄やキャリーケースなどの荷物が置かれている。遼はその中から創大の鞄を探し始めた。
いくつかの鞄を調べると、創大の財布が入っている鞄を見つけた。そしてその中には遼がバスの中で旅行会社のサービスとして参加者全員に配布したりんごジュース入りのペットボトルがあった。これに青酸カリを入れて、雄大に飲ませる。
ここで配布した飲み物をりんごジュースにしたのにも、一つ理由がある。創大の同伴者の飛鳥がりんごアレルギーで、りんごジュースが飲めないからだ。これで雄大が飛鳥に毒入りのジュースを飲ませるのを防ぐ事ができる。遼は彼女がりんごアレルギーだという事を、彼女のSNSでの記述で知った。
遼はペットボトルを鞄から出し、タレビンのキャップを開けて、青酸カリをジュースの中へ入れる。緊張で手が震えるのを抑えながら、毒を一滴ずつジュースへ入れていく。
タレビンの中の全ての青酸カリをジュースに注いだ遼はペットボトルのキャップを締め、急いで部屋から出ようとした。その時である。部屋の外から創大と飛鳥の話し声が聞こえてきたのだ。
「いやあ。いいお湯でしたね、先生」
「うむ、たまには露天風呂というのも中々良いものだな」
「ええ、あと景色も綺麗でしたね。明日行く京都タワーなんかも見えちゃいましたよ」
次第に彼らの会話が大きくなってくる。部屋に近づいているのだ。
まずい、今このまま部屋から出るわけにはいかない。しかしこのまま部屋の中にいる訳にもいかない。焦る遼の額に、冷や汗が一筋流れた。
予定では青酸カリをジュースに仕込んだ後、つぐみの間を出て、部屋に戻ってきた創大が毒入りのジュースを飲んで倒れたタイミングでもう一度部屋に戻り、飛鳥に女将と警察への連絡を指示し、部屋から人を遠ざけている隙に、毒が入っていたタレビンと遺書に創大の指紋を付け、あたかも彼が自ら青酸カリを飲んで自殺したかのように見せかける――これが最初の計画だった。
しかし――一体、どうすればいいのだろう?