四・接触、そして動機
四・午後一時三十二分 京都・二年坂
ツアー参加者一行が愛知県を出発してからおよそ三時間半後、彼らを乗せた観光バスは京都府へと入り、そして最初の目的地である金閣寺に到着した。ただ、金閣寺での出来事に関しては余り本筋に関係が無いのでここでは省略しておく。
いちおう、そこでは小さな事件が起こった。ただそれは千尋が金閣寺に貼られている金箔をこっそり剥がして持ち帰ろうとして、それを見た近くの老人にこっぴどく叱られて、頭を叩かれたという何の他愛の無い話である。
金閣寺での観光を終えた一行が次に向かったのは清水寺である。三重塔、本堂、音羽の滝と巡った彼らは寺の西側にある二年坂に出た。この二年坂で転ぶと、二年以内に死んでしまうという言い伝えがあることはご存知の方も多いだろう。同じ意味で転ぶと三年以内に死ぬという三年坂という通りも、二年坂の近くにある。
さて、一日目では一行は昼食をこの二年坂と三年坂にある食堂や甘味処で各自取ることになっている。
「ここからは各自自由行動となります。集合時間は三時です。三時までに清水寺の駐車場のバスに戻って来て下さい。また、駐車場では車が多く通るので、くれぐれもバスに戻る際は注意してください。では、解散」
遼が参加者たちにそう告げると、彼らはそれぞれ各自に配られた観光マップを開いてそれぞれが行きたい店へ向かっていった。
その中で創大と飛鳥は、京都名物である八ッ橋の販売店へと向かっていった。遼も同じ店へと足を向ける。
店のなかで創大は何種類もの八ッ橋が入っている箱を手に取って眺めていた。飛鳥はそんな彼の腕に手を絡めている。
「ご家族へのお土産ですかぁ?」
「ああ。息子に頼まれてしまってね。別に忘れたと言って買わずに済ませてもいいんだが、妻が文句を言うからね」
「ふうん、奥さんの機嫌を取るのがそんなに大事なんですかぁ」
「仕方ないだろう。妻は教授の娘だし、それに婦人会の委員長でもあるんだから」
「判っていますよお。先生が医局を追い出されて困るのはあたしも一緒なんですから。講師への推薦の件、お願いしますよ」
「勿論だとも」
飛鳥は打算的な女だった。しかし創大は彼女の腹黒い本性を気にも留めず、目の前にいる自分に都合のいい若い女に愛想笑いをする。
その光景を近くから見ていた遼は彼に対して静かに、そして激しい憤りを感じていた。
あんな男のせいで優奈は――
「先生ぇ。あたしお手洗いに行ってきますから、買い物が終わったら店の外で待っててくださあい。終わったらそこに行きますからぁ」
「君は買わないのか?」
「やだなあ。ここでお土産の八ッ橋を買って周りに渡したりなんかしたら、周りから先生との仲を怪しまれるじゃないですかぁ。それにあたし、甘い物嫌いだし」
「そうか、じゃあ行ってらっしゃい」
そして飛鳥は店の外へ出ていき、残った創大は一人で八ッ橋の箱を眺めている。遼は彼に近づいて話し掛けた。
「お連れの方、お綺麗ですね」
「ん……? ああ、ガイドさんだったか。ガイドさんもお土産を買いに?」
「まあ。そんな所です。もっとも渡す相手は死人ですが」
「死人?」
「お供えですよ。仏壇に供えるんです」
「ああ、そういう事か。それで、ご両親に?」
「いえ、友人です。僕の同僚だった人ですよ」
「同僚ですか。という事はあなたと同年代の?」
「ええ、同い年の女性です。元々彼女は僕と大学の同期だったんですよ」
「ほう。しかしそんなに若い歳で亡くなってしまうとは……何の病気だったんです? ALS? それともスキルス性胃癌?」
遼の話を聞いて、創大の医者としての興味が湧いた。いちおう、腐っても医者である。
「病名ですか……強いて言うなら、“恋の病”かな。それもかなり重症の」
「えっ……?」
「自殺したんですよ。恋人に捨てられたショックでね」
遼がそう言うと、創大は明らかな動揺を表情に浮かべた。
やはり、優奈はこの男のせいで――
「今から丁度一年前の事でしたよ。会社に何日も無断欠勤して、そのうえ連絡も寄こさなかったので警察に家に行ってもらって調べたら……浴槽にカッターで切った手首を浸した状態で発見されたんです」
話を聞いていくうちに創大の顔色が青ざめていき、彼の膝がガタガタと震えていった。
「しかし……どうして恋愛関係が原因だと判ったんだ?」
そう尋ねる創大の声は震えていた。体の震えが更に大きくなってゆく。
「ああ、それは遺書があったからですよ。リビングにメモ用紙があって、こう書いてあったんです……”信じていた愛がまがい物だったのなら、死ぬしかない”。それが彼女が残した遺書」
「名前は……その相手の名前は、書いていなかったのか」
「書いてありませんでしたよ、残念ながら」
「その……その女性の名前は何と言うんだ」
「どうして聞くんです? 赤の他人だというのに。まあ、別に言ってもいいか。名前は――沖野優奈、ですよ」
沖野優奈という名前を聞いて、創大は「そうか」とだけ言って、慌てるように遼の傍から離れようとした。手に持っていた八ッ橋の箱を急いでレジへ持っていき、店員に包装を頼んで会計を済ませ、袋に入った八ッ橋を抱えると、遼に「ではまた」とだけ言い残して店を出ていってしまった。
遼のかつての同僚であり、想い人であった優奈が死んだのは一年前の事だ。彼女の死から数週間後、遼は彼女の両親から会社のデスクにある彼女の私物を送るよう頼まれて彼女のデスクを整理していた時、引き出しの中から優奈と中年の男が一緒に写っている写真を見つけたのだった。
――まさか、優奈の交際相手というのはこの男か? 写真を裏返すとそこには“広島にて、創大さんと“という彼女の字が書かれていた。
この創大という男が優奈の恋人だったのか――つまり、優奈を失恋させ、結果的に彼女を死なせた男だというのか?
そんな考えが浮かんだ遼は会社のデータベースを開き、優奈が担当していたツアーから“創大”という参加者の名前を探し出した。そして天堂院創大という名前を突き止めた遼は、興信所に天堂院創大についての身代調査を依頼した。
その時は彼に殺意は湧いていなかった。せめて、優奈の死を伝えておかなければという程度にしか考えていなかった。
一か月後、調査の結果がきた。職業は大学病院の准教授。家族は妻と娘と息子の四人家族。そして創大は妻に隠して愛人を持っているとの事だった。報告書には愛人の名前と素性、SNSでのアカウントが記載されていた。
その愛人の名前は、優奈ではなかった。
つまり、優奈に飽きた創大は彼女を捨て、別の女に乗り換えたということだった。
それを聞いた遼は創大への怒り、そして殺意が湧いた。
俺の大切な人は中年男の肉欲に振り回されて死んだのか。ならば、この男には優奈が感じた苦しみを少しでも味あわせなければならない――
復讐を決意した遼は創大への復讐のチャンスを窺った。そして今回のツアーに創大が参加すると知った遼はすぐさま殺人計画を練り、遂に実行に移そうとしている。
何としてでも成功させてみせる。たとえ、刑事や幾つもの事件を解決してきた探偵がいようとも――
遼は店を出て、周りを見渡した。大勢の人々が行きかう中、抹茶のソフトクリームを歩きながら食べている男女が遼の目に留まった。二宮と千尋だ。遼が二人に目をやると、彼らも遼に気が付いたのか、遼のもとにやってきた。
「いやあ。ツアーガイドさんも楽しんでいるみたいですね」
二宮がソフトクリームを頬張りながら遼に話し掛けた。
「ええ、まあ。お二人も楽しんでいる様で幸いです。……あと、本当はツアーガイドじゃなくて、ツアーコンダクター、なんですけど」
「ああ、そうだった。忘れていました。覚えておきます」
「こんなこと言っちゃって。ニノって大体こういう事すぐ忘れるんだから」
千尋がアイスクリームをペロペロと舐めながら、二宮をじっとりとした目で見た。
遼が二人の掛け合いを見て微笑んでいると、近くで創大と飛鳥が一緒に歩いているのが見えた。
「先生、さっきから何だか様子がおかしいですよぉ。顔面蒼白だし、足が震えているし」
「い、いや、何てことないさ……あっ」
創大は足を滑らせ、道の真ん中で転んでしまった。飛鳥が転んだ創大を抱きかかえる。
「先生、大丈夫ですか」
「大丈夫、大した怪我はしていないよ……」
そう言って二人は近くの土産屋へと入っていった。
「あの人たち、確か同じツアーの人だったっけ?」
千尋がソフトクリームを舐めながら、創大と飛鳥を眺めていた。
「なんだか嫌だなあ。中年と“そういう関係”になるって。ああいう事をする人、わたしには理解できないや」
「……世の中判りませんよ。誰が誰を愛するかなんて」
遼は千尋に対して、ややムキになって反論した。何だか優奈が貶されたように感じたからだ。
それを聞いて千尋は「あ、まあ、“美女と野獣”なんて言葉もありますしね」といって気まずそうに笑った。その姿を見て二宮が呆れる。
「全く、大川さんは愛という物が判っていないんだよ。ね? ガイドさんもそう思いますよね?」
「ガイドじゃなくて、コンダクターなんですけど……それは置いといて。まあ、愛の概念は人それぞれですから……すいません。こんなこと言っちゃって」
「い、いやあこっちも何だかごめんなさい。」そう言って千尋はえへへ、と笑った。
「へへへじゃないよ、もう。そういえばここ、二年坂という名前の通りらしいですね。変な名前だ」
「ええ、お客様はこの坂にある、とあるジンクスはご存知ですか?」
「確かここで転ぶと二年以内に死ぬから、だとか」
「え、ちょっと待って。そんな話があるの」
千尋が二人の会話に割り込んだ。
「わたし、さっき足を挫いたんだけど」
「転んでいないなら死にはしないと思うよ。ま、盲腸ぐらいにはなるんじゃないかな」
「そんなあ」
「ははは。この坂は元々大同二年、西暦で言うところの八百七年に整備されたことから二年坂と名付けられたという説があるのですが、そこから当時の子どもたちの間でそんな言い伝えが出来てしまったと言われています」
「へえ、ようは清水の舞台から飛び降りると幸せになれるっていうのと同じレベルの話なんですか」
「はっきり言ってかなりの眉唾物ですけどね……こんなこと言ったら、バチが当たりそうですけど」
「しかし本当だとすると、さっき転んだ男性の方、かなり危ないですよね」
「ええ、非常に危ないですね。とても」
肚の中でほくそ笑む遼の横で、千尋は近い将来に自分に降りかかるであろう不幸を憂いていたのだった。




