解決編・150キロ彼方の証明
十四・午後四時五分 映画村中央広場・映画の泉
映画村の中央広場には「美空ひばり座」という、往年のスター、美空ひばりの衣装や小道具が展示されている博物館ともいえる建物があり、その前には「映画の女神像」という像が立てられている「映画の泉」がある。
この泉の前のベンチに座っている遼はこの二日間の事を思い返していた。部屋に侵入した時に思った以上に早く創大が部屋に戻ってきた事や、事件捜査への二宮の介入など、決して計画通りの犯行とは言えなかったが、結果として事件は自殺として処理される事に彼は安堵していた。
「隣、座っても宜しいでしょうか」
ベンチでくつろいでいる遼に声を掛けてきたのは二宮だった。
「ええ、いいですけど」
二宮は「それではお言葉に甘えて」と言うと遼の隣に座った。
「いやあ。まさか地元から百五十キロも離れた場所で事件に遭遇するなんて思いもしませんでした」
「俺としては、更にそこに漫画みたいな探偵も現れるなんて、ちっとも予想しなかったですけどね」遼は自然と二宮に対する自分の一人称が変わっていることに気が付いた。遼にとって二宮はもう、単なる客ではないのだろう。
「菅野さん、あなたにお話したいことがあるんです」二宮はどこか嬉しそうな口調で言った。
「……まさか、まだ事件の事で何か話すことでも? もう事件は自殺と言う事で決着がついたんじゃなかったんですか?」
「いいえ。僕はですね、この事件が自殺だとはどうしても思えないんです。そして、あなたが犯人であるという考えにとても自信を持っているんです」
「根拠を聞かせてもらいましょうか」
「はい、一番最初にあなたがどうも変だと思ったのは昨日の朝の事です」
「ちょっと待ってください。どうしてそんな時の話が、俺が犯人だと思う切っ掛けになったと? まだ事件も何も起こっていなかったのに」
「それは今から説明します。昨日の朝に二番目の集合場所である三ツ谷駅で、バスは何組かの旅行客を乗せました。その客の中には被害者の天堂院さんと彼の愛人である弓野さんも居ました。その時コンビニに行ってバスへ僕は戻ってきたのですが、覚えていますか」
「覚えているけど、それが事件と何か関わりが?」
「あなたが天堂院さんの受付をした時、あなたはまだ名前も聞いていない天堂院さんの事をあなたは躊躇せずに“参加者の天堂院さんですか?”と訊いていました。
それを見て、あれ、これはどういう事なんだろう、と思ったんです。だってツアーコンダクターは参加者の名前は知っていても、その顔まで知っているというのは普通無いじゃないですか。最後に来た参加者だったらまだ納得がいきます。しかしその後に参加者はもう一組来ました。それでどうも変だなと思ってあなたに目を付けていたんです。そして昨晩事件が起こって天堂院さんが亡くなった。あなたと被害者との間にどんな関係があって、そして何があったのかまでは判りませんが、この事件には確実にあなたが関わっている……これがあなたが犯人だと思った根拠です」
遼にとって、これは迂闊としか言いようがない致命的なミスだった。あの時からもっと自分の発言に注意するべきだったのだ。
「そうですか……俺が犯人だと疑われる理由は判りました。だけど二宮さん、あなたは肝心なことを忘れている。現場には天堂院本人が書いたというサインがあったはずだ。これがある限り、天堂院は自殺したとしか言えないじゃないですか。まさか、あの遺書のサインは俺が天堂院のものを真似て書いたとでも言うつもりでも?」
「いいえ、筆跡鑑定は他の人が真似て書いた程度で誤魔化すことは出来ません。人が書く文字にはそれぞれ特有の癖があります。真似をした程度ではその癖を再現する事はできません」
「それじゃあ結局のところ、あのサインは天堂院が書いたものじゃないか」
「その通りです。あのサインは天堂院さんが書いたものだったんです」
「二宮さんのいいたい事が判らないな。それがどうして自殺でないことに繋がる?」
「事件が自殺でないのなら、サインは天堂院さん自身の意思で書かれたものではなかったという事になります。つまり、僕が言いたいのはあのサインは天堂院さんがあなたに書かされたものだったという事なんです」
「……続きを」
遼の額に汗が一筋流れる。
「この二日間の間で、あなたは天堂院さんにサインを書かせるチャンスが一度だけありました。バスが旅館に到着し、宿泊する際に必要な宿泊票のサインを書いた時です。あの時あなたから各参加者にそれぞれ宿泊票とサイン用のペン、そしてクリップボードが渡されました。
問題はこのクリップボードです。天堂院さんに渡されたクリップボードにはある仕掛け……ノーカーボン紙と、まだサインの書かれていない遺書が仕込まれていたと僕は考えます。これによって天堂院さんは知らず知らずのうちにあなたにサインを書かされてしまったのです。そう考えて今さっき科研に連絡してもう一度文字の鑑定をしてもらった所ですね、サインに使われていたインクは、ノーカーボン紙に含まれている染料だという事が判りました。これで自殺のセンは完全に消えました。これでいかがでしょうか」
二宮の推理は完全に当たっていた。遼は宿泊票を参加者に書かせるときに、創大のクリップボードにのみノーカーボン紙の仕掛けが入っているクリップボードを渡し、サインを作り出したのだった。
しかし、まだ反論の余地はある。遼は不敵な笑みを浮かべた。
「確かに、もうこの事件は自殺とは言えないかもしれない。だけど二宮さんは大事なことを見逃している。そのカーボン紙で複製されたサインは果たして宿泊票を書いた時に出来たものなのか? そうでなかったら俺ではなく、もっと他の人物が犯人だという事になる。あのサインが宿泊票を書いた時に作られたものだと証明できない限り、俺は真犯人だと言うことは出来ない。二宮さんはそれが証明できるとでも?」
「出来ます」
二宮は自信をもって答えた。
「証明するのはそんな難しい事ではありません。旅館に残されている宿泊票と、遺書のサインを照合すればいいんです。人間、書く文字の癖があっても、毎回全く同じ文字の形になる事はありません。宿泊票のサインと、遺書のサインが全く同じものだとしたら、それはもう完全なコピーだと証明することができます。ちょうど今それを科研で調べている頃ですから、全てが判るのはもう、時間の問題です。さて、これ以上何か言う事はありませんか?」
二宮に訊かれ、遼は深く息を吐いて「もう無いな」と言った。
「完敗ですよ。全く、ついていないな。まさか参加者の中にこんなに頭の切れる客が居ただなんて……」
そういって遼は苦笑した。
「それでは、行きましょうか」
二宮はベンチから立ち上がってそういった。遼も続いてベンチから立ち、二人は広場から立ち去ったのだった。




