二宮浩太郎からの挑戦状 特別編
十三・午後三時三十三分 東映太秦映画村・可否茶館
映画村の入園ゲート、もとい入村口を進んでパディオスという展示施設を出た先には明治通りと呼ばれるエリアがあり、その通りには「可否茶館」という名前の喫茶店がある。
二宮は店の中で名物メニューの忍者パフェを、スプーンでつつきながらちまちまと食べていた。二、三人分はあると思われるその巨大なパフェは二宮がぼんやりと考え事をしているからか、中々減っていなかった。
ちまちまとパフェのアイスクリーム部分を口に運んでいる二宮のもとに、店の外から千尋が何やらはしゃいだ様子でやって来て、二宮と同じテーブルに座った。
「ね、ね、ね。さっきオープンセットに行ったら撮影をやってて、浪田純くんがいたのよ!」
「……浪田純って、最近ドラマによく出ている?」
「そ、何かの漫画の実写版の撮影をやってて、その主演をやっているんだって」
「あ、そう。じゃあ後で見に行こうかな」
「もう駄目だよ、十分ぐらい前に今日の分の撮影は終わりだってスタッフさんが言ってたから」
そう言うと、千尋はテーブルの上にある巨大なパフェに目をやった。
「ねえ、パフェちょっと分けてよ」
「や、だ。僕が高い金払って買ったんだ。絶対に分けてあげない」
「ケチ!」
二人が言い争っていると、店にスーツ姿の男性と、派手な柄の衣装を着た二枚目の青年が入って来た。千尋が彼らをよく見ると、何と衣装を着た青年はさきほど彼女と二宮の会話に出てきた俳優の浪田純だった。一緒にいる男性はさしずめ、彼のマネージャーという所だろう。
「わ、わ、わ。ニノ、あれ見てよ。本物の純くんが店に入って来たよ」
「……偽物の浪田純は居るの?」二宮の指摘を気にも留めず、千尋はただただ浪田純の姿を見て興奮していた。
「話し掛けてこようかな」
「止めてよ、恥ずかしい」
「だけどこんなチャンス二度と無いよ、せっかくだからさ、ね?」
はしゃぎまくる千尋を見て二宮は呆れた。
「中学生じゃないんだから大人しくしてなさい。もう大人なんだから」
「ちぇ、高校生に言われたかないよ」
落胆した千尋は鞄を出して、中からファンタを出した。
「あれ、旅館であげたファンタ、まだ飲んでなかったの」
「そうだけど、どうしたの」
「いや、別に」
ペットボトルのキャップを開けながら、千尋は二宮に事件の話をした。
「ねえ、ニノはまだガイドさんが犯人だって疑っているの? わたしは違うと思うなあ。現に遺書からは被害者本人が書いたサインが出てきたんだからさあ」
千尋がキャップを開けたファンタを一口くぴっ、と飲むと「辛あーっ!」と絶叫してペットボトルを落とし、二宮の策略によりわさびが入ったファンタを辺りの床一体にまき散らした。
「わ、わ、わ、わ、どうしよう」
慌てふためく千尋を見て、二宮は笑いを堪えようとしていた。
「ああ、もう! またニノがやったのね!」
「朝に痛い目に遭って警戒しない方が悪いんだよ。さあ、頑張れ」
「頑張れって、これ、どうしたらいいのよお」
二宮の罠にかかり、狼狽する千尋。しかし彼女の元に「大丈夫ですか」と誰かが声を掛けてきた。
「あなたは……」
千尋は自分に声を掛けた人物の顔を見て千尋は驚愕した。その人物は浪田純だったのだ。
「じゅ、純くん!」千尋は彼の顔を見て、そう叫んだ。
「ど、どうしてわたしの所へ……」人気俳優を目の前にして、千尋は慌てふためいていた。そんな彼女を見て、浪田はにこやかな表情で答えた。
「どうやら困っている様なので、お手伝い出来ることがあると思ったんですか……」
「そっ、それじゃ、床を拭くのを手伝ってください」
「判りました……新田さん!」浪田純は彼のマネージャーである新田を呼んだ。
「店員さんに雑巾を貰ってきてください」
新田は「了解しました」といって店員から雑巾を貰いに行った。雑巾が来るまでは、テーブルの上にあるナプキンで応急処置をする。そして雑巾を持った店員が手伝いに加わり、あっという間に処理は終わった。その間、二宮はパフェを食べながら彼らの手助けに加わらず静観していたのだった。
「ごめんなさい、手伝ってもらっちゃって」千尋が浪田に頭を下げる。
「良いんです。気にしないで」浪田が「じゃあ」と言って席に戻ろうとすると、千尋が彼に「あの」と声を掛けた。
「お願いがあるんですけど」
「どうしたんですか?」
「サインを一枚書いてくれないかな」
突然の頼みに浪田は面食らったが、すぐににこやかな顔をして、「良いですよ」と言った。
「うわあ、嬉しい。じゃあ、これに書いて」
千尋は鞄から警察手帳を出してメモ欄のページを開けた。
「警察の方なんですか?」
「ええ、だけど今日は休暇で……」
「そうですか。いつもお疲れ様です。あの、新田さん。サインペンを出してくれませんか」
浪田にそう言われると、新田はスーツの上着のポケットからサインペンを取り出し、それを浪田に渡し、浪田が警察手帳に手慣れた手つきでサインを書いた。
「あの、ついでに千尋さんへ、って端に添えてくれないかな」
「どんな字です?」
「千円札の千に、人に尋ねる、の尋」
浪田は「判りました」と言ってサインの横に“千尋さんへ”と添えた。
「うわあ、ありがとうございます。一生の宝物にします!」
「映画、ぜひ見に来てくださいね」
「ええ、絶対観に行きます!」千尋がそう言うと、浪田は笑顔で新田と一緒に席へ戻っていった。
「禍を転じて福と為す、って言うのはこういう事を言うんだねえ。たまにはニノもいい仕事してくれるなあ!」
「大川さん、警察手帳にサイン書いて大丈夫なの」
「いいのよ、別に怒られやしないんだからさ」
千尋が喜びながらサインを眺めて手帳のページをめくると、「ああっ」と声を漏らした。
「どうしたの」
「こ、このサイン、後ろにある全部のページに裏が付いちゃってる!」
二宮が千尋の手帳を覗き込むと、確かにサインが書かれたページの後ろからは見事に前ページでサインペンが裏写りしてしまっていた。
「うわあ、どうしよう。これかなり大事な手帳なのにい」
「そりゃあ裏写りする可能性を考えずに手帳にサインを頼んだ大川さんがわる……」
そこまで言うと、二宮は突然急に口を閉じて黙ってしまった。
「わる、って、悪いって言いたいの……って、聞いてるの、ねえ!」
千尋の言う言葉に耳を貸さずに、二宮は額に手を当てて思考を巡らせたのだった。




