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パパ  作者: 真田真
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パパ 後編

小学生か中学に上がってからか忘れたけど、足の踝に薬を擦り込んでた時期があった。透明で臭いのきつい、油状の薬やった。

 嫌やったけど、時々塗らされる事もあった。

 そん時、初めてお父ちゃんの足がどういう状態にあるか知ったんや。

 何ちゅうか……右と左は明らかに物の質が違ってたんや。右が普通の大人の足やったら、左は、子供の足やな。俺はどうやら母ちゃんに似て色黒に産まれたみたいやけど、お父ちゃんは色白やったけどウェハースみたいな黄色がかかっとった。

 せやから余計、未成熟な左足が子供の足みたいに見えるし、ふくらはぎとかの筋肉も右足の何分の一かやった。

 ほんで、左足の踝の周りだけ、異様に腫れあがっとった。

 足の甲とか踝より上が、無茶苦茶白かったから余計にその色が際立ったけど、その時は赤黒腫れあがって、踝の部分が奇妙な生き物みたいに蠢いてたように見えた。

 ちょうど踝の部分には五円玉くらいの穴が開いていて、そこからはクリーム色の汁がこぼれてた。

(膿が出てるっちゅうことは治りかけてる証拠や)

 お父ちゃんはそんなことを言いながら、俺に薬を塗らした。工作で使うセメダインみたいな軟膏やった。

 豆粒くらいを人差し指に乗せて、ゆっくりとその部分に擦り込んだ。妙にそこだけ熱く、別の生き物のようやった。猫の目ん玉にでも指を突っ込んでいるような気分やった。

(お父ちゃんも昔から、足は悪かったけど、こんな腫れたんは最近やで)

 酒臭い息で、息子の俺に弁解するように言葉を搾り出しとった。

(酒が悪いんや。俺も昔から酒を飲んでたわけやない。お前の母ちゃんがおらんようになってからや)

 それはもう、耳が腐るほど聞いた話やった。

(酒を飲むようになって、足も仕事もなんもかんも思い通りにいかんようになった)

 その酒を飲んでるのは自分の意思やん! と心に思いながら、薬を塗ってた。

(まあ、せやけど、漢方とこの塗り薬でとりあえずは大丈夫やろ)

 医者に聞いたわけでも、処方箋もらったわけでもなくただ、自分の判断で薬を使うてるだけや。そんなもんで治るわけない。いや、そもそも、何を治そうとしてるんやろ。足は塗り薬でわかったけど、漢方は? 今考えると不思議や。それも足に効くと思ってたんやろか?それとも何か別の病気があったんやろか。結局、足も治らんかったし、最後は食道がんで死んでしもうたけど、それは俺が二十歳のころやから、十年近く後や。

(その膿な。汚いやろ。昔、喋ってんで)

 喋った? また酔っ払ってわけわからんことゆうてるわ、と思ったけど、相手するの面倒くさいから、なんもゆわんと薬を塗ってやった。

(お父ちゃんの実家は宮崎や)

 それは知っとった。

(産まれたときから足が悪くてなぁ、物心ついたときには、友達だけやなく兄弟にも虐められとった)

 お父ちゃんの子供時代の話を聞くのは後にも先にもこの時だけやった。

(兄弟は十人兄弟のほとんど末っ子みたいなもんや。下の子は歳の近い妹で、上は結構歳離れててな、一番上なんか立派な大人やった。お前のおじいちゃん、俺のお父ちゃんはな、結構、金は持ってたんやで。

 土地も山も持ってる地主やった。

 宮崎の小林市っていうところなんやけどな。

 俺が虐められる理由は足のせいだけやなかったんや。

 俺と妹のお母ちゃんだけ、他の兄弟のお母ちゃんとは違ってたんや。後妻やな。

 前妻が八人以上産んで、まあ、戦争で死んだ兄弟もいるらしいから、十人くらいは産んだんとちゃうかな。その頃は、流産もようあったみたいやけど、それもいれたら、ようさん子供作ったわな。おじいちゃんがそんな豪傑っちゅうんかな。色事には目のないやつやった。

 前のお母ちゃんが病気かなんかで死んだ後、家のお手伝いさんやった俺の母ちゃんを後妻にもらったんや。

 歳は二十以上は離れてたやろ。もう、親父ってゆうより、おじいちゃんやったからな。俺にとっては。

 噂によるとその結婚も半ば無理矢理、母ちゃんを犯して、妊娠させたみたいや。それも兄弟から聞かされた。聞きたくない事まで、お兄ちゃんらは教えてくれた。それで俺を虐めて優越感に浸ってたみたいや。

 戦後すぐに産まれた子やったからな、俺は。ちゅうことは戦争で日本が大変な時も親父は子作りに励んでたっちゅうことや。そんなからかいの言葉も、全部、兄弟に教えられたんや。

 最初に母ちゃんを犯して妊娠させてできた子が俺っちゅうわけやなかった。

 結婚してしもうてから、流産したみたいやった。それからすぐに俺ができたんや。妹は二歳歳下や。

 妹を産んだあと、母ちゃんはすぐに死んでしまったらしい。

 せやから母ちゃんの顔も形も温もりも、一つも覚えてへん。特に兄弟に世話してもろうたわけでもあらへん。親父が何かしてくれたわけでもあらへん。その後は妾はおったみたいやけど、結婚はせえへんかったから、新しい母ちゃんができたわけでもない。

 ただ、ほおったらかしで、牛小屋の牛や、鶏とかとおんなじ風な扱いやった。妹と二人して、肩身狭い思いで、ただ、生きとっただけや。

 母ちゃんのことは何も覚えてないんやけど、不思議なことに、産まれた時のことは覚えてるんや。

 なんか、こう……暗い、生臭い、洞窟の中を……

 洞窟っちゅうか、肉の道っちゅうか、生き物みたいにくねくね蠢く産道を肉を掻き分けて、息ができんで、暗くて、辛くて、これから産まれてくるっちゅうのに、このままここにおったら死んでしまう気持ちになって、必死にこう……腸かなんか知らんけど、肉を掻き分けて、血なまぐさい臭いと、血の塊みたいなもんが鼻から入ってきて、それを取りながら、やっと光が見えて、母ちゃんのお腹から出てきたんや。

 な、不思議やろ。

 普通、そんなこと覚えてへんで。

 大人になってからは妄想かと思ったけどな。やっぱり妄想やない。小学校行く前からこのことは意識してたからな。

 確かに、教育も遊びも何にもない。学校は行かせてもらったけど、ほったらかしか、兄弟に虐められるか、妹とひっそり遊ぶかの生活やった。字もあまり読めんから、本なんか読まんし、一人でいる時間は妄想ばかりしてた。

 それも、自分を虐める兄弟を殺す妄想とか、はよう大人になって、親父らを見返すことのできるようになってる妄想とかや。

 そんな子供時代やったかた、大人になってから、産まれた時のことを覚えてる気でおるんは、もしかしたら妄想と入れ替わってるんか?とも思うたけど、やっぱり、あれはほんまに覚えてるんやと思う。

 記憶違いとは思われへんくらい、生々しかったからな。

 けど、一つだけおかしな記憶があるんや。

 産まれてきたけど、母ちゃんの顔はわからへん。せやけど、一番初めに目にしたんは、母ちゃんでも親父でもなく、赤ちゃんやった。

 赤ちゃんなんかみんな一緒やから誰がだれかわからへんけど、俺は何でかそれは、妹やと思ってた。

 いや、妹でしかありえへんかった。

 けど、そんなはずはないんや。

 妹が生まれたんは俺が産まれた二年後やからな。

 ほんでも、俺はその時産まれて、妹も見てるんや。

 どの記憶が間違いなんかはようわからへんけど、俺が怖いもんとか好きなんは、そういう経験してるからかもしらへん。

 お前も好きやろ?俺の息子やからな。怖がりですぐ逃げるけど、怖いもんは見たいはずや。

 小さい頃からこの足には悩まされとった。

 何度、鎌でこの足を切り取ってやろうか、何度、死のうと思ったか。

 悔しくて、悔しくてたまらんかった。何で、俺だけが虐められんといかんのや、何で、俺や妹の食う飯が、他の兄弟と違うんや。

 全部、この足のせいや!

 そう思って生きとった。

 この膿が初めて喋ったんは、ほんま、物心ついた時や。何を喋ったんか、はっきり覚えてへんし、いつ、どんな場面で喋ったんか、今では何もわからへん。ただ、何か……妹もおらへんで、虐められて、一人で寂しくおるときに、慰めてくれたんや。

 一人でおるときやから、もしかしたら妄想かもしらへんな。

 せやけど、はっきりと、この膿に小さい顔ができてな。

 目も鼻も口もあるんや。

 虐められてる俺に、慰めの言葉をかけてくれたんや。

 慰めっちゅうてもそんな生易しいもんやないけどな。はよ、殺したれ!とか物騒なもんや。せやけど、妹を除いた唯一の理解者みたいに思えて、俺は、頼りきってたよ。

 小学校に行く頃にはもう、喋らんようになったけどな。

 喋らんっちゅうか、出てこんようになった。

 それもおかしな記憶で、その膿と喋ってた時っちゅうのが、どうやら産まれる前のような気がするんや。

 まあ、記憶違いなんやろうけどな。

 産まれた時の、赤々とした血の印象の前に、そういう時代があったような気がしてどうしようもないんや。

結局、それからは足も何でか膿まんようになったからか、そいつは出てこんかった。

俺は十五までを自分では駆け足で駆け抜けた気分で、ろくに勉強もせんと、隠れてアルバイトして、わずかな金を貯めて、高校には行かんとすぐに大阪に出た。

 親父にも兄弟にも何とも言わんと、ただ、着の身着のまま出てきたんや。

 探されたりとかはせえへんかったみたいや。

 食い扶持が一人減ったくらいにしか思われへんかったんとちゃうかな。

 妹だけにはゆうといたよ。連絡先は教えといて、あとから妹も俺を頼って出てきよった。

 せやけど、もう、その頃は足も悪いし、自分一人生きてくだけで精一杯やったからな。妹の面倒までは見きれんかった。

 妹は妹で自分で何とか生きて、今は結婚して東大阪に住んでるよ。

 一緒に宮崎を出てきた兄ちゃんがおることは旦那には内緒なんやって。足も悪いし、見かけも悪い。最初にゆえんかったら、ずるずるしてしもうて、結局、ゆえんようになったみたいや。

 せやから、俺は妹とは大っぴらにはあわれへんのや。

 お前のお母ちゃんと知り合ったのは、百貨店で働いてる時や。

 向いの総菜屋で働いてたんや。話してみたら同じ宮崎県出身やった。俺は、お母ちゃんの気を引こうと思うて、店の残りもんとかを帰りにあげたりして、自分のもんにしたんや。

 足が悪い俺は、本当に人並みの事をしたかったんや。一生、結婚なんかでけへんと思ってたからな。

 この女やったらもしかしたら結婚できる、って思うたんや。

 すぐに妊娠したけど、どうやら俺が酔った勢いで階段から突き落としたみたいなんや。全然、記憶にないんやけどな。ほんま悪い事したと思うて、その時はまだ籍入れてへんかったけど、それを機会に、ちゃんと結婚しようってゆうて、籍を入れたんや。

 貧乏やったからな。

今でも貧乏やけど。結婚式もでけへんし、写真も撮ってへん。それでも俺らは夫婦やった。ほんまは間隔開けたほうがよかったみたいやねんけど、すぐにお前ができてもうた。

 その頃かな……

 また膿が出てきたんや。

 汁が出てきた時に思ったで、またあいつが出てくるって。

 案の定、子供の頃よりは頻繁に出てこんかったけど、何か、俺が困ったときとか、寂しいときにだけ、出てきよった。

 最後に見たんは、お前のお母ちゃんがおらんようになった時や。

 俺が悪かったんやけどな。けんかばっかりの毎日やった。何回も、お前を連れて出て行っては、連れ戻して、出て行っては連れ戻しての繰り返しや。

 何で連れ戻せるかってゆうたら、その膿が教えてくれるんや。お前とお母ちゃんの隠れてる場所を。

 これはお母ちゃんも驚いとった。

 最後にはもう逃げ切れへんと思うたんやろな。しばらく大人しくしてたけど、それは九州へ行くつもりで、こそこそと準備してたみたいなんや。

 それも膿が教えてくれた。

 その時やな。膿がいったいどういうやつなんか教えてくれたんは。

 膿はどうやら俺の兄貴らしいんや。どういうわけでそうなったんかはわからんけど、本当は産まれてくるはずやったけど産まれてくることのでけへんかった兄貴。

 もし産まれてたら俺が産まれてくることのでけへんかったかもしれへん兄貴。

 そうや! 兄貴が俺の悪い足に憑りついてたんや。兄貴が産まれてこられへんで、俺の足が悪くなったんやないらしい。

 俺の足はもうどうしようもない状態らしく、悪い部分にどうやら憑りつきやすいんやとゆうとった。

 それも、いつでも顔を出してくるわけやなく、俺が困ったときにだけ、出てくるんや。

 こんなことも妄想ってゆうてしまえばそれで片が付くけどな。

 俺は妄想やないと思うんや。

 今でも酒を飲んで、いい気持ちになって、この天井を見上げるやろ)

 そうゆうてお父ちゃんは雨漏りの染みが、社会科の教科書でよく見る等高線のようになってる、中の材質は何なんかようわからへんけど、表面は明らかに紙を貼ってるだけの、湿りがちにささくれだった天井を見上げたんや。俺も一緒に見上げる。

(あの天井な! 顔がいっぱい見えるんや。お前にはそう見えへんやろ。俺にはいくつも顔が浮き出てるように見える。あれも、これも、ほんで何かゆうてるけど聞こえへんのや。俺は耳が悪いやろ。これも子供の時からなんやけど、まったく聞こえへんわけやなく、難聴なだけやから、大きな声で喋ってくれたらわかるんや。せやから、いっぱいの顔がぶつぶつゆうてるくらいしかわからんから、心の中で叫ぶんや! 聞こえへんからはっきり大きな声でゆうてくれ、って。

 ほしたら、いっぱいあった顔が一つの大きな顔になって、ぶつぶつの声が大きくなるんや。一人のくせに何人も喋りやがる。

 それは決まって、俺の悪口なんや。

 子供の頃、兄弟達が俺を虐めてた言葉。

 十五で大阪に出てきて、百貨店で働いてた時に、足が悪いから周りから軽蔑されて言われた言葉。

 西成で汚いやつらに罵られた言葉。

 建設会社で犬みたいに扱われて、虐められてる時の言葉。

 今までのそんな罵る言葉が一気に降りかかってくるんや。

 そういう時は自分も、無意識にうんうん唸ってるのがわかるし、これは妄想なんや、幻なんや、ってわかる。

 けどな。

 その膿から出てきた兄貴の顔は妄想やない。それははっきりとわかる!

 何でか理由は言葉では説明できひんけどな。俺にはなんとなくわかるんや。

 困ったときしか出てけえへんのも、俺を思ってくれてるからや。それに、膿が喋るのも俺の膿……兄貴のだけやないで。

 お前の母ちゃんがおらんようになったとき。銭湯に行ってくるっちゅうてそのまま帰ってこんかったんはほんまのことや。

 その時、困ったんよ。

 あいつはお前を連れて行こうとしてたからな。それだけは絶対に嫌やった。

 そん時も教えてくれたんや。

 そん時は俺の膿やなかった。

 お前の左足の甲の火傷。

 そいつが俺にしゃべりかけたんや。ほんでどうしたらええか教えてくれたわ。せやから今、お父ちゃんとお前はここで一緒に暮らせてるんやで)

 そこまで話したらお父ちゃんはもう、何も喋らんようになってもうた。

 酔っ払って寝てもうたんかもしらん。

 その時以外、お父ちゃんの子供の頃の話聞くこともなかったし、ましてや膿の話もすることもなかった。

 結局、足の腫れはいつの間にか治まってた。って言うか、俺が気にせえへんようになったんかもしらへん。お父ちゃんという存在が嫌で嫌でたまらんかった。

 成長していくと、薬を塗らされることもなくなった。

 せやからゆうて、足が治ったわけでもなく、酒を飲まんようになったわけでもない。

 区役所の民生委員の勧めもあって、中学三年の頃には、猫屋敷ってゆわれてた、アパートを出たんや。

 昔勤めてた建設会社で借りとった、文化住宅に引っ越した。大家さんのことも少し知っとったから、区が保証人になってくれるんやったらと、部屋を借りることができたんや。

 同じ部屋やないけど、その並びの二階の部屋やった。六畳と四畳半。今まで住んでた場所に比べたら、断然、綺麗なところで、普通の貧乏人の暮らしができるようになった。

 中学の学区内やったので、転校する必要もなかったし、ちょっと通学は遠くなったけど、ふすまを閉じたらプライベートな空間もできる。

 わからんように新聞配達のアルバイトしてたけど、気づかれてお父ちゃんに給料取られて、酒代に変わったから、おもしろくもなくて、バイトは辞めた。

 中学卒業したら働くもんやと思ってたけど、高校くらい行く入学金や学費は生活保護から出るみたいやった。

 そのためには公立やないとあかんかったから、ほんまはレベル下げても確実なところにするべきやったんやけど、下げた高校は全部遠かったんや。

 俺は近いところがええと思って、自転車で行ける距離の高校を受けたんや。先生は危険やからやめとけってゆうたよ。

 試験のできもあんまりよくなかったけど、たまたま定員割れかなんかで、あっさりと入ることができた。

 区の民生委員はソーシャルワーカーとかゆうて、お父ちゃんを何とか更生させようとしてた。

 俺は、もうそん時はあんましお父ちゃんに興味はなくなってた。

 早く、大人になって、一人で生きたくてどうしようもなかったんや。

 それは、片親で一応それまで育ててくれたお父ちゃんを、捨てる事になるかもしらへんけど、もうどうでもよかったんや。

 お父ちゃんはソーシャルワーカーの勧めで、半ば強制的にアルコール依存症を治す病院へ入れられた。

 まあ、行かんかったら生活保護受けられへんようになるんやろな。入院するしかないわな。

 大阪でも南の光明池っちゅうところにその病院はあった。山の中や。

 結構、遠い場所にあったから、あんまり見舞いには行かれへんかったけど、それは俺にとっては好都合やった。

 お父ちゃんにあんま会わんで住む。

 中学の時も入院したけど、毎日、病院へ行ってたから、それほど自由やと思わんかったし、小学生以下はほったらかしやったけど、自由っちゅうより、子供やったから寂しかった。

 それが高校にもなったら、お父ちゃんがおらんようになった事で、自由を満喫できるようになったんや。

 クラブは入ろうと思ったけど、それより金や、と思うて、バイトを始めた。

 ファミリーレストランの調理の仕事や、今考えると時給は無茶苦茶安かった。五百円くらいや。それでも、俺には充分やった。

 バイトの先輩には大学生や、社会人もおって、悪い遊びをいろいろ教えてくれる。

 麻雀も覚えたし、バイクにも興味を持った。

 お父ちゃんが入院してる光明池っちゅうとこは、運転免許試験センターもあって、とりあえず、原付だけでも取ろうと思ったけど、結局、取らんかった。

 病院は結構、ええ感じやったんや、酒、タバコは絶対でけへんようになってるし、普通の病院とは違って、精神的な教育もしてくれる。隣人との将棋や碁とか、ゲートボールとかのレクリエーションもいっぱいできたみたいや。

 足悪かったけど、それくらいはできるみたいで、お父ちゃんもゲートボールに興味を持ったみたいや。

 健康的に暮らせるし、しばらくここにおったらええ感じになるやろうと思えた。

 俺は俺で、夜更かししようが、遊びに行って友達のところに泊まろうが、誰も文句言えへん。自分で稼いだ金を自分で遣って、自分で買い物行って、自分でご飯作って食べる。そんな自由な暮らしは最高やったよ。

 高校生やったからかもしらへんけどな。

 けど、それも一年の終わりくらいまでかな。

 どういうシステムかはわからへんけど、お父ちゃんが帰ってくることになった。完治したってことなんかな。

 せやけど、帰ってきてものの一ヵ月もたたんうちに、酒を飲むようになった。タバコも吸うし、痰も吐くし、足も悪い。

 結局、何にも変われへんまま、暇やから生活保護の金でパチンコに行く。金が無くなったら、俺のバイトの金をせびる。

 もう、あかん。

 そう思うたね。その頃は身体も大きくなって、喧嘩したら俺のほうが力強かった。お父ちゃんに親子の愛情も何もない。

 いつも喧嘩ばかりして、冷たい、ただの同居人やった。

 もう、家を出て行くっちゅうたら、何度も向こうから謝ってきた。よほど、俺に出て行かれたくないんやろ、一人ぼっちになってしまうからな。

(ほんなら酒やめえや)

 ってゆうたら、しばらくはやめる。けど、隠れて飲むんや。朝早くに出て行って、向かいの大きな道路を渡ったら、行きつけの酒屋がある。

 そこの自動販売機で、ポケットウィスキーやワンカップを買うんや。

 飲んで、瓶は家に持って込んで処分する。けど、臭いとか態度でわかるわな。酒飲んでることくらい。

 高校二年の冬のことやった。

 十一月くらいかな。

 もう、家出たくてどうしようもなかった時、夜寝てたら、急に左足の甲が痛くなって、起き上がって布団から出て、爪を切るときみたいな格好になってみたんや。

 目玉焼きのような火傷の痕にうっすらと顔みたいなんが浮かんでた。

 俺は驚いたよ。それをしばらく見つめてて、お父ちゃんの足に薬を塗ってた時に聞いた言葉を思い出した。

(お前の左足の甲の火傷。

 そいつが俺にしゃべりかけたんや。ほんでどうしたらええか教えてくれたわ。せやから今、お父ちゃんとお前はここで一緒に暮らせてるんやで)

 その時はなんとも思わんかったけど、そういえば西成におるとき、何か友達見たいなんがおったような気がしてた。

 それは姿も形も思い出されへんし、名前もわからんかった。男か女かもわからへん。

 なのに、いつも一緒におるような気がしてた。

 一人ぼっちにされてるとき、よく話してくれたような気がする。

 いろんな事も教えてくれた。

 たまに外に出されて、新世界や動物園に遊びに行ったとき、お父ちゃんからはぐれて道がわからんようになったときも、何でかうまく帰れた。

 しかも、お父ちゃんの場所やなくて、西成のドヤまで、勝手に帰ってた。

 お父ちゃんは怒るより、俺のことを天才やと思ってたみたいや。

 けど、今考えたらそれは、いつもその友達が教えてくれてたんや。

 その友達は横にもおらんし、上にもおらん。

 そうや、そん時に初めて気づいた。

 こうやって、爪を切るような格好で、いつも足の甲に喋りかけてたんや。何を喋ったかは忘れたけど、この格好で会話をしてた記憶が甦ってきた。

 ってことはこの火傷は俺の兄弟?

 兄ちゃんか姉ちゃんかはわからんけど、俺が生まれる前、お父ちゃんがお母ちゃんを階段から突き落として流産させたって聞いた。

 足の甲の痛みは、少し落ち着いてきて、そいつは口を開いた。

 ふすまを隔てた向こうにはお父ちゃんが寝てる。その向こうには窓があって、窓の外は大きな国道や。南に行ったら長居公園や大和川があって、松原市に行く。

 俺のいる側の部屋にも窓があるけど、その向こうは住宅街の屋根しかない。まだまだ平屋の多い時代やった。

 お父ちゃんの部屋側からは、車の走る音が聞こえてた。たまに暴走族が通ったら無茶苦茶うるさかった。

 襖閉めてても関係あらへん。

 その時は夜中やったけど、時折、トラックのような爆音が通り過ぎとった。

 火傷のゆうた事は今でもはっきりと覚えてる。

(お父ちゃんなんか殺してしまえ。そしたらお前は自由や)

 警察に捕まったら自由もくそもないやん。言葉を出したんか心の中でゆうたんかようわからんかった。そしたら、(直接、手を下さんかったらええんや)

 そう言って、にやって笑ったように見えた。

 その後は何も話さんかったような気がする。いつの間にか寝てたんや。

 記憶はその一瞬、喋ったことと、夜明け過ぎのぼんやりと明るくなった頃、耳をつんざく車の急ブレーキの音に繋がってた。

 急ブレーキと何かにぶつかる音。

(交通事故や)って思って起きた。

 しかも音の大きさからゆうて、家のすぐ前の横断歩道くらいや。悲惨な状態を見るのも嫌やったから、ゆっくりとしとった。

 ざわめきも聞こえた。

 見てみようかな。

 そう思って立って襖を開けたんや。寝てるはずのお父ちゃんはおらんかった。

 見に行ったんかな?そう思って、部屋を横切って台所の窓に近づいた。

 窓を開けたら冷たい風が入ってきて、横断歩道の所には人だかり。

 車が斜めになってて、自転車が倒れてた。よっぽど時間が早いのか、他に車は走ってなかった。

 その自転車に見覚えがある……

 人だかりが車と自転車を囲んでてどうなってるんか、うまく見えへんかった。

 その中の一人によくしてくれる近所のおっちゃんがおった。

 おっちゃんは窓からぼーっと見てる俺に気づいて叫んだよ。

(おい! お前の父ちゃんや! 父ちゃんが轢かれたぞ!)

 人だかりの視線がこっちに集中した。

 俺は慌てて、階段を下りて、駆け寄る。

(死んでたらええのに)

 何でか、心の中ではそう思ってた。

 近づいていったら、頭から血を流して倒れてるお父ちゃんがおった。

 運転してた気弱そうなおっちゃんは必死に(赤信号で飛び出して来たんや)って言い訳してた。

 それもありうると俺は思ってた。

 多分、酒を買いに出たんやろ。大阪の人間には信号なんてあってないもんや。車が止まってくれると思うとる。

 誰かが持ってきた毛布にお父ちゃんは包まってた。

 まだ死んではなかったろうけど、俺には汚らしい物体に見えてしまった。触ることもでけへんまま、いつの間にか救急車が来て、お父ちゃんも俺も乗せられてた。

 救急車に乗りながら、俺は心の中で言葉を噛み締めてた。

(お父ちゃんなんか殺してしまえ。そしたらお前は自由や)

 一方で冷静に現実を直視する自分がおった。

 これからどうなるんやろ。いっそのこと死んだらええのに。

 そしてまた。

(お父ちゃんなんか殺してしまえ。そしたらお前は自由や)

 言葉が響いた。

(お父ちゃんなんか殺してしまえ。そしたらお前は自由や)

 大きな病院にたどり着くまで、俺の頭の中でぐるぐる言葉が回ってた。

結局、頭から血は流してたけど、命に別状はなかったみたいや。警察の判断も、何でかしらんけど、赤信号やの横断歩道を渡ってきたという見解になった。周りはもしかしたらお金ほしくてぶつかってきたんやないかという意見もあった。

せやけど、死んでしもうたらどうしようもない。

 死んだら、お金はもらえたかもしらんけど、生き延びてしまったから、どこからか出てきた入院費だけですんだ。

 介護の人をつけるわけにもいかず、冬休み中はよかったけど、毎日、看病のために病院へ通ってた。

 仕方なく学校を休んでたけど、二週間くらい休んでたら、もう友達にも会うのがわずらわしくなって、学校に行きたくなくなったんや。

 病院に行ったら、糞尿の世話もせんとあかん。

 吐きそうになるのをこらえながらがんばってたけど、たいして好きでもないお父ちゃんのために、なんでここまでせんとあかんのやろうって思ってた。

 ずっと傍にいるふりをして、病院の近所のゲームセンターとか本屋とかで遊んでた。気が付いたら、勉強とかするのが面倒くさくなって、本当は学校にも行けたんやけど、お父ちゃんの看病を理由に行かんようになった。

 お父ちゃんは最初こそ動かれへんから大人しかったけど、だんだん回復して動けるようになったら、やっぱり酒を求めてきた。

 この時は俺ももう、甘いことはせえへんかった。絶対持ってけえへんかった。

 どうやら病院にいるより、早く家に帰りたいらしく、退院させろ退院させろってうるさくなった。

 どう考えても後、二ヶ月はおらんとあかんて言われてても、家に帰りたいって暴れてた。精神状態がちょっとおかしくなってたんやろな。病院でも持て余してたみたいや。

 ある日の夜、寝てたら下の戸をどんどんと叩く音がした。

 もちろん鍵を掛けて寝てたから、普通には入られへん。叫び声も聞こえた。最初は幻かもしらんと思ったけど、間違いなくお父ちゃんの声やった。

 俺は行きたくなくて恐怖に震えとった。

 布団の中に潜り込んで、このまま戸さえ開けへんかったら、消える。

 お化けかもって思ってた。

 やり過ごせば消えてしまうお化け。

 お父ちゃんのことをそんな風に思ってた。

 そんなこと考えてても、それは現実のことやから、相変わらずどんどん戸を叩くし、叫んでわめいてる。

 そもそもどうやって帰ってきたんやろ。

 怖かったけど近所迷惑にもなるから、諦めて下りていった。

 そこには騒ぎを聞きつけて、すぐに隣のおっちゃんが来てくれた。

 お父ちゃんは裸足で、病院のパジャマを着たままやった。精神病院から逃げ出してきたみたいな姿やった。気が狂ってしまってるようにも見えた。

 家へ入れろって叫んでたけど、隣の事情をよう知ってるおっちゃんがなだめてくれた。

 どうやら病院を抜け出してタクシーで帰ってきたようや。おかしくなってしまっても住所だけは言えたらしい。

 タクシー代を払って、タクシーには帰ってもらい、後は隣のおっちゃんに任せた。俺は怖くて何にもでけへんかった。映画でいつか見た、シャイニングみたいやった。

 隣のおっちゃんも個人タクシーを営んでたので、そこは近所のよしみで、お父ちゃんを病院まで送り返してくれた。

 俺は怖かったから、ついて行かんかった。あとは大人がやってくれる。厄介払いした気分やった。

 その次の日か二、三日後か忘れたけど、夜中に寝てたら急に身体が動かんようになった。

 この時に初めて金縛りにあった。

 左足の甲がちょっと疼いたけど、そこを見ることもでけへんし、しゃべることもでけへん。

 ただ、閉じたいのに瞼が開いてしまって、天井がぐるぐる回ってるのが見えた。お父ちゃんの昔の話やないし、染みもなかったけど、天井に無数の顔があって、何かしゃべってるみたいやった。

 金縛りは、だんだん強くなって、身体を動かそうにも動かされへんかった。それよりも耳の内側がうわんうわん鳴り響く。シンバルを強く叩いてその余韻の音が、ずっと続いてるようやった。余韻の音は小さくなるわけではなく、だんだん大きくなっていっとった。これ以上、大きくなったらどうなるんやろ。これ以上、金縛りが続いたらどうなるんやろ。明らかに何かとてつもなくおぞましい物が出てくる雰囲気やった。それが何かはわからん。多分、お化けが出てくるんやろ。その前に金縛りを解かなあかんと思うけど、身体に力が入らへん。

 大人になって仕事するようになってから、金縛りは何回もあうようになったけど、とき方とかはだんだんこつを覚えるようになって、何とも思わへんようになったけど、その時の金縛りは生まれて始めてやったから、全然、解くことがでけへんかった。

 力を入れてもどうにもならんっちゅうより、力が全然入らへんかった。

 耳鳴りみたいなおぞましい音はどんどん大きくなっていった。

 耳を塞ぎたかったけど、その手も動かへん。どこに自分の手があるんか、感覚もあらへんかった。

 とりあえずその状態から逃げ出したかった、目を瞑るだけでもしたかったけど、なかなか目が瞑られへん。

 ほっといたら何か怖いもんが出てくる。その恐怖が俺を襲っっとった。

 金縛りは解けへんかったけど、目はやっと瞑れた。

 それでも相変わらず耳鳴りは大きくなってきてる。言葉にしたら長い時間みたいやけど、もしかしたらほんの一瞬の出来事やったんかもしらへん。

 目を瞑って、耳鳴りの音響が最高に達した瞬間、俺の目の中にトラックが突っ込んできた。

 建設現場をよく見てた子供の頃、よく横に乗せてもらった四tトラックやった。

 頭の中か瞼の裏かようわからへんかったけど、襖を突き破ってトラックだ突っ込んできたんや。

 夢か妄想か!

 一瞬のことやから何も考える暇あらへんかった。

 その瞬間、金縛りも解けて、ばっと起き上がり、汗だくの額からしょっぱい水が滴り落ちて、俺は、はあはあ息をきらしとった。

 夢なんか幻なんかわからへんかったけど、とりあえず金縛りも消えたし、トラックに轢かれてもなかった。

 ほっとした瞬間、自分の今、寝てた布団の横を見たら、お父ちゃんが寝とった。

 おそるおそる触ってみたら、肉の感触がした。

 後にも先にも気を失ったんは、そん時が初めてや。今度は耳鳴りやなく、誰かの叫び声が聞こえて、俺は次の朝を迎えとった。

 起きたら当然、お父ちゃんなんか寝てへんかった。

 俺はぞくぞくと百足が這い上がってくるような背中の感触を覚えて、あれが生霊っちゅうもんなんか……と思ってた。

 お父ちゃんの家に帰りたい執念か、俺に対する執着心か……。

 次の日病院に行ったら、お父ちゃんは平気な顔で、(昨日、家に帰ったんやで)ってゆう。無茶苦茶、怖かった。

 俺はこのままじゃ一生、お父ちゃんの執着心にしばられて生きんとあかんと思って、なんとか逃げ出そうと思った。

 気が付いたらいつの間にか留年してて、もう、ほんまに学校に行く気がなくなった。

 それより何か小説が書きたくなって、思いついたアイディアを小説にしたくて、学校行ってるふりをして近所の図書館で原稿用紙に向かってた。

 図書館にでは広辞苑とか広げて、わざと難しく遠まわしの言葉を探しとった。

 お父ちゃんも少しはまともになって病院から帰ってきた。

 前よりまして、冷たい同居人の関係になってしもうた。

 朝出て、夕方には帰ってくる。お父ちゃんは学校に行ってると思ってたけど、俺は毎日図書館に行ってた。

 小説書きながらこれからどうしようか、どうやってお父ちゃんから離れて一人で生きていけるか考えてた。

 高校もやめた。担任の先生もクールに送り出してくれて、全然止めへんかった。学校に来ん生徒は最大の問題児なんやろ。やめてくれて有難いような態度やった。

 もう夏になってた。

 大阪の夏は無茶苦茶暑かった。

 金を貯めて大阪を出ようと思ったけど、ことごとくおいしい話のバイトに騙されて、全然貯まらんかった。

 図書館通いしてて、書くのに疲れたら本を読んどった。

 ちょうどその頃、北海道に関する本にはまってもうて、大阪の夏は暑いし、北海道に行こうと思うた。

 難波っちゅうところに高島屋があって、そこのレストランで働いた。時給は高かったけど、そんな騙しや、きつい仕事でもなく、一ヵ月でなんとか十万貯めて、あてもなく、北海道行きの切符を買ったんや。

 その頃はまだ昭和やった。大阪から直接北海道に行く列車はあらへんで、朝、大阪を出て、夜青森について、夜中に函館で乗り換えるような行程やった。

 切符買うて、家を出るってゆうたんは、前日の夜やった。

 ボストンバッグ一つに着替えとか入れて、なんもかんも置きっぱなしで家出するつもりやった。

 家出っちゅうのはおかしいわな。

 お父ちゃんにちゃんとゆうてんねんもん。

 最初は怒ったけど、何をゆうても聞かへんと思ったんか、最後は(勝手にせえ!)ってゆうて、ふてくされて寝てしもうた。

 俺は新しい生活ができると思ってわくわくしとった。あてがないから何がおこるかわからへんけど。なんとなく、日高のほうに行って、牧場を一件ずつ回れば仕事もあるやろうと楽観的な考えやった。

 九時に大阪駅出んとあかんから、早朝に出発した。

 お父ちゃんは相変わらずふてくされて寝とった。

(ほんなら、行くからな)

(おう!)

 寝たふりしてるんかわからんかったけど、ずっと背中を向けて転がってた。

 それが最後の親子の会話やったし、姿を見たのも最後やった。

 忘れもせん、昭和六十三年の九月五日のことやった。

それからの俺は十七歳で必死に生きとった。

 馬の牧場で働くことができたけど、長くは続かんかった。十月で北海道の山ん中は雪が降ってくることにも驚いたけど、給料が九万しかもらえんで、休みが月二回やった。仕事は朝三時からで、夕方には終わるけど、夜の八時になったら馬に餌をやりにいかんとあかん。きつくてきつくて挫折してもうた。

 それからホテルマンの仕事を選んで、いろいろ出会いがあって、東京に行った。

 もうその頃は平成になってもうて、バブルっちゅうもんも弾けてたけど、なかなかええ給料もらえて、暇があったらよう競馬しとった。酒も覚えたしパチンコもするようになった。タバコだけは体質的にあわへんのか、今でも口にすることあらへんけどな。

 恋愛もしたし、悪い遊びも覚えたし、我慢し続けてた学生時代とはえらい違いやった。

 一人やから何でもできる。

 住民票なんか移してへんかった。そもそも住民票ってようわからんかったからな。

 せやのに、半年間で三回くらい住まい変えてたのに、大阪の役所には居所を見つけられてもうた。

 電話だけやったけどな、民生委員の男の人から非難するような口調でゆわれてもうた。

 俺が出て行ったあと、しばらくは普通にお父ちゃんは暮らしてたらしい。月何回かわからんけど、訪問に来るからな。

 そん時に俺が出て行った事聞いて驚いたらしい。

 お父ちゃんも連れ戻してほしいとかは言わんかったみたいやけど、精神的にだんだん参ってしもうたみたいや。

 多分、訪問するんは月一回か二ヶ月に一回くらいなんやろな。

 でなかったら異常に気づかんわけないからな。

 近所の人の通報やったみたいや。

 いつも自転車で外に出て買いもんとかするのに、だんだん出んようになったらしい。姿を見ることもなくなって、その代わり、朝も夜も関係なく、部屋から奇妙な怒鳴り声や奇声が聞こえるようになった。

 壁を叩く音や、俺の名前を呼ぶ声。

 近所の人も怖くなったんやろな。

 警察とかやなく、大家さんにゆうたみたいや。

 お父ちゃんの後見人みたいなんは区役所の民生委員や。すぐに連絡されて、大家さんの立会いのもと、民生委員のひとが部屋に入っていったんや。

 電話できいただけでもおぞましかった。

 そこには気が狂ってしもうてどうしようもなくなってたお父ちゃんがおったんや。

 古い建物やったから、土壁みたいな壁なんやけど、至る所を掻き毟ったんか、血のような跡と一緒に傷だらけになっとったらしい。

 台所も年中出しっぱなしのこたつの上も無茶苦茶に散乱してて、何よりも異様やったんが、その臭いやったらしい。

 もう、いつからそうなってたんかわからんかったみたいやけど、糞尿は完全に垂れ流してたようや。

 トイレは使わんと、もちろん洗濯もせえへんしパンツも履き替えへん。何を食うて生きてたんかわからんけど、ゲロとか痰とかが膿のように畳の上に広がってたらしい。

 土壁を掻き毟った手はぼろぼろ。

 目はうつろで焦点もあってなかったらしく、一目で狂人やとわかる姿やったようや。血と汚物まみれの部屋はほんまに地獄のようやったみたいや。幸いやったんは冬やったから、まだ臭いはましやたみたいやけど、わけのわからん虫にたかられて、お父ちゃんは大家さんや民生委員を最初に見たとき、すかさず俺の名前を呼んだらしい。

 俺はその話を聞いて、すぐに思い出したんは猫婆さんの孤独死やった。

 猫婆さんもこんな感じやったんやろか? けど、その時点ではお父ちゃんは死なんかった。

 すぐにお父ちゃんは精神病院に入れられたらしく、民生委員のゆうには、息子の俺が帰って来んと精神状態は治らんやろうから、帰ってきてほしいってゆうてきた。

 俺は帰るとか帰らんとかより、その話に恐怖を感じて震えとった。

 帰りたくないって思ってた。

 そんな状態のお父ちゃんに会って、どうせえっちゅうねん。どうやって暮らしていくねん。今、こんなに自由に生きてるのに、また縛られて生きる恐怖を味わわんといかんのか。

 俺はどういう理屈をこねたのか忘れたけど、その時は帰らへんかった。

 何かあったらとその人の電話番号を聞いて、数ヶ月がたった。

 高校中退っていう自分の学歴をなんとかしようと思って大検を受けようと思ったら、住民票か戸籍謄本か忘れたけど、そんな書類が必要やった。

 どの面下げて、民生委員にまた電話かけれたんかって感じやけど、もう自己中心的やったから、平気で電話できた。

 散々罵られて、民生委員からは(じゃあ、戸籍も抜いて、親子の縁も切りましょう、いろんなもん送るから、連絡もこれで最後にすればいいわ)って言われた。今考えたら赤の他人になんでそんなことゆわれんとあかんのやって感じやけど、そん時は自分にとっては好都合やった。

 もう、二度とお父ちゃんに縛られんですむ。そう思うと嬉しかったんや。

 それくらい、もう、親子の絆とか愛情とかわからんかったし、微塵もなかったんや。

 しばらくしてから、仕事が忙しくなってそんなことも忘れるようになった。その頃に富山に夏のシーズン仕事でくるようになって、彼女ができたんや。

 そこでの仕事はその年の夏と翌年の夏限定やった。夏っちゅうても働くんは五月から十月くらいまでで結構長かった。

 最初の年に富山に行って、東京に帰ったら寮に役所から手紙が来てた。帰ったんが十月で、手紙が来たんが七月くらいやった。結局、読むまでに三ヶ月の差があったんやけど、内容はお父ちゃんが食道がんの手術をするから帰ってきてくれという手紙やった。

 いつからがんやったんかわからんかったけど、どう考えても三ヶ月経ってたら、手術も終わってるし、結果も出てる。死んでるかもわからん。

 そんなわずらわしいことに関わりあいたくなかったから結局、無視しとった。

 翌年も富山に行って、もう仕事では富山に来られへんようになるとわかって、俺は彼女のために仕事を変わって、富山に住むようになった。

 二十代前半やったから、楽しいこともいっぱいあったし、友達ともよう遊んだ。

 彼女とは結構長く付き合ってたけど、あっさりと終わってしもうた。その次には結婚してる女を好きになってしもうた。

 いろんな事があって、毎日、楽しかったり悲しいこともあったけど、生きてるってことは感じとった。

 そう思いながらも、お父ちゃんに縛られる恐怖は時々襲ってきとった。時々みる夢は、実は今の生活が夢やって、実は高校生の自分が見てる妄想が今やってことやった。

 夢から覚めたら結局何一つ変わらん生活を送ってた恐怖。

 俺はお父ちゃんの呪縛からは一生逃れられへんのかって思うてた。

 四、五年、そういう生活やった。

 ある時、風邪がなかなか治らんで、舌に口内炎みたいなもんができて痛くてたまらんとき、嫌やったけど病院に行ったんや。

 その時にいろいろ調べられて、鼻から痰がよく流れてこんか、って聞かれた。そう言えば子供の時から、痰はよく口の中にあった。お父ちゃんは吐いてたけど、俺は恥ずかしかったから飲み込んどった。それが当たり前になって、今でも飲み込んどる。

 親もよく、痰が出てなかったか聞かれた。

 確かにお父ちゃんが痰を吐きっぱなしやったことを伝えた。

 どうやら、俺は慢性副鼻腔炎とかゆう病気らしい。

難治性の病気らしく、痰が逆流したり、口内炎ができやすかったり、風邪を引いたら長引いたりするらしく、遺伝もあるらしかった。

ほんまに今でも風邪引きやすいし、長引いてしまう。

お父ちゃんもそうやった。

 結局そん時は遺伝という事実を拒否して、なお

 二十六くらいの時、女関係も結構無茶苦茶やった時やけど、九州の弁護士から手紙が来たんや。内容はおじいさんの遺産相続に関するもんやった。

 おじいさんはずいぶん前に死んでるけど、その人が持ってた山とかがほったらかしになってたらしい。それを長兄のもんにするには遺産相続の権利がある者、全員の印鑑がいるようやった。

 その弁護士さんは依頼を受けて、権利のあるお父ちゃんとお父ちゃんの妹を探したらしい。妹も見つかって、快く印鑑を押してくれたらしいけど、お父ちゃんはもう既に死んでるってことがわかって、俺のところに書類が廻ってきたらしい。

 丁寧に家系図もついとった。

 家系図にはお父ちゃんの名前があって、死亡日まで書いてあった。

 それは食道がんの手術から一ヶ月後くらいやった。結局、手の施しようがなかったのか、生きる気力もなかったんか、いつから進行してたんかわからんけど、俺がお父ちゃんの死を確実に知ったんは、死んでから六年後のやった。

 そん時もべつにこれといって何とも思ってへんかった。

 それよりもその時、進行してた大恋愛のほうが重要やった。いくつかの出会いがあって、別れがあって、どこでどう思ったんか、その年は、女をいっぱいひっかけて、騙してやろうと思ってたんや。

 一ケ月に一人が目標やった。

 一月から数えて、二月にママと出会ったんや。

 そん時は彼氏がいたみたいやったけど、遠距離らしく、悩みを聞いてるうちに自然に遊ぶようになった。一回、やってしまったら、今度は次の女に走ったけど、ママだけは、ずっと騙されとった。

 出会った時は、かなり寂しかったようや。

 結婚を約束しとった彼氏の子を妊娠したらしかったけど、名古屋かどっかで働いてた彼氏は、富山には戻りたくなかったらしい。

 人一倍結婚願望の強かったママは不安になって、話し合ってるうちに流産したらしい。

 そん時はまだ彼氏とは別れることはなかったけど、遠距離恋愛で寂しいとき、女を騙そうとしてる俺と出会って、コロっといってもうたんや。

 俺は遊びのつもりやったし、他にも付きおうてる女おったから、彼氏とは別れんでええってゆうたのに、いつの間にか彼氏と別れて、俺の彼女になってもうた。

 二月に出会って、その後も順調に女を騙してた俺に、六月のことやった。

 ママから妊娠してることを聞いたんは。

 びっくりしたけど、そん時、呟いた言葉が悪かった。

(子供の名前どうしよ)

 ママは結婚できると喜んだ。俺は両親ともまだ会ってなかったし、別に好きな女もおったし、それなりに借金もあったし……

 こんなんで結婚なんかしてええんかなって思ったけど、なしくずしにその年の八月には籍を入れとった。

 その間も、かつき……お腹の中におるお前を何度も俺は心の中で殺しとった。自分では何もでけへん。ママが車で撥ねられへんか、階段から落ちてくれへんか。

 ほしたら流産して、結婚話もなくなるのにって思ってた。

 時々、高校の頃に火傷の顔が俺にゆうた言葉が耳に響いたんや。 

(お父ちゃんなんか殺してしまえ。そしたらお前は自由や)

 それが子供なんて殺してしまえ、に変わってた。(直接、手を下さんかったらええんや)っていう言葉も重なってた。

(子供なんか殺してしまえ。そしたらお前は自由や)

(子供なんか殺してしまえ。そしたらお前は自由や)

自由になることもなく、順調にお前は育って、翌年の三月に産まれた。

 俺はその頃は新しいオープンのホテルに転職したばかりで、付きおうとる女もおった。不倫やな。

 こいつと結婚したいと思ってたんや。

 ママと暮らしてても、お父ちゃんに縛られてた時とあんまり変わらへん。ついこの前まで自由やったのにまた、自由が無くなってもうた。

 そう思ったら、結婚してることが無茶苦茶わずらわしくなって、産まれてきたお前を育てることもあんまり、せえへんと、仕事が忙しいと嘘をついては愛人のところに泊まってた。

 ママとは一瞬熱くなって結婚したけど、暮らしてくうちに性格が全然合えへんことに気づくようになった。

 ママの求めてるもんと俺の与えるもんが全然違ってたんやな。

 そん時の好きやった女には、絶対に離婚して一緒になるから待っててえやってゆうとった。せやけど、自分からは離婚してくれとは言われへんかった。

 離婚っちゅうもんがどうゆうもんかはわからへんかった。かつきとも離れ離れになってしまうんやけど、とにもかくにも俺は自由が欲しくて、ママと別れたくて、彼女と結婚したかったんや。

 せやから、なるべくママから離婚したいと思ってくれるような態度をとってたんや。

 家の事もなんもせえへん。この家はパパの家やないからな。死んでしまったママのお父さん、かつきのおじいちゃんが建てた家や。

 俺とママが出会う前に、もうそういう状態で、この家にはママとバーバとママの妹のみどりしか住んでへんかった。

 そこに身寄りのない俺が転がり込んできたんやな。

 一応、家の主やねんけど、全然、そんな気にはなれへんかった。近所付き合いもないし、回覧板も、日曜の草むしりも、自治会の会合も何にもせえへんかった。

 近所には幻のだんなさんって言われてるようやった。

 結局、仕事が忙しいてゆう理由で三日に一回は会社に泊まるってゆうて、愛人のところに泊まってたし、たまに早く仕事が終わって、誰とも会わへんときもまっすぐ家に帰らへんと、ゲームセンターとか本屋で時間を潰して、夜中に帰ったりしてたんや。

 帰ったら、疲れたってゆうてすぐ寝るやろ。

 ほんだら、ママは最初は寂しそうやったけど、だんだん怒るようになってきたな。二人目の子供早く欲しかったみたいやけど、もう、かつきが産まれてから俺はほとんどママの身体には触らへんかった。

 もう、本当に、ただの同居人になってしもうた。顔を合わすのも嫌やった。

 まるで、あん時の俺とお父ちゃんみたいな関係やった。

 かつきの世話も全然せえへんかった。ほんまにごめんな。

 まだ、引き返せそうな時、俺は、好きやった彼女に振られてもうた。

 最初は、もう別れるの待たれへんとか、奥さんに悪いからってゆう理由やったから、俺は必死で止めたし、そんなに我慢でけへんのやったら、慰謝料覚悟でママに別れるってゆうつもりやった。

 少しもめたあと、結局、ほんまの理由が分かった。どうやら他に好きな男ができたみたいやった。

 俺も彼女もその人も同じ職場に勤めとったから、俺は居たたまれんようになってしもうて、会社を辞めようって決心したんや。

 もう、しばらく一人になりたかった。

 なんもかんも忘れて、一人で暮らしたかったんや。

 東京に行ったら、少しは当てがあったから、あとはママにどうゆう風に説明するかやった。去年の五月の話やな。

 会社を辞めたいてゆうた時、最初はママは不安がってたし、怒ったけど、色んな理由をこねくり回して説得したら、しぶしぶ納得してくれよった。

 これは無理かなって思うて、しばらく東京に行きたいってゆうたら、それは意外とあっさりOKしてくれた。

 お金さえ入れてくれたらどこに行ってもええような感じやった。

 その代わり、かつきの三月の誕生日までには帰ってきて、富山で再就職する約束で東京に行った。

 ちょうどその時分は、東京で大きなホテルがオープンする時で、昔、お世話になった先輩が勤めてたから、それを手伝いに行ったんや。

 最初の頃は、一人寮暮らしで、若い時を思い出すくらい自由を満喫しとった。一方では失恋を早く忘れたいってゆう気分もあったしな。がむしゃらに働いて、休みの日は競馬やパチンコをしとった。

 ママにお金預けてるから、そんなに使えるお金はなかったけど、それなりに遊んどった。

 秋に、一回、ママとかつきで遊びに来たよな。あんときはディズニーランドに行ったんやったっけ。

 そん時に俺はやっと、家族とゆうもんがどんなに大切か、ママの愛情、かつきへの愛情をどんだけ、ないがしろにしてきたか、ほんまに反省したんや。

 まだ、戻れるから、今からでも、家族のために働いて、家族を養って、幸せにしてやろう。かつきに弟か妹も早く作って、家族を増やして、明るく生きていきたいて思うたんや。

 母親の愛情を知らんで、父親とはけんか別れしたことが、俺の家族とうまく付き合われへん理由にしとったけど、そんなんただの自己中やと気付いたんや。

 東京なんか、もう、ええわ。

 富山に帰ってがんばろう、って思うたんや。

 そん時から富山での再就職の準備に入って、予定通り三月に帰ってきた時には、すぐに働ける状態を作っとく必要があったから、色んなつてを使って富山で働けるようにがんばった。

 年末にはもう決まってて、二月いっぱいまでは東京のチェーンホテルで研修してから、富山に帰るっちゅう理想的な状況も作れた。

 それまでの先輩を手伝っとったホテルは年末で辞めたから、今年の正月はいったん帰って来れたんや。

 正月はかつきと一緒に過ごせて楽しかったな。なあ、かつき」

 ぼくはこたつにもぐりこんで、パパのおなかにかおをふせながら、パパのおはなしをきいていた。

「なんや、かつき寝てるんか?そうやな、最後は怖い話やなくなったもんな。面白くなくなったんかな。ほんなら、お話するのもう止めよか」

「おきてるよ、ぱぱ」

 ぼくはこたつからかおをだしてパパのむねのところぐらいまでいって、パパのかおをみたんだ。

 こわいおはなししてるときは、きっと、えほんでみたオニみたいなかおをしてるとおもってたのに、パパのかおはふつうのかおだった。

「パパ、おはなしして」

「なんや、もう怖い話やなくなったのにな」

「いいよ、パパ、さいごまでおはなしして」

 パパのおはなしはむずかしすぎてぜんぜんわからなかったけど、こわいということだけはわかったんだ。そのこわいおはなしがすごくおもしろかったし、パパがぼくにこんなにおはなしをしてくれるのがうれしかったんだ。

 それに、このあともっと、こわいおはなしになるようなきがして、わくわくしてた。

「子供にゆう話やなかったんやけどな。難しい話ばっかりやから」

「いいよ、パパ。パパのおはなし、だいすき」

「そうか……パパもママにも誰にもゆうたことのない自分の過去の話を話せて、楽になったよ」

「よかったね、パパ」

 ぼくはまたあしがいたくなったので、こたつのなかのじぶんのあしをさわりました。こっちはひだりだったかな、みぎだったかな。なんどもママにおしえてもらったんだけどすぐにわすれてしまうや……ひだりだ。おちゃわんもつほうだから。

 あしにはこのまえまではホータイっていうのをまいてたけど、いまはおおきなばんそうこうをはってる。

 こたつがあついから、なんか、もよもよってしてて、ちょっとはがれそうだ。

「なあ、かつき」

「どうしたの、パパ?」

「ママ、パパのこと嫌いなんかな」

「そんなことないよ、ママはパパのことすきだよ、きっと」

「ママは、ほかに好きな人おるんとちゃうか?」

「わからないけど、パパのことすきだよ。ママもかつきも」

「正月に帰った時な。なんか、ママの態度が変やったんや。あの時、三日泊まったやろ。久しぶりにママの身体に触れて、抱いたんやけど、拒否されたんや。

 それまでは何度となくママのほうから求めてきて、俺が拒否してたんやからその仕返して思えるんやけど、何かもう、東京に行く前よりも、他人のようになって、空々しくなっとった。

 ほんで、俺は見てもうたんや。

 なんとなく気になったんやな、貯金通帳とかしまってある小さな引き出しに、ママの日記みたいな、スケジュールみたいな手帳が入っとる。

 かつきが産まれた当時は、かつきの成長みたいなもんを記録してたみたいやった。元、保母やからそういうのは得意なんやな。

 最初は、ページいっぱい使って、文章を書いてたけど、かつきが成長してから、一言コメントみたいになったみたいで、よくあるカレンダー式のスケジュールのマスに、絵とか、誕生日とか、友達との予定とか書いとった。

 後にも先にも人のプライバシーを覗き見するんは、それが最初やった。

 十一月までは、別になんてことのない普通やった。

 十二月になってから、奇妙なマークと言葉に気づいたんや。

 マスは三センチ位の正方形や、十二月二日の部分に猿みたいな顔の絵が大きく書いてあったんや。

 なんやろ、これは……って思うた。

 次の週からは、マスの左下隅に小さな猿のマークがあったんや。

 そしてコメント(映画を見に行く)

 次の週には(ご飯を食べに行く)クリスマスイブには(ひっそりパーティー)

 俺が帰ってくる少し前には(抱きしめる)

 そこまで見て、俺はなんとなくわかった。誰か男がおるってな。俺はそんなことが起きるなんて考えもせえへんかった。

 自分はさんざん浮気しといて、ママは絶対にせえへんなんて、ほんまにアホやった。結局、ショックを受けていったん東京に戻った。

 少し悩んだけど、もしかしたらなんか勘違いかもしらへんと思って、とりあえず富山に帰るまでがんばって働こうって思って働いたよ。

 二月に入って、ママに今後の仕事のスケジュールとか、帰ったらがんばって幸せにするからとか、電話でゆうてたら、ママからものすごいショックな言葉を聞いたんや。

(もう、帰ってこなくていいから)

 ってゆわれた。

 なんでやねん!

 男か!

 思わず口に出て、怒ってしもうた。

 ママは今までの俺の悪行とかをずらずら並べて、もう、離婚したいってゆうたんや。

 俺が、結婚してから東京に行くまでに思ってた通りになってもうた。

 せやけど、その引き金は、手帳に書いてた猿マークの男やってゆうことは間違いあらへんかった。

 俺は何回も電話で問いただしたけど、そのことは一言も喋らへんかった。俺も手帳を見たことは最後の切り札に取っておこうと思うて、手帳のことはゆわへんかったから、決定的な話にはならへんかった。

(離婚して欲しい)

(嫌や、離婚したくない)

 その繰り返しの数週間やった。

(それでも家に帰るよ。仕事もあるし)

(そんな勝手なことばかり言わないで!家には入れません)

 何か、醜い話に展開してしもうた。確かに、家のことなんか何もせえへんかったし、今さら、自分の家やっちゅうても、説得力ないわな。

 ほんでさっき帰ってきたら、俺の一人暮らしの時に使おてた荷物とかが全部、俺の車に積み込まれてて、いつでもこれで出て行ってくださいみたいな状態になってた。

 几帳面なママらしく、きっちりと整頓されて積み込まれてたな。

 大家族になったらと、七人乗りのワンボックス買ったけど、結局、七人なんか乗ることもなく、荷物でいっぱいにされたんや。

 それでも、まだ離婚はしてへん!

 俺は絶対に家に入れようとせえへんママの制止を振り切って、かつきのおる、二階まで上がってきたんや」

 ぼくはこのおはなしがまたこわくなった。

「ママはゆるしてくれたの?」

「許してくれたっちゅうか、まだまだ話さんとあかんけど、とりあえずは大人しくなってくれたよ。今、この手元にママの手帳がある」

 ねころがってるパパがまくらのしたから、ママのてちょうをだした。ぼくはパパのおなかのうえからそれをみていました。あしはこたつにはいったまんま。たぶんあついからあしのきずがズキズキいたむんだとおもう。いたくなってからながい。

「あれから、どうなったんかな」

 パパはママのてちょうをひらきました。

「おっ! 俺が正月帰ったその日に猿マークありよる。(この日が本当の正月)って書いてあるで。一月は十個くらいあるな。(買い物に行く)とか(ご飯を食べに行く)とか、後半になったら、(初めてご飯を家で食べる)ってあるな。なあ、かつき」

 パパがぼくをみて、にやってわらいました。パパははじめからわらっていたけど、このときはちょっとこわくわらいました。

「今日は二月二十九日。明日から三月や。ほんで明日はかつきの誕生日や。何歳になるんや?かつきは」

「三さいだよ。パパ」

 またあしがいたくなりました。

「三月一日には特大の花丸があるで。二月はどうやろ。半分くらいは猿マークあるな。(ドライブ)とか(映画を見る)とかあるで。いくつかハートマークもついてるけど、これはキスでもしたんか、それともえっちしたんか……俺と電話した日なんか髑髏マークついてるで。嫌われたもんやな。一昨日も会ってるんか。(お母さんに紹介するかどうか迷う)やて。結婚中やのに違う男、母親に紹介してどうするねん!(すぐ会えるように絆創膏に変える)なんのこっちゃ!」

 パパはてちょうをパタンととじました。

「まあ、だいたいわかったわ。かつき」

「なーに、パパ?」

 あしがずっといたくなった。まだ、がまんできる。

「ママの好きな人知ってるんやろ?こんなに頻繁に会っといて、お前をおいてくなんてありえへんもんな。ママと一緒にご飯食べたりしてるんやろ。どんな人や?俺の知ってる奴か?俺よりおじさんか?若いんか?どこから来たんや?」

「ちがうよパパ」

 あしがいたくてがまんできなくなって、ぼくはこたつからあしをだしました。

「違うって何が?」

 ぼくはそのままパパのよこにねころびました。

「そのひとはこのひとだよ」

 ぼくはじぶんのひだりあしをゆびさしました。

「ん? 甲の付け根のところに大きな絆創膏貼ってあるな。どうしたんや」

 パパはからだをおこしてぼくのあしをみました。ぼくはねころがっています。パパがぼくのあしをさわりました。

「いたいよ、パパ。そこはね、かつきがあついスープをこぼしてやけどしたんだ」

「それはいつの話なんや」

「わからない、だいぶんまえだよ」

 パパはすごくおどろいた顔をしている。さっきまではすこしあかかったのに、いまはなんだかあおいよ。それよりもあしがいたい。

 パパはまた、ママのてちょうをとりだして、ぼくにひらいてみせました。

「もしかして、この日か? 大きな猿マークのある、十二月二日か?」

 パパはあわてて、くちからすこしあわをふいていました。

「うーんわからないけど、たぶん、そのひだよ」

「病院行ったんか?」

「いったよ」

「もう、三ヵ月近く経つけど、まだ、痛いんか? 病院は何回か行ってるんか?」

「いってないよ、ママがおくすりぬってくれるの。このまえまでホータイだったけど絆創膏に変わったんだ」

「なあ、かつき」

 パパのこえはふるえていました。「この絆創膏、剥がしてもええか?」

「いたいのやだよパパ」

 はがすときがいたいんだ。はがしたらなんかシルがでてくるし。

「せやけど、絆創膏、貼り替えんとあかんやろ。いたくせえへんから」

「うん、もう、ずっといたいからいいよ」

「ずっと痛いんか?」

「パパがおはなしはじめたくらいから」

「剥がすよ」

 こえもふるえてたけど、パパはてもふるえてた。かたてでぼくのあしくびをもってて、すごくゆらされてこわかった。

 ばんそうこうはすこしはがれていたから、かんたんにはがれました。でも、パパのてがふるえていたから、すごくゆっくりでした。

「かつき……」

 パパのこえはなきごえみたいになっていました。そしてぼくのあしをゆびさしていました。ぼくはねころがっていて、あしのこうをみていました。「これ、誰や……」

 パパのゆびもみえたけど、そのひとはつけねにいるので、はんぶんしかみえませんでした。しかもかおはさかさまになっているので、くちのぶぶんがさかさまにみえました。けど、ぼくにはそれがだれかわかっていました。

「おにいちゃんだよ、パパ」

 ぼくはおきて、さんかくにすわりました。

「それは、ママがゆうたんか?」

「ママもいったけど、そのひともいったよ。おにいちゃんって」

「な、名前はなんてゆうんや?」

「しらないよ。おにいちゃんとしかいわない」

「かつき一人の時にも喋るんか?」

「うん、いっぱいおはなししてくれるよ」

 おにいちゃんはねてるみたいだ。おめめもおはなもおくちも、すうじのいちになっている。おさるさんみたいなかおだ。

「火傷の大きさは俺のと変わらんな。痛いんか?」

「いたいよ。ちょっとしたらシルがでてきて、おにいちゃんがおきるんだ」

 いまはまだシルはでていなかった。

「ママはこいつと喋ってたんか。そうか……産まれてこられへんかった自分の子やもんな。可愛いわな。抱きしめたくなるわな。キスもしたくなるわな……」

 パパはぼくのよこでないていました。

「パパなかないで」

 ぼくはなんだかかなしくなって、ぱぱのなみだをのぞきこんでいました。

 パパはぼくのあしをさわりながら、じぶんのひざにかおをふせて、すごくないていました。

「遺伝するんやな……結局。はやいこと気づけばよかった。お父ちゃんも俺もかつきも、父親とあんまりふれあうことのできへんかった、幼い時に、おんなじように自分が産まれる前に母親が流産して、その兄弟が左足のどこかに異常ができて、顔になってでてくるんやな」

 パパはひとりでしゃべっていました。ぼくはパパをなぐさめようとおもいました。

「パパ。だから、ママのすきなひとはおにいちゃんだから、パパのこともすきなんだよ。あんしんして」

 パパはかおをあげて、ぼくのひだりあしをまたみました。そのとき、きゅうにいたさがつよくなりました。

「もう遅いんや……。パパは家に帰りたくて、帰りたくて。かつきに会いたくて……離婚なんかしたくなくて、ママを殺してもうた。ママは今、下の台所で死んでる。台所にあった包丁で腹を滅多刺しにしてもうた」

「パパ……」

 ママがしんだってどういうことだろう。いつものおままごとのはなしかな?よくふざけて、しんだごっこママとするよ。

「けど、何でや……何か違うぞ。かつきも俺もお父ちゃんも父親と同じ道を歩いてるんか?どうゆうことや。今までとなんか違う……そうか! かつきがおにいちゃんってゆうてるやつは、俺の子供やないんや。前の彼氏との間にできた子や。それが何を意味するんや」

 パパはぶつぶつなにかをいっていました。かおがちょっとこわい。

「子供としてママは好きになったんやなくて、もしかしたら前の彼氏と思って好きになってしもうて、俺と離婚したいってゆうたんかもな。いや、待てよ、俺もお父ちゃんも同じ道を歩いてるとしたら……。ママが離婚したいってゆわすために、かつきの兄ちゃんは出てきたんか? わからん。 運命なんか。 かつきが火傷したことも。俺が花火で火傷したことも、お父ちゃんがポリオで足を悪くしたことも。

 先祖代々、そんな生き方なんか?

 ちゅうことは、母ちゃんもお父ちゃんに殺されたんか?お父ちゃんの母ちゃんもおじいちゃんに殺されたんか?

 子供の時は、何で怖い話が聞きたいんやろ……何で、子供を怖いところに連れて行きたがるんやろ。

 怖いものといっつも一緒に生きていかなあかへん。何でやろ」

 ぼくのあしをつかむパパのてがきゅうにつよくなりました。

 なんとなくシルがでてきそうなきがしました。シルがでてくるとおにいちゃんがでてきます。

「それより俺はこれからどうしたらええんや。つい衝動に駆られて、ママを殺してもうた。お母さんと妹は外国旅行行ってるから、十日間は帰って来んけど、どう考えても刑務所行きは間違いないわ。隠すことなんか今の時代でけへんやろ。

 ほんまにお父ちゃんもおじいちゃんも妻を殺したとして、昔やったから隠せたんかもしらへんけど、今の時代やったら無理やわな。すぐに捕まってしまう。

 それも、今までとは違う道なんか……」

 シルがでるときがいちばんいたい。おにいちゃんにはあいたいけど、このいたいのはいやでした。でも、シルがでてくるのがわかりました。

 ぼくはひだりあしをみました。

「かつき! 膿出てきたぞ。顔が隠れた」

「パパ、ふいて」

「痛くないんか?」

 パパはティッシュであしをふいてくれました。そしたら、かおがでてきて、おにいちゃんがめをひらきました。

 パパがすごくおどろいたかおをしました。

「目、開いたぞ」

 くちもひらきました。おにいちゃんはぼくのあしのこうです。あしのこうがパパをみて、パパにしゃべりました。

(どうしたらいいか、わかっているはずだろ。そのとおりのことをすればいいんだ。かつきもころしてしまえ。そしたらじゆうになる)

「殺すってどうやって殺すんや。何で殺すんや」

(お前の父親も、その父親もそうやって生き延びてきた。まだ、捕まったり死ぬ時ではない。もっと、もっと苦しい人生を過ごさないといけない。お前の父親以上に苦しまないといけない。かつきはお前以上に苦しんで生きなければいけない。それが運命だ)

「何でや、俺はこうして生きてるぞ! お父ちゃんに殺されてなんかない! ゆうてることがおかしいやないか。かつきが俺以上に苦しんで生きるやなんて、じゃあ、なんで殺すんや」

 パパとおにいちゃんがおはなししているのをみているととてもふしぎなきもちになりました。ぼくをころすとかいってるけど……それよりママはほんとうにしんだのかな。

(わかっているはずだ。ちょっと考えればわかるはずだ。かつきを殺して、また産まれさせるのだ)

「かつきを殺して、また産まれさせる……」

(そのためにママを殺したんだろう?)

(そのためにママを殺したんだろう?)

(そのためにママを殺したんだろう?)

 あしのこうにいるおにいちゃんは、もう、おなじことしかいいませんでした。

 パパは、またすこしかおをふせてなにかをかんがえていました。

 そのあいだもおにいちゃんはおなじことをしゃべっていました。

(そのためにママを殺したんだろう?)

(そのためにママを殺したんだろう?)

(そのためにママを殺したんだろう?)

 ほんとうにママはしんじゃったのかな。すこしかなしくなってしまいました。

「そうか。そうゆうことか!」

 パパがきゅうにかおをあげてさけんだのでびっくりしました。あしはあまりいたくなくなっていました。おにいちゃんがいなくなったのだとおもいました。

「パパ、どうしたの?」

「かつき! 一緒に来てくれ!」

 そういうとパパはぼくをだっこしました。ひさしぶりにパパにだっこされたけど、パパのてはふるえてて、とてもかたかったです。

 ぼくはパパにだっこされて、くらいかいだんをおりていきました。まだひとりではかいだんをおりることはできません。のぼることはできるようになりました。

 だいどころにはおおきなつくえがあります。

 ここでまいにちごはんをたべます。

 テレビもありますが、ごはんをたべるときは、マンガはあんまりみれません。

 テレビとつくえのあいだに、ママがねころがっていました。

 しんだのかな。ねてるのかな。

「ママ」

 ちいさなこえでよんだけど、ママはうごきません。なんだかおおきなこえをだしたらいけないようなきがしました。

 テレビではニュースというものがやっていました。

 パパにだっこされて、ぼくはママをみていました。

 よくみると、ママはおめめをひらいていましたが、そのめはまっしろでした。はなぢがよこにながれていました。

 ちは、はなだけじゃなくて、おなかにもいっぱいでていました。

 あおいえぷろんに、ちがたくさんついて、くろくなっていました。ゆかもみずたまりみたいになっていて、ままのてがいつもよりしろく、ひかっていました。

 ぼくはままがしんだのかどうかわからなかったけど、なぜかかなしくはなく、なみだもでなかったし、こわくもありませんでした。

「かつき……ちょっと待っててな」

 そういうと、パパはぼくをゆかにおろしました。ストーブがついているのであったかいけど、はだしなので、ゆかはとてもつめたかった。

 いつのまにか、あしはいたくなくなっていました。

 ママがねころんでいるのとは、はんたいがわのつくえのしたでぼくはたっていました。

 つくえのあしがすこしじゃまだたけど、ママがよこからみえました。くちからはベロがとびだしているようにもみえました。そのベロはとてもあおかったです。

 パパはママにちかづいて、しゃがみました。パパのせなかでママがあまりみえなくなりました。あしだけがみえました。

 そのときになって、ゆかにおおきなホウチョウがおちていたのにきづきました。

 あかいようなくろいような……ちですごくぬれていました。

 パパはそのホウチョウをひろうと、みぎてて、ママをまたさしていました。

 なんどもなんども、さしているようにみえました。

 ぼくはやっとこわくなって、てでおめめをふさぎましたが、なぜかこわいものがみたくて、ゆびのすきまから、パパがなにをしているかみていました。

 ほんとうは、さしているのではなくて、ふくをきって、はだかにしているのだとおもいました。

 エプロンもセーターもブラジャーも、ママのからだからはがされました。よくみえなかったけど、パパがあしのほうにいったので、やっとわかりました。

 こんどは、パパはママのジーパンをホウチョウで、きりはじめました。

 そのときママがこっちをむいて、ぼくになにかをいっているようにみえましたが、なにもきこえてきませんでした。しろいめがとびだしそうになっていました。

 しばらくすると、ママははだかになっていました。

 むねやおなかのところはなんだか、ぐちゃぐちゃになっていて、どうなっているのかわかりませんでした。

 ウィンナーみたいな、いきものみたいなあかいものが、おなかからすこしとびだしていました。

 パパはこんどはぼくのほうにやってきました。

 ぼくはこわかったけど、これからこわいことがおこるとおもうと、すこしわくわくしました。こわいからにげだしたい、でも、こわいめにあいたい。ふしぎなきもちでした。

「かつきもはだかになってくれるか?」

「わかったよ、パパ。おむつもぬぐの?」

「そうや、おむつもや」

 ぼくはすこしさむかったけど、ふくをぬぎました。

 うえをぬいで、ズボンをぬいで……おむつがうまくぬげないや。

「俺が脱がしたろ」

 パパがおむつをぬがせてくれました。ぼくはおふろにはいるときみたいな、かっこになりました。パパのおててはあかくぬれていました。

 ぼくのおむつはおしっこしていないけど、よごれてしまいました。

 パパはぬるぬるとしたおててで、またぼくをだっこしました。

「かつき。ママのお腹の中に戻ってくれるか?」

 パパのいっていることがわかりませんでした。

「おなかのなか?」

「そうや、お前が産まれる前に戻ってほしいんや。この結婚は失敗やった。お前がお腹の中にいたから、結婚せんとあかんあかった。せやから戻ってほしいんや」

「もどったら、もう、パパとあえないの?ママとも?」

「そうゆうわけやないけど、うーん、戻ってみんとわからんな……どうなるか」

 そうか、ぼくはママのおなかにもどらなければいけないんだ。なんだかかなしかったけど、なきませんでした。おとこのこだからとおもったからです。

「パパもパパのお父ちゃんも、たぶんこうしたんや。もしかしたらおじいちゃんもこうしたんかもしらへん」

「パパもおなかにもどったの?」

 じゃあ、どうしていま、いきてるんだろ?よくわからない。

「そうや、パパも一回死んだんや」

 パパはぼくをだっこしたまま、ママにちかづいていきました。

 はだかになったママのおなかは、なんだかおおきなあなぼこがあいているようでした。あかくて、くろくてきもちわるい。

 ぼくはおめめをつぶりました。

「かつき、少しだけ苦しいけどな、だんだん慣れるはずや。ママのお腹に戻ってや」

 そういうとパパはだっこしたまま、ぼくをさかさにしました。ぼくはどうなるのかわからなかったけど、こわいことがおきるんだとおもうと、すこしどきどきして、まだかなぁっておもっていました。

 あたまがすこしぼーっとしたとき、ぼくはだんだんしたにさがっていきました。

 あたまのさきっぽに、つめたいみずのようなものがさわりました。みずよりもとろとろです。

 そうもおもったら、そのままおでこもその、とろとろのみずたまりのなかにはいっていきました。

 ずぶずぶというおとがきこえました。

「かつき、今、頭がママのお腹の中に入ってるんやで」

 パパのこえがきこえました。つぶったおめめのところも、おなかのなかにはいったので、ぼくはつよくおめめをつぶりました。おふろでも、なんどかおゆのなかにもぐってあそんだけど、そのときよりもこわいかんじでした。

 みみのなかにもはなのなかにも、なんかぬるぬるとしたみずがはいってきました。とてもくさくて、はなをつまみたかったけど、もうはなまでてはとどきませんでした。うんちともおならともちがう、くささでした。ぼくはそのみずがママのちだってことはわかっていたけど、ちがこんなにくさいとはおもいませんでした。さいしょはつめたかたけど、だんだんあたたかくなってきました。

 おくちも、くびもママのおなかのなかにはいってしまって、きもちわるくなりました。

 いきができなくなって、みみもいたくなりました。おててとかあしとかをばたばたしたけれど、パパはぼくのからだをぐいぐいママのなかにいれていきます。

 ほんとにくるしい……

 みみはなんにもきこえないはずなのに、なぜかパパのこえはきこえてきます。

「そうや、そうなんや。お父ちゃんも俺も、何でか産まれるときの記憶があった。それは、こうやって、父親が母親を殺して、もう一回、体内に戻そうとしたからなんや。そんなもんで腹に戻るわけあらへん。

 腹の中の血とか肉を掻き分けて、出てきた記憶が産まれた時の記憶になったんや。せやから、産まれる前の記憶もおぼろげながらあるけれど、こうやって、腹から出てきたときより前みたいな気がするから、記憶が入れ違ってるような気がしたんや。

 俺の時はどうやったんやろ。

 俺は産まれて良かった子なんか?山姥に手伝ってもらって産まれたけど、結局、かつきくらいの時にお母ちゃんはお父ちゃんに殺されたんや。なんで警察に捕まらへんかったんやろ。昔やったから?西成やったから?それにしても死体の処分、ちゃんとせえへんかったら、いくら西成でも……

 もしかしたら、何でか肉が続いた日……臭い肉ばっかり食わされてた頃。

 あれが、お母ちゃんの肉やったんか!

 食うことでけへん部分やったら、小分けにして裏のごみ捨て場に捨てとったら野良犬やら、カラスやら蛆虫やらが喰うてくれる。

 もしかしたら、山姥に手伝ってもらったんかもしらん。ほんまは俺は産まれてきたらあかん子やったんかもしらん。(あん時、喰っとったらよかった!!!)っちゅう山姥の声が今でも耳を離れへん。そん時、喰われへんかったから、代わりにお母ちゃんは、山姥に喰われたんかもしらん。けど、間違いなく俺もお父ちゃんも、臭い肉を何日も喰ってた時期があった。

 そん時のやりかたは、俺の火傷がお父ちゃんに教えたんかもしらん。俺のお兄ちゃんが。

 結局、俺ら親子はずっと、呪われてるんや。

 こんな風に引き継いでいくんや!

 怖い話を子供に聞かせるんも、どんどん怖い場所とかに連れて行くんも。

 痰が逆流してくるんも、みんな遺伝や!

 一人ぼっちにさせて、妄想癖をつけさせて、ほんまにあったことを自分の妄想やと思わせる! あれは全部、ほんまにあったこと。山姥も、犬汁も、魔の刻に入ったときに見た大きな蛇も。血のシーンをいっぱい見させて、その時期が来たときに慣れさそうと思ったんやろうけど、俺には逆効果やった。自分の血見ただけでも嫌な気分になるんやもん。せやけど、ママはこうして殺せたし、包丁で腹を割くことができたんも、そん時の経験があったからや! 意外と簡単にできた。

 結婚して妻を殺して、物心ついたら母親がおらんのも……

 昔と今とで、お父ちゃんも俺もかつきも微妙に境遇は違うやろうけど。

 俺がこのまま、うまく隠し通せて、ママがおらんようになったことになって、かつきを育てたら、また同じように家出するんやろうか?

 ほんで俺は気が狂って、苦しんで死ぬんやろうか?

 苦しむのはしゃあない、人を殺してるんやから。妻も殺したし、お父ちゃんも自分が殺したようなもんや。

 こうして息子も殺そうとしとる。多分、死なんやろうけど。

 それはええけど……かつきもまた、同じ目に合うんか!そんな可哀そうな人生歩ませてええんか!そんなんやったら、いっそ、妻殺しも隠さんと、かつきもここで死んだほうがええんとちゃうんか!」

 ぼくはいきがくるしくてどうしようもありませんでした。

「ゲホッ! ゲポッ!」

 せきがでるけど、それがまたもどってきます。くちのなかにも、ママのおにくがはいってきて、おはなもみみも、どうなってるのかわけがわからなくなりました。

 おめめだけはまだひらけません。

 あたまが、ぼーっとしてきました。

 もう、からだぜんたいがはいっているようなきがしたけれど、あしだけはまだみたいでした。

 きゅうにひだりあしがいたくなって、こえがきこえてきました。どうしてこえがきこえるんだろ?みみもふさがれているのに。

 こえはパパに言っていました。

(どうやっても、運命からは逃げられないよ。なにをしてもむだだよ)

「ほんまに、そうなんか?」

(受け入れるしかないよ。そうして、どんどん紡いでいくんだ、呪われた血を……この瞬間がこなければ気づかない呪われた血を)

「くそー!」

(お前の父親が、母親を殺すときに、お前の火傷がどうすればいいか教えてくれたこと、父親から聞いただろ!)

「……」

(そいつが俺にしゃべりかけたんや。ほんでどうしたらええか教えてくれたわ。せやから今、お父ちゃんとお前はここで一緒に暮らせてるんやで)

 パパのさけびごえがきこえました。

 あしはいたくありませんでしたが、なにもかんがえられなくなって、きもちがどこかにとんでいってしまいました。

 これがしぬってことなんだろうか?

 おもってたより、きもちいいもんだとおもいました。

 しんじゃうのか……

 パパのこえもどこかとおくにいって、ママのちのにおいもしなくなりました。

 ゆめをみているようになって、そこにはママがいて、ぼくをだきしめてくれています。

 ぎゅーっとだきしめられて、きがついたら、まっかなおはなばたけにいました。おはなばたけのむこうがわには、だれかがぼくをよんでいます。

(かつきー!かつきー)

 パパかママかわかりません。パパのようなきがします。

 ぼくはそっちにむかってあるいていきました。ママはいつのまにかきえています。おはなばたけは、おもったよりせのたかい、バラのはなでできていました。まっかでした。

 でも、おかしなことに、はっぱやくきもあかいのです。

 とげもありました。ぼくのあしをさします。それほどいたくはないけれど、ちがたくさんでました。

 それでも、ぼくはすすんでいきます。

 いつのまにかおはなばたけのトンネルになって、だんだんトンネルのあながせまくなって、うしろはふさがれて、もどることもできなくなりました。

 どんどんせまくなるトンネルをかきわけてまえへすすんでいきます。

 かきわけているうちに、かきわけているものがいつのまにか、はっぱでもおはなでもなくて、どろどろとしたおにくのような、ものにかわりました。

 においもなんだかくさくなりました。

 ぼくはこわくてくるしくて、どんどんまえにすすんでいきます。

 かきわけたむこうに、ひかりがみえます。

 ああ、これがうまれるってことなんだ。

 いまからぼくはうまれるんだ。どこからかこえがきこえました。

「みどりと、バーバも殺さんとあかんな。あと、十日したら帰ってくるからな。それまでにママの肉なんとかせんと」

 なにをいっているのかよくわからないけど、ぼくはあかるいばしょへちかづいて、もうすこしででようとしています。

「かつき、また、怖い話してやるからな」

 やっと、いきができるようになりました。ぼくはうまれました。きっと、ちまみれのぼくをとりあげてくれているひとが、ぼくのパパなんだ。

 パパはぼくにこういいました。

「かつき、しばらく肉ばっかり喰うけど、ええな」

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