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幼い日から今までずっと

 扉の向こう側にいた天使のように綺麗な少年と出会ったわたしは、もちろん興味津々で色々なことを尋ね、ついでに部屋の中を駆けまわって遊んで、お祖母ちゃんに見つかった。


 少年は、叱られたわたしを庇ってくれた。

 優しさに感動した私は、彼を絵本の王子様みたいだと思ったのだ。

 だから出会って一か月くらいは、家の中でだけ彼のことを『扉の王子さま』と呼んでいたんだ。

 翌月、再会した後からはその呼び方をすっかり止めてしまったけれど。

 そんな少年とは、似ても似つかない低い声が聞こえてくる。


「リシェ。起きろ。こんなところで寝るな」


 なのにわたしは、夢の続きだと思って返事をした。


「ねむってないの……しーぐ。それより、もう一度あのはこ、見たい……」

「またあの時の夢か。懲りない奴だ」

「どうしらのよしーう゛。きゅうにくちがーわるーく……」

「起きろ!」


 耳元で大きな声を出され、わたしは「ぎゃあっ!」と叫んで飛び起き――その瞬間に何か固いものが頭に当たった。


「いっ……たい!」


 頭を抑えて呻いていると、同じように抗議する声が聞こえた。


「起こしてやった恩人に頭突きするとは……」

「別にしたくて頭突きしたわけじゃ!」


 反論しようとして、わたしはようやくソファの上でうたた寝していたことを自覚した。

 目の前で、頭を抱えてしゃがみこんでいるのは、一人の青年だ。

 背の高い彼が額をおさえているところを見ると、どうやらわたしの頭突きは額にぶつかったらしい。


 やがて少々涙目のまま、彼はリシェの方を見る。

 金のさらりとしたやや長めの髪も美しい紫の瞳もそのままだけど、女の子のように綺麗だった顔は、男っぽい直線的なものに変わっている。上着こそあの時と似た藍色の裾の長いジャケットを着ているが、服のサイズもわたしが着たらだぼついて仕方ないほど大きくなっている。


 一方のわたしも、六歳の子供のままではなかった。

 ソファについた手は大きくなっているし、子鹿色の髪は長く伸びていた。

 着ていた臙脂色の服も、成人した女性が着る形式のものだ。ただし、うたた寝のせいで皺になっている。


 皺をつまんでため息をつき、顔を上げると、部屋の窓が視界に入った。

 窓の外は赤金色の夕空が見える。ほんのちょっと転がるつもりだったのだが、明らかに眠ってから数時間は経っている。


「あっちゃー、夕方になっちゃってる」

「だから起こしてやっただろう。ちょっとでも親切にしてやったのが間違いだった。頭突きなんてするとは」


 立ち上がったシーグがまだ文句を言っていた。


「ごめんシーグ。でもなんでわたしが夕方に用事があるって知ってるの?」

「ボケたのか? 自分で昨日、うるさいぐらい話してただろう。お金が足りないもっと一杯売って来ると」

「ボケって、ボケってそんな風に言わなくても……」


 ちょっと忘れただけではないか。

 それに十年前の夢を見ていたせいだろうか、シーグの口の悪さがやけに気になった。彼がこんなぞんざいな口調になったのは、いつからだっただろう。


 彼シーグは、隣国の貴族の子息だ。シーグの父親は、錬成術士だったお祖母ちゃんと懇意な人だった。

 そんなシーグの父が、お祖母ちゃんにあの扉の作成を依頼したのは十年間のこと。当時は隣国内で政変が起こり、その関係で自分の跡継ぎであるシーグも、巻き込まれる可能性があったらしい。せめてシーグだけでも万が一の時には逃がすべく、避難道を作ろうとし、お祖母ちゃんに依頼したのだ。


 そのようなわけで、お祖母ちゃんの家とシーグの部屋は繋がっていたのだ。

 とんでもないこの扉は、偉大なる王宮錬成術士だったお祖母ちゃんが作った物だ。

 しかもこの一枚しか作れなかったらしい。偶然の産物だと言っていた。そして扉の一方は、お祖母ちゃんの家にしないと効果が現れないという妙な制限付きだ。


 ちなみに逃亡先であるお祖母ちゃんの家の側で、扉に鍵をかけるわけにはいかない。そのため開けっ放しになっていた。

 とはいえ扉一枚向こうは、他人の家の中だ。お祖母ちゃんはシーグと自分以外の人間が開けられないように術を掛けた上で、念のため「三階の奥の扉を開けてはいけない」とわたしに言いつけた。

 が、わたしあっさり言いつけを破った。しかも術者であるお祖母ちゃんの血縁者だったからだろう。扉を開けることができたのだ。


 当時シーグは八才で、危険だからと家の奥深くに隠れるように暮らしていた。

 しかし十歳をすぎる頃には政変も終わったらしい。すると「自分の身を守るために」と剣の稽古を受けに行くようになり……確かその前後だ、口が悪くなったのは。

 剣を一緒に習っていた人に、あれこれ教えられたと言っていたような。


「あんなに可愛かったのに……」


 今だって黙ってさえいれば、優し気な貴公子に見えなくもない。というか隣国のちゃんとした貴族らしいのに、こんなことでいいのだろうか?

 思わずため息をつくわたしに、シーグが苦い表情をする。


「男に可愛いとか言うな」

「あの頃は男じゃなくて『子供』だったもの。子供に可愛いって言って何が悪いの?」

「くっ、屁理屈を……」


 言い負かされて悔しがるシーグをよそに、わたしは寝台から降りて化粧台の鏡をのぞきこんだ。

 案の定、猫っ毛の髪はあちこちクセがついている。

 それを適当にまとめようとすると、シーグに止められた。


「待て。お前がやったら適当に三つ編みにして終わりだろう。俺がやる」


 不器用というわけではないが、面倒くさがりのわたしは反論できず、シーグに任せることにする。


「ほら座るがいい」


 鏡台の前に座った彼女の髪を、シーグは器用にまとめていく。時折触れる手の感覚が、頭を撫でられているみたいで心地よい。

 そして貴族の子息に髪を結って貰っている自分の姿を見て、わたしは落ち着かない気分になる。あきらかに貴族とわかる出で立ちのシーグが、町娘みたいな格好のわたしの世話を焼いている様子は、奇妙だったから。


 そんな彼がわたしの髪を結い始めたのは、一年前。十五の成人の日からだ。

 生家が火事で焼けて両親を亡くしてから、わたしはこのお祖母ちゃんの家に住んでいた。

 けれど十五歳の誕生日を前に、祖母が事故死してしまったのだ。


 王宮錬成術士だったクラーラの葬儀は、国王が派遣してくれた人の手を借りて、小さくともなんとか行うことができた。

 けど、哀しみと忙しさに振り回されて、自分の誕生日だったことも思い出さなかった。

 だから夜、扉を開けてやってきたシーグに「クラーラに頼まれていた」と絹布のドレスを差し出されるまで、自分が成人したことも忘れていたのだ。


 お祝いしようと言われて、こんな日にお祝いできないとわたしは泣いた。

 大好きだった祖母が亡くなったばかりだ。お祝いなんて、喪が明ける半年後まで放置したっていいと思った。

 けれどシーグに、クラーラがせっかく準備をしていたのにと言われたのだ。彼に説得されて、なんとかドレスは着た。

 でも見せたかった祖母が居ないことを改めて実感させられ、髪を結う気力もなかったのだ。


 だからシーグが髪を結った。その時はまだ彼も髪を結うのはそれほど上手くはなかったけれど、触れられ、髪を撫でられる度に少しずつ心が落ち着いていったのを覚えている。同時に、ひどく恥ずかしかったことも。


 泣きすぎてひどい顔で、鏡台の前に座っていたことも、今では思い出になりつつある。

 あれから一年が経ち、ようやく祖母のいない生活になれてきた。

 髪を結ってもらう事も恥ずかしくなくなってきたが、やはりどこか落ち着かない気持ちは残っていた。


 小さい頃からの友達。

 なのに、あの時に何かが変わったんだとわたしは思った。きっと二人とも成人したせいだろう。

 シーグも髪を結う技術が上がっているのか、今日は編み込みまでしている。右側の髪だけ結わずに残した髪型は、童顔のわたしを少しだけ大人っぽくみせてくれる。

 この人は、自分の家で毎日練習でもしているんだろうか?


 そんなシーグは、髪を結びながら言う。


「無理に暗い時間に出かけなくたっていいはずだぞ」

「だめだよ。一番人が多いのが夕方からだもの。お昼に買い物してくれる人ばかりじゃないから」

「そんなに依頼の仕事が少ないなら、うちが……」

「この間も仕事くれたばかりじゃない」


 確か男性用の杖だった。忘れ物をしがちだというので、杖をたたくと勝手に後をついて歩くようにしたもので、見た瞬間にシーグは大笑いしていた。

 でもその時にシーグが漏らした言葉から、他の人からの依頼というより、やっぱりシーグが自分で買って誰かにあげる予定を作ったらしいとわかったのだ。

 それじゃお金を借りているようなものだから、あまり頻繁に受けるのは心苦しい。


 そもそも、わたしは懐が寂しいから、外へ出て物を売りたいわけじゃないのだ。

 心配させるのがわかっているから、シーグには言えない。

 小さな頃からの友達。お祖母ちゃんを亡くした後も、ほぼ毎日のように様子を見に来てくれるシーグを、困らせたくないから。


「ありがとシーグ。じゃあ行ってくるから留守番よろしく。お祖母ちゃんの術がかかってるから、家の中は平気だとは思うけどね」


 わたしは部屋の隅に置いていた、革の鞄を斜めがけにして持つ。


「……気を付けろよ」


 心配そうな顔をしたシーグに見送られ、わたしは館を出た。

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