第十三話~急転~
友人と温泉行ってきます
少しして、件の客人が入ってきた。
防衛省特殊介入部隊――通称MDSIの隊員、勇海新である。
「ありゃ、ひょっとしてお邪魔でしたか?」
「いいえ、稽古が終わってお茶を飲んでいただけよ。すぐに貴方の分も用意させるわ」
「いえいえ、お構いなく。俺が用事あるのはそこで仏頂面になっている奴なんでね」
「……仏頂面で悪かったな」
明智がギロリと勇海を睨む。
「おいおい、睨むなって。ただでさえお前顔が恐いんだから」
「……顔が恐くて悪かったな」
そこに侍女が茶を運んできた。勇海は受け取ると一口含み、
「お、茶葉変えました?」
「よく分かったわね。いつもは静岡産だけど、今日は趣向を変えて京都から取り寄せたわ」
「ほー」
などと、美妃と勇海の二人は茶の話題で盛り上がる。
「……なぁ、あんたは世間話をしに来たのか?」
明智が口を挟むと、
「いや、こっからが本題だぜ、マコト君」
と、もう一口飲んでから、一旦湯飲みを置く。
「オケアノス号、覚えているか?」
「覚えているも何も……三日前に一緒に制圧した密輸船のことだよな?」
「その通り」
トルコ船籍の貨物船、オケアノス号――その実態は麻薬の原料を運ぶ密輸船だった。港常駐している査察官を買収するという、今のご時世では大胆とも言える手段で大量に運び込んでいた。
「その密輸船だが……どこからヤクを運んできていたと思う?」
「トルコじゃないのか?」
明智の答えに対し、
「まぁ、普通はそう考えちゃうよなぁ」
と、含みのある言い方をする勇海。
「あら、違うのかしら、勇海君?」
黙って成り行きを見ていた美妃が口を挟む。
「残念ながら、ね」
「勿体ぶらないで」
「こいつは失敬」
勇海は再度湯飲みを手にした。中身を一気に飲み干し、
「船員達は大半がトルコ出身の人間ばかりだったが、太刀掛さん達が操舵室を制圧した際、明らかに他の船員達と違う人間がいた。
生け捕りは無理だったが、諜報部の調べで黄麟会の一員だということが判明した」
「黄麟会?」
「俗に言うチャイニーズ・マフィアって奴の一つだ」
話が思わぬ方向へ飛んでいく。
「オケアノス号がトルコ船籍であることはあくまでも表向き、ってことね」
「その通りですよ、喜三枝さん。真の持ち主は黄麟会ってわけさ。ご丁寧に、日本に来る前に寄港したのは、中国の福建……奴らの本拠地がある場所だ」
「つまり、その船で中国から日本に大規模輸送していたというわけね?」
「そういうことです」
膨らんでいく話に半ば付いていけず、ひとまず明智は渇いた喉を潤そうと湯飲みを口に運ぶ。そこで、いつの間にか自分の湯飲みが空になっていることに気付く。
「あら、おかわりを持ってこさせるわね」
と、美妃が侍女を呼んだ。二人の湯飲みに茶が継ぎ足されたところで、話が再開される。
「さて、ここから話が複雑になるぜ」
十分なっているだろ、と思わず心の中で突っ込む明智。
「ところでマコト君。八洲組、覚えているか?」
「……まぁ、な」
覚えているどころではない。
警察官、真智明であった時、麻薬取引をしていた八洲組を検挙する任務に参加したのだ。そこから麻薬の取引ルートを探り、八洲組のさらに上にいる組織を叩けると息巻いていたところで、自分の警官人生は終わってしまった。
「それがどう――」
言葉の途中で、明智は勇海の意図に気付く。何故この場で自分が潰した暴力団の名前が出てきたのか――
「察したか」
「……奴らの扱っていた麻薬は、黄麟会から流れていた?」
「ご名答」
勇海はニヤリと笑い、
「さぁて、マコト君? あの時、俺が言ったこと覚えているか?」
――真智明の刑執行から数日後――
あの日、「死」を迎えるはずだった男は、現世に蘇った。
「死んだ人間の来るところなんて、決まっているだろ……真智明。
あの世、だよ」
その言葉とともに男の見せた笑顔に、真智は震えた。
軽薄で、残酷で……まさに「悪魔」だった。
「……刑は?」
働き始めた頭で、何とか言葉を紡ぐ。
「あぁ、安心しろ。刑は執行されたし、もう真智明って男はこの世にはおらんよ」
男は軽い口調で説明を始めた。
「つまり、俺の目の前にいるあんたは……ただの真智明そっくりさん、さ」
「……どういうつもりだ?」
真智は色々聞きたいことがあった。だが、うまく言葉に出来ず、結局この一言で集約させた。
「単刀直入に言うとだな……俺達の仲間になってほしい」
その答えに、
「ふざけているのか? 俺は殺人犯で、死刑囚だぞ?」
「そして、俺達が求めている人材だ」
鼻で笑い飛ばそうとした真智の言葉を、男は否定する。先程浮かべた笑みはなく、真剣な表情だった。
「……あんた、何者だ?」
「防衛省特殊介入部隊所属、勇海新」
男が名乗る。
防衛省は日本国民なら誰もが知っている通り、日本の国防を目的とする中央省庁だ。
特殊介入部隊、という部隊は聞いたことがないが、この勇海という男が日本政府に関係を持っていることに驚いた。
「仲間……ということは、その部隊に入れ、ってことか?」
「そういうことさ」
「断る」
「それは出来ないな」
間髪入れず、勇海は否定する。
「防衛省特殊介入部隊――俺達は略してMDSIって呼ぶが……表向きは存在してないんだよ。今のあんたと同じでな」
「なるほど……口外されたくないのか。なら、口封じでもするのか?」
「本当に俺達の仲間にならず、逃走する気だったらな。まぁ、それはないけどな」
「……今はっきりと断ると言ったぞ」
真智が眉間に皺を寄せて言う。
「なぁに、すぐに気が変わる」
「何故言い切れる?」
真智が勇海を睨む。その視線を受け止めながら、勇海は説明を続けた。
「なぁ、牢で会ったときも言ったけどさ……人一人殺して死刑、は本当に妥当か? 重すぎる、と思いはしなかったのか?」
「思うも何も……俺は警察官だった。本来なら逮捕しなければならないところを私怨で射殺した。それは……」
「言い訳はいらねぇんだよ」
勇海はばっさりと切り捨てた。
「それ、お前の本心か? ただ単に、想い人が死んで、それに対して自棄起こしてるだけだろ? 何が逃げるのが嫌だった、だ。真智明らしく生きて死ぬ、だ。自分で命絶つよりマシだと? 今普通に逃げようとしているんじゃねぇか」
「何からだ」
「生きることから、だ。そんなんじゃ、死んだ婚約者も浮かばれないな!」
「何だと!」
ついに、真智が声を荒げた。
「あんたに何が分かる!」
「分からんね!」
勇海も強気で言い返す。
「ただ、このままお前が『悲劇のヒーロー』で死んで喜ぶのは、ほんの一握りの連中だけだ!」
「どういう意味だ?」
思わぬ言葉に、真智の勢いが弱くなる。
「お、少しは話を聞く気になったか」
「……」
真智は無言で返す。
「冷静に聴けよ。まず、お前――真智明は世間からどんな扱いを受けていると思う? 『恋人を殺された復讐を果たした悲劇のヒーロー』だ。お前と婚約者について、マスコミはあることないこと面白おかしく宣伝した」
「それが?」
「で、お前が射殺した……とされている沖鉄也についてだが……ほとんど報道されていない。報道されるとしても、被害者として、だ」
「それがどうした?」
「おかしいだろ。そいつだって、車暴走させて死亡事故引き起こしているんだぞ? 警官の発砲を問題視するのは分かる。撃たれた奴も死んだしな。だが、俺が見た限りじゃ、今回のは犯人を取り押さえる延長として扱えるんじゃないのか? それが、お前だけが『悲劇のヒーロー』と華美された悪者扱いだ」
「それは……」
そこまで言われ、真智の中にも疑問が浮かんできた。婚約者が死んだショックと、人を殺したという罪の意識によって埋まっていた思考に、考える余地が生まれる。
「そして、挙げ句の果てが死刑だ。今も言ったが、警官が犯人を取り押さえようとした延長の発砲だぞ。殺人鬼が無抵抗の相手を一方的に撃ち殺したのとは訳が違う」
と、勇海はしっかりと断言してきた。
「さて、本題と行くぜ。何故、お前だけが悪者として扱われて、死刑にまで行ったのか……その理由を知りたくないか?」
「今回の麻薬の一件が、真智明の死刑に関わっている……そう言いたいのか?」
「そこまで断言は出来ないが……」
そう言って茶を啜る勇海。
「八洲組の組長、どうなったか知っているか?」
「どうなったって……逮捕したんだ。刑務所じゃないのか?」
「あぁ……そして、お前が逮捕されてから一ヶ月後に獄中死だ」
「えっ?」
明智は突然の事実に驚く。
「死因は精神的疲労が祟ってとか言っていたが……本当のところはどうなんだか」
「待ってくれ、じゃあ、八洲組の麻薬ルートの捜査は?」
「止まっているよ。それどころかお前が逮捕された段階で捜査本部は解散だ」
淡々と勇海は事実を述べていく。
明智の体が怒りで震え出す。
――自分は、何のために頑張ったんだ?
「ふざけやがって……」
思わず、口から呪詛が漏れる。
「やっぱり、怒るか」
勇海の言葉は、明智がこのような反応を予期しているようだった。
「……俺をスカウトした時から思っていたが、かなり調べ込んでいるんだな」
「職業柄仕方ないんだよ」
勇海は肩を竦める。
「さすがにお前が麻薬を憎んでいる理由なんか、データなんかじゃ出やしないが、察しは付いている。
お前の両親、交通事故で死んだことになっているが……その交通事故の原因は、重度の麻薬中毒者による暴走運転だ。違うか?」
「いや、合っている」
明智は溜息を吐く。
明智――正確には真智明の両親は、信号待ちで止まっている最中、対向車線から猛スピードで突っ込んできたトラックに正面衝突された。運転していた父と助手席に座っていた母は死亡し、後部座席のチャイルドシートに固定されていた子供だけが、奇跡的に生き残った。
そして、死亡したトラックの運転手の体内からは覚醒剤の成分が検出されたという。
「……その事実を知って、警察官になろうとしたのか?」
「いや、警察官は、祖父の影響だ」
明智は断言した。
確かに、麻薬が憎くないと言えば嘘になる。だが、憎んでいるだけで撲滅することはできないことも一応分かっているつもりだ。そして……息子夫妻を失い、ある意味自分に近い境遇の祖父から、その辺りのことは散々諭された。
「……それに、麻薬が憎ければそのものをなくすための職に就くだろう?」
「ま、それもそうだろうが……」
と、ここで勇海の携帯が鳴った。話の腰を折られる形となり、勇海は顔を顰める。
「ち、何だ、ここからが重要なのに……」
愚痴りながらも、電話に出る勇海。
何事か遣り取りしている途中、勇海の顔が見る見る強ばっていく。いつも飄々としている勇海からは滅多に見られない表情だ。
やがて、通話が終わり、真剣な表情で勇海が宣言した。
「非常事態だ」




