第十二話~迷い~
――あの時。
一本目を呆気なく取られ、後が無くなった明智真は相手から仕掛けられたとき、遮二無二攻め立てた。
だが、どの攻撃も相手に容易く捌かれ、相手と自分の腕の差を思い知らされた。
その負の流れを絶ち切るために、一度鍔迫り合いをして間を開けようとしたが、その時点で、すでに明智は相手に飲み込まれていた。
相手は鮮やかに二本目を決め、逆にこちらはその衝撃で気を失った。
訓練を終えた明智は、母屋で茶を喫しながら思い出していた。
ちなみに母屋の方も、「ここは何百年前の武家屋敷だ」と言いたくなるほど、内装は和風だった。違いといえば、照明器具が蝋燭などではなくLEDになっているくらいか。
そこへ、喜三枝美妃が現れた。先程の剣道着から、朱華色の生地に白梅が染め上げられた着物に着替えている。
まだ一月下旬で、寒い時期が続いているが、その柄は少し早い春を感じさせた。
明智と美妃は、互いに向かい合って正座する。侍女が美妃の前に茶を差し出し、下がった。
美妃は茶碗を両手で取ると、ゆっくりと口に傾ける。ただそれだけの挙動だけで、只者でないことを感じさせてくる。彼女はいかなる時も落ち着いている。仮に今この瞬間に襲い掛かっても、一滴の茶を零すことなく撃退してしまう――そう思わせる説得力を持っていた。
落ち着いている、という印象から、先程会ったばかりの女性――渥美瞳がふと脳裏に浮かんだものの、彼女は落ち着いているというよりは、むしろ控えめと形容した方が正しいだろう。
一方、目の前の女性は落ち着いた中に艶やかさを感じさせることで、全く別の印象を与えてくる。
「ここに来てそろそろ半年でしたね。そろそろ慣れていただけました?」
「……未だに、ここは実は訓練所ではなく、時代劇のセットか何かと思うことがあります」
明智の発言の何がツボだったのか、美妃はコロコロと笑い、
「面白いこと言いますね」
「……自分としては、悪口のつもりだったのですが」
明智は肩を竦める。
美妃は茶碗を置き、
「私が初めて貴方に会った時の言葉を覚えていますか?」
と、問いかけてきた。
「……人の真価を知りたければ、実際に剣を交えればいい」
「その通りです。よく覚えていましたね」
「記憶力がなければこの仕事は務まりませんよ」
明智は皮肉交じりの言葉を返した。
美妃は再び笑みを浮かべる。だが、その目は笑っていない。
「……剣の構え方、視線の動き、試合での行動……それらを見れば、どんな人間か、大体分かるものです」
その言葉も、初めての訓練の後に聞いた言葉だ。
一息入れ、「そして」と続けようとする美妃。
明智は黙って耳を傾ける。
「今日の貴方の剣には“迷い”がありました」
「迷い?」
「えぇ。貴方の剣は、攻める時は大胆に、受けに回れば虎視眈々と反撃の機会を待つ……要は、慎重でありながら、機が熟した時の爆発力を兼ね揃えている。それが、貴方の持ち味……ですが」
美妃が目を閉じる。
「肝心のその爆発力……激情、あるいは決意、と言ってもいいかもしれませんね……それを鈍らせてしまうものが、貴方の中にある」
「……それが、迷い?」
「心当たりはございませんか?」
今度は、明智が目を閉じる番だった。
瞼の裏に、一人の女性が浮かぶ。
「……自分――いや、真智明が何故死刑となったか……話さなくとも分かりますよね?」
「えぇ。その辺りのことは知っているわ。貴方の婚約者のことも……今日、外出許可を取って墓参りをしたことも、ね」
――お見通し、か。
「自分は、そこで一人の女性に出会いました」
脳裏で、その女性が泣いている。
「その人は、俺が殺した男の……その男の恋人でした」
明智は目を開く。
美妃は、一見先程までと変わらない態度でいるように見える。
だが、明智には、彼女の目が僅かに見開かれているのが分かった。
「その人の、涙が、悲しむ顔が、言葉が、どうしても自分の頭から離れない……」
美妃は絶句していた。
「そして、こうも思ったのです」
明智の喉が乾いてきたが、茶に手を伸ばす気にならず、そのまま思いを口にする。
「何故、自分は生きているのか、と」
ここにきて、美妃が再び口を開く。
「死刑囚、真智明は死にました。今ここにいるのは――」
「――たとえ死んでも、罪は決して消えません。明智真と名を変えても、真智明として犯した罪は決して……」
「なら、今ここで、明智真としての命を絶ちますか?」
美妃の舌鋒が険しくなった。
「死んでも罪は消えない……それはそうでしょう。なら、今ここで貴方が死んでも罪は消えませんね」
「それは……」
美妃の先程とは別人のような語調に、明智は戸惑う。
「明智真」
美妃が今の自分の名を呼ぶ。
「今、貴方がすべきことは、捨てた名の記憶を引きずることではなく……今出来ることをする……違いまして?」
「出来ること?」
「そう。そして、今やることは……」
美妃が言いかけた時、「奥様」の声が掛かった。
「何事です」
「お客様です」
「どなたかしら?」
「勇海様です」
美妃は「あらあら」と微笑み、
「いいわ、こちらにお通しして頂戴」
「かしこまりました」
命を受けた侍女が下がる。
美妃は改めて明智に向かい直る。
「貴方が今やることは、まず勇海君の話を聞くところかしら」




