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序章

 男は、暗く狭い個室の中にいた。

 人一人通り抜けることも出来ない小さな穴に格子が()められた窓から差し込む月明かりが、唯一の光だ。

 部屋の中にあるのは、寝心地の悪いマットと、簡易なトイレのみ。そこからの異臭が鼻を突く。

 コンクリート()き出しの壁の向こうから、叫び声が休むことなく響く。

 男はただ黙って膝を抱え、(うずくま)っていた。

 廊下から足音がする。

 そろそろ看守による見回りの時間だっただろうか。

 足音はどんどん大きくなり、突如止まる。

 男は顔を上げた。

 目線の先に、制服を着た男が立っている。時期的に新しく配属された人間だろうか……見たことのない顔だった。

 視線が交錯する。

 その男の目からは、何故か侮蔑ではなく、むしろ興味だろうか――なんとも形容し難い視線を鉄格子越しに向けている。

真智(まち)(あきら)

 男が自分の名を呼んだ。

 特に反応をするわけでもなく、ただ睨み返すと、その男は表情を崩すことなく、

「貴様の刑執行は、明日午前十時と決まった」

 と、宣告する。

 真智は、それを聞いても動じなかった。ただ、「やっとか」と心の隅で思った程度だ。

 一方、男の方はそんな反応が不服だったようだ。

「冷めてるねぇ」

 鉄格子に手を掛けながら話しかけてきた。

「そういや、あんたの罪状って……殺人、でしたっけ?」

「そうだ。人の命を奪った。重罪には違いない」

「えぇ、そりゃあ分かってるがね……それでも、人一人殺しただけで死刑は重すぎじゃないか?」

 真智は目を細めて睨めつけた。男の立場を考えれば、人命を軽んじているような発言は許されるものではない。人の命を守るための仕事をしていた自分にとっても、看過できなかった。

「おっと、言い方が悪かったな。俺が言いたいのは、酌量の余地ぐらいはなかったのか、ってことだ」

 真智の視線の意味に気付いたようだが、男に悪びれた様子は見られない。

「……裁判の結果だ」

「裁判、ね。そういえば――」

 すると、その男は人の悪そうな笑みを浮かべ、

「あんな裁判もあるんだな……検事が被告に対してひたすら極刑求めて、本来被告を擁護するはずの弁護士が明らかに勘違いされかねない際どい発言で逆に追い込まれ……挙句には裁判員全員の判決が求刑か」

 真智は目を見開いた。

 何故そのことを知っているのか、という無言の問いに男は気付いたらしく、

「あぁ、俺その裁判のとき傍聴席にいたもんでね。

 それにしても、第一審で極刑も珍しいよなぁ……さらに驚きなのが――」

「止めろ」

 真智は男の言葉を遮った。

「すでに刑の執行は決まったんだ。今更何を言おうとどうにもならない。

 それに……俺のせいで人が一人死んだことは事実だ」

 久々に、独白にも似た長い言葉を吐き、再び口を閉ざす。

 男は、じっと見ていたが、

「お前、馬鹿か?」

「何?」

 男は先程とは一転、冷めた目で明を見ている。

「お前、ひょっとしてあれか? 死んでも自分の誇りは守られます。だから、何を言われようが、何ともありません、ってか?

 ふざけんじゃねぇ」

 突然変わった男の雰囲気に、不覚にも真智は飲み込まれていた。

「死人に口なし……死んだ奴は何も言うこともねぇ、そして何も出来ねぇ。

 死んだところで、守られるものなんざ何もねぇんだよ!」

 男は肩を竦めながら、

「こいつは失敬。これから死ぬ奴に説教なんか意味ないか」

 そう言い残し、男は踵を返す。

「……一ついいか」

 その男の背に、今度は真智の方から声を掛ける。

「なんだ?」

 声が掛かった途端、さっきまでの怒りが嘘の如く、真智に向き合ってくる。

「死刑囚は、刑執行当日の朝に執行を通達すると聞いていた」

「お、さすが警察官。知ってたか」

「……元、だ」

「ちなみに、理由も知っているのか?」

「刑執行前に言うと、自暴自棄になって自殺してしまう可能性があるからだ。そうなってしまっては、死刑も意味をなさない」

「大正解」

「……何故、先に伝えた?」

 真智の問いに対し、男は微笑むと、

真智(まち)(あきら)二十五歳。二〇一〇年十月二十六日生まれ、血液型はA、千葉県出身――」

 真智が驚くのを相手は意にも介さず、

「中学、高校時代ともに剣道部に所属、インターハイにて個人、団体ともに千葉県代表に選ばれ、団体戦優勝、個人戦も三位の好成績を修める。玉竜旗全国高等学校剣道大会への代表選手として出場経験もあり、現在の段位は五段。

 大学へは剣道の推薦によって進学、この頃から柔道や空手に手を出し始めているな……一応段位持ちだったか。

 大学卒業後は警察学校に合格するも、射撃の適性が低く、本人が希望していた機動隊への道は断念、千葉県警察の刑事部に配属。

 二〇三五年七月、とある暴力団の麻薬経路の壊滅に多大な功績を挙げ、巡査部長への昇進が決定される。

 しかし、同年十月、千葉県内で起きた交通死亡事故にて――」

 相手の話す履歴があの忌わしい(・・・・・・)事件に差し掛かったところで、真智は歯が砕けんばかりに噛み締める。

「――偶然、その現場に居合わせた君は、事故を引き起こした被疑者を取り押さえようとしたが、所持していた拳銃が暴発、被疑者は死亡、その刑事責任を問われる裁判にて死刑を求刑……」

 男は、見事なまでに真智の経歴を調べ上げていた。ただの看守とは思えないまでの情報量だ。

「よく知っているな」

 皮肉を込めて放った一言も、相手は意に介さず、

「これが仕事なのでね」

 と、さらっと流す。

「で、このキャリアまっしぐらな栄光の階段を転げ落ちてしまったあんたは、とうとう死刑を求刑されちまった……はっきり言って、それ生きている意味あるのか?」

「……さっきから問題発言しかしない看守だな」

「性分だ」

 そう言って、にっこりと笑う。

「ま、俺だったら自暴自棄になっちまうなぁ。同じ立場だったら、さっき宣告された段階で舌を噛むね」

「そこまで行くのか」

「だって、明日死ぬか今死ぬかだけの違いだぞ?

 むしろ、あんたが普通にしているのが意外過ぎる。なんだ? 宗教上の理由で自殺を禁じられているのか?」

「……信仰している人間には悪いが、主の絵を踏むことが出来るぐらいにはその宗教には無関心だ」

 相手の冗談に対し、あえてこちらもユーモアを交えて返してやったつもりだったが、男はクスリともしなかった。

 せっかくだから、真剣に答えを探してみる。

「まぁ、逃げたくなかったから、かな」

「逃げる? 何から?」

「俺が真智明であることから」

 真智は語り始める。

「警察官だろうが、死刑囚だろうが、俺は真智明、だ……そこはどうやったって変えられない。なら……せめて一人の人間、真智真智らしく生きて死ぬ。無様だ、醜い生き方だと嘲笑われようが、自分で命断って逃げるよりマシだと思っている。それで、最後は真っ向から死刑に向かい合って死んでやる」

 今日の真智は珍しく饒舌だった。明確な「死」が見えている今、本当に自暴自棄になってしまったのではないか、と自分でも疑いたくなる。

「フン、何を言ってるんだろうな、俺は。笑えよ」

「……ハハハハハ」

 ――本当に笑いやがったよ……

 真智は男を怒鳴りつけてやろうかと思ったが、止めた。その表情を見れば、嘲笑しているわけではない、本心から笑っていることが察せられたからだ。

「……いい答えだ」

 そして、男は今度こそ踵を返す。

「また会おう」

 そう言い残し、鉄格子の前から立ち去って行った。


 ――何なのだ、あの男は。

 明は呆気に取られていたが、すぐにかぶりを振った。

 瞼が重い。

 どうやら、先程の言い争いで疲れてしまったようだ。

 睡魔が襲い来る中、明の頭では止めどなく考えが浮かんでは消える。

 ――死んだところで何も出来ない?

 ――なら、この状況で何が出来るというのか?

 明の体が前後に揺れ始める。

 ――出来るのは明朝の刑執行を待つだけだ。

 ――他に出来ることは……

 諦観を決め込んでいたはずの明の脳裏に、一つ自虐的なアイデアが生まれた。

 ――脱獄か? 馬鹿な……そんなこと、出来るはずが……

 そこで、真智の思考は止まった。



 ――翌日、午前九時五十分――

 ついに、死刑囚、真智明の刑執行が近づいていた。

 男の目の前には、輪の(くく)られた縄が天井から垂れている。

 日本の死刑制度において、処刑法は電気椅子でもガスでもない。

 絞首だ。

 男の首が、執行官の手によって輪をくぐらさせられる。

 確認が終わり、ブザーが鳴った。

 これは執行人にとってはただの合図。

 男にとっては、死の宣告。

 執行官が男の背を押した。

 男の足から、床を踏む感覚が消える。

 代わりに、縄が男の首に食い込んだ。

 死を受け入れようとしていたはずの男は、その瞬間、すでに手錠が外されていた両手を首に伸ばし、抗おうとする。

 だが、それも僅かな間だった。

 下で待ち構えていた男二人が、真智の身体を受け止めたからだ。そして、男達に抑えられながら、刑の時間が過ぎていく。

 やがて、真智の両手が、地面に向け、だらりと垂れる。

 受け止めた男が脈を計り、すぐさま検死医を呼んだ。


 ――午前十時、刑は執行され、一人の男がこの世から消えた。

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