地の守護者
真夜中に、ひらりひらりと黒い影。
夜に舞うその美しく艶やかな姿を知っている者は、情報屋をしている彼の姿を指して〝夜蝶〟と呼ぶこともある。
しかしその表現は、半分だけ、間違っていた。
なぜなら、彼が夜に取る姿は、決して情報屋だけではないからである。
「――あぁ、やはり魔物の大量発生か」
そうフードの中からこぼれた言葉は、眩い太陽の下ではなく、月も隠れた暗い夜だからか、酷く冷たい温度で以って、風のようにその場に響いた。
今アズマがいるそこは、街から外れた深い森の中。
最近感じていた不快感を探ってみた結果、この森で害悪なる魔物が大量に発生していることを、今しがた突き止めたのだ。
上空から見下ろしたその場には、凄腕の冒険者でも遠慮したいほどの魔物たちが、ひしめいていた。
フードに隠されたアズマの美貌が、一瞬不機嫌そうに歪む。
次いで出た言葉にこそ、彼の真意が現われていた。
「全く……困るんだよな。この地は結構苦労して安全地帯にしたおれの家なんだから」
普段の穏やかで丁寧な口調からは、想像もつかないような言葉。
しかし一方で、その少し荒い言葉遣いには、確かな本心がこもっていた。
壊してくれるなよ――と。
切実さえ込めた言葉が、小さく響く。
そして、次の瞬間。
夜の彼を〝夜蝶〟と現すには半分足りない、と言った理由である光景が、暗闇の中に浮き彫りになった。
そう……その姿は最早、可憐な蝶ではない。
一切の慈悲なしに敵を駆逐するその様は――ドラゴン、と称するべきなのだ。
風の魔法にて優雅に舞い、遥かな上空から強力な魔法を降りそそがせ、かと思えば突風にて魔物どもを宙へと巻き上げ炎にて燃やし尽くす。
それはまるで、偉大なる夜空の覇者――漆黒の鱗に身を包み、闇の属性を操るドラゴンの最上種――ニゲルドラゴンの惨禍。
魅せるだけの蝶では決して起こせない、力あるものの所業。
そうして駆逐された魔物を見やり、確かな鮮やかさと共に、確かな力を怨敵に刻んだアズマは、満足げにその場を後にした。
再びひらりと家々の屋根を飛び移って移動しつつ、彼は小さく言葉をこぼす。
「やっぱり定期的に深い森には討伐隊を送るよう、国王に言っておくべきだよな……。あいつだって、この国が魔物の巣になるのは避けたいだろうし。――まぁ、それ以前にそんなことはおれがさせないわけだが……」
ちらり、と視界の端にうつったのは、彼とは違い、正式に王と国に忠誠を誓った情報収集の専門家。
あちらもアズマに気づいたようで、律儀にも頭を下げているのが遠目からでも見えた。
それに上品な所作で手を振って返したアズマは、今日はもう切り上げることにして、帰路を行く。
彼の胸中に常に根付く本心は、平穏に楽しく暮らしたい、だ。
彼がこの地を切り開き、害悪を排除し、そうして訪れた者たちの願いを聞き入れて彼らと共に一つの国を建ててから、早くも六百年――。
この六百年間、彼は自分とそれ以外の多くの者たちが生きるこの地を、ずっと護ってきた。
はためくフードのその奥で、彼は今日もふと思う。
自分はきっとこれからも、この地を護りながら、この地で生き続けていくのだろうな……と。