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追放された星読み令嬢は、辺境公爵に拾われる――不吉と呼ばれ婚約破棄された私が、北の地で愛されるまで  作者: 明石竜


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第三話 この空の下で

 その夜、セレナはいつものように中庭に出た。

 星図を広げ、ペンを走らせる。今夜の空は澄んでいた。北の星が鮮明に見える。


 ふと、体が重いと気づいた。

 指先から力が抜けて、ペン先が羊皮紙に細い傷を作った。

 昨夜書いた星の位置を、ひとつだけ思い出せない。そんなことは、今まで一度もなかった。

 視界が少し揺れた。立っているのに、足元が定まらない感覚がある。最近このことが増えていた。大きな星読みをした後、決まってこうなる。魔物の大群を読んだあの夜から、特に。

 柱に手をついた瞬間、背後に気配がした。


「セレナ」


 レオルドが駆け寄ってきた。城の見回りの途中だったらしい。彼はセレナの腕を支え、顔を覗き込んだ。

「顔色が悪い。中に入れ」

「大丈夫です」

「大丈夫に見えない」

 有無を言わさず、セレナは城の中へ連れて行かれた。暖炉のある部屋に座らされ、温かい飲み物を持ってこいという声が廊下の方に飛んだ。

 セレナは膝の上で手を重ねた。

 レオルドが向かいに座った。

「いつからだ」

「……何が、ですか」

「体調が優れないのは」

 セレナは少し黙った。

「星読みには」

 言葉を選びながら、ゆっくりと口を開いた。

「代償があります」

 レオルドの表情が動いた。

「未来を読むたびに、自分の未来が少しずつ削れていくんです。星の運命を読み取る代わりに、自分の時間が星に吸い取られていく。幼い頃から星を読んできたので、私の場合は……既にかなり、削れています」


 静寂が落ちた。

 暖炉の炎が揺れた。

「そんな力、使うな」

 レオルドが言った。低く、怒りが滲む声だった。

「でも」

「使うな」

「……でも誰かを救えるなら、使わない理由がありません」

「君が削れていいのか」

「誰かの未来が守れるなら」

 セレナは穏やかな声で言った。動揺はなかった。

 そうでもしなければ、自分がここにいる意味をうまく信じられなかった。王都で不吉と呼ばれ続けた時間は、役に立たない自分には価値がないのだと、静かに教え込んでいた。

 自分の未来が見えないなら、他の誰かの未来を守ることに使えばいい。それが自分の星読みの意味だと思っていた。


 レオルドはしばらく黙っていた。

 それから低く、絞り出すように言った。

「君の未来は、誰が守るんだ」

 そんなことを聞かれたのは、生まれて初めてだった。

 セレナは答えられなかった。


 数日後、王都では。

 王宮の一室に三人の人間がいた。

 宮廷星術師長ガーディンが、窓の外を見ていた。老いた横顔に、炎の光が映っている。

「辺境の星読みが、領民を救ったそうだ」

 囁くような声。感情が読めない。

 王子アルトが眉を顰めた。


「セレナが? あの追放した女が?」

「魔物の大群を予知し、被害をほぼゼロに抑えた。北の公爵は相当信頼しているらしい」

 アルトは不快そうに立ち上がった。

「なぜそんな女を追放した。もう少し使い道を考えれば」

「それは今更の話です」

 部屋の隅から、涼しい声がした。

 リリアーナ・フォルティスが、椅子に腰掛けたまま微笑んでいた。金色の髪に赤い瞳。その表情は穏やかで、目だけが鋭く動いていた。

「殿下。追放されて成功した者を後悔しても、何も変わりません」

「ではどうしろというんだ」

「ならば呼び戻せばよい」


 リリアーナは立ち上がった。窓際に歩み寄り、夜空を見上げる。

「星を読む者は、王都に必要です。辺境の一公爵に独占させる理由はありません。正式な名目を用意して、王都へ戻す。それだけのことです」

 ガーディンが振り返った。その目が細くなる。

「フォルティス嬢、貴女はセレナ・アルヴェールをどう見ている」

「有能な道具です」

 リリアーナは微笑んだまま答えた。

 王都の外で力を持つ者は、いずれ王家の脅威になる。

 リリアーナはそう判断していた。

「ただし扱いを誤ると、刃になる。だから王都で管理すべきです」

 ガーディンの口元が、わずかに動いた。


 翌日。


 城の廊下をセレナが歩いていると、レオルドの側近であるオーウェンが近づいてきた。三十代の実直な男で、魔物の討伐でも先陣を切っていた人物だ。

「星読み様。少しよろしいですか」

「何でしょう」

「公爵が昨夜から機嫌が悪い。心当たりがありますか」

「……少し、言い争いました」

「言い争い」

 オーウェンが目を丸くした。


「あの公爵と?」

「言い争いというほどではないかもしれませんが」

「いや、十分すごいことです。あの方に面と向かって意見できる人間は、この城に一人もいません」

 セレナは答えを持たなかった。言い争うつもりはなかった。ただ、正直に話しただけだ。

「公爵は、誰かを失うことを何より恐れています」

 オーウェンが穏やかな声で言った。

「昔、守れなかった人がいた。それからずっと、この辺境を一人で守り続けてきた。誰も近くに置かなかった。そういう方です」

 セレナは廊下の先を見た。


 レオルドが一人で守り続けてきた土地。誰も近くに置かなかった男が、自分に来てくれと言った。君を守ると言った。

「……そうですか」


 夕方、セレナはレオルドを探した。

 城の北側、見張り台の下にいた。一人で北の空を見ていた。セレナが近づくと彼は振り返った。昨夜と同じ灰色の瞳。

「昨夜は」

 セレナは言った。

「心配をかけました。すみません」

 レオルドは何も言わなかった。

「でも、代償のことは変えられません。星読みはそういうものです。だから私は」

「セレナ」

 遮られた。

 レオルドが真っすぐにセレナを見た。

「俺はお前の星読みを止めたいわけじゃない」

「では」

「お前が一人で削れていくのが嫌だ」

 風が吹いた。

「代償があるなら、俺に言え。体が辛いなら、俺に言え。一人で抱えるな」


 セレナは目を瞬いた。


 誰かに、言っていいのだろうか。弱いところを、見せていいのだろうか。王都では弱みを見せれば付け込まれた。不吉と呼ばれた。だから全部一人で抱えてきた。


「……どうしてそんなに守ってくれるんですか」

「君が必要だからだ」

 レオルドはまっすぐに言った。

 その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。

 必要なのは星読みとしてであって、私自身ではないのだと、言われた気がした。

「星読みとして、ではないのか、と聞きたいか」

 セレナは何も言えなかった。見透かされたことに驚いた。

「両方だ」

 彼は続けた。

「星読みとして必要だ。それは本当のことだ。だがそれだけじゃない」

 それ以上は言わなかった。しかしセレナには、何か伝わった気がした。うまく言葉にはできないけれど。

「私は」

 セレナは言った。

「ここに残ります」

 レオルドの目が、わずかに揺れた。

「お世話になります、公爵」

「レオルドでいい」

「……レオルド、様」

「様もいらない」


 セレナは少しだけ、笑った。初めて笑った気がした。ここに来てから。


 その夜。


 セレナは一人で星を見た。

 ノートを膝に乗せ、空を見上げる。王都では気づかなかった星が、ここからは見える。北の空はどこまでも広い。

 ふと、星図に目を落とした。

 今夜も確認する。自分の星を。自分の未来を。

 ペンが止まった。


 東の空の端。そこに見えてはいけないものが見えた。複数の星が、ゆっくりと動いている。その軌跡が描く形を、セレナは知っていた。古い文献で見たことがある。星術師たちが最も恐れた配置。


 手が震えた。

 震えを抑えながら何度も、何度も計算した。答えは変わらない。

 これは。

「セレナ」

 背後でレオルドの声がした。今夜も来ていた。

「……星が」

 声が掠れた。

「王国崩壊の星が、出ています……いいえ。ずっと出ていたんです」

 レオルドが隣に立った。セレナの手元を見た。震える手で握られたペン。羊皮紙に書き込まれた計算の跡。


 長い沈黙の後、レオルドが呟いた。

「やはり君だった」

 セレナは顔を上げた。

「星が示した運命の人は」

 レオルドは夜空を見上げていた。その横顔に、どこか最初から知っていたような静けさがあった。

「え?」

「君はこの国の未来を変える。だから俺は、君の未来を守る」


 風が吹いた。北の夜に、星が瞬く。

 セレナは夜空を見上げた。王国崩壊の星が、静かにそこにある。恐ろしい。しかし同時に、不思議と心が定まっていく感覚があった。


 隣に、レオルドがいる。

 この空の下に、自分の居場所がある。

 なら、まだ星を読める。

「星は未来を示します。でも……ほんの少しだけ。変えることもできます」

 失うものがあることは、もう知っている。

 それでも読むのだと、セレナは自分で決めた。

 誰かに命じられたからではない。

 この空の下で守りたいものができてしまったからだ。

 逃げるためではなく、守るために読む。

 そう決めたのは、たぶん今が初めてだった。


北の空で、星がひとつ静かに瞬いた。

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