7. 東の叡智
翌日の朝。
学術院へ向かうシデラの足取りは重く、昨日から続く肩の重みは取れなかった。
第9棟の階段を登っていると、頭上の踊り場から誰かの声が聞こえた。
「聞いたか?今年の大陸科学学会の開催国」
「ああ……"東の叡智" だろ。なんでわざわざあんなところで開催するんだろうな」
「開催国はランダムだから仕方ないよな…未だ科学者はいるらしいし」
「にしても教授たちは気が重いだろう」
シデラは最後の一歩を上がり、踊り場に顔を出した。
「"東の叡智"……ってなんですか?」
そこにいたのは別研究室所属の研究員だった。二人は突然現れたシデラと会話をするべきか、一瞬顔を見合わせたが、片方がゆっくり口を開いた。
「そうか。シデラ君は "平和協定" 以降の生まれなんだな」
「平和協定…聞いたことはあります」
グローリアとエテルニタス。2つの大国が引き起こした戦争は終わりを迎えた。
世界はなんとか終戦を迎えたが、しばらくは火薬の匂いが残り、両国の後ろ盾として参戦していた他の国々も睨み合いが続いていた。
そんな状況を立て直そうと結ばれたのが「平和協定」。
各々が持つ全ての武器を放棄し、争いの引き金を葬ろうという誓いだった。
しかしその誓いに唯一異議を申し立てたのが東の小国「アストラ」。アストラは科学研究に秀で、最大の武器輸出国として栄えていた。国の基盤である技術を諦めるなど、廃れる以外に未来はなかった。しかしグローリアとエテルニタスをはじめとした大国達の圧を受け、誓いを結ぶしかなかったアストラは渋々ながら契りを交わし、国は次第に廃れ "東の叡智" と呼ばれた面影はどこにも残っていない。
「そんなわけで、アストラは今や荒廃国家だが、今年の学会がそこで行われることになったわけだ」
「元々とんでもない科学力の国でしたから、今でもアストラに憧れる科学者は多いんだよな」
「科学力って言っても、開発ができないんじゃあな……」
二人のため息を聞いたシデラは明るく答えた。
「荒廃国家って…それほど技術力のある国だったら、武器開発以外にも人々を豊かにする発明で国を建て直せたんじゃないでしょうか」
「わかってないな。アストラにとって平和協定による輸出停止は死刑宣告と同等だ。……年中極寒のアストラには、食料を作れる土地がないんだよ」
「アストラ………」
……あの時、私、何かまずいこと言ったかもしれない。
グラディウスの灯りに揺れる瞳を思い出して、シデラの胸にじんわりと小さな焦りが芽生えた。
燃え落ちた叡智は、彼にとって大事な何かだったのかもしれない。
「シデラ・カルヴァストーニ」
名前を呼ばれて振り返ると、階段の上にはアルガス教授がこちらを見下ろしていた。
「アルガス教授…?」
「院長がお呼びだ」
「「え?」」
思わずシデラの側にいた二人からも声が漏れた。
「院長って……」
「ナヴェルシア院長に決まってるだろう。すぐに院長室に向かいなさい」
ナヴェルシア院長の鋭い眼光が脳裏をかすめた。
曇った眼鏡の奥から、突き刺すようにこちらを見ていたあの視線。
「そ、そういえば……目が合ってた……!」
さっと血の気が引く顔を思わず手で覆った。
研究員の一人が、恐る恐る声をかける。
「シデラ君、院長と会う機会なんてあったのか?」
「それは……」
言葉に詰まるシデラ。
アルガスもその場を立ち去らず、静かにシデラを見下ろしている。どうやら、彼も気になっているらしい。
「い、言えません!!」