2. 聖なる扉
シデラは一人、書庫の前に立ち尽くしていた。
ラクーナ学術院の書庫はラクーナの中で最も多くの本を貯蔵しており、文学、神学、科学等、多岐に渡って様々な文献が保存されている。
神聖な書庫を守っている鉄の扉は重く、天井は怪物でも通れそうなほど高かった。
しかし、シデラが書庫へ入らないのは重い扉が理由ではない。
取っ手には鍵がかけられているのだ。
「…」
シデラは下唇を噛み締め、意味もなくその錠に触れた。鉄製の錠はひんやりと冷たく、針金などでこじ開けられる代物ではなさそうだ。
「シデラ・カルヴァストーニ?」
振り返ると、廊下の奥から細身の青年がこちらを見ていた。
「ダリオ…!」
「やあ!何をしているんだい?」
ダリオは爽やかな笑顔でシデラの横に立った。張り詰めていた糸が緩んだように胸を撫で下ろしたシデラは、ダリオと共に書庫の扉を見上げた。
「ああ…書庫に入りたいのか」
「うん。私の論文には『文献が無い』と怒られてしまって。そりゃ怒られるよね、ははは…」
ダリオは声を落としたシデラを心配そうに見つめた。
「文献が 『無い』か……。見せてくれないのにね」
指先に残っている錠の冷たさを隠すようにシデラは拳をきゅっと握りしめた。
弾かれたようにダリオを見上げ、腕を掴んだ。
「ダリオ。お願い、一冊でいいの。ラクーナ湖に関する書物を……!」
「ごめんね」
ダリオは優しい声でシデラの手を握る。
「助けてあげたい気持ちは山々なんだけど、書庫の鍵は教授と教授補佐しか持っていないだろう? 下っ端の僕が単独で書庫に立ち入ることは許されないよ」
「そ、そうだよね……」
具体的な解決策も無く口走ってしまった愚かさに、顔から火が出そうだった。
はっとして手を引っ込めようとしたが、ダリオはそんなシデラの手を強く握り続けた。
「だけどね、シデラ…覚えていてほしいことがあるんだ」
柔らかい声がシデラの耳を包む。
ダリオの顔を見上げると、彼の透き通るような小麦色の髪は窓から差し込む太陽にきらめき、慈しみに溢れた目元がシデラをまっすぐ見つめた。
「僕たち同期の中で、君は最も秀でた研究者だ。君はどんな時でも物事の核心を突く。
それは研究者として……諦めてはいけない "才能" なんだよ」
シデラの耳は赤く染まり上がり、熱った顔が爆発してしまいそうだった。
「あ、そ、そんなことないよ……!」
強引に手を振り解くと、さっと背後に隠してしまった。先ほどまでの冷たさは引き、指先まで焦げてしまいそうなほど血が巡る。
「__っだ、ダリオだって。いつも、学会で、素敵な論文を、いや、論文だけじゃ。無くて……」
「シデラ?」
目が泳いでダリオの顔が見れない。絡まりそうな舌を押さえ込み、シデラは書庫に背を向けた。
「じゃ、じゃあ私研究があるから。って言っても文献は見れないけど!あは、あはは。じゃあ、また、ね!」
ダリオの返事も待たず、シデラは急ぎ足で廊下を歩き出す。彼が背後で何か言った気がしたが、熱の籠った耳には届かない。
もつれそうになる足を何度も直しながら、第9棟へ戻った。