【短編】換装
2047年。
人類の死生観は新たな転換期を迎えようとしていた。
なお、新しい宗教が台頭したわけではない。
手術室の中、三人の泣き声が重なる。
「あなたぁ……!」
「オヤジ! おい、目を覚ませよ!」
「お父さん……こんな……もっと優しくしてあげれば……」
「15時21分、ご臨終されました」
救命救急医の時を刻む言葉に、母は崩れ落ち、息子と娘はD氏の遺体にうつ伏せた。
あまりに突然訪れた別れ。死因は心筋梗塞だった。
「奥様」
医師のそばにいた看護師が神妙な声で訊ねる。母は何も返事できず泣き声をあげるばかりだった。
「時間がないので手短に」
医師が急き立てるように言う。
「ご主人の記憶を写しますか?」
理解のできない母子たちは、泣くのをぴたとやめ、医師を見返した。
医師は端的に説明する。
――人の死とはなにか。生命活動の停止だとすれば蘇生とは、肉体を再生すればよいのか。
似た素体――失礼、体を準備すればよいのか。
だがそこに記憶はなく、思い出もない。それは限りなく似せて作られたただの空っぽの人形に過ぎない。
だとすれば人の死とは、記憶の死。またそれにより培われた性質、価値観が更新されないことなのではないか。
そこで関東の一部の大学病院では、研究の一環として、死者の脳内の記憶をデータ化し、AIと融合させることで肉体の死後も、精神の生を確保するというものを行っており、この病院でもそれを行っているのです。
――とのことだった。
本来は入院中にご本人も含めて相談していくのですが、この度は急だったため――と最後に付け足した。
初めは戸惑っていた母子たちだった。偶然搬送された先が大学病院だったまでのこと。
だが、やがて大まかに理解はできたのか、慌てるように医師にすがり、
「お、お願いします!」
数日後、D氏の家族は、明るい表情を浮かべていた。
「ただいま~」
娘が中学校より帰宅する。すっかり夜も更けていた。塾帰りだろうか。靴を脱ぎマフラーを外し始めた頃、家族に先駆けてセンサーライトが出迎えた。
「お帰り~。ちょうどご飯できたわよ~」
母がそう呼びかけると、妹は洗面台で手を洗いながら、またリビングのソファでテレビに向かってはいるがスマホを見ていた兄は適当に返事をして立ち上がる。
『へぇ~、最近の音楽久しぶりに聞いたなぁ』
ただ一人テレビを観ていたのは、D氏の記憶が引き継がれたアンドロイドだけだった。
「お父さんお仕事ばっかりだったもんね。テレビなんてゆっくり観たの久しぶりなんじゃない?」
「つーかオヤジ、たまに早く帰ってきても酒ばっかりだっただろ」
「こんな風に4人で食事することなかったものね」
『まぁもう酒も飯も食えない体にはなっちったけどな』
アハハハハ――。
団欒という言葉が似合う、食卓だった。
それから一年が過ぎた。
娘は高校生になりアルバイトや塾などで忙しくなり、息子は大学生になったことで娘以上に家にいる時間が短くなった。
『――おい、こんな遅くまでどこ行ってたんだよ』
と、夜九時を周って帰ってきた母に向かって、父が窘めるような口調で言う。
サンプリングで作られた合成音声は非常に精巧な出来だったらしく、母が苛立つのに十分だった。
「職場の人たちと飲んでたのよ。別にいいじゃない。子どもたちも今日は外で済ませるっていうんだから」
『そういうこと言ってるんじゃないだろ。子どもたちより遅く帰ってくるのが問題だよ』
「何よ。あなたはもう家にしかいられないんだから私が倍以上働いてるんじゃない。なんで文句言われなくちゃいけないのよ!」
『そ、それを言うのは――ガガ』
「すみません、初期ロットの素体ではまれにある回路の異常ですね」
T大学に運び込まれたD氏は、医学部ではなく工学部に運び込まれた。
「ただ換装から一年以上経過してますんで、保証の対象外ではあるんですよ。なので500万円の費用が発生してしまうんですけど、どうしましょうか?」
「えっ……そ、そっちが準備した素体なんですよね?」
母は手袋をはめたままの手で、スカートの裾を握った。
「えぇ、まぁそうなんですけどね、換装オペの前に先生から初期ロット使用時の注意はご説明されてますし、奥様サインされてますよね。初期ロットの方が費用が安くて済むからと」
「そ、それは……」
「それに、当時は検体の意味もありましたから補助金がでましたけど、修理は対象外なんです」
そこで母は思い出した。今目の前で対応している女性は、あの時手術室にいた看護師であることに。看護師ではなく工学部の研究生だったのだ。
「記憶のデリートは免れてますから、急ぐ必要はないと思いますよ」
「……ちょっと、家に帰って家族と相談してみます」
「あー疲れた……」
「おう、久しぶりだな」
階段を降りてきた息子は、帰ってきたばかりの妹を出迎えた。
「何してたんだ? こんな時間まで」
「塾だよ。もうすぐ大学の共通入試だから、今追い込み中でさ、塾の先生はりきっちゃって」
「ふーん、大変だな」
「てかお兄ちゃんいたんだ。ホント大学生って暇そうだね」
「バカ、俺はきちんと早めに準備して就活終わらせたからだよ。他の奴はまだこれから必死なんだって。ご飯は?」
「そんなの塾の前にとっくに食べちゃったから。それよりお風呂入ってもうひと頑張りだし。お母さんは?」
「さぁ? 残業か飯食って帰ってくるんじゃね?」
兄は妹と入れ違いに家を出て行く。今から友達と飲みに行くそうだ。
やはり大学生は暇なんじゃないか――兄の背中を見送りながら妹は思った。
そうして明りの点いていないがらんどうの家の中へと振り返り、
「お風呂入ろ」
と一人呟いてから、「ダレクサ、リビングまでの電気点けて」とAIに頼むのだった。