第六十話◆:プレイバック
第六十話
「入場チケット……入場チケット……ん、よくよく考えてみたら入場チケットじゃなくて入場券か」
雨乃佳奈はそんな事を考えながらリビングへと通じる廊下を歩く。後ろのほうにある玄関では一緒に水族館へと向かう親戚の雨乃零一が待っていた。あまり待たせるのも悪いだろう。怒りっぽい性格ではないほうなのだが、からかわれるかもしれない。そう思って佳奈はリビングへ通じる扉を開ける。
「え」
「あ……」
「佳奈……どうしたんだ」
其処には大事なお客が来るといって水族館をキャンセルした両親が当然いたのである。当初は零一と一緒にそれなら違う日にすればいいじゃないかと言ったのだが聞いてもらえず無理やり行かされた感もあった。
両親がいるのは構わなかった。
両親の反対側にあるソファーに座る一人の老人。それが誰であるか、佳奈はしっかりと覚えている。
「佳奈ちゃん、うちの零一とは仲良くしてやっているかな」
「れ、零一の……お爺さん……い、今そこに零一、いますけど……」
十メートルも離れていないであろう居候を呼びに行こうとしたが、その腕を達郎に押さえられる。力強くつかまれているというわけではないのだが、振りほどくことが出来ない。意志の強い掴み方だった。
「佳奈、零一を呼んできちゃ駄目だぞ」
「え、な、何で……だって、行方不明って……」
佳奈の言葉に一つため息をついて老人は口を開く。
「知られてしまったからには仕方がないからね。達郎さん、佳奈ちゃんにも座って聞いておいてもらいましょう。零一は佳奈ちゃんにもお世話になっているとのことですからね。ここからはわたしの仕事と言うことで」
「は、はぁ……わかりました」
普段はどんな人物が来ていたとしてもだらけているのにどうやら零一の祖父である雨乃源二には頭が上がらないらしい。
両親と同じソファーに座らされ、佳奈は目の前に座っている細身の老人を眺める。執事服を着ているようで、実に似合っていた。口調も変わってきている。
「あ、あのっ……何で、零一をここに呼ばないんですか。それに……」
先を続けようとする佳奈の言葉をさえぎるようにして老人は答えを返す。
「相変わらず佳奈さんは元気がよいのですね。健康で何より……零一を呼ばない理由は簡単なこと。まだ知られてはならないからですよ」
そういって笑う。何故、知られてはいけないのだろうと佳奈は考えるが答えは出てこない。会ったことは何度かしかないが、一度みたら忘れない、そんな印象の人であった。零一もこっちに来てから何度も自分の祖父のことを自慢げに語る姿を見ることができた。
「よく、おじいさんの話をしていましたよ」
「……それは実に嬉しいことです。では、そろそろ話をさせていただきましょう……まず、零一とわたしは血がつながっておりません」
「え……」
鈴音と達郎は黙って佳奈を見ていた。
「わたしは執事をやっている身で、零一、正確に言うのであれば零一お坊ちゃまは東グループ宗家のご子息でございます」
東グループ。以前は製薬会社であったが今では様々な分野に手を伸ばしている財閥の名前である。一週間に三回程度は必ずテレビで拝見するであろう名前だ。
「………」
「勿論、そのことを零一お坊ちゃまは一切知りません。ついでに言うのならば、零一お坊ちゃまには兄上がいるのですよ」
声も出ない佳奈に零一の祖父である源二は続ける。
「血がつながっていないと申しましたが、一応は家族です。わたしの養子となった娘と、東グループ宗家、現当主である東龍輝様の間の子どもでございますから」
「……な、何でそのことを零一に教えないんですか」
「まぁ、そう言われますとお恥ずかしい話、零一お坊ちゃまが生まれた年は東のほうで色々と大変なことが起こったのでございます。お家のごたごたに巻き込まれた零一お坊ちゃまはまだ赤子でそのままわたしの元へ、そのまま偽りの生活を続け、成長なされたのです」
「あの、それって本当のことなんですか」
うまく話が作られている気がしてならない佳奈はそう訊ねるが、相手は真剣そのものであった。
「嘘偽りの無い、話でございます……佳奈さん、話を続けてもよろしいでしょうか」
「え、あ……はい」
「旦那様は現在、零一様の今後のことを悩んでおられます」
「は……」
「実はそのことで今回は相談しに来たというわけです」
「……」
「今の生活に零一お坊ちゃまは充実していると感じている。そうわたしと旦那様、そしてわたしの娘は思っております。零一お坊ちゃまの前にいきなり現れて両親だなどといえるほどお二人とも間抜けではいません。鈴音さん、達郎さん……そして、ここの長女である佳奈さんには迷惑な話かもしれませんが零一お坊ちゃまの家族となってほしいのです」
「それってどういう……」
「つまりは養子にして欲しい。そう思ってここにやってきたのです」
誰も何も喋らない。無色で、偽りの涼しさがクーラーから吐き出されている。
「鈴音さん、達郎さんには以前お話をさせてもらっています」
「……え、そうなの」
二人は頷く。ただ、それ以上何かを話す事無く佳奈のことをしっかりと見ているだけだった。
「お二人の返答はすでにもらっています。後は貴女がきめるだけです」
「え……」
三人の視線が佳奈をじっと見ている。重圧は佳奈の小さな双肩に覆いかぶさり、耐えられなくなった佳奈は口を開く。
「ど、どういう意味ですか」
「貴女が零一お坊ちゃまを家族に迎えるというのなら、家族になります。ただ、ノーというなら、お坊ちゃまは東の性になるということです」
「そんなの、母さんと父さんがきめたことになるんじゃないのっ」
「そう簡単にことは運びません。貴女のご両親は貴女の一言を一番に考えていますからね。そろそろ、零一お坊ちゃまも痺れを切らせてこちらにやってきてしまうかもしれません。佳奈さん、行ってあげてください。とても大切な選択肢を与えてしまってすみません……出来ましたらこのことは他言無用で」
その後のことを佳奈は覚えていない。気がついたら零一と一緒に自宅に帰ってきたのである。スナメリがどうとかいった記憶があるのにびっくりしたぐらいである。
ケータイの電池が残り少ない状態のため、後書きはスルーでお願いします。二月二十七日土曜、十二時四十分雨月。