第二十六話◆:忘れ物の病室
第二十六話
ノックは流石に出来ないな。こんどやったら看護師さんが俺をつまみ出しそうだ。
「……あの、どなたですか」
まず一声、そう言われた。消え入りそうで聞き取りづらい、そんなおびえたような声。そりゃそうだろうよ、見知らぬ奴が入ってくれば誰だって怯えるもんだ。俺なんて怯えて死んでしまうかもしれない。
「俺の名前は雨乃零一。好きに呼んでくれればいい……それとこれ、お見舞いの花束だ」
「え、あ、どうも……」
直接手渡す。お見舞いなんてしたことがないからどうすればいいのかわからないのだ。こういったタイプは一気にまくし立てれば何とかなるのだが……俺、そういうの苦手なんだよね。
「……」
「……」
そして、硬直。どうすりゃいいんだよ……『嘘言ってもいいから友達になれ』ってちょっと無理あるだろ。
「あ、あのだな、俺はその……君のお母さんの知り合いなんだ。ちょっとバイトというか、仕事で依頼主なんだ。嘘じゃないぞ、これから電話をして確かめてもいい」
「どんなお仕事なんですか」
そういわれた。そりゃそうだ、学生服着て俺は何を言っているんだ。浮気調査をしていました。正直に言うべきか、言わざるべきか……
「……実は、貴方のお父さんが浮気をしていると思ったために俺らに調査を依頼したんです」
「え、えっと……浮気調査をしているってことは……あなた、探偵なんですかっ」
「え……」
目をきらきらと輝かせている。食いついてくるとは思わなかった。
「いや、ちょっと違うけど……追跡癖があるんだよ」
「追跡癖って何ですか」
おかっぱのような髪型だが、可愛い。色々と質問を続けてくる。
「え、気になる人をずっと……ちょっと追いかけるんです」
「そうなんですかっ……あ、じゃあ、私が気になったら付け狙うってことですよね」
「付け狙うって……まぁ、ちょっとは見ているかも」
「そうなんですか……」
何故、はにかんでいるのだろう。普通は引かれるのに……
「それで、パパはどうだったんですか」
「……浮気なんてしてなかった。それが答え」
「そうなんですか……」
がっかりしているところを見ると……浮気を期待していたのだろうか。
「えっと……俺そろそろ帰るよ」
「え、もう帰るんですか……」
途端に悲しそうな顔になる澤田夏樹ちゃん。
「うん、俺もまた明日学校があるから……ね。じゃ、ばいばい」
立ち上がり、振り返ることなく俺は家に帰ることにしたのだった。
――――――――
「零一、電話よ」
夕飯、鈴音さん、佳奈と一緒に飯を食っているとコール音が鳴り響き、それを佳奈が撮ったのである。そして、俺へとまわってきた受話器。
「もしもし」
『あ、あの……澤田です。病室に……ケータイ忘れていましたよ』
勿論、それはわざとである。いや、忘れるようにと言われていたことだ。そう、けして俺は本当に忘れたわけじゃない。後でケータイを何処で落としたか探していたというのも演技である。
「悪いね、置いてきちまったんだ……あ、えっと……明日、取りに行くから悪いけど持っててくれないか」
『あ、はいっわかりました……あの、お、お待ちしております』
そういって電話は切れた。
「ねぇ、今の誰からの電話だったの」
佳奈が箸で受話器を指している。まったく、行儀の悪い奴だな。
「単なる友達だよ」
「ふぅ~ん、その割にはかなり声が幼かったようだけど……」
「そんな声なんだよ、元から」
お前だって体型まだ完全に中学生じゃねぇかよ……とは、さすがに鈴音さんの前で言うことができなかった。
「ま、別にいいけどね」
「それなら聞くなよ」
「いいじゃん、聞きたくなったんだからさ」
肩をすくめる。やれやれ、事が事だけにあまり人には話さないほうがいいからぼろは出したくないな。
鈴音さん特製の味噌汁を口に含む。
それまで黙っていた鈴音さんが口を開いた。
「で、その子は病院にいるのね。花束を持ってとても緊張していたようだから……きっと可愛い女の子なのね」
「ぶほっ……げほ、げほげほ……み、見ていたんですか」
「ええ、ばっちり」
実に愉快そうに笑う鈴音さん。ま、まったく……人が悪いな。
第二十六回目の更新。さて、今回の話でまた一人出てきてしまいましたね。副産物です。ま、ともかく今後もちょくちょく絡めてくる子なので覚えておいていただけると損はないかと。それでは次の更新時までさようなら。二月五日月曜、十二時三十六分雨月。