第百五十三話◆夏樹編:後輩と二人きり
第百五十三話
何度見ても古臭いアパートだ。鉄の扉の端にはもれなく赤錆がまるで水垢のように垂れ、塗装もところどころ取れてしまっている。改めてみてみると、やっぱり、年季が入っているのだな……そう思えた。いつ、壊れてもおかしくないというのは流石に言いすぎだが、地震が起きたら……恐いな。
「……あのさ、結構汚いぜ」
後ろには当然、ここまで無言でついてきた澤田がいる。そして、澤田の近くにはこれまた古い扉があり、その部屋の持ち主は勿論、竜斗だ。隣の部屋から竜斗が出てこないか本当に不安だったりする。
「……大丈夫です」
「そ、そうか……」
それ以上俺が何か言えるわけでもなく、言ったら竜斗が出てくるのではないかと怯えてさっさと扉を開けることにした。
「玄関は綺麗ですね」
「そりゃあな、一人暮らしじゃ玄関に置くものも少ないし」
ゴミ出し日にばたばたしているとたまにそこにゴミを放置してしまうこともあるのだが、今日は違うから大丈夫である。
「あの、零一先輩、これ……」
「ん、なん……」
俺はすぐさま澤田の手に握られていた成人指定の絵本を奪い取る。一人暮らしだと、結構心に隙が出てそこらへんに放置することだってあるさ。
「……これはな、満のだ。満がやってきてここに忘れていったときのものだ。さ、こっちにくつろげる空間があるから先に行っててくれ」
俺は物置として使用している部屋の扉を開けると絵本を放り込む。
「……」
「こっちはな、物置だ。お前が見てもおもしろくもないものしかないから安心しろ」
「逆に……安心できないんじゃないかって思います。入っていいですか」
聞こえなかったことにして俺はお茶の用意をすることにした。
「で、何が飲みたいんだ。お茶か、紅茶か、コーヒーか……あ、オレンジジュースもあるぜ」
「牛乳がいいです。背、伸ばしたいですから」
「あ、ああ……牛乳な。えっと……消費期限が切れているのなら……」
「……」
「じょ、冗談だよ、冗談っ。そんなに恐い顔をするなって。ほら、ちゃんと牛乳はあるからな」
コップになみなみと注いで目の前に置く。じーっと牛乳を見ているのだが……なんでだろうか。
「……零一先輩」
「何だ。どうかしたのか。さっきも言ったけど、消費期限は切れていないから安心して飲んでいいぞ」
いちいち何か変なものでも見つけたのではないかと不安になってしまう。
「いや、そういうことじゃなくて……あの、野々村先輩とはどういった関係なんですか」
「あいつねぇ……友達だよ、ただの」
「ただの……友達……本当ですか」
「ああ、ほら、前、生徒会室に呼び出されただろ、あの時であったんだよ」
自分の分に注いでいたお茶を飲み干す。出がらしであったため、不快感だけが残った。
「でも、この前会ったばかりだって言うのになんだかやけに仲がいいですよね」
「ん~まぁ、何だ。色々と面倒ごとに巻き込まれたからな。俺の知り合いの女子の大半があいつに……そういえば、澤田はその記念すべき一人目だったな。あれ、どういったからくりだったんだよ」
「さ、さぁ、何のことだから忘れましたよ」
「……まったく、調子がいいんだからよ」
牛乳を一気飲みし始めた澤田をちらりと見てからテレビのリモコンを押す。
「……思えばよ、お前とであってそろそろ一年ぐらい経つんだなぁ……」
「そうですね、確かにそろそろ一年になります。でも、あまり親しかったというわけでもありませんけど……零一先輩、私のことを忘れていた時期もありましたからね」
ため息をついて澤田は悲しそうだった。まぁ、俺のほうにも言い分はあるわけで……
「ま、あんまり顔を合わせていなかったりしたら忘れるだろ、やっぱりさ。澤田だって俺のことを忘れていたときが無いとは絶対にいえないだろ」
「それは……そうですけど」
言いよどんだ澤田から視線を移してテレビのほうへと顔を向ける。
明日の天気は予報では晴れのようである。さて、明日は何をしようか……
「そういえば、お前って飛び級してるんだったな」
「そうですよ」
結局、一気飲みできなかったようで牛乳を眺めている。
「正直、不安でいっぱいだろ」
「そうでもないですよ。だって、零一先輩がいますから」
「何で俺がいたら不安じゃないんだよ」
不思議で仕方がないので首をかしげる。ん、もしかして俺ってかなり頼りになりそうに映るんだろうか……
「だって、零一先輩は本当だったら高校二年生ですよ。でも、私と同じクラスです。しかも、頭だって悪いというわけじゃないじゃないですか。何で留年したんですか」
逆に頼りにならないから自分がしっかりしないといけないと思わせる要因なんではなかろうか、俺ってさ……
「……いや、まぁ、そうだな。俺にも留年したそれなりの理由があるんじゃないかと俺は思うよ、うん」
「零一先輩、自分のことですよね。なんでそんなに曖昧なんですか」
呆れたような澤田の視線だったが、俺は曖昧に首を傾げるしか術を知らなかった。
「ま、まぁ、思い出したくない過去も俺にはあるんだよ」
「思い出したくない……過去ですか」
「ああ、そう。お前だって一つや二つ、俺だったら四つや五つ、六つに七つと……雨乃零一トラウマ白書って本を自費出版してもいい位あるぜ」
「そんなにあるんですか」
「まぁな」
そんな風に二人で雑談をしていると夕方になっていた。
「おっと、もうこんな時間か」
「ずいぶん時間が経つのが早いんですね、ここは」
「いや、楽しかったから時間が早く経ったんだろ」
「じゃ、私帰りますね」
立ち上がって流しにコップを置く。俺はそんな澤田の後姿を見つめてふと思った。
「お前、やっぱり去年より身長が高くなってるな」
「え、本当ですか」
「ああ、本当だ。人ってやっぱり成長するものなんだな」
「もうっ、私だって成長しますっ」
飛び級したとはいえ、中身はまだまだ子どもだな。
「あ、先輩、あそこにえっちな本が……」
「なぬっ……」
「嘘ですよ」
「くぬぅっ」
ああ、澤田がどんどん悪い子に成長していっている気がする……きっと、元凶は朱莉に違いない。
はい、どうも。今回でもうネタ切れです。新しく話を考えようにも…いまいち頭の中で話が広がってくれません。一応、笹川栞の話は一つ、書いてはいるんですけどね。ああ、覚えていただけるまで何度でも言いますが今回のまとまりだった夏樹編からは話が独立しているということをお忘れなく。他のメンバーとの話ではゴールデンウィークは零一、独りでさびしく過ごしているということになっていたりします。では、いつかまた、お目見えできるといいですね。もしかしたら……ということもありえるので。それでは。四月三十日金曜、七時五十八分雨月。