第伍拾参話 月見橋
現実世界にて、エースであり現役最強である隼が何も抵抗出来ず一方的に攻撃を受けたのを見て。
勇敢で獰猛な咲羅でさえ、呆然としながら刀を落としていた。
反射的にあの偽物の視界に入らぬよう。奥へと逃れようとする他のメンバーを見れば。その危機的状況が分かるだろう。
普段の運び屋達はこんなにも無力で、無気力な者達ではない。いつ、何時も人魚達の猛攻を退け勇敢に戦ってきた。
しかし、しかしだ。目の前の敵はそれですら超越してしまう未知なる恐怖であり。存在なのだ。
富士宮は草履を履かず、足袋のまま中庭に足を踏み入れる。
多少の痛みも諸共せず、直ぐに隼の元へと向かった。
「...隼。おい!隼!しっかりしろ、目を覚ましなさい!」
彼は気絶状態で意識が戻らない。
何度も彼女が上半身を起こし、身体を揺するがそれでも尚。
反応を示してはくれなかった。
そんな事もお構いなしに、優雅な足取りで偽物は此方へと向かってきた。
『アハハハハ!!こうもまぁ、無様なものとは。まぁ、脆い物だな。使い捨てのガラクタよ』
そう言われた咲耶は怒りに震え、羽織から溢れんばかりの炎を全身に纏った。
「なんなんだ貴様は!私達先祖がどれほどの思いを私達に託したと思ってる!血を繋いで来たと思ってる!それをガラクタ呼ばわりだと!富士宮の名にかけて、私はお前を倒す!」
「...さ、くやさん。ダメだ、逃げてくれ」
意識が混濁した中、隼は途切れ途切れの言葉を咲耶に伝えた。
しかし、彼女は聞く耳を持たず鮮やかな赤い炎を纏った刀で彼に振り被る。
しかし、目の前に見えない障壁が張られており彼女の刀はそのまま無残にもへし折られてしまった。
『もう良いか?彼奴が来ないのならお前達を生かしても意味はない。此処の主に逆らったらどうなるか?思い知るといい』
そのあと、彼は指をならすと時空の歪みがおき、天井から何か巨大な拳が降って来る事が分かる。
その光景に咲耶は恐怖し、その場から動けずにいた。
「い、いや...でも、あの子だけは。あの子だけはどうにか」
何かを懇願するように咲耶は涙目になりながら目を閉じ、自分の運命を受け入れていたそんな時だった。
目の前にもう1人、いや本物の朝風が現れた。
『やっと来た。まだ、遊び足りていなかったんだ。朝風、丁度良い所に来たな』
「戯言はよせ。ワシの大事な臣下を良くもまぁ甚振ってくれたのぉ。その拳、しまってもらおうか?」
朝風は懐から鎖を取り出し、それは動きを食い止めるように自我を持ちながら拳にまとわりつく。
やがてそれは萎縮し、拳を粉砕した。
それを見た、富士宮はその場でへたり込み過呼吸を繰り返していた。
「隼、まだへばっとらんよな?ワシの子孫がこんな所でくたばる訳なかろうて。富士宮を連れていけ。それと緊急用の薬じゃ。和尚さんにも渡してある。皆で生きて帰るぞ。これは命令じゃ」
「あ、ありがとう。この恩は必ず返す。現実世界で」
そう言うと朝風は微笑み、偽物と対峙した。
「分かっとるよ、お前さんの事は。野師屋も魅入られたように門の中へと入って行った。あの門、誰が用意した?」
『さぁ、どうだったかな?覚えがありすぎて、どうしようもない。自分で確かめて見たらどうだ?』
「ほう、それはまた身勝手じゃな。...なら、お前のその口黙らせてやろう!」
隼は最後の力を振り絞り、なんとか狼狽する咲耶を支えながら木陰に隠れた。
朝風からの薬を見せると彼女は拒否反応を見せた。
「...い、いやっ。元の世界に帰りたくない。終わってしまう。速飛との思い出も。思いも全て」
「咲耶さん、大丈夫だ。安心して。なくなったりしないから。帰ったら、母さんに思いを伝えればいいから。コンビだってまたやり直せる」
「...違う」
そう返答された隼は動揺してしまう。
確かに自分は相手の気持ちを汲み取るのが苦手だ。
しかし、自分なりに優しい言葉を選んだのだが何故か咲耶には届かなかった。
「ごめん、私は自分の気持ちに嘘を吐いてた。自分の孤独を埋める為に速飛を利用してた。私は彼女の相方失格だ。本当は彼女の事なんてなんとも思ってないんだよ。君が彼女の息子である事も知らなかったんじゃない。知りたくなかったんだ。いつもそうだ、のらりくらりとかわして自分の気持ちを伝えないのは」
「俺の事を知りたくなかったってどう言う事だ?」
「私が本当の悪女だと言う事だよ。速飛を自分の都合の良いように見て、利用してただけだ。家族なんて、それこそ息子なんてどうでも良い。速飛は自分の側にいれば良いとね。でも、バチが当たったんだ。そうじゃなかったんだ。この数週間、君と話して良く分かった。君と速飛は一蓮托生だ。君を理解する事は彼女を理解する事でもある。速飛を思う事は君を思う事でもある。...私は怖い。それがとてつもなく怖いんだ。だから、その薬は飲めない」
「俺は貴女を悪女だとは思ってませんよ。仮にそうだとしても、もうこれ以上俺達を惑わせるのはやめてください。俺、言いましたよね?思いを伝えても嫌がる事はないって。それは俺も同じですから。戻ったら、ゆっくりでも遅くとも良いので気持ちを聞かせて下さいね。俺にゆっくりとか遅くとか言わせるなんて相当ですよ」
そう言うと咲耶は目を見開き、まるで姫のように上品に笑い出した。
「ふふっ、あはは!隼は面白い子だな、気に入った。速飛も面白い奴だった。退屈しない親子だよ。済まない、君を試すような真似をして。分かってるよ。私は素直じゃないんだ。特に自分の気持ちには。覚悟は出来た。その薬、貰い受ける」
「咲耶さん、大丈夫ですか?飲むフリして捨てないですよね?それ貴重な錠剤ですよ。俺が飲ませます。そっちの方が安全だ」
「この後に及んでそんな事する奴が...むぐっ!」
咲耶は一方的に薬をねじ込まれ、そのまま眠りに落ちた。
『...隼さん!私の声、聞こえますか?』
遠くから、もっと言えば天上から見知った少女の声が聞こえる。
それを聞いて隼はお迎えが来たと悟ったようだ。
「...あぁ、望海の声だ。こう聞くと、咲耶さんにそっくりだな。...ダメだ、意識が遠く。殿様、後は頼みます」
混乱する城内の中、呆然とする咲羅の元に。
瑞穂がやって来て、その手を掴む。
「咲ちゃん。此処にいたら危険だわ、剣城君が死界になりそうな場所を見つけてくれたから行きましょう?」
「...そうだな。瑞穂、自惚れかもしれないが俺は運び屋として期待され。沢山の依頼人を守ってきた。しかしだ、こんなにも無力に思った事があるだろうか?」
「...うん。私もそう思う。もっと強くなりたい。力をつけたい。剣城君ともさっき同じような話をしてたの。きっと、皆んな同じ気持ちだと思う」
瑞穂の言葉は多少ながらも、咲羅にとって染み渡る慰めの言葉のように見て取れた。
剣城の所に向かうと、そこには既に錠剤を手にする3人の姿があった。恐らく、朝風から渡されたのだろう。
「ごめんなさい。私達、何も分からなかった。何も知らなかった。自分は被害者だと思って、悠長な事をしてたら大事な仲間がこんな事になってるなんて思わなかった」
「妃翠、反省会は現実に戻ってからだ。済まないが、俺達は大切な存在が沢山いる。このまま終わる訳には行かないんだ。リベンジなら幾らでも出来る。此処は撤退あるのみだ」
彼の懸命な判断に剣城も同意するように頷いていた。
「そもそも、相手は俺たちを引き剥がして戦闘を仕掛けてるんだ。それを考えるに比良坂町の運び屋全てが敵に回ったら勝てないと踏んでいるからなのだろう。俺も、今後の課題が出来たしな。まずは、3人が無事に帰還する所を見届けさせてくれ」
「そうそう、暗い話はもう終わりにしよう。節子お嬢ちゃんも2人を待ってるだろうし。オラも新しい映画の企画考えないと。朝日ならまた何度でも登ってくるさ。チャンスも幾らでもあるよ」
曙の言葉に周囲はそれぞれ悔しい気持ちもあるだろうが、穏やかな雰囲気に包まれていた。
『瑞穂、咲羅。僕の声が聞こえるか?君達の代わりなんて何処にもいないんだよ。瑞穂、またその朗らかな笑顔を見せてくれ。咲羅、君のツンが寂しがってるよ。散歩の時間を過ぎてると怒ってる』
「この声、亘君だわ。良かった、私達も帰れるのね」
そのあと、2人もそうだが。剣城も瑞稀の声に呼ばれ時間差で3人も同時に目を閉じた。
「帝都の奴らは大丈夫かな。って、山岸はなんで此処で寝ようとしてるんだ!?」
不来方の桜の木の下で不安気な表情を浮かべる児玉の姿があった。
しかし、山岸は勿論だが。旭達3人もお花見気分で谷川はビール瓶を開けているようだった。
「隼達を信じるしかないでしょう?環境の整ってない場所で相手に何かをしようと思っても、自分の無力さを痛感させられるだけだ。俺たちには未来がある。これからがある。今回の件で思い知らされたよ。世界は広いし、未知の存在がいる事もね」
「そうね、寿彦さんの言う通り。...あら、やだ。なんだか眠くなって来ちゃったわ。夜風のせいかしら?」
目を鬱ら鬱らさせるのは青葉だけでない。
山岸もまた、視界がぼやけ、歪んでいるのか?目を擦っているようだった。
そんな異常事態に那須野は2人の肩を揺する。
「おい、2人共どうした?皆んなして緊張感ねぇな。...?何か聞こえないか?」
『おい、山岸。青葉。とっとと戻ってこい。望海や光莉は目を覚ましてんだよ。仕事全部俺や小町に擦りつける気かよ!』
『そんなの絶対嫌!小町のパックをする時間が無くなっちゃうの!恋愛ドラマも録画したのまだ見てないんだから!』
「小町ちゃん、ほぼ私怨というか完全にプライベートの話じゃないっすか。...あぁ、でも良かった。なんとかなりそうっすね」
安心したのか?皆して桜の木に寄りかかるように座っているようで、最後に残されたのが児玉だった。
そんな彼にも相棒の声が聞こえてくる。
『玉ちゃん、早く帰ってきて。望海も待ってるよ。約束したよね?ずっと一緒にいてくれるって。側にいてくれるって。私達は永遠だよね?』
「...あぁ、光莉。俺たちは永遠だよ。ずっとお前の側にいる。そうだな約束は守らないとな」
仲間達がそれぞれのタイミングで現実に帰還する中、1人残されたのが未知なる生物を相手にする朝風だった。
鎖鎌や手裏剣など多彩な武器により、攻撃を展開するもやはり避けられてしまうのか?
相手に傷さえも与えられないでいた。
「倒そうとは思わんが、薬を飲む隙も与えてはくれんとは。これはまた女子より面倒くさいのが来たのぉ。どうしたものか...」
朝風としては何処かで敵の足止めを出来ればと思っていたが、城内何処を探してもそのような場所は見つからない。
そんな時であった、朝風はとある3つの単語を思い出し口にする。
「...「連れてきて」「道化師」「橋の下」まさか!?」
一か八かの賭けだと、朝風は相手に背を向けて阿闍梨と別れた月を見上げる事が出来る橋へと訪れた。
木製の橋を渡ると、老朽化してるのか?僅かな軋みを感じ朝風は確信を得た。
彼の後を追い、やって来た偽物は橋の上に歩を進めるが一部の板に亀裂が入り穴が出来る。
そこから更に連鎖するように、前後の板にも亀裂が入り次の瞬間には橋の下にある堀の中へと落下して行った。
その隙をついて、朝風は錠剤を口に含め。
水掘りに沈む、偽物を見下していた。
「まさかと思ったが、また助けられてしまったな。姫さん、ワシを長生きさせても仕方なかろう?...あぁ、蝉の声が鬱陶しい。そうか、夏に連れて行ってほしかったんじゃな。...分かった。会いに行くよ」
そのあと、彼は意識を朦朧とさせ皆と同じく。眠りについた。




