第伍拾話 帰還
望海が次に目を覚ましたのは、自分の部屋だった。
毎朝見える、木製の天井と和風の照明に安堵を覚えた。
まるで長時間固定されていたように身体が上手く動かず、寝返りを打つ時も重い動作をするが、なんとか起き上がる事が出来たようだ。
意識が鮮明になってくる。
手や身体の感覚を確認し、一瞬興奮と歓喜に包まれ小さくガッツポーズをするが、まだ自分のやるべき事は終わっていないと直様行動を開始した。
「...っ。玉ちゃん。...望海」
何かに魘されるように苦しんでいる光莉を診療室を巡回していた節子が見つけ、ゆっくりと声をかけた。
「光莉さん?此処が何処だかわかる?」
そう既視感のある声に導かれ、光莉は意識を取り戻した。
天井には清潔感のある白い壁と、消毒液の匂いがする。
恐らく、心電図を測っているのだろう。
同じく、機械音がする事を光莉は感じとった。
「...あっ。あぁ。のぞ...いや、節子嬢?」
それほどまでに望海の事を思っているのだろう。
ボヤけた視界の中に黒髪が見え、瞬時に彼女だと思ってしまったようだ。
視界が鮮明になる。光莉は呆然としながらも起き上がった。
そんな彼女を節子は手を握り、歓喜の涙を流していた。
「良かった。本当に良かった。あぁ、ごめんなさい。Dr.黄泉をお呼びしないと」
「あぁ、ちょっと待って。出来たら先に、望海と斑鳩様と何て言ったら良いんだろう。多分、洛陽の方に見慣れない運び屋がいると思うんだ。名前は野師屋亜門。直前まで車椅子生活をしてたから足が不自由だし、盲目なの。助けてあげて欲しいんだ」
光莉の突然の願いに節子は驚きながらも頷いた。
「分かりました。人員を裂きましょう。まずは望海さんに連絡を入れましょうか?」
「母さん、もうそろそろ。休んだ方が。もう、何時間も父さんに付きっきりだろう?そんな悲しそうな顔してたら、この人も悲しむよ」
参区のとある場所に斑鳩家の邸宅が存在する。
代々、製鉄業を営み。外には富士宮家御用達の牧場を持つなど大地主として財を成した一家でもある。
庭には自家栽培のオリーブ園があり、温室もあるなど緑豊かな邸宅の一室に斑鳩の妻とその息子がいた。
その証拠に、長年連れ添っている為が雰囲気が似ているのだろう。温和かつ、上品な雰囲気を纏った夫人が斑鳩の手を握っているようだった。
彼女の心情を現すように、グレーのドレスを着込み。
何度か涙を流しているのだろう。目元の化粧が崩れてしまっているようだった。
「...そうね。合蔵さんの前では綺麗にしておかなくちゃ。気分を変える為に遅い昼食にしましょうか?」
その言葉に息子が頷くと同時に目を見開いた。
僅かながらに父親の瞼が動いているように見えたのだ。
妻を握る握力が強くなった事でそれは確信に変わった。
「あ...あぁ。ただいま。久しぶりに大仕事をして来たよ。どうしたんだ、そんな豆鉄砲をくらったような顔して。いつも言ってるだろう?私はちゃんと戻ってくるって」
「合蔵さん!!」 「父さん!!」
普段から家族に慕われているのが良く分かる程に彼を両端から包むように2人は抱きしめていた。
改めて、その思いに応えるように抱きしめると彼もまた安堵の表情を浮かべた。
「風間様、此方です!ウチの相方はんが見つけまして!」
「ありがとう、烏丸。此処は確か昔あった城の跡地だね。確か、朝風会長はこの地も好んでいらっしゃったと聞いていたがこう言う事だったのか」
洛陽の地下には崩壊した城の残骸があると言われている。
地元の人々は昔、亡命してきた高貴な身分の者がいると噂で聞いた事があったようだが。
まさか、その人物が異国の運び屋だとは誰も思わないだろう。
残骸に寄りかかるように、倒れる盲目の青年とそれを労わる烏丸の相方がいた。
「お2人とも此方です。でも、この方。望海さんや光莉さんの知り合いみたいで。此方にも元々住んでいたみたいなんですが」
「余は朝風暁の友人だ。しかし、長い年月を異世界で過ごし。年を取らぬまま、生きた屍となってしまった。東望海と夢野光莉は此処にいるか?もし、可能なら一度彼女達に会いたい」
「申し訳ありません。私は朝風暁の末裔で、彼は過去の人物とされています。ですが、望海と光莉なら直ぐに」
その言葉に野師屋は頷き、瑞稀と共に。
再度協会へと戻るようだ。
場所代わり書庫へと移る。
颯がある本を発見し黄泉に提示し相談すると双方苦笑いを浮かべていた。
「「月下美人」か。これは困った事になったね。比良坂町には無い可能性が高い。と言うより、夜間勤務の運び屋も朝日奈兄妹ぐらいだからね。臨時で銀河君が担当してる時もあるが行動範囲が限られてる。その中で目撃証言を取るとなると」
「針の穴に糸を通すような物だよな。後は、比良坂町の外から持ってくるかだ。幸い、伝はある。望海の弟に頼むっていう考えもあるだろ」
その様子を見ていた小町がある提案をした。
「だったら、秋津湊のメンバーに頼ればいいの!あの人達だったら、外の世界に行けるんでしょ?」
そう言うと黄泉は困った顔をした。
「確かに外の世界に行けるかもしれない。だけど、見ず知らずの相手に協力してくれるお人好しがいるか?と言われればそうでない」
「Dr.黄泉の言う通りです。しかも、つい最近まで戦場となっていた。その事実を踏まえても国際情勢は悪化しているに他なりません。そんな中で我々に友好的に接してくれる人達がいるでしょうか?」
初嶺の問いかけに全員口を噤んでいた。
その時だった。愛の元に無線が入る。
「節子お嬢様?...はい、此方東出愛です。本当ですか!?望海さんと光莉さんが!はい、皆さんにも伝えておきます!黄泉先生!朗報です!望海さんと光莉さんが目を覚ましたと。それでなんですが、人探しをしているようなんです。詳しい話は協会でしたいと伺っています」
「分かった。これで何か状況が変わると良いのだが」
それと同時期、協会の医務室で光莉は眠りにつく児玉の手を握り。祈るように目を閉じ彼の無事を願っていた。
そのあと、望海も慌てながらも協会に到着しその様子を見守っていた。
「玉ちゃん、絶対。絶対助けてやるから!待っててね。よし、望海。まずはDr.黄泉達と合流しよう」
「“名もなき運び屋”それが何かの手がかりになれば良いのですが」
そのあと、会長室で全員合流し今後について相談する事にした。
「颯さんの言う通り、月下美人が今回の手がかりなのは確実でしょう。ですが、その生息地と野師屋様が作ってくれたスープのレシピ。それがなければ意味を成しません」
まさか、夢の中で得体の知れない何者かが野師屋に扮していたと言えば混乱を招いてしまうと思った望海は一連の流れを本物である彼の手柄という事にして話を進めた。
それ以上に“名も無き運び屋”という存在が次のターゲットになってしまうという可能性も高いと考え、その捜索ともし何か手がかりが得られるのではないか?という淡い期待も持っているようだった。
「月下美人ってサボテンの仲間なんだよね?なら、暑い所じゃないと咲かないじゃん!どうするの!?」
「いや、それ以上に“名も無き運び屋”ってなんだよ。其方の方が意味不明だろ。だけどもし、望海達が見た夢が過去の回想だとしたら今でも月下美人を食用に使う文化のある所があるかもしれないって事だ」
「私達のいた帝国は沢山の言語が飛び交う所だったんです。その時にその文化も入ってきたのでしょう。野師屋様が好んでいただけかも知れませんが、地理的には近い筈なのです。比良坂町にも帝国にも」
その会話を聞き、側で見守っていた節子はこう助言した。
「あの、少し宜しいかしら?以前、同じような事を聞いた事があるの。そうよね?お母様?」
「えっ、えぇ。確かに、その方達はね。多国籍の方々に影響を受けて運び屋業をされているの。だから、私達が使っている武器に目をつけて使わせてもらいたいと依頼を受けたのよ。勿論、相手は選んだつもりよ」
「あれは技術の結晶だからね。高値で取り引きさせてもらったよ。勿論、安全性と信用は折り紙つきだけどね。また、契約延長の話も出てるし。しばらくはこの繋がりは保てそうだ」
その言葉に望海と光莉はソファから立ち上がった。
それほどまでに、その言葉が印象的だったのだろう。
ようやく、答えに辿り着く事が出来た。
「...その取り引き先って何処なんですか?」
そのあとの事だ。場所は秋津湊、運び屋の代行として多忙に極める音無の元に久堂が現れ、急かしたように肩を叩きメモを渡した。
「音無、指令だ。こんな忙しい時に、福爾摩沙に行けとのお達しだ」
「はぁ!?行けなくもないが、琉球の更に奥に行けと?上司は何を考えているんだ」
「さぁな。その中で、運び屋の取り引き先である。高先生に会って欲しいそうだ。運び屋を育成する学校の教師らしい。その中で“名も無き運び屋”を探せと書いてある」
詳しい情報が書かれたメモを見て、音無は更に困惑した。
「これ、鶴崎からじゃないか。全斎の許可無しに俺は動けんぞ。門だって共同で使ってるのに」
「いや、面白いぞ。俺たちの上司が鶴崎の案を受け入れたんだ。しかも、全斎本人は花を探してくると言っているらしい。鶴崎でも不可能だと悪い笑みを浮かべてな」
そう言うと音無と久道はお互い爆笑し始めた。
「これは傑作だ!運び屋の為に双方が動くとは!面白いな。なるほど、それでか。じゃあ、俺も動かないとな。ひとまず、平埔に向かわないとな。運び屋を探すのはそれからでも良いだろう」




