第肆拾弐話 命名
現実の比良坂町にて夜間勤務を終えた朝日奈兄弟は吉備にある自宅で休息をとっていた。
しかし、側でソファに寝そべり漫画を読む八雲とは打って変わり瀬璃菜は忙しそうに台所でお茶や和菓子の準備をしていた。
「そんな事しなくても、母さんなら自分でやるだろ?」
「ダメよ!あの出雲にそんな事させられないわ。自慢のお母様なんだから」
八雲は過剰だなと思いつつ、妹の手伝いをするようだ。
2人の母親である、朝日奈出雲は青い羽織を持つ運び屋の中でも取り分け人気を博していた存在であり。
麗しく色気のある容姿は人々を虜にした。
現役時は男装を好むなどの変わり者で、歌舞伎や舞台の脚本や稽古指導を今は生業としている。
その為、普段から缶詰状態である事が多く。
朝日奈兄弟は元運び屋で今は専業主夫である父親とも協力して彼女に手厚いサポートをしているようだ。
何故、瀬璃菜は母に似なかったのかと今でも後悔しているという。
2階に行き、コンコンと彼女の部屋をノックすると「はぁい」と色気のあるハスキーボイスが聞こえてくる。
いつもの声だと彼女は嬉しそうにしながら、瀬璃菜は室内に入った。
「お母様!今日も私、お仕事頑張ったよ!ほめっ...じゃなかった。お茶とお団子を持って来ました」
「あら、ありがとう。今日も良い子ね。2人はもう食べたの?」
彼女は出雲に頭を撫でられ、嬉しそうにしながら話しを続けた。
「私達はこれから。まずはお母様にっと思って」
「じゃあ、早く食べないとね。貴方達が食べられなくなってしまうから」
出雲はそのまま直ぐに目の前の団子を手に取り、食しているようだ。
出雲は脚本を書くため、参考資料として様々な本や絵巻物を所持している。
現役の頃から胸元が開いた服を好み、煙管を吹く姿は正に絵になると様々な画家からモデルの依頼が来るほどの人気の運び屋だ。
しかし、その裏で朝日奈兄妹を産んだ事は勿論。
結婚していた事も世間に知られると、彼女は自分から引退を決め家庭に入る事を決めた。
まさにアイドルのような存在でもある。
それまでは比良坂町では珍しく、親子3人で活動し子供2人とは別行動で仕事をしていたのも合わさってか、3人が家族である事を知らなかった依頼人も多かったという。
それ以上に容姿の雰囲気が違ったのも関係しているのかもしれない。
「ねぇ、お母様。また仕事に復帰しないの?私、ずっと待ってるんだよ。依頼とかないの?絶対あるでしょう?」
妹と言う事もあってか、瀬璃菜は甘え上手なようだ。
しかし、出雲がふっと微笑むとそれに気圧され顔を真っ赤にさせている。
それほどまでに母親を崇拝し、魅了されているのだろう。
「あったとしても、貴方達の仕事を奪う訳には行かないでしょう?それに今の仕事も存外悪くないわ。そう言えば、東屋のお嬢さん。お元気?」
出雲は歌舞伎に携わる事もあってか、望海の実家の事も良く知っているようである。
実は、出雲と望海や圭太の父親は知り合いであり。
今、彼女の手元にある資料も彼が死後直前に彼女に贈った遺品のような物達であった。
「うん!この前も協会で会ったの!やっぱり夜間の運び屋が珍しいみたいで。色々、質問されて。上手く答えられたか分からないけど。喜んでくれたみたいだから大丈夫だと思う!多分!」
娘の元気の良い返事に出雲は可愛らしいなとクスクス笑っていた。
母親である彼女からすれば、娘は夫に息子は自分に似ているという印象だ。
瀬璃菜本人は母親似に生まれたかったようだが、出雲からして見れば彼女の容姿もまた愛らしく愛おしいのだろう。
「へぇ、その質問って何かしら?私も知りたいわ。彼女って私達に興味があるのね。意外だわ。昼間の運び屋が夜の運び屋と交わる時間なんてそうないでしょうに」
瀬璃菜は近くのソファに座り、出雲も一息着くのか?
運ばれて来たお茶を飲みながら話を聞いていた。
「そうだよね、だから早朝に偶然会って少し話をしたの。でも...なんか、違和感があるというか。優等生の彼女にしては頓珍漢な会話だなって。いやっ、失礼だよね!私の当たり前が望海さんの当たり前じゃないんだし。夜間に仕事をしてて、大変じゃないですか?って言われて。私はどちらか言うと昼間の皆さんの方が大変だなって思ってたし。昼間は平日学校に行って、夜は運び屋の仕事をする。それが私達の日常だし」
「そうね。時間効率も考えると其方の方が良いに決まってる。ただ、育ってきた環境が私達とお嬢さん達とでは違うから。彼処のご主人は常時寝たきりだったそうだし。私が彼の指示にしたがって歌舞伎の脚本を書く事も多々あった。青い血が入っていて、床に伏す者が側にいれば。自然と子供もそれを真似するものよ」
「両親が運び屋なら私達も当然運び屋になるようにって事だね。本当は望海さんと色々話したいなって思うんだけど、時間も違うし会うのが難しくて。それに忙しい人だし。ねぇ、彼女のお父様ってどんな人?」
「そう言われてもね。本当にご一緒に仕事をしたのはほんの数年だし。実は息子と娘がいますって話したら、自分もなんですって言われて。妊娠中の奥様に挨拶をした事はあるわ。...まさか、あの富士宮家の人だとは思わなかったけど」
八雲は19歳、瀬璃菜は18歳と東姉弟よりも年上だ。
いや、それ以上に瀬璃菜は仰天しているようである。
無理もない。望海の母親があの名門富士宮家の女性なのだから。
「富士宮って、あの富士宮だよね!開祖の!そうだった、実はね弟さんも本場の国で運び屋修行をして一度帰って来た時があるの。今はもう向こうに言っちゃったんだけど。何か可笑しいなって思ってたけどそう言う事だったのか」
「まぁ、本場は彼方だし?富士宮家の開祖は帝国に来た異邦人にその能力を買われて技術を取得し、それを弟子や親族に伝えて行った。しかし、現在の本場はもう玄人だらけで若い芽が出ない。そんな中で東屋の息子さんは本場へと向かい、現地の人々を今尚救っている。...下手な物語より、面白いわね。脚本の参考にしなきゃ」
物書きをする母親を側で見守りながら、瀬璃菜は再度。
東姉弟の父との思い出を深掘りしていく。
「彼は、もう自分に残された時間がないって事を理解してて。その中で子供達に出来る事、残せる事はなんでもしてあげたいって双子が生まれる前から色んな準備をしていたらしいの。遺書とか遺産相続や後継人の話も粗方用意は出来てるって。その中でも特にこだわっていたのが子供達の名前ね」
「あっ、私も思った!あの2人って、お名前が反対なんだよね。望海さんには海が。圭太君には土が入ってる。海と陸。対極の存在?...でも、それ以外何かあるかな?」
腕を組み、宙を見ながら考え事をする娘を出雲は見守っているようだった。
「私はご本人に教えて頂いたからゆっくり考えなさい。奥様は反対してた。と言うより、理解出来なかったらしいけどね。まぁ、無理もないわ。でも、彼は自凝島の全てをしっていた。そうでもないと自分の子供にあんな名前はつけないでしょう?」
《解説》
朝日奈兄妹の母親のモデルはブルートレインの中でも一際、人気を集めた「出雲」ですね。
「富士」「はやぶさ」「さくら」「みずほ」「あさかぜ」と名だたる寝台列車がいる中、列車の塗装が鮮やかだった為に人気を博していたのがこの「出雲」だったそうです。
そのまま、サンライズ出雲が後継を勤めている事から親子関係になります。父親もそのまま「瀬戸」でしょうね。
何故かお色気キャラで歌舞伎に精通していますが、これは歌舞伎の原型を作った出雲阿国に由来します。
歌舞伎は望海が舞台に立てないのと一緒で女人禁制ですが女性でありながら男装をし、舞台に上がったのがこの出雲阿国です。




