第拾仇話 住処
「此処はえっと...犬小屋か何かか?」
場所は城より程近い古民家が並ぶ通りなのだが、その中で一際こじんまりとした平屋に富士宮は案内された。
お嬢様である彼女なら尚更、こんな場所に人が住んでるなど思いもしないだろう。
「殿、ごめんください。阿闍梨が参りました」
そのあと、玄関扉の近くでフラッシュとシャッター音がし向こうから声が聞こえる。
「和尚さん、隣にいるのは誰じゃ。誰を連れてきた。美人だったら許さんぞ」
「私には美的センスがありませんので憶測でしかありませんが一般の方から見れば見目麗しい女性です」
確かに富士宮は親戚は勿論、同業者からも桜のように美しく華やかな容姿をしていると言われる。
しかし本人は容姿よりも実力主義である為、動きやすい男装を好んでいるようだ。
「ダメじゃ、ダメじゃ。女子を此処に入れる訳にはいかん。ワシのプライドが傷つく」
「殿、そう言わずお顔を見せてください。私は富士宮咲耶と申します。殿の事は親族や書物を始め、様々な所でご活躍を拝見しております。私もまた、殿の聡明さや発想力に惹かれた1人でもあるのです」
「...そう言うならまぁ、仕方ないのぉ」
そのあと、朝風は項垂れるように中へと案内した。
「まぁ、向こうでもそうなんじゃが基本的に日中は協会、夜間は外に出ているし家に戻る時間もないからのぉ。ワシにはこれで十分なんじゃ」
富士宮は周囲を見渡し、顔を真っ青にする。
彼の趣味である囲碁や画材道具などは目に入るがいかんせん生活感がない。
普段の生活をどのようにしているのか疑問だらけだった。
「運び屋の会長である貴方がこのような有り様では皆に示しがつきません。いいえ、元はと言えば私の把握不足による物だと思いますが。だとしても、今までどちらで生活を?」
富士宮の問いに何故か朝風は歯切れの悪そうな様子でいる。
そのあと、戸惑うような様子でこう言った。
「比良坂町ではそんな事しとらんよ?まぁ、その場その場で助けてくれる仲の良い女子がいてなぁ。まぁ、彼女達に世話をしてもらって...」
「それを世間では現地妻と言うんです!はぁ、どうして殿の子孫が繁栄されているのか理解出来た気がします。断絶寸前の富士宮家とは大違いだ。ある意味羨ましい限りです」
「ほぅ。お嬢さん、富士宮の娘だったか。なら、尚更いかん。このワシが相手をしては。一流の女子を相手にすると面倒な事が起きる。お互いの為にも関わらないのが先決じゃ。それにお嬢さんなら、その家柄を使って好いた男を側におけるだろうに」
そんな話を聞いた阿闍梨は目を輝せ、富士宮にある提案をした。
「咲耶さん、私から推薦させて下さい!貴女のお力添いがあればイケメンアイドルも側に置き放題!見放題!そうすれば私の推しに毎日会えますよ!」
「アイドル?済まない、芸能には疎くてな。私には好いた男などおりませんよ。自分の運命を受け入れて、誰も知らない場所で静かに影を潜めていようと思っていますから。私は1人でも構いません」
そう晴れやかな表情で言う富士宮の気持ちを隠れて確認しようと朝風は懐から花紋鏡を取り出し、彼女の心境を覗き見た。
「富士宮、ワシの前で虚言は言わん方が良いぞ。お前さんの言葉に亀裂がある。振動がある。何かを抑えているようにしか見えん」
「悪趣味な。殿が何故、殿と言われ運び屋の組織を牛耳る事ができたのか分かった気がします。もう、良いでしょう。私からの要件は済んだ。貴方がご無事でなりより。ただ、城内は些か厄介な事になっています。偽物が貴方に扮している状態だ」
「それはワシも把握しておる。だから手裏剣をお見舞いしてやったのだ。肝心の偽物は余裕の笑みを浮かべていたがな」
その言葉に富士宮はしっかりと頷き、以前自分達に飛んできた物の正体が本物の朝風自身が投げた物だと確信出来た。
「今は比良坂町から迷い混んだ運び屋を救出するのが先決です。殿には暫しご迷惑をおかけしますが、どうかその時がくるまで息を潜めて頂きたい」
「あい、分かった。では、和尚さん。今夜は寿司でも食べに行くか。ワシの行きつけにウニが上手い所があって、それはもう絶品で」
言った側から外出しようとする朝風を見て富士宮は呆れた表情をする他なかった。
しかし、ある要件を思い出し阿闍梨に対しこう投げかけた。
「そうだ、阿闍梨。君に頼みたい事があるんだ。以前、君の持っていた詳細な地図をお借りしたい。隼を明日、担当場所に連れて行きたいんだが範囲が膨大でな。この帝国の約半分は彼も行き来が可能になると見込んで迷わない為にも協力を要請したいんだ」
「ほほぅ。隼さんのデビュー戦ですか!彼は血統がいいですからね。当日も1番人気だと思いますよ!目指せ、三冠!」
もう既に酔っ払っているのかと疑う程、阿闍梨は上機嫌で隼を応援しているようだ。
何とか地図の一部を手に入れた富士宮は自身の邸宅へと戻って来た。
業務終わりと言う事もあり、時刻は明け方であり隼は使用人に朝食を出され黙々と食べているようだった。
「おはよう、隼。昨夜は少し休めたか?」
「...いや、実はあまり。元々、多忙の身でゆっくりする事に慣れてなくて。この世界の事を色々と調べたり考えてたらもう夜が明けている状態で」
「そうだろうな。環境の変化に身体がついていかないのは当たり前の事だ。隼はじっとしているより、身体を動かした方が気楽なのかもしれないな。早速だが、今夜から担当範囲の下見に入ろう。それと大事な物がある。君に渡しておきたい。朝食を食べ終えたら、隣の居間に来てくれ。頼んだぞ」
そのあと、隼は指示通り向かうと卓上に見覚えのある母親の羽織が置いてあった。
それに隼は動転し、母親に何かあったのではないか?と気が気でなかった。
「これをどこで?母さんは?此処にはいないのか?」
「これは速飛が他の運び屋に頼んでこの世界に運ばせた物だ。実は気づいているかもしれないが武器は勿論、私物の持ち込みがかなり厳重でな。その中でこの羽織はこの世界でも適応出来る数少ない物のようだ。速飛は君を守る為にこれを使って欲しいと願ったようだ。美しい親子愛だな」
「母さんが俺の事を思って...でも、俺使い方なんて知らないし。どうすればいいのか」
「大丈夫。その為に私がいるんだ。私は速飛の相方。何度も能力を発動している場面を見て来た。練習をするなら庭に出たほうが良いな。案内しよう」
庭先に出て青い羽織を隼が着込むと案の定というべきか、下から風が吹き荒れる。
その威力は絶大で彼を軽々と持ち上げ、地面から話そうとする。
「凄いな。どれだけの念力を持ち合わせているんだ。いいか、隼。羽織の能力は自身の血脈により決まる。その威力は自身の念力により決まる。そして、武器の多彩さは自身の発想力で決まる。正常に力をコントロールするには感情を一定に保つ事が必要だ。心得なさい」
富士宮の指示に隼は頷くものの、幼い記憶を思い出し恐怖心が身体を支配している状態だ。
これはいけないと思った彼女は彼の手を取り、ゆっくりと地面におろした。
「Dr.黄泉は素晴らしい人材だからな。どんな人物でも一定の威力と武器の多彩さを保証してくれる物を次々と発明している。私達の羽織は様々な要素が不可欠だからな。なれるまでの辛抱だ。この経験が君の糧になる事を祈るよ。隼、母の名に恥じぬ偉大な運び屋になりなさい。それが君の母と私からの願いだ。ふふっ、いいな。私にも弟子が出来たようで」
富士宮の嬉しそうな表情を見て、隼は精神が安定したきたのか風の流れが緩やかになる。
それは庭に埋められた桜の木々達よって可視化される。
そしてその夜、勝山に2人の姿があった。
しかし、生憎の雨模様で富士宮は少し不機嫌な顔をしていた。
「悪天候なのは困るな。隼の門出に相応しくない。視界も遮られるしな。事前に説明しておくが、運び屋という職業は男性に不利だ。此処の近海にも人魚が男達を狙っている。隼、何か耳を塞ぐ物は必要か?あの声は精神的にかなり応えるだろう」
しかし、隼は首を横に振り。こう続けた。
「いいえ、俺には必要ありません。人魚の事は山岸先輩からも詳細を聞いていて生態については理解しているつもりですから。それに俺は冷酷な人間みたいで元から親しい者もいないのか人の声が聞こえないんです。最初はそういうのを装着しながら仕事してましたけど好奇心でその声を聞いたらずっと雨音しかしなくて声の欠片もない。他のメンバーに相談しましたけど小町は亡くなった父親の声が聞こえるし、颯先輩も凄く優しい男女の声が聞こえるんですって。多分、病で亡くなった両親だと思います。でも、俺にはそれがありませんでした」
「隼、それは逆に喜ばしい事じゃないか。確かに君の両親は健在で君も沢山の依頼人を守ってきた。君はまだ若いんだ。身近に死者がいないのは当たり前の事だよ。君にとって雨音と言うのがとても心地の良い音色だった。そう言う事じゃないかな。そう言う人物がいても私は良いと思うが」
しかし、富士宮の肯定的な言葉に対し隼としてはいまいち煮え切らない気持ちでいるようだ。
そんな中で隼は昔の思い出を語り始めた。
「正直言って、肆区にはいい思い出がないんです。でも、運び屋になって思い出した事。気づけた事も沢山あって、小学生の時。俺、皆から浮いてていじめられていたんです。でも、それを両親に相談出来なかった。母親は仕事人間で構ってくれないし、父さんは優しい人ですけど殆ど片親みたいな状態で、負担になりたくなくて。それに、俺にはピアノがあるしそれに向き合っている時だけは何もかも忘れる事が出来た。父さんや周囲の人達から認めてもらえるし。それだけが生きがいだった」
「...」
彼女は静かに隼の昔話を聞いているようだった。
その様子に安心したのか?隼は続きを話し始めた。
「そんな時、雨だったんですけど下校しようと思って昇降口に行ったら俺の傘が折られてて、使い物にならなくて雨の中傘を刺さずに濡れながら帰りました。でも、それで良いと思って。涙を雨の中に落とせるのなら合理的だって自分の気持ちを誤魔化してました。周囲も可哀想とは言うけど見て見ぬ振り。そんな時、俺を心配してくれた女子高生のお姉さんがいて。俺はその人に抱きしめられてその中で泣きじゃくってました」
「...そんな昔の事、良く覚えてるんだな」
「相手にとっては何の特別もない出来事だと思いますけど。少なくとも俺にとっては心の支えになってくれた大切な思い出です。そのあと、お礼を言おうと思ったんですけど中々会えなくて。しかもどの学生なのかも分からないし。そんな時に同じ制服の人に会ったんです。弐区にある女学院の制服だと、俺はピアノしか出来ないから彼女のリクエストに応えるのと引き換えに色々と教えてもらいました。肆区に弐区の学生がいるのはおかしいか?と聞いたら寄宿舎があるから帰省や呼び出しを受けて帰って来る事はあると。それとその制服は有名なデザイナーが作っていて細かい刺繍も入っているから、向こうは言葉を濁してはいましたけど決して安くはないと言っていました。その時、俺のせいで制服を汚して親に怒られたんじゃないか?と不安になったんですけど、それ以上にそれでも俺を受け入れてくれた彼女にお礼を言いたいんです」
「ありがとう。君の気持ちは良く分かった。話してくれてありがとう。隼、私の考えが正しいならその聞いた彼女と言うのは望海の事だな。彼女と親しいんだな。当たり前と言えば当たり前か」
「まぁ、組織外の人間なら望海は話しやすい方だと思います。向こうは俺の事をどう思ってるかなんて知らないけど。彼女を見てると安心するんです。不思議なんですけど、信頼出来る。守られているような気がして。でも、そんな彼女だからこそ俺は情けない所は見せられないし、かっこ悪い所は見せられない。身が引き締まる存在と言っていいと思います」
「良い関係じゃないか。確かに私も思う事はあるよ。タスクの前では頼りがいのある存在でいたいとね。隼、そう言う関係は大切にしなさい。自分の財産になるからな」
「それは俺も同意です。でも、根本は幼い頃に俺を助けてくれた存在がいるからだと思ってます。俺に雨音が聞こえるのはその思い出が忘れられないから。声が聞こえないのも自分の泣きじゃくる声でかき消されてしまったから。アイツのように匂いで思い出せたらいいんですけど、それも無理そうだ。雨の匂いで殆どかき消されてるし。そんな話を望海にしたら「いつかそのお姉さんと会えるといいですね。大丈夫、希望は必ず叶いますから。やっぱり女子高生は陸上生物の中で最強の生き物ですね。最速のハヤブサでさえ射止めるのだから」と最後は意味不明な言葉を言われましたが背中を押してもらえました」
「それは...良いのだろうか?望海は面白い事を言うな。流石は皆の人気者なだけはある。...はやり、彼女に間違いないな」
最後、富士宮は小声で呟いたのだが耳の良い隼にそれを拾われてしまう。
「間違いないって何がですか?」
「こっちの話だよ。君が気にする必要はない。さて、長話をしてしまったな。下見に入ろう。洛陽は此方でも難所だからな。覚悟しておけよ。しかし申し訳ない。私では山岸達のような氷川やその北にはいけないからな。あの2人に君を預けた方が良かったか?実は武曲や五曜も此方に来ていてな。私では力不足だろう。其方に連絡を入れようか?」
その2人と言えば、以前から自分や颯を中心に運び屋達で捜索していた人物である。
確かに彼らの安否を確認したい。しかし、隼にはそれ以上に富士宮の側にいる事は勿論の事、同じく帝国に迷い込んだ仲間を探す事に重点をおくべきだと判断したようだ。
「いいえ、俺は論理的な人に教えてもらうのが一番性にあってますから。颯先輩も貴女と同じ感じで、運び屋の歴史に詳しいし、面倒見も良い人で俺の事を気にかけてくれる。それに此処は懐かしい感じがするし。しばらくは此処で運び屋として活動させて下さい」
「分かった。君の気持ちを尊重しよう。正直、此処を私だけ完全に調査する事は不可能だからな。君のような優秀な人材がいてくれると助かるよ。それに、正直興味があるんだ。不謹慎だが君が今、どんな運び屋達と一緒に仕事をしているのか?」
「多分、個性的な人達が多すぎて驚くと思います。でも、基本的に皆いい奴ですから。貴方も気にいると思いますよ」




