第拾肆話 寄り道
同時期、残されたメンバーが会長室にいるのと同じ頃地下室から出てきた阿闍梨達は協会の職員が行き交う医務室や臨時で設置された隣室の付近まで来ていた。
寝台に横たわる隼の姿を見て、母親であるタスクは人混みを掻き分けて涙ながらに彼へと縋り付いた。
「隼、どうして!またよ、また何も出来なかった!ごめんね、本当にごめんね。私が代わってあげられたら良かったのに」
その惨劇を見て阿闍梨は考える暇もなく、すぐさまその場から立ち去ろうとした。勿論、行き先はあの門である。
実梨はそんな彼を後押しするようにこう続けた。
「大丈夫、お兄ちゃんなら絶対に出来るよ。私、信じてるから」
阿闍梨は鳴り止まぬ心音を抑え込むように大事にタスクから受け取った荷物を抱え、鳥居を潜り大きな扉の前へと来た。
彼を歓迎するように勝手に扉が開き、上空には満天の星空と現実よりも一回りも二回りも大きな満月が彼を出迎える。
もう後戻りは不可能だ。
彼が夢の世界に足を踏み込むと入り口は周囲の背景と同化し、星屑のように散りじりになってしまった。
しかも良く見れば、天上の月は何かが蠢くようにその模様を変えて行く。
現実ではクレーターによる凹凸と彼は認知しているようだがどうやらこの世界の月にはウサギではなく別の生物が生息しているように思えてならない。
そんな恐怖を振り切り、阿闍梨は以前咲耶とも出会った城の付近まで移動する事にした。
しかし、街灯の光は彼の担当する角筈と比べてあまりにも薄暗く頼りない。
阿闍梨は少し肩を震わせながらも歩を進めた。
「やはり暗闇は人を不安にさせますね。今の時刻は...ない!私の懐中時計が!?懐に忍ばせていた缶コーヒーも全てなくなってる!?どうして!?」
やはり夢の世界では現実世界の常識は通用しないようだ。
青い羽織以外、彼の私物は全て没収されてしまったようだ。
不安になった彼は出来るだけ、人のいる明るい場所を選び依頼人である隼の行方を探す。
そんなとき、此処のシンボル的存在なのだろう立派な時計店の屋上にある時計塔を見て安心したのかホッと息を撫で下ろした。
「此処の時計で満足してる輩の気が知れぬ。なぁ、そう思うじゃろ?和尚さん」
「え?」
突然、真横にいた紳士に話しかけられ驚いた顔をする彼をさらに揶揄うようにシャッター音とフラッシュが起る。
「あははっ!良い顔!...ふーん。和尚さん、此処じゃ見かけない顔だがアンタ運び屋か?」
「はい、絶賛任務中でして。この青い羽織を知り合いの元に届けたいのです。貴方のように写真機があれば良かったのですが、持ち物はこれだけでして。ここら辺で黒髪に緑色の瞳をした二十歳前後の青年を見かけませんでしたか?私の依頼人なのです」
「良いや、ちぃーとも見とらん。此処は、ようけ顔を出すけど珍しい顔と言えば和尚さんアンタぐらいだ。まぁ、そんな怯えた顔しなさんなって。可愛いねぇちゃんと酒を飲めば、ちぃとは機嫌も良くなるじゃろうて。さぁ、行こうか和尚さん」
「...はい?」
「やだー!殿ってばそんな冗談ばかり言って!」
何故か紳士は煌びやかなドレスを身に纏った美女に囲まれ、上機嫌に酒を飲んでいる。
どうやら阿闍梨はキャバクラに連れて来られてしまったようである。
彼は目を点にし、呆然とその様子を見ていた。
「ほら、和尚さんのグラスが空じゃないか。ワシのボトル早よ持って来い。どうした?そんな厳格な僧でもないだろうに、遠慮せんでも勘定はワシ持ちじゃから気にせんでええのに。此処がそんなに気に入らんか?」
紳士は太々しくソファに座り、自身の着込んでいた青い帽子やコートを眺めていた。
もう出ようかと阿闍梨に合図を送っているようにも見える。
「いいえ、私の担当場所も似たような物がありますので社会勉強のような物だと毎度思っております。ですが少し気にかかる事がありまして」
「なんじゃ?申してみ?」
その一言でこの人物の素性が粗方理解出来そうだと阿闍梨は思った。
「まず、その口調。独特な訛りをお持ちのようですがご出身はどちらですか?」
「長門、なんの特徴もない田舎の小僧じゃった。でも、なんとなく人が嫌がるもの怖がるものを好いていた。この夜もそうじゃ。写真機は写れば魂が抜かれると皆言うがワシはそこに魅力を感じていた。皆が日の元に立つ侍になりたいと願う中、ワシは夜を駆ける忍になりたいと思った」
「貴方がお持ちの写真機、不思議な力があるようですね。私が運び屋だと直ぐに気づいた。どう言う絡繰ですか?」
そう言われ、紳士は側においていた写真機を軽くいじりながら抱えているようだ。
「そんな大層な物じゃない。こんな物、試作品に過ぎん。良く言えば、仲間探し。悪く言えば、偽物探し。このぐらいせんと、組織が成り立たんじゃろうて。和尚さんは本物。だからワシがこうして話しをしてるそうじゃろ?」
仲間探し、偽物探し。この言葉で目の前の紳士に何かが起こった事だけは阿闍梨にも理解出来た。
そこからさらに深掘りし、その正体を解明していく。
「そう言うのであれば貴方は運び屋だ。しかも此処から遠く離れた範囲まで対応が出来る人物。それと同時に組織を束ねる身でもある。ただ、今それをする事は不可能。そうですね?」
「そう、今偽物がワシの城にいて「殿様、殿様」と呼ばれ。それはまぁ憎たらしいぐらい爽やかな笑顔で謙虚に佇んでいるものだから頭にきて一発手裏剣をお見舞いしてやった。だが和尚さん、これだけは言っておく。あの偽物には触れるな見るな。触れたら最後、取り返しのつかない事になる」
その正体を見た事があるのか?紳士は真顔でジッと阿闍梨の方を見つめていた。
その態度に萎縮しそうになるが、それを堪え質問を投げかけた。
「では貴方はこれからどうされるのですか?」
そうすれば、紳士は項垂れるようにソファの上でだらりと両手を広げた。
「しらん。このまま、夜の闇に溶けていくだけじゃ。どう思う和尚さん?皆にとって、あれが理想の殿様であるならば本物のワシはきっとこの世に必要なくなるのかもしれん。皆が見たいのは真実ではない。きっとこの夢のように、自分に都合の良い事じゃろうな」
最後の方は何だか消え入りそうな声で呟かれた事もあり、話を聞いていた阿闍梨は不安に駆られてしまった。
ただ、これだけは言える事があると震えてる口を押し込め勇気を振り絞りこう言った。
「ですが、殿。その偽物は貴方を脅威に思うからこそ、貴方が優秀だと認めるからこそ扮しているのではありませんか?組織を掻き乱して混乱させようとしている線も勿論あると思いますが、だとしても貴方に扮する必要はない」
「まぁ、そうじゃな。ただ、アイツの事じゃそうやって立ち上がった所で潰しにかかる事も想定している事だろう。ただ、ワシに出来る事があるのも事実。ありがとう、和尚さん。長話に付き合ってもろうて。そうじゃ、自己紹介もまだしとらんかったな。ワシこそが本物の朝風暁。以後お見知りおきを」
そう言いながら優雅に挨拶をする彼を見て、本当に教養があり高貴な精神を持つ人物だと阿闍梨は確信した。
しかし、元々女癖が悪いのか?そのあとも女性達に囲まれ上機嫌な彼を見るに、子孫が未だに健在という現実に嫌な説得力が生まれてしまったかもしれない。
《解説》
朝風のキャラ付けについてですが、元ネタが殿様と呼ばれていた事から実際の殿様が良いだろうという事で徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜や、停車駅の下関に関連して山口県出身であり初代内閣総理大臣でもある伊藤博文をモデルとしています。
朝風の口調も山口弁に寄せています。
手裏剣の扱いが上手く、写真が好きなのも慶喜公からですね。
油絵も嗜んでいる事から節子の言う通り日誌に書き加えています。他にも囲碁やサイクリングも好んでいたそうです。
そんなサイクリングの途中で美人に見惚れて電柱にぶつかったり、伊藤博文は芸者遊びがやめられず明治天皇から注意を受けた事がある為女癖は悪いです。
元の原型の方では朝風は勿論、野師屋も書いていて「こいつら良い人過ぎて人間身がないな。逆に偽物なんじゃないか?何か隠してるだろ」と何故か作者である自分が終始この状態だったのでアレンジを咥えさせて頂きました。
・阿闍梨が口にしていた缶コーヒーは千葉県が発祥の激甘な事で知られるMAXコーヒーの事です。
現在では広い知名度を誇っていて全国展開をしていますが、あれはもう最早コーヒーと言って良いのか分からないですね。




