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そこには確かに愛があった

作者: けい

人生何が起こるか分からない。


カトレア·ゴーディアいや、カトレア·ミケットの人生がまさにそうといえるだろう。


カトレアは借金こそないものの裕福とは言い難い男爵家の子だった。多くの貴族の子がそうであるように王立学園に入学し、首席でこそなかったが常に十位以内に入る程度には優秀な成績を収めていた。

そのおかげで、とある伯爵家の長男との婚約が決まった。家柄の劣る娘でもその優秀さで伯爵家を支えてくれるだろうと見込まれての事である。

お相手は穏やかでありながら正義感の強い男性で、カトレアを大切に扱ってくれた。カトレアもほのかな恋の芽生えを感じていた。


充実した学園生活。

素敵な婚約者。


それらはカトレアに慢心を生んだ。


親友だと思っていたクラスメイトに婚約者を奪われた。

カトレアの不幸の発端は短くまとめればその一行で済む。

心許せる友人だと思っていたのに、いつの間にかあらぬいじめを捏造され、カトレアの婚約者の同情を誘い、伯爵家にふさわしくないと唆された。

少し調べれば嘘偽りだと分かるはずだが、弱小貴族でありながら成績上位者であるカトレアを厭う者は多く、学園に味方は誰も現れなかった。

そうして、あれよあれよという間にカトレアの婚約は破棄されていた。


この事態に焦ったのはカトレアの父である。

ゴーディア家はカトレアの兄が継ぐことに決まっていて、穀潰しのカトレアを養うだけの資産はない。早急に次の縁談をまとめなければならない。すでにカトレアは18になり学園卒業間近となっていて、近隣以外の他貴族と知り合うチャンスが消えてしまうからだ。

しかし、学園でのカトレアの評判は地に落ちていた。

どれほど優秀な成績を残しても、もう誰もカトレアに目を向けてはくれない。むしろでしゃばりだなんだと言われるだけだった。


もはや貴族の子息相手との婚約は絶望的。

修道女になるにもカトレアの父のツテではどこも手一杯で入るとしたら金を積んで無理矢理ねじ込むしかないがその資金がない。


手詰まりかと頭を抱えていたところで、思わぬところから縁談がやってきた。

ミケット商会の商会長との結婚である。


ミケット商会といえば、王都の一等地に本店を構え、各地方のみならず他国にまで支店のあるこの国で一番大きな商会である。

商会長であるオリバーはたった一代でここまで商会を大きくした強者だ。

下手な貴族に嫁ぐよりも余程裕福になる。良縁といえるだろう。


オリバーが御年60歳の高齢であることを除けば。


しかし、カトレアには他に道がなかった。友と婚約者に裏切られ自暴自棄になっていたともいう。

式は挙げなかった。カトレアはともかく、オリバーにとっては三度目の結婚だ。今さら結婚式をするような年でもない。カトレアの学園卒業と共に書類を提出し二人は夫婦となった。

今日が、新婚生活初日である。


カトレアは豪邸の一番日当たりのいい部屋の扉の前に佇む。この扉の先に、カトレアの夫がいる。なんだかんだカトレアはオリバーと顔を合わせたことがなかった。

オリバーは花嫁の条件に出来るだけ若く見目のいいものを挙げていたという。カトレアはでっぷりと肥え脂ぎった老人を想像している。


ノックをすると、側仕えが扉を開けた。ちなみにこの屋敷は広さのわりに最低限の使用人しか雇っていない。カトレアに専属の侍女もなく、自分のことはできるだけ自分でするようにと予め言われていた。


オリバーは、質のいいソファに座っていた。杖を持っている。カトレアの想像とは違い、枯れ枝のように痩せ細っていた。しかしその眼光は鋭く、猛禽類を思わせる。さすがミケット商会の長というべきか。


カトレアは入口でカーテシーを披露する。


「はじめまして、旦那様。カトレアと申します。これからよろしくお願い致します」


腰を落としたまま顔を上げず、オリバーの返答を待つ。しかし、相手はふんと鼻を鳴らすだけだった。カトレアは思わず顔を上げた。


「旦那様?」

「自分のこれからなぞどうでもいいという顔だな。まあ、ピーピー泣きわめかれるよりはマシか。こっちに来い」


カトレアがオリバーに近付くが、オリバーは何もしない。ただ、手元にある紙束をパラパラとめくっていた。


「ふむ。あまり期待はしていなかったが概ねこちらの希望通りの娘が来たな。特に勉学に抵抗感がないのが好ましい」


一枚一枚細かな文字で書かれたそれは、カトレアに関する調査書だった。どうやって調べあげたのか、彼女の普段の生活の様子や学園での成績、そしてもちろん婚約破棄の詳細が記されていた。


「カトレアといったな。縁あって婚姻を結びそなたの実家への援助も受け入れたからには、こちらの希望通りの嫁になってもらわねばならん。その覚悟はあるか?」


カトレアはビクリと震える。夫婦といえどカトレアの立場は弱い。オリバーは問いかけているもののカトレアに拒否権はない。それを拒絶したが最後、カトレアには平民になるか自殺するかしか道がない。


カトレアは震える体を抑えつけ、ひきつりそうな口許をなんとか笑みの形につくる。


「何なりとお申し付けください」


オリバーは満足そうに笑った。


「案外肝が据わっているな。我が商会を支えるにふさわしい」

「え?」

「こんな老いぼれになってまで女体に興味はない。儂の死後商会を潰さんよう手をまわす者を探していた」

「では何故結婚を?」

「儂には倅が3人いる。どいつもこいつもぼんくらで役に立たん。それどころか商会を乗っ取ろうと企んでおる。妻でもなければ相続ができん」

「見目のいい若い女性を望んだのは…」

「若い方が知識の吸収が早い。見た目より中身などとふざけたことを言うやつがいるが、第一印象は見た目で決まる。見目がいいにこしたことはない。商会の顔になるのだからな」


カトレアは体を求められていると思っていた自分を恥じた。よくよく考えれば当然のことだ。商会をあれだけ大きくした人物が肉欲に溺れるわけがない。


「見る目のない男を見返してやるといい」


ニヤリと笑うオリバーにカトレアは目を丸くする。


「物事の本質が見えない奴は使えん。こうして調べればすぐに足がつくような浅知恵しか思い付かん愚かな女に騙される男は女以上の馬鹿だ」


不覚にも、カトレアは泣きそうになった。学園の誰もカトレアを信じてくれなかった。家族でさえも、信じていると口では述べつつも疑いの目を向けてきた。

たとえ調査した結果だとしても、目の前の老人はカトレアを信じてくれる。


「ただ、これからはこんな愚かな手に引っ掛かるな。お前の人生だけでない。商会に関わる何百何千もの人間の将来がお前にかかっている。その事実をゆめゆめ忘れるな」

「はい。あなたの望む女になってみせます」

「ふっ、悪くない返事だ」


こうして、二人の結婚生活が始まったのだった。



◇◇◇◇◇



オリバーの指導はかなりのスパルタだった。

カトレアは学園での成績は優秀だが商売に関しては全くの素人である。そんな彼女にオリバーがその半生、いやそれ以上の時間をかけて身に付けた商売人のノウハウや知識を全て詰め込もうというのだから当然ともいえる。


優しさの欠片もない教え方にカトレアの目にはオリバーが鬼に見えたし、彼の言う通りにできなくて涙を呑んだ日は数知れない。

そして、その倍以上「この糞ジジイ」と悔しさと共に闘志を燃やした日が存在した。

ちなみに、淑女にあるまじき下品な表現は、上に立つ者は下の仕事を理解すべきというありがたいお言葉により時には男装までして下働きでこき使われ、否経験させていただいた時に覚えた。


「何をしている?」


時間がいくらあっても足りないカトレアは、寝る間を惜しんで本を読み、知識を詰め込む。

そんな時、オリバーがカトレアの部屋に勝手に入ってきた。

書類上では夫婦だが実態は夫婦とは程遠い二人の自室は当然別だ。


「旦那様、いくら夫といえどプライバシーは守ってください。勝手に部屋に入るなんて」

「灯りの無駄だ。さっさと寝ろ」


年齢差のためか、オリバーは基本カトレアの言葉を聞いてくれない。カトレアはムッとして口を尖らせる。


「旦那様の課題が過密すぎるのです。灯り代くらい自分で出しますのでお気になさらず」

「徹夜は効率が悪い。せっかくの美貌を損ねてどうする。今日中にやれとは言わんかったはずだ。さっさと寝ろ。寝るまでここに居座るぞ」

(糞ジジイ…)


心の中で悪態をつきつつカトレアは諦めて本に栞を挟む。オリバーの頑固さはよく知っている。彼は本当にカトレアが寝るまで動かないつもりだ。


「では、おやすみなさい」

「ああ、また明日」


わざわざカトレアがベッドに入ったのを確認してオリバーは部屋から出ていった。杖をついて、覚束ない足取りで。


彼は足を悪くしている。もう治ることはないらしい。

カトレアとオリバーの部屋はそれなりに離れている。カトレアが夜更かしをしていることを知った彼は足を引きずってわざわざやってきたらしい。

なんとも不器用な人だ。素直に心配だといえばいいものを。


カトレアは口許までふとんを引き上げて無意識に上がってきた口角を隠す。


これだから、たとえ何をさせられようとも逃げようとは思わないのだ。




◇◇◇◇◇



「バカめ、はじめから上手くいくと思ったのか?」


カトレアが嫁いで三年。

ようやく、新規事業を一から自分でやることになった。とはいえ、オリバーの名を借りてで、カトレアが表に出ることはなかったが。


カトレアは頑張った。

睡眠時間を削るとオリバーがうるさいのでそこは守ったが、ろくに休暇もとらず事業のことだけに専念した。


結果は惨敗。

商売の厳しさを思い知っただけだった。

あれほど頑張ったのに。


悔しさと虚しさでカトレアは自室のベッドの上で丸まり頭まですっぽりとふとんを被る。

涙が溢れて止まらなかった。


そして、カトレアの夫は傷心の妻にも遠慮がない。

無遠慮にズカズカとカトレアの自室に入り、ふとんを引き剥がす。

老人とは思えぬ力の強さだった。


「…私は、不要ですか?」


商会を潰さないためにオリバーとカトレアは結婚した。事業の一つも成功できない嫁などいらないだろう。カトレアにはオリバー以外の選択肢はなかったが、オリバーは誰でもよかったのだ。

カトレアは卑屈になっていた。


「フン、いつもの威勢の良さはどうした?小娘が一つ失敗したところで商会は傾かん。挑戦して学べ。

それで万が一商会が潰れるようなら儂の見る目がなかっただけの話だ。どら息子に潰されるよりなんぼかよかろう。むしろよくぞここまでと腹を抱えて笑ってやる」


オリバーは握っていたふとんを床に放り投げる。


「こんなところでいじけている暇があれば今回の反省をしてさっさと次の事業を考えろ。

目の付け所は悪くなかったが、時期が悪い。あと半年待てば少しはマシだっただろうな。販路も詰めが甘い。まあ最初なんざこんなものだろう」


カトレアにとって人生最大の失態も、オリバーが口にすると些末なもののように聞こえてくる。

涙を流し丸まっている己が恥ずかしくなってきて、カトレアはゆっくりと起き上がった。途端にきゅるきゅると腹の虫が鳴り、顔を真っ赤にする。


「それほど元気ならば心配はいらないな。飯の支度はできている」


オリバーはそれだけ言うと去っていった。

カトレアがノロノロと起き出し着の身着のままで食事を口にしていると、デザートに菓子が出てきた。

砂糖とバター、そしてクリームをふんだんに使ったそれは、この家では決して出てこないものだった。甘ったるい菓子は胃もたれするとオリバーが嫌っていたからだ。

目を丸くするカトレアに、使用人がこっそりと教えてくれた。なんと、オリバーが若い女性が好みそうな甘味を用意するようにとわざわざ指示したらしい。それで、使用人の一人が人気店まで出向き並んでまで手に入れたという。


目の前のクリームたっぷりの菓子とオリバーがなんともミスマッチで、カトレアは思わず笑ってしまった。


ちなみにこの菓子はその後カトレアがへまをしてへこんだ時や、逆に成功を収めた時など、時折食卓に登場することになる。

オリバーは決して口にしなかったが、毎回カトレアに視線を向けていて、カトレアはいつもより少し大袈裟においしそうに頬張るのだった。




◇◇◇◇◇



なんやかんやありながら、オリバーとカトレアが結婚して十年が経った。

カトレアも二十八歳になり、もともと目鼻立ちが整っていた美貌をさらに磨き上げ、子供らしさがなくなった代わりに大人の妖艶さを身に付けていた。


ミケット商会は恙無く経営できていて、名義こそオリバーだが実際に裏で指揮を執るのはカトレアだという事業も増えてきた。

商会内の要人はカトレアが次のトップだと認めている。


「旦那様、起きていますか?」


カトレアはノックもなしにオリバーの自室に足を踏み入れる。寝ていた場合起こさないようにという配慮である。

オリバーはベッドに横たわっていたが、その目は開いていた。


数ヵ月ほど前から彼の具合は良くなかった。もう自力で歩くことはできず、丸1日ベッドの上で過ごす日も少なくない。

資金は潤沢にあるため人を雇い介護に問題はないが、カトレアはなるべく夫と接するよう努めていた。


「なんだ?」


出会った頃から嗄れた声だったが、より細く覇気がなくなっている。カトレアは心を痛めながらも笑みを浮かべた。


「食欲はありますか?契約している農園で新しい品種の林檎ができました。試食をお願いしたいのですが」

「…それならばもらおう」


オリバーの食欲は落ちている。噛む力も衰えているため食べられるものもうんと少なくなった。しかし、商会が絡めば少しは口にしてくれるだろうというカトレアの思惑は正解だったようだ。


カトレアはオリバーが起き上がるのをその背を支えて助ける。細い体だ。枕を増やし位置を調整してもたれ掛かれるようにする。


「儂なんぞにかまう必要はない。商会の仕事はどうした」

「私が旦那様の意見を聞きたいだけです。無理はしていませんよ。非効率な徹夜もしていませんし、商会に問題もありません」


スルスルと林檎の皮をむきながらカトレアはオリバーとの会話を楽しむ。下働きの経験のおかげで家事雑用は一通りできるようになっていた。切り終えた林檎は丁寧にすりおろす。


「どうぞ、食べてみてください。従来のものより甘味が強いです。下手に加工をするのではなくそのままやジュースにして販売する予定です」


スプーンで一匙すくってオリバーの口許に運べば、彼はおとなしく口にした。目を閉じ、ゆっくりとその味を確かめている。


「…悪くない選択だ」

「それと、この皮も香りが強いので、乾燥させてポプリやサシェにしようかと」

「なるほど。男にはない発想だな」

「ふふ、ありがとうございます」


林檎の味が気に入ったようでカトレアがスプーンを差し出しオリバーが含むというやりとりを何度か繰り返し、1/3ほど食べたところでもういいと拒否された。


ただ食事をしただけなのに疲れた顔をしてオリバーは枕に全身を預けきっている。


「…息子共は商会に押し寄せてきていないか?」

「一時的に警護を増やしています」

「まったく嘆かわしい」


オリバーの現状は手紙で伝えているが、実の息子は一度顔を出したきりだ。それも、遺産のことを仄めかしただけで決して見舞いとはいえない態度だった。

どうしてオリバーの息子だというのにこれほど無礼で高圧的なのかカトレアは不思議でならない。


そして、オリバーに会いに来ない割には商会の本店に足を運んでは次の会長は自分だ、丁重にもてなせと騒ぐのだ。3人の息子がそれぞれ同じ主張をするのだからもはや滑稽だ。商会の仕事を何一つ引き継いでいない事実を不思議には思わないのだろうか。


「儂は結婚を三度した。どれも愛のない結婚だ。商会を大きくするため、貴族と繋がりを持つため、そして商会を存続させるためだ。

儂は商会のことしか考えなかった。家庭を省みたことはない。息子たちは全て妻に任せた。それが、いけなかったのだろうな」


オリバーの過去二回の結婚は、片や相手の不貞による離縁、片や病による死別で終わっている。たいした交流のなかった息子たちがオリバーに懐くわけもなく、オリバーとて歩み寄ることをしなかったため今の希薄な関係となっている。


商売のことを学べとオリバーなりに彼らを思いやって後継としての教育を施そうとしたこともあったが、カトレアで実践したような厳しい内容だったため、甘やかされて育った3人はすぐに逃げ出した。


「では、旦那様にとって私が最初の子育てなのですね」

「子育てという年でもあるまい」

「商売に関しては赤子同然だったでしょう。苦々しく思うこともありましたが、あなたの教育があって私がいます。あなたの大切な商会は決して潰しません。ますます大きくしてみせます」

「さすがたくましいな。儂の見る目は間違っていなかった」


オリバーが口の端をあげて笑ってみせるが、それは随分と弱々しい。


「カトレア、ありがとう」

「…!」


偏屈で、ろくにお礼など聞いたことがなかったのに。

カトレアは泣きたくなった。

嬉しかったわけではない。オリバーの死期を悟ったからだ。

彼の残された時間はあとわずか。


「珍しいことを言わないでください。これから出掛けるのですから雨が降っては困ります」


カトレアは、憎まれ口を叩くしかなかった。



◇◇◇◇◇



オリバー·ミケットの死は迅速に関係者各位に報された。そして、ミケット商会の会長にふさわしい壮大で、厳粛な葬儀が行われた。

その一切を取り仕切るのがオリバーの若き妻、カトレア·ミケットであった。ちなみにオリバーの3人の息子がそれぞれあれをしろこれをしろと指示しているように見せていたが、どれも的外れなもので聡明な人間からすればこの葬儀が誰の手によるものかは一目瞭然だった。


しかし、口さがない者は囁き合う。


「見ろよ、オリバーさんの嫁。涙一つ流さないんだぜ?」

「若いのに鉄のような女ね。どうせ遺産目当てでしょう」

「オリバーの死だって突然だったんだ、あの女が殺したんじゃないか?」


カトレアの耳に入るようにわざとらしく嘆く他人に、それでも彼女は態度を変えず、微笑んですら見せた。


カトレアはオリバーの教育の完成形だ。

仮面が必要なのは淑女だけではない。一流の商人も何があろうと笑顔で乗りきらねばならない。いくら夫の死があろうと情けなく取り乱す無様な真似はしない。


事実、取引先の重鎮等はカトレアの様子を見てミケット商会の後継が誰であるかを悟り、その将来が楽しみでもあり末恐ろしいという感想まで抱いていた。


葬儀が恙無く終わった夜、カトレアは夫の寝室に入り込み、そのベッドに横たわる。まだ、オリバーの匂いが残っていた。


ようやく、カトレアの瞳から涙がこぼれる。


祖父と孫ほどの年の差だった。

夫婦らしい会話は皆無で、オリバーは厳しく、カトレアも時に反抗し、その関係が良好だったのかは疑問だ。


けれど、確かにカトレアはオリバーを愛していた。


家族愛か、友愛か、それとも男女の愛か。どれも当てはまらない、いや、その全てを少しずつ摘まんでいったような、そんないいとこ取りの愛だった。


「見ていて下さい。あなたの商会は、絶対になくしません」


オリバーのベッドの中でカトレアは一人誓いを立てた。


オリバーは抜かりなく商会の名義をカトレアにするよう手続きをとっていた。

しかし、三人の息子はカトレアに莫大な遺産を盾に商会を譲るよう詰めよった。

もちろん、カトレアは譲るつもりなどなく、むしろ商会の名義さえあればその他の遺産は全て放棄すると啖呵を切った。


そうして、強情な態度にひるんだのと、所詮は女なのだから上手く行かずに泣きつくだろうという思惑のもと、しぶしぶ三人は商会を諦めた。それでも一生遊んで暮らせるだけの金が手に入っている。仕事ばかりで家庭を省みなかったオリバーなりの息子たちへの贖罪の形だった。

一人は豪遊し、一人はそれをもとに商売を始め、最後の一人は投資に手を出したというが、カトレアは彼らのその後を知らない。

カトレアにとって義理の息子にあたるが、父親と同年代な上にろくに交流もなかったのだから金を渡した時点で縁が切れたと思っている。


カトレアは、ミケット商会しか見ていなかった。


ミケット商会は何代も続く老舗商会となる。

代々商会長は切れ者だと評判であるが、特に話題になるのは初代と二代目だ。

一から商会を興し磐石な地盤を固めた初代と、初代の意志を継ぎつつ当時では珍しい女性の社会進出などに一役買った二代目。

当時を知る古株は鬼のような夫婦だったと語る。

そして、さらに二人をよく知る人物はこう言った。


ミケット商会は、一組の夫婦の愛の結晶だ、と。

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― 新着の感想 ―
[一言] 素敵な愛のお話でした。ありがとうございます。
[一言] この最後の一文が好きです。 「ミケット商会は、一組の夫婦の愛の結晶だ、と。」
[一言] 商会こそがまさに子なんだろうな 義理の息子たちの末路にも全く関心がなかったし、かつての家族や婚約者などがすり寄ってきても完全スルーだったんだろう そうこうしてるうちに貴族の時代が終わって商会…
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