四人目と邂逅、そして五人目らしき影
退官後の1931年。
ようやく実用的なガスタービンが完成した。
歴史の流れはそのままであり、満州事変が起きている。
そんな中、二宮飛行器は全金属機の開発に邁進していた。
それはまだ自社製レシプロエンジンを搭載する事になるが、技術的にはそろそろ息切れであるという二宮氏。
そんな中で俺にはちゃっかりガスタービン開発のために海軍の末席を用意されているが、半分は民間人である。
そう言えば規格統一を始めて随分と立つが、その点でもまだまだ完成はしていない。
その関係で財閥と関わる事もあり、陸軍関係の情報にも触れることが出来た。
八九式中戦車が採用されている時期であるのだが、その形が少々違和感を覚える。
時代なりではあるのだが、転輪が大きくは無いか?
そして、銃器にも触れることになるのだが、機関銃がオカシイ。
なぜかベルト給弾式である。この時期にはそんなもんは無かったはずだが?
そこに居たのはやはりである。
ベルト給弾式機関銃を開発したのは同類であった。更に彼の口から戦車開発にも同類が居ることが判明した。
そして、その戦車技師、変速機を中心に開発しているのだというではないか。
あれ?
しかし、どうやら原という名前ではないらしい。
そんな1933年、海軍はガスタービン試験艦の建造を決定した。
全溶接構造の船体にガスタービンを用いるらしい。
当然、そこには塩飽造船の参画もある。
塩飽造船は先進技術に明るく、溶接技術も彼の参画で加速しているほどだ。だからこその措置だと言える。
「まるで『はやぶさ』じゃないか」
と言うと、塩飽造船次代の香西氏は笑った。
「戦後、自衛隊が有したガスタービン駆潜艇も『はやぶさ』ですよ。実績不振と故障から取り外されてしまいましたが」
と言う。
日本でのガスタービン艦艇はかなり早い時期に建造されてはいるが、それが形になるのは随分と時間を要したという。
さて、そのガスタービン試験艦の評価だが、随分と好評である。
機密指定されているので外部に公開できないのがもったいないのだが、よく考えるとガスタービンは軍艦での採用こそ一般化したが、民間ではディーゼルの経済性には勝てない状態が続いている。
翌年には気を良くした海軍はこのガスタービンを搭載した水雷艇の開発を始めることになったが、そこに友鶴事件や第四艦隊事件が待ったを掛けた。
ガスタービンは軽量で高出力という特徴を持つが、それは艦船においてはメリットばかりではない。
船のエンジンは水面下に搭載されるのでそこが軽くなるという事は、重心上昇を招いてしまう。
重武装を追い求めて機関の軽量化という面に目が眩んでいた海軍は大混乱となる。
ちなみにだが、龍驤に続く空母では龍驤型ではなく、多くの技官、軍人が望んだ巡洋艦型高速船形、多段格納庫方式の採用が決まったらしい。
その中身を知る事が出来たが、現実の蒼龍のソレである。ハリケーンバウすら削られているし、舷側エレベータなどないし、故障がある訳でも無いがカタパルトもコスト削減のために後日装備らしい。
色々と歴史の修正力とやらが大きく働いているという事なのだろうか。
そして、混乱するガスタービン水雷艇はどうやら中止となる事が決まった。
そんな頃、より高出力なガスタービンが開発されており、駆逐艦にも搭載可能だという。4基2軸とすれば5万馬力ほどになる。
そこで、駆逐艦に採用する事となり、新たに開発が行われているのだが、難航している様だ。
何といっても吸排気塔が大きくなるので武装に割ける甲板面積が減ってしまうというデメリットまで付いて来る。
当然、そんな状態なので重雷装など無理筋という状態だ。
ガスタービン艦が出現するかと思ったが、試験艦どまりでなかなか実用化しない。
さて、陸上に目を移すと、現実の九二式重機関銃はベルト給弾式の九〇式となったらしいが、やはり軽機関銃は箱型弾倉になるらしい。
戦車についてだが、これは溶接が採用され、形も九五式などではなく、九八式だろうか?そんな姿に出来上がっている。
「外見上の違いはほとんどありませんが、ベルト給弾機関銃の採用、対戦車砲との弾薬統一、装甲増厚と、中身は差異がありますよ。エンジンも性能は向上してますし、変速機は全く比較にならない程良好です」
との事だった。まあ、外見も正直違うように見えるんだけどね?
そう言えば、そろそろ九六艦戦や九六陸攻が出てくるはずだが?
と、思っていると、艦上機は二宮が勝ち取ったという。
九六艦戦など似ても似つかない。それどころか引き込み脚が採用されているではないか。この時点でゼロ戦に近いんじゃない?
「いえいえ、450km程度しか出ない機体ですよ」
との事だったが、時代からすれば十分では?
そして、南部銃製造所で技師をしている同類、真部氏が50口径の航空機関銃を開発したという。
どうやら完全新設計でコンセプトがMG131らしい。
その開発には塩飽造船の貢献も大きく、ここは造船よりも電子機械の開発が今や主体ではないのかと思う状況である。
瀬戸内海と言う海の難所を安全に航海できるようにレーダー開発を行い、関門、栗島、備讃瀬戸、鳴門、明石の各難所に設置したらしい。
航空機用ではなく航路管制をいきなり始めるというのにも驚きだ。