三人目 野望に燃える
海戦ゲームに潜水艦が実装されたのだが、日本の潜水艦があまりに普通過ぎるのがなんとももどかしい。
日本は戦前の段階で第71号艦のような水中高速潜水艦を開発していたのだから、この系譜がその後も継続して研究開発される状況であれば、もう少し早く、海龍や蛟龍の様な小型特攻艇ではなく、波201クラスを最小に、750トンクラスの呂号潜水艦もあり得たのではないかと思うのだが。
波201など、そのサイズや性能が英国が第一次大戦で建造したR級潜水艦に近似している。
四半世紀も後に同程度の性能と言うのはどうなんだろうか?
もちろん、その期間の潜水艦と言うのが、水上航行能力も求められたことを考えれば、R級が異端であり、それに続く潜水艦がなかなか生まれなかったのは分からなくはないのだが。
この波201と同じコンセプトが戦前に存在していたらどうだろうか?
などと考えていると、ここは大正日本である。
なぜか大正時代に飛ばされた。
しかも、瀬戸内の小さな造船所である。
この造船所の主力は木造漁船や小規模な内航船。
エンジンも主に焼き玉機関を積んだ、いわゆるポンポン船が精々だ。
だが、転機はすぐに訪れた。
第一次大戦がはじまったのである。
周りを見てみると、歴史はほぼ変わっていないのだが、戦艦が変わっている。
準弩級戦艦であったはずの薩摩型戦艦は、ここでは約弩級戦艦と言った方が良い船に変化しているし、河内型は真弩級戦艦に変化している。
薩摩型は中間砲を持った過渡的な戦艦のはずが、12インチ連装砲3基搭載という、世界的にもほぼ例がない最小クラスの弩級戦艦となっている。
河内型はなんと、12インチ三連装砲など搭載しているではないか。
歴史の変容を見るにつけ、さて、何かやってやろうと考えた俺は、好景気の波に乗って鉄船建造技術を導入する事を父親に勧めた。
うまい具合に海軍が鉄船建造技術を民間に斡旋していたので、そこに乗っかり導入する事が出来た。
とは言っても、所詮は小さな造船所だったが、連絡船受注を勝ち取り、初めての鉄船でありながら、導入した船台を使い300トン級の船を建造する。
この経験から鉄船建造にも参入したが、所詮は500t以内の内航船がメインの造船所でしかない。
だが、需要が多くあったので多くの受注が舞い込み、景気の良さからなんと、欧米への留学が出来ることになった。
第一次大戦直後、さっそく向かった英国で様々なモノを見聞し、帰国直前、何の偶然か、R級潜水艦の売却が行われるという情報を耳にし、ダメもとでその入札に参加してみた。
なぜかそのR級潜水艦を手に入れることが出来たのだが、500トンの大物。
持ち帰る算段に苦労し、帰ったら帰ったで親に怒られることになった。
だが、成果がない訳ではない。
魚雷こそ積み込まれてはいなかったが、多くの物が撤去されずに残された状態だった。
当時の最先端技術が詰め込まれたソレを手に入れた事実は大きく、その部品を足掛かりに、実家である塩飽造船ではさっそく電気機器の開発にも力を入れていく。
そんな時、海軍の技官が訪ねて来た。
どうやら薩摩の設計者だという。
と言う事は転生者と言う事だろうと聞いてみるとそうだった。
「R級潜水艦を購入して持ち帰ったそうだが、潜高型でも開発しようというのか?」
そう聞てくるので肯定した。
彼にとっては既に薩摩、河内を設計し、鳳翔も思い描く船として完成させているので役目はほぼ終わった。というではないか。
しかし、その鳳翔について聞いてみると、米国が採用した開放型格納庫を設けた空母だという。
それはさすがに日本近海の海象には不適格なので止めた方が良い事を伝えた。
その事に何処か不満があるらしいが、仕方がない。
エセックス級空母が開放型だからダメコンが良かったといったちょっと首をかしげる論調が日本にある事が彼を誤解させたんだろう。
開放型だからではなく、ダメコンシステム自体の問題なのだが。
そして、機体を多く積めたのも、露天係止やあの根元から畳める折り畳み機構の為であって、開放型格納庫が絶対などではない。
どうやら龍驤の開発が海軍最後の仕事となるらしいので、エセックス級の戦後改装やイオージマ級強襲揚陸艦を参考にした空母とする事を勧めておいた。
さて、そこで聞いた話に同じ転生者が行っているというガスタービン開発というモノがあったので、早速見学に向かう事にしたが、見た瞬間頭を抱えた。
ラジコン用のマイクロガスタービンでももう少し考えているはずだ。
軸流式ジェットの模式図をそのまま再現しただけのソレが動いていること自体が奇跡に思えたが、冷却機能があまりに考慮されていないので耐久性がないらしい。
挿し込み式の羽根だとかテーパー軸受けだとか、何とも凝った事をやっているが、それなのに燃焼室や動力タービンの冷却が考慮されずに爆発や融解を起こしているという。
そこで、史実のジェットエンジン同様に圧縮空気の一部を燃焼面から離して冷却に使える構造や動力タービンの冷却のために中空式にするなどの改善策を提示し、そこに参画して開発に乗り出すことになった。
そうした改修の甲斐あって何とか耐久性も出てきそうだ。