日本初の空母着艦依頼を受ける
ガスタービンの開発を請け負った後、技官から不思議な事を言われた。
「どこまで歴史を変える気なのか?」
と。
しかし、それはおかしな話ではないだろうか。
当の技官は日本の戦艦を根本からひっくり返している。
背負い式でこそないが、片舷集中が可能な配置を採用した戦艦を出現させているではないか。
そんな事をしておいて、他者に歴史改変について問いただすなんて。
どうやら、技官は無自覚だったらしい。
いや、それこそ同類と言うべきなのだろうか。
彼もゲームでの改変がしたかっただけらしい。
この世界での時間もかなり長くなったが、子供のころからこの世界の人々と接していると、21世紀とは常識が違う事を肌で感じる。
そんな考え方の違う世界で21世紀の常識を振りかざしても、誰も耳を傾けてはくれないだろう。
それに、俺は一介の民間人でしかない。彼も技官でしかない。国の政策を変えてしまう様な発言力や権力など持ち合わせてはいないではないか。
そう言うと、彼も納得している様だった。
第一次世界大戦がはじまった事もあって、日本は史実のように欧州への輸出が増えてきている。
ガスタービン開発については、思った以上に難航している。
その原因は、万能だと思っていた自分の頭であった。
ジェット機については分かるのだが、ジェットエンジンについては、基礎的な構造や概念はともかく、多くの部分が理解の外だった。
何とか分かるターボチャージャーの知識を応用して取り組んではいるのだが、耐熱鋼や製品の品質について壁が立ちはだかる状況になっている。
好景気を背景に、大幅な資金投入や技術、工作機械の導入を行うとともに、規格統一の話を海軍上層部に上げてもらえることになった。
二宮飛行器内だけの規格統一ではやはり問題がある。
二宮規格は史実のJISをベースとしているので、技官もそれを推薦してくれることになった。
もちろん、ジェットエンジンばかりを開発している訳ではない。
欧州から技術や工作機械が入って来るので、これまではなかなか実現できなかった航空機用レシプロエンジンの開発も行っている。
レシプロエンジンに関する知識については全く不満がないほどにあるようで、すでに設計だけなら第二次大戦期のエンジンすら可能だ。
しかし、技術が付いてきていないので、そんなモノを作ろうとは思わない。
その上、知識を用いれば戦後の技術すら利用可能になるのだが、それを実現するには様々なハードルが立ちはだかっている。
特に、試作機を作るだけなら、やってやれないことはないかもしれない。
しかし、量産するとなるとどこまでその精度を維持できるんだろうか?
素材の問題から解決しなければ作り出せない部品。
工作機械の精度をより上げなければ均質な製品として仕上げられない機械精度の問題。
だが、それらに隠れた最大の問題は制御技術にある。
電子機器の発達が無ければ、必要なセンサーや電子機器を搭載できない。
結局のところ、基本的な部分の底上げは出来るが、それだけでは早々に息切れしてしまうのは明らかだった。
しかし、泣き言ばかり言ってもいられない。
大戦景気で沸いている今のうちに出来る限りの技術や工作機械を手に入れて身に着け、内製化していかなければならない。
そうやってアルミ合金技術をモノにして航空用エンジンを本格的に量産できる体制を確立していく。
まずは空冷星型エンジンと空冷水平対向エンジンを手掛けることにして、その開発と量産を行っていく。
水冷エンジンも設計出来てはいるが、一体型ブロックを高精度で鋳造する技術が伴っていない。それが出来れば、ディーゼルへと応用すれば飛行機だけでなく、戦車やトラック開発にも役に立つだろう。
機体についてはまだまだジュラルミンを完全にモノに出来ていない上に、時代が木や鋼管フレーム製の骨格に布張りが主体という時代だ。
二宮でも欧州機に倣って複葉機を開発している。
何せその方が欧州からの技術取得がやり易いのだから仕方がない。
全金属製の航空機開発はまずはジュラルミンをモノにしてからになるだろう。
そうしてまず造り上げたのは雷撃機だった。
まだまだ時代的に複葉機で良いので、ソードフィッシュをモデルにしている。
扱いやすくて誰もが操れる機体。
当然のようにグライダー時代から俺自身も操縦をしているので、この複葉機も操縦できる。
海軍では空母を開発しているとかで、当然のように水上機ではなく、艦上機を必要とした。
「鳳翔は既に設計を終えているが、まさか、外国人が初の離発着をやるのは少々腹立たしい。二宮さんにお願いしたいのだが?」
などと技官が言って来た。
まあ、出来なくはないだろう。
大戦中に完成しているソードフィッシュをモデルにした五年式攻撃機を艦上機として改設計して、九年式艦上攻撃機として完成させた。
その機体でもって、俺が鳳翔からの初の発艦、そして着艦を行う事となり、地上での訓練の後、実際に鳳翔へと着艦し、再び発艦。
見事に基地へと帰還して、記念すべき空母の離発着をやり遂げることが出来た。