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帰って来た

 ふと気づくと突っ伏して寝ていた様だ。


 顔を上げるとディスプレイがある。


 起動させると見慣れたゲーム画面。


 どうやら夢を見ていたらしい。その割には鮮明で、リアルな感覚があったのだが。


 何とはなしに保有艦艇をスクロールしていく。


 日本艦の所でふと無作為に一隻画面に出してみた。


 駆逐艦だが、ん?


 松型なんてこのゲームにあったかね?


 いや、これ、良く知っている松型だが、松型ではない。塩飽造船と言う夢に出て来た会社が作った松型だよ。


 外観は日本海軍の駆逐艦ではなく、戦後の護衛艦に近い。米駆逐艦を低重心にしたような外観をしている。


 そして、デカい煙突。ガスタービンだからそうなるのは分かる。


 次に空母を見ると、鳳翔はやはり夢に出て来たあの艦で間違いなく、龍驤もそうだ。


 隼鷹もあるな。


 ツインブリッジで航海艦橋トップにデカイレーダーを取り付けている姿はまさにそうだ。


 しかし、夢の歴史は1945年に入る直前で目覚めたので、日本がどうなったかよく分からない。



 しかし、これだけの艦艇を良く作れたものだと思うよ。


 おっと、戦艦も見てみようか。


 まずは薩摩だが、うん、連装砲塔3基の姿をしているな。まさにこれだよ。


 河内は薩摩を三連装にしたソレ。夢の通りだ。


 金剛は英国発注だからまあ良いとして、扶桑もそうだな。


 さて、長門以後の戦艦はと見てみると、驚いたね。


 長門の次は41センチ三連装3基の石鎚という巡洋戦艦だ。八八艦隊計画でそう言えばそんな巡洋戦艦をやったんだっけ?

 メインは鳳翔を担当していたからほとんど関われていなかったとはいえ、八八艦隊のいくつかは多少関りがある。


 その次は、お、伊予ではないか。


 モンタナに匹敵する41センチ三連装4基と言うソレ。


 速力こそ24ノットでしかないのだが、攻撃力はモンタナと互角だろう。


 そして、日本戦艦のトリを飾る大和はやっぱり46センチ3連装になっているな。


 ただ、コイツもコイツで子細に見ると違いが多数発見できる。


 当然だが、15メートル測距儀に21号電探を取り付けたカンザシにはなっていない。これは違和感以外の何物でもないんだよな。


 レーダーは後部艦橋にある。しかも、艦橋自身がレーダーマストに改変されており、その中腹に10メートル測距儀が収まる形になっている。


 艦橋トップの15メートル測距儀はカンザシではない代わりに、でべその様なパラボラを装備しているが、射撃レーダーだろうか?


 そして、どうやら日本には潜水艦もあるらしい。


 伊201型や呂200型がある。


 結構バリエーション豊富だな。


 伊201型は1600トンある大型潜水艦らしいな。水中速力18ノットか。なかなかだ。


 呂201型は750トン。なんと有翼潜水艦のうえに一軸推進ではないか。頭でっかちでもはや戦後の潜水艦としか思えん。


 そうか、なんかすごいな。


 そして、別の事も頭に浮かんできた。


 マイカーの記憶が広島産のオープンカーから二コ自動車という夢に出て来た会社のコンパクトスポーツに変化している。両方の記憶があるのも何だか気持ち悪くはあるのだが、何でだ?



 どうやら眠っていたらしい。


 しかし、面白い夢を見たもんだ。


「真部さん、あ、寝てました?」


 今日は耐久サバゲに来て居る。部屋でゲームも良いけど、たまには体も動かさないと。


 装備は・・・


 あれ?


 メインがサブマシンガンだが、うん、これ、知ってる。


 南部銃製造所で作ってた短機関銃だよ。たしか、海軍に採用されてたんだっけ?


 それの丙型。なんとスライドストック化されたピストルグリップタイプになっている。


 試製二型と外見こそ同じだが、構造はシンプルブローバックオープンボルト式へ変更しているから、その構造がそのままガスガンとして再現されてるんだな。


 しかもCO2ガスか。


 もう一丁は、あ、これ、見た目はボルトアクションに見えるが、自動小銃の五式歩兵銃じゃないか。


 さすがにエアガンはマガジンを外して装填するんだな。当たり前だが。


 五式歩兵銃の構造は遅延ブローバックを採用して速射性を求めている。


 生産能力がソコソコ上がっていて、八九実包への移行が推進されながらも、軽機関銃を7.7ミリ化して元のBARへ戻した銃が暴れまくった事から、開発難航し、九〇式機関銃に二脚を付けて軽機関銃の代用とする苦肉の策に出る始末だったな。結局、ベルト給弾と弾倉給弾では弾倉の方が使い勝手が良かったことから部隊ではなかなか7.7ミリへの移行が進まなかった。

 その為、南方へは無理やり7.7ミリ化した装備を持たせたものの、国内での防備部隊や新兵訓練には三八実包を用いる旧来装備が回されていた。


 そんな事から、結局、南部での三八実包生産が継続され、有り余る中で、二コ自動車の軽トラが軍で普及した事から輸送能力が改善し、自動小銃の採用が行われたという訳だ。


 まあ、その火力があったから、樺太防衛線が守られたんだが。


 戦後、五式歩兵銃の優秀さに米軍も驚いていたほどだ。M1カービンより優秀で、南部からライセンス権を得てM4カービンとして30口径仕様が米国で生産されている。


 おかげで戦後も南部銃製造所が存続したとの事だ。


 もちろん、米国でのライセンス生産だけが存続理由ではなく、一番大きいのはテーハン動乱や中華大乱での特需であった事は間違いないのだが。


 日本軍装備なのに、なぜだか全く違和感がない。


 これを求めていたのは確かなんだけどね。

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