少々歴史を変えてしまっている様だ
樺太に配置されて年を越し、1945年になってもフィリピンでの戦いは続いているらしいと聞いた。
樺太にはそんなに多数の戦車が配備されている訳ではないが、それでも揃うと壮観だ。
主力はチホたんだが、決戦戦力となるチトたんも部隊として編成できている。本来なら三式中戦車ですべて揃えてしまえばよいのだが、短砲身砲塔が量産しやすかったことから、そのままチハの車体に搭載して完成させているという事らしい。
短砲身なのでHEAT弾しか対装甲戦では使えないのだが、57ミリ砲よりかははるかにマシだ。
南部に文句を言いたいのだが、HEAT弾がノモンハンに間に合ったせいでチハたんへの長砲身砲の搭載がまるで行われていない。
47ミリ対戦車砲より57ミリHEAT弾の方が遠距離での攻撃力が高いのはさすがにダメだろう。戦車開発にとっては。
そんな訳で、チハたんは57ミリ砲のまま生産が続き、三式戦車砲が開発されると、それを砲塔ごと乗せ換えて二式中戦車をでっちあげてしまった。
もちろん、陸軍上層部は量産性が良い事から長砲身よりこれでなどと世迷言を言っていたが、52口径砲ならば500mの距離で150ミリは貫通でき、1000mでも120ミリは可能だという結果に、何とか納得する有様だった。
そんな苦労をしたのに、現状はこれである。
57ミリ砲までの肩付けとは違う操作法に慣れることを主眼にした訓練を5月末までに終わらせて、8月に備えて陣地構築などをと考えていたのだが、6月8日、いきなりソ連軍が国境線を突破して南下を始めた。
確か、ソ連軍は旅団規模程度しかいないはずなのだが?
そんな事を思いながら迎撃を行い、10日後にはあっけなく撃退に成功した。
更なる戦闘に備えて北海道との連絡を取っている頃、上陸しようとしていたソ連軍を海軍が壊滅させたことを知る。
その上、どうやら本土から増援部隊を乗せた船が来るというので出迎えに行ったら、空母だった。
「海軍が輸送を?」
司令部の要員にそう聞いてみたら、陸軍の船だという。
そう言えばそんな話もあったなと思い出す。塩飽造船が陸軍向けに強襲揚陸艦を建造したんだったか。
上空を飛ぶ戦闘機や双発の小型機。
そして、続々と揚陸される人員と物資。
戦車は載せていなかったが、自走砲が配備されたので今後の戦いは随分と楽になるだろう。
1945年は炎龍による迎撃戦がひっきりなしに行われ、数が揃わない中で工場も必死に製品を作り出していた。
そんな7月初めの事。
大挙して攻撃隊が出撃していった。
帰って来た数は半数程度だろうか。かなり打ち減らされており、資材が枯渇する現状では色々懸念材料ばかりが頭をかすめたのだが、帰還した連中の顔は晴れやかだった。
基地に居ると言ってもこちらは民間技術者と言う事で多くは教えてくれなかったが、日本近海に現れた米大艦隊を襲撃し、空母や戦艦を何隻も火だるまにしたという。
沖縄戦の話も聞かないまま8月を迎えてしまった。
南部銃製造所は中央工業と名を変えることなく戦争を迎え、各種航空機関銃や陸用軽、重機関銃を生産していた。
砲弾開発にも関わり、史実より5年早く成形炸薬弾を日本にもたらしたことで少々歴史を変えてしまっている様だ。
そんな折、塩飽造船から持ち掛けられたヘッジホッグを陸軍の迫撃砲をベースとして開発し、陸軍から文句を言われたが、陸軍船舶でも使えることを説明したら納得してくれた。
そして、戦車開発がHEAT弾の影響であらぬ方向に向かっていると技官から愚痴られたので、戦車砲について、海軍の長8センチ砲を融通してもらえないかと話を持ち掛けた。
海軍が陸軍迫撃砲を使っているんだしと話を持ち掛け、何度も説得してようやく了承を得ると、液気圧式駐退復座器をもつ砲座を南部で設計し、砲尾を陸軍式に、砲身を海軍が受け持つという形で何とか戦車砲を完成させた。
もちろん、必要になるであろう事を見越して、パンツァーファウストモドキを試作したり、携帯型無反動砲を試作したりした。
そんな中に、サブマシンガンやアサルトライフルもあったりするわけで、陸軍が三八実包を大量に抱えている事から、その弾を用いる自動小銃の開発も行った。
と言っても、今更弾倉まで大量に生産する余力などないので、弾倉は半ば固定として、チェコのVz58のように装弾子で銃に装着した弾倉に装填出来る構造を採用している。
どうやらプレス加工を多用して製造できることから発注を受け、着脱可能な10発弾倉を備えた形で出荷するようになった。使い勝手は三八歩兵銃とあまり変わらない気がする。
陸軍は三式中戦車より更に強力な戦車開発も行っていた。
ガスタービンエンジンは非常にパワフルなので40トンクラスにも利用できる。
そして、76ミリ砲はボーリングすれば90ミリにボアアップ可能であることも分かった。
実際に90ミリ砲を試作してみると、初速は多少落ちるが威力はあまり変わらず、より遠くまで貫通力を持続できるようになった。
三式中戦車を更に装甲強化した40トンになる五式中戦車を開発したのだが、どうやら量産前に戦争が終わったらしい。