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四人目 意欲的に改変ス

 日本の銃器と言えば三八歩兵銃が有名で、とりあえずサンパチと言えば歩兵銃の事と言うほどだ。


 確かにそうなのだが、九六式軽機という銃も有名ではないだろうか。


 いずれにしても、有名なモノはそれだけ使われていたという事でもある。


 だが、如何せん独創性がない。


 そこから言うと、南部試製二型機関短銃は独創的で好みの銃だ。百式なんかより断然良い。


 なぜあれを採用しなかったのかと思うほどだ。


 日本は遅れていたというのが定説化しているが、軽機の採用は早い方だし、自動小銃開発もやっていた。


 足りなかったのは軍人の頭ではなく工業力だ。


 南部試製二型をはじめ、サブマシンガンや自動小銃が見向きもされなかったのも、連射が出来る事からその弾薬消費に補給が追い付かない懸念があったからともいう。


 突き詰めれば工業力の差と言って良い。


 工業力を何とかすればと思うが、当時の状況では無理があったという事だろう。


 などと考えていたら、見た事もない景色が眼前に広がっていた。


「真部!」


 呼ばれた方を向くと、なんだかどこかで見た事があるオッサンが居た。


 あの有名な南部麒次郎だ。


 彼に連れられて新たに南部銃製造所の立ち上げに携わる事になった。


「十一年式は不評なようだ。かと言って、あれに勝る機関銃と言うのもなかなか存在しない」


 そんな南部氏にとある提案を行った。


 それは、ブローニングBARの三八実包仕様である。


 まだ険悪と言う訳でも無い米国からブローニングを入手するなら今しかないと思ったからだ。


 コルト側も快く応じてくれたのだが、BARは如何せん、日本人には大きすぎた。


 そこで内部機構のみを利用して、外部は一から設計する事として作業に入ったのだが、BAR同様の弾倉仕様での開発に待ったがかかった。


 どうやら軍としては新たな弾倉の仕様に懐疑的であるらしい。そのまま装弾子で良いではないかとの事だ。


 しかし、それでは十一年式と何も変わらない。そこを変える為に新たな銃器を設計しているのだから。


 そんな事があり、まずは装弾子仕様と言う事で弾倉から装弾子装填へと設計を変更したのだが、それでは何の解決にもならない。


 より使いやすいようにベルト給弾機構を搭載する事にした。


 ベルト給弾機構はまだ存在しないMG42のソレだ。M60やFN MAGが採用している。


 軍はあまり乗り気ではなかったのだが、航空機関銃や車載機関銃として試験するならという事でまずは了承を得ることが出来た。


 そうして本格的に開発を行い、1928年には完成し、軍での試験を受けたのだが。


 これが本家ブローニングには及ばないものの、軍が採用する機関銃のどれよりも故障が少ないという成績を叩き出すことになった。


 ただ、ここで早くも問題が出て来た。


 機関銃を汎用として考えていたのだが、軍では三八実包では威力不足なので8ミリクラスの弾を使いたいと言い出した。


 そんな事を言うとまた一から作り直しの上に、十一年式とはまるで別の用途になってしまう。


 とはいえ、顧客が言うのだから仕方がない。


 再度設計をやり直すことになったが、そんなことをしている間に航空機関銃はヴィッカース製に決まったという。


 そこで、昨今の規格統一の流れの中で、同じ弾薬を使う銃を設計する事になったので、その弾で設計を行うと、重量も増えて11キロを超えてしまった。航空機関銃と重量が変わらないレベルになってしまったが、それでも陸用機関銃としては軽いとの評価を受けることになった。


 もちろん、以前の優秀な性能はそのまま維持しているのであっさり採用されて九〇式重機関銃となった。


 重機関銃だが、実は車載も二脚も使える汎用機関銃だ。


 九〇式の採用で日本でもベルト給弾式が部隊運用されることになるが、弾帯を作るのにかなり不評だったりする。


 そんな事もあり、ほぼ同一設計の軽機関銃は見向きもされず、元の箱型弾倉式で再度開発を行い、九三式軽機関銃として採用された。


 


 そんな事をやっていると、戦車開発にも機関銃つながりで関わる機会を得た。


 なんと、そこにも同類が居るではないか。


 どうやら戦車ゲームでの日本戦車に不満があったらしく、気が付いたらここに居て、戦車開発に携わる事になったという。


 どうやら本来は騎兵科らしい。


 そんな彼が試製戦車から携わり、あの戦車の父と開発したのが、八九式と言うか、すでにシーソー式が採用された戦車だった。


 八九式にシーソー式はどうにも似合わないんだが。


 そして、戦争景気で多数の工作機械や技術が日本に入った事もあり、彼は溶接技術の研究にも関わっているという。


 八九式に次いで開発が行われる騎兵向けの装甲車は彼が車体もエンジンも関わるという。


「エンジンは航空エンジンが先行しているのが常ですが、まあ、それもここまでですよ」


 などと言い出した。


 何でも、航空用エンジン同様に、いや、戦後の自動車で一般化するOHCにするのだとか。


「知ってますか?T34のエンジンは元を質すと航空用ガソリンエンジンからディーゼルへと転換したモノだそうですよ。なら、同じ手法でこの程度の事をやるのは良いじゃないですか」


 などと言っている。


 TK車。九二式重装甲車という名になるはずだったソレは明らかにベツモノへと変貌してしまっている。


 対空射撃にも対応する13ミリ機関砲の搭載と言う事になったが、それを車体ではなく、小型砲塔に搭載されることになった。


 もはやそれは九二式などとは呼べない。まるで戦後、ドイツが配備した軽装甲車クルツの様であった。 


 

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