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未完成 第二章 日常 前編  作者: 荒城 雪
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奇跡・個性・他人の頭の中

 人間とはなぜこんなに愚かなのでしょう。

私たち人間、特に日本人はいかに平和が尊く、素晴らしいものであるかを知っている。もう何世紀も生きている人ならなおさらだ。

 しかしかつての国の平和は一度壊されている。二度の戦争、未だ続く紛争、内戦。世界に目を向けると日本では考えられないことが起こっている。全く怖いものである。

 私の生活にも色や人生本来の美しさが戻り始めていた。そこで、私はもう一度人間を観察することにした。第一章の時よりも年を重ね、より深い思考ができるようになったと思うからだ。

 さて、第一章に続き私があった人々や私が考えたことを述べていくことにする。なお、私の主観がメインである。


〈奇跡〉

 人間は自分にタイミングよく都合がいいことが起こるとそれを奇跡と呼ぶ。しかし、私は奇跡などないと考える。私はこの世のすべての奇跡というものは偶然であり、前述したようにその偶然がタイミングよく、そして自分の都合のいいときにおこったときに名前が変化するだけだと思う。つまり、偶然をどのように呼ぶかに過ぎないのだ。

 古来より、奇跡というものは神の超自然的な働きによって起こるものだった。だが、その神によって人間に対し不都合なことが起きたらどうだろうか。人間は「災い」だの「天罰」だの「厄災」と呼ぶ。はて、奇跡ではないのか。

 人間が欲深い生物なのは第一章から何度も述べていることだが、この話がまさに欲深さの象徴なのではないかと思う。自分に都合がよければ奇跡と呼び、都合が悪ければ災いだと騒ぐ。また、何かあるたびに神へ物を供えたり、偶像に対して願ったりする。まずまず神など存在するのだろうか。

 神が存在していたか否かについてはまた後で書くことにするが、神がいるのであればもっと人間を有能なものに造り替えてほしいものである。


〈個性〉

 人間が必ずもっている個々の性格。それは個性である。

 私は今まで性格や個性などというものは育ってきた環境や周囲の人間性によって決まると思っていた。また、遺伝というものも干渉してくると思っていた。

 しかし、案外そうでもないのかもしれないと思うようになってきた。

 例えば、どれだけ親の性格が悪くてもそれを反面教師にしてまっとうに生きる人間もいる。また、性格に難のある人間がある日を境に、まるで人が変わったかのように優等生になるということがざらにあるのだ。

 そこで私は考えた。性格や個性というものはその人の価値観によって決定されるのではないかと。また、幼少期に確立した性格を外部が干渉して直すのは難しいが、本人の気が変わるような出来事があれば本人が自ら確立している性格を壊して、再構築できるのではないかと。

 しかし、価値観というものもまた周囲に大きく影響されると思う。もし、私の周りにたくさんの犯罪者がいたとして、目の前で犯罪行為をしていたら。私はそれを止めることはできないだろう。私自身の意志が貧弱なものであれば、犯罪行為を共にしてしまうだろう。

 人間とは実に脆い生物である。私はそんな生物の群れの中に生きることを望んでいない。


〈好き嫌い〉

 人間には個性がある。それは時に同調し、反発する。

 無理に苦手な人間とかかわる必要性はないと考えている。ストレスが溜まるだけで、何の利益もそこには生まれない。しかし、人を嫌うのは簡単でも嫌われるのは苦手なのである。

 嫌わるのを恐れ、自分のどこが嫌いかと尋ねる人は少なくない。しかし、私はそんな人間を軽蔑する。

 この世には自分を嫌う人間が二割はいると言われている。その二割は私がどんな善い行いをしようとも決して私のことを好きにはならないのだ。果たして、この二割を変えることができると思うか。答えはいいえだ。どんなに努力しても無理だ。なんなら、こっちの労力が無駄である。さて、どうすればよいのか。

 生きる上で全員に好かれようなど無理な話だ。どんなにファンに神対応のスポーツ選手でも一定数アンチはいる。そこで、大事なのは残りの八割だ。この八割に対し、どのように接して生きていくのか。ここに焦点を当てて生きていくのが大切なのではなかろうか。


〈他人の頭の中〉

 人間の中には私の思いもしないような思考をするものがいる。私はそういう人たちを街中で見かけると蔑むのではなく脳内を見たくなる。決して脳みそが見たいわけではない。だが、どのような考えが私たちとは違う素晴らしい思考を生み出しているのか気になるのだ。

 友人の中に、プレゼントをどうにかして塾で渡そうとする人間がいた。学校が一緒なので放課後にでも渡してくれればいいのにと思っていた。しかしどうやらその人間には、学校で渡すなどという考えがなかったらしい。私は以前からその人間の視野の狭さや感受性の強さ、そして思考の狭さにうんざりしていた。そんな中でのこの出来事である。

 私はその人間を軽蔑した。しかし、同時にどのようにしたら一般的に馬鹿と言われる人間が出来上がるのかと大変興味を持った。確かにこの出来事を経て、私は思考の狭いこの人間が嫌いになったが嫌ってばかりではだめだと思ったのだ。

 軽蔑すると同時にその人間に怒りを覚えたがここではまだ述べておかないことにする。

お読みいただきありがとうございました

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