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よわたりの光

作者: こうあま

 突然リンが部屋を訪ねてきて、ランは自分の奥底が、深い動揺で明滅した気がした。

「ねえラン、散歩に行こう」

「散歩? 今から?」

 リンはほほ笑んでうなずく。廊下の窓から射す明るい月光が、リンを照らしていた。

 それがあんまりにランをも照らしたものだから、ランはリンに会ったこの瞬間にでもとらねばならなかった言動のすべてを手放して、ただ肯った。


 当然、門限はとっくに過ぎている。

 リンは宿直員の巡回ルートも時間もすっかり知っているらしい。廊下を渡り、階段を降りて、げた箱から靴をそっと調達してくる。

「正面玄関は電子錠じゃない? まめに番号も変えてるみたいなのよ。半端なハイテクと用心よね」

 外履きを片手にぶら下げて、靴下で歩く。それだけでランにとっては非日常だ。リンの口調の軽さにも誘われて、ランも口を動かせた。

「セキュリティもあるもんね。このあいだ寝ぼけて出てこうとしてた子が、止められてたの知ってる? センサー鳴るんだって」

「ふうん、そうだっけ」

 リンが笑った。配膳室の非常口にたどり着く。

「でもこっちはアナログなの。変えるようすもないし、結局さ。建前よね」

 鍵を差し込めば、滑らかに回る。錠の外れた音にどきりとしてまた一瞬、こころの中の景色だけが明滅する。

 靴を地に置いた手を、夜風が撫で、月が照らす。

 今夜の月は大きく、優しい光を夜に灯していた。


「サングラス、必要だったわ……」

 寮を出て間もなくの信号で、ランは目をすがめた。暗がりに浮かび上がる信号の光が、刺すように鋭く感じられた。

「ああ、そうよね。ごめん、言えば良かったわ」

「ううん。……夜ってまぶしいのね」

 赤信号をにらむ目線を外し、リンの黒目に据えて問う。

「リンは平気なの? よく見えないんじゃないの」

「うん、あんまり見えない。でも慣れれば意外と歩けるの。こういう目立つ明かりはなんとなくわかるし」

 リンの手が、ランのゆびさきに絡んだ。

「例えばさ。ここの信号も、昼間は音が鳴るじゃない。目が見えないひと用の合図、あるでしょ」

「ああうん。そういえば」

「夜は鳴らないのよ」

 ちょうどよく光は、赤から青に変わる。深夜の静けさは変わらなかった。

「……ほんとだ」

「光もわからなくなったら、たぶんこの道だってひとりでは歩けなくなる。昼間しかね。昼間だってなにがあるかわからないけど」

 でも今先導しているのは、リンだ。確かな手のちからと足取りが、ランを未知へと運ぶ。

 ランよりよっぽど視力が弱くて、昼間でなくてはものがろくに見えないのに。そして彼女の視力は、数年前と比べて明らかに落ちているのだ。

 ランはランで、果たして数年前はこんなにまぶしかっただろうか、と思う。強い光を見ると、耐えがたく不快にざわつく。腹の底に閉じ込めている海に突然津波を起こされるような、頭の整理が狂って心身が爆発してしまうような、そんな感覚はいつからあるだろう。数年前のランにサングラスはいらなかった。

「だから、ランが助けてね」

「え?」

「一緒ならきっと、昼でも夜でも歩けるわ、これからも」

 結んだ手にちからがこもり、ランは返事ができなかった。

 手は、あまたを分かち合う。

 リンが言う通り、いつでも手をつないでいられるのであれば、互いにどんな弱みを抱えていようが関係なく、それで良かった。

 だけど言葉で交わすほかないことが今夜ばかりはあるのだと、そう思うと頭はチカチカと、信号を灯す。整理の合図なのか混乱の警告なのかわからない光が、頭の中を走る。

 この夜が明けたら、次にこうして手を結び合えるのは、一体いつとなるのかわからないのだから。

 それでもランは、せめてこの信号を渡るあいだは、と懺悔しながら、無言で足元の白黒を見つめていた。


 深夜でも車はまばらに通る。そのたび、光る一対の目に眉間を刺し貫かれ、ランは目をそらすのに苦心した。幹線から外れると、車とほぼ出くわさないようになってほっとする。

 リンが弾む声で言った。

「ね、車道歩いちゃおう」

「ええっ?」

「やってみたいのよ。わたしひとりじゃとてもできないもの。いいでしょ?」

「ええー……」

 ランが呻くばかりで足にちからを込めないので、リンは当然引っ張っていく。狭い車道をふたり横並びに歩む。

「デモやパレードでは、広い道を歩くんだって。きっとこの三倍くらいあるわよ。すごいよね」

「それは……そうね、すごい」

「きっと気持ち良いんだろうな」

 叶わないことを言うような声色が、少し意外だった。

「ねえ。リンが夜中出ていくのは、そういうふうにやりたいことが夜にいっぱいあるからなの? リンは寮が嫌で……出ていきたいの?」

 道は緩やかに曲がって、先が見通せない。足先の角度でリンに知らせた。

「うーん」

 リンは手を引かれるに任せて歩み、答える。

「そうだね、やりたいことがあるから出かけてるっていうのは、そうだと思う。寮は、嫌いとかそういう話ではなくて……今みたいに誰かに決められているのが嫌だな。自分で選びたいの。ほかの可能性を知りたいし、寮にいるのかは自分で決めたい」

「……心配だよ。危ないのに。それに職員がリンのこと悪く言ってる。もし追い出されたりしたら、選ぶこととは違うじゃない」

「うん。心配させてごめん」

 相槌は月光のごとく優しく柔らかい。ランはその灯りとてのひらに温められ、口にできることから並べていくことにした。

「夜じゃなきゃだめなの?」

「夜じゃなきゃ、だめなの。夜を渡る権利がないと思ったから。目がよく見えないせいじゃないわ」

 反芻するだけの言葉が、ひときわ強く訴える。理屈ではないのだと、表情は語っている。リンにはランの表情がわからずとも、ランからはちゃんと見える。

「わたしたちは夜に参画することができない。陽の光の下でだけ生きていればいいと決められるのはごめんだわ。夜を生き抜くために必要な光を取り上げられているのに」

 だから、ひそみの深さも、刻まれている怒りの強さもわかった。

「だって、ラン――わたしたち、保障されているんだと思う? それとも侵害されている? わたしはこのふたつを表裏にされてることが許せないわ」

 それはランの正鵠も抉り、痛みを分かち合う。

「わたしたちには、わたしたちのことを決める権利がない。生まれた時から、生き方が自分以外の誰かに決められてるなんて馬鹿げた話じゃない。先祖からわたしたちが一体どれほどのものを引き継いでるって言うの? 少なくともわたしに残っているのは、ハンデと管理ばっかりよ。こんなのおかしいわ」

 百年も前のこと、ランたちの先祖は魔法使いだったのだという。さまざまなちからと、代償となる心身の脆弱性を持っていた。未知のちからは、社会が複雑高度になるにつれ管理と統制の傘下となることが要請され、奇しくも同時に、それ自体が急速に失われていってしまった。

 現在まで残っているのは、ひとより弱い身体機能と、保護と名を置き換えた管理体制だ。リンの言うことは正しいと思った。ただ一点リンが言いそびれたこととして、「自分にはほかにも残されているものがある」と、ランは内心で付け加える必要があっただけだ。

「自由を主張する、自分で決めるってどういうことなんだろうって思って。それが知りたくて出かけていたの。知ってる? 議員を決める日が近いんだって。そういうときって世の中いろんな活動が起きるの」

「確かに寮の前でもなにかやってたけど……そうなんだ」

 ビラを受け取った覚えがあった。議員候補の人物の顔写真と名前が大きく印刷され、裏面にはランたちの権利を保障すると、書かれていた。ランは、その人物が選ばれるべきなのか、そして選ばれるために自分になにができるのかも、わからなかった。ランやリンには就業免除の書類が届きはじめているが、投票権についての案内は来ていない。

「リンの言う通りだってわかる。でも……でも」

 柔らかくて優しい、でも弱々しい光しかない夜の道に、ランは縫い留められる。頭の中に徐々に火花が散りだしていた。

 リンも足を止めて、狭い車道にふたり立つ。

「今リンにとって夜が危ないってことも、事実じゃない。倒れたのは、強い光のせいだったって聞いたわ。そうなの?」

 数日前の夜、リンは見知らぬひとに付き添われて寮へ帰ってきた。外で発作を起こして倒れたのだという。過去にただ一度しかなかった発作が再び起きたと知り、ランは目の前のあらゆる光が閉ざされる思いがした。

 それは日ごろ疎むばかりの光が、どれほどランを照らし、世界に包摂しているのかを知らしめる出来事だった。

 リンは言いにくそうにしばらく沈黙し、やがて弱くうなずいた。

「もっと街に近いほうに行くとグラウンドがあるのよ。そこの照明がね、夜ものすごく明るいの。それがチカチカするところをまともに見ちゃって……」

 ねえ、歩道に戻ろう――とリンが言い足すのを、制した。

「大丈夫だよ、このままで。ちゃんとわたし見るから」

 前後を見渡して、辺りは静穏そのものだった。ひと呼吸置いて、両手をとる。正面に向き合った。

「……前に、わたしがやってしまったのと同じ。ごめんね」

「その言葉は違うわ。二度目がないなんてわたしがうかつに思い込んでただけよ」

「わかってる。……でもね、このちからをどうしたらいいかわからないの」

 ランには、先祖から残されているものがある。

 ひとと異なる緑色の瞳と、「光を発する」というただそれだけのちからだ。

 数年前、ランは激しくちからを振るったことがある。目を焼く光を受けて、リンは全身を痙攣させた。そして意識を失って倒れたのだった。

 あの光景の恐ろしさは忘れられない、とランは思う。

「自分でもコントロールの仕方がわからない。でも、少しは抑える方法がある感じもするの」

 疲れやストレスがたまると、体がうずうずする。火花も津波もそのひとつだ。きっと癇癪のひとつみたいなものなのだろうと、ランは刺激を避けることを学習した。決まった生活を守り、何事にも深入りをせず、自分の負荷が少ないことだけを考える。

「毎日、リンがいつも通りだって確認するのも、そのひとつだったのよ。わたしがこらえることができれば、リンは二度と倒れることがないんだと思っていたから」

 でもそれは違ったのだと、数日前にわかってしまった。

 ランがどれほどちからを統制できたとしても、ほかにリンを害するものが、この世にはあまりに多くある。そして、リンと手を結びつづける生活は、そうして保ってきたランの平穏ごと、たやすく崩れてしまうのだと。

 数日前の一件で、リンの夜歩きは寮にもいよいよ露呈した。そのうえ検査のためと入院させられることになったのだ。

 リンは明日、ランの前からいなくなってしまう。

「わたし、自分さえうまくやれれば、リンは安全に生きられるのだと思っていたのよ。でもそんなの間違ってた! そう突然わかってしまって、それだけでもどうしていいかわからないのに、しばらく会えないなんて。わたしどうしよう、抑えられなくなってしまいそう」

 見えにくいぶん、手と声で伝えようと振りしぼる。

 夜を生き抜くために必要な光を取り上げられている。リンを導く強さと、ランを苛まない柔らかさの光。ふたりの姿を互いへとつまびらかに知らせながら、世の全面とも接するための光。

 確かに取り上げられていた――ランは、自分自身から。

 自分のちからを、そんなふうに振るえるようになることを、ランは志向すればよかったのだ。

 それを、リンと手を離さなければならない夜、この瞬間に気づくなんて。

 欲しかった答えがまぶしくて、宛てのない恨みが混じる。

 リンがこの夜に、ランの表情を知るだけの光。それはやはり、今ここになくてはだめなのだと思った。いつかを待っていては、リンはますます視力を失って、どんな光があってもなにも見えなくなってしまう日が来るかもしれない。いつかを待つあいだに、ランが焼き尽くしてしまうかもしれない。

 ランの手がいたずらにちからを込めて震えている。リンはそこから受け取ろうとする。

 振動と圧力、そして熱、目で見えぬ感情のすべてを。


 沈黙は長く、車は一切通らなかった。

「……ねえ、ラン」

 リンの視線が、つながった両手を確かめた。視線はふたりの手から、ランの両目へと渡る。

「生きづらいね、とても」

「え?」

「ランはとても生きづらいのだと思う。昔もそう言ったでしょう、覚えてる?」

 返事ができなかったのは、言葉に窮したからではなかった。

 リンの目が正確にランの虹彩を見据えるのが、不思議だったからだ。リンはまぎれもなく、宵闇の中で見えないはずの緑色を見ている。ランのこころの玄奥へと至る細い穴を、正確に通る位置を。

「お見舞いに来てくれた時だよ」

「……うん、覚えてる」

 リンが重ねた言葉に促されて、ランはようやく返事をした。

 数年前の発作の時、病床を訪ねたランに、リンは確かに言った。

「わたしにはランみたいなちからがない。ちょっと目が見えにくいだけで、見た目もほかのひとと変わらない。でもランは自分でも制御が難しいちからと、ほかのひとにない色の目を持って生まれて。わたしにはわからない苦労がきっと山ほどあるでしょ、……生きづらいよ」

 よく覚えている言葉が、今また目の前に再生される。

「わたしの昔の発作、なんでだったか……ラン、詳しく覚えてないでしょう」

「……え?」

 続いた言葉は過去にはなかった。ランは再び単調な言葉で返すことしかできなかった。

「誰もわかってくれない、そう叫んでちからを放ったんだよ」

「そ、そうなの?」

「うん。あの時のこと覚えてないみたいだから、わたしも言えなくてごめんだったんだけど……。高校の調査のころよ。山ほど書類がきて、面接官とか医者とか、調査員だって何度も来たでしょ。それが、すごくつらかったんだと思う」

 リンの慈悲深い声が、ランに記憶のひだを探らせる。

 義務教育後の就学可否判断のために、さまざまな調査を受けた覚えはあった。生まれてからこれまでの心身状態や生活について細かな書類を作り、医師の診察を受け、面接官と何度も話をした。

 だが話した相手の顔どころか性別も思い出せない。

 記憶に残されているものをたどると、確かに頭がざわつく。

「……調査でいろんなことを伝えたのに、『わかってもらえない』ことしか実感できなかったの。それは思い出せる」

 書類や聞き取り、医学的説明に合わせてかたちづくられたランという人間の特異性は、ランの生きづらさそのもののかたちには決してなっていなかった。就学許可が下りても、それはラン自身にではなく、その記録にしかいない偽物に与えられたものなのだと、思っていた。

 ふつうならばそんな偽物を生み出す必要なんてなく、願書と試験だけで得られるのだと知ったのは、ずいぶん経ってからだ。

「うん、それでね。……ランが自分自身でそのつらさをわからない、認めて覚えていられないというのが、つらいなと思ったの。生きづらいねって、そうとしか言えなかった。今も昔もそれ以上のことができなくて。ごめんって言うのも違うって、わかるんだけど……」

 痛惜する黒い目に、悔恨を湛えた声に、強いちからが宿っている気がした。

 ランの花火と津波をいさめ、光の絞りを操作するちからだ。

「わたしはランほどつらくないだけなのかな。ごめん、なにもできなくて。できないまま……しばらく会えなくもなっちゃうなんて、ほんとにごめん」

 だからリンの懺悔が、ランにとっては福音となる。

 ランは生まれてはじめて目を開いたような思いがした。

「――リン、その言葉をね」

 祝福を受け取ったのだと告げるには、どんな態度が必要だろう。きっとこういうときは、ふつうなら天から射す優しい光が照らすはずなのだ。

 でも、祝福を与えるも返すも、ふたりきり。

 ならばその光も、このあわいにこそなくてはならない。

「ほかに誰も言ってくれないの。わたし、たぶん……そう言ってもらえるだけで、ほんとうは良かったんだわ」

 取り合っている両手を、胸元まで持ち上げた。祈りのように。

「ほんとうは……わかってもらえたら、それだけでやっていける。きっとそうよね。だって正しく伝われば、自然に、必要なぶんだけの配慮を考えられるわ。伝わらないから余計なことばかりされる。余計なことをされているからますます苦しくなる」

 ふたりで祈れば、必要な光が手に入ると思った。ランが瞑目すると、リンもその意図に気づいたように、追従する。

 車道の真ん中でふたり、外の音も光も放棄した。

 配慮とは、それでもふたりを轢き殺さないことだと、それだけを思う。

「わかってもらえないって思うと、自分でも認められなくなってしまうのね。だって、そのほうがつらくないもの。いちいち認めて悲しむとつらくて、やってられない。でもやっぱり」

 ふたりの組んだゆびの内側から、ほのかな光が生まれる。

 リンを導く強さと、ランを苛まない柔らかさには足りず、ふたりの姿を互いへとつまびらかに知らせながら、世の全面とも接するためにも弱い――だがその種となり、ランが今この時に「よわたり」のすべを知るだけの光。

「置いてけぼりにはできないわ、自分のことだもの。だからリン、どうしても言いたいの」

 目が開かれて、言葉の続きを問うてくる。ランには、かそけき光に照らされたリンの黒目が良く見えた。

 ランの緑の瞳、そこにある痛みと信頼も余さずリンに見せるには、この光は未熟すぎる。だけど少なくとも彼女を傷つけてはおらず、それが今のランなのだと、教えてくれる。

「リン――あの時は、傷つけてごめん」

「……それはほんとうに、違うよ」

「ううん。リンがそう言うのはわかる。でもこのちからはリンを傷つけたっていう事実を、わたしは認めたいの」

 ゆびをそっとほどき、手を開く。てのひらに宿る光を見つめた。

「事実を受け止めて、代わりに……不幸な結果のひとつとしてもう過去にする。それならわたしの『生きづらさ』のことを、わたしはちゃんと自分で理解できそう」

 ひとを傷つけたことがあるちからと、それを一生引き受けなくてはならない生きづらさ。

 でもそれらは、理解し認めることで、自ら癒すための光を帯びる。

 ランははじめて、自分だけの光を愛おしいと思った。


 再び手を結び、散歩を再開し、気が向くままにふたりで歩いた。

「検査入院ってどのくらいかかるの?」

「うーん、どうなんだろ。説明もどうせ職員にされるだろうけど……なんとかしてわたしも聞けるようにしとくよ」

 大きな道路に戻った。臆することなく、車道を歩く。

「教えてね」

「もちろん。会いに来てくれればいいのに、光の速さで」

 リンがふふっと声をあげて笑うので、ランも同じようにした。

「なにそれ?」

「ラン、できないの?」

「まさか――あっ」

 道にふと、ふたりの長い影が浮かび上がる。車だ、と思った。

 確認しようと振り向きながら、しまったと思う。真夜中の暗がりに慣れた目に、いきなり無防備に光を浴びることを予感して、口の中が苦くなる。

 視界に入れた車は、緩やかに速度を落としているところだった。明かりを下向きに切り替えており、ランの目を潰すことはなかった。

「あ、車?」

 リンが数拍遅れて振り返り、車は静かに停止する。

 そして一対の赤い瞳で、またたいた。

「あ……」

 ふたりにあいさつしたのだと、揃って理解した。ひとつ頭を下げ、リンの手を引くと急いで歩道に戻る。車はまた静かに発進して、すぐに見えなくなった。

 ぼうっと見送って、顔を見合わせる。

 ランの表情もきっと、伝わっていた。見えるからではなく、同じ顔をしているはずだからだ。ランが言おうとした言葉を、リンの口がつむぐ。

「そろそろ帰ろうか」

 ランは笑って答えた。

「……ふふ、そうだね」

 ゆっくりと歩道を戻りながら、機械仕掛けの赤い瞳を思い出す。

 光の明滅は、やはり苦手だ。それでもあの瞳は好きになれるかもしれない、そう思った。

 つないだ手に、淡い光が揺れる。

 「よわたり」の光はきっと、優しい虹色をしている。

お読みくださりありがとうございました。

本作は『アンソロジー光』に寄稿したものと同一ですが、誤字の修正など細部が異なります。

『アンソロジー光』、素敵な作品が集まっていますので機会ありましたらぜひご覧ください。

(アンソロジー光のサイト:https://clew09.web.fc2.com/hikari/)

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