第1章 ブラッドリーとお嬢様④
妖精の扉、と言うものがある。
レインウォーター学園の中心にそびえ立つ巨木、聖なる大樹の洞に取り付けられた扉の事だ。
その扉を開くと、妖精によって扉を開けた人間に相応しい迷宮へ案内されると言う。
レインウォーター学園に入学する前だったら眉唾物のおとぎ話だと思った所だけど、その木の洞に何十人ものレインウォーター学園の生徒が入り込み、魔法水晶を持ち帰ったり、大怪我をして泣いて帰ってきたりしているのを見ると信じるしかない。
レインウォーター学園の生徒は木に敬意を払い『聖なる』大樹と呼んでいるけれど、ブラッドリーが見た所、数本の細い木がより合わさったようにそびえ立ち、幾つもの洞を開けて生徒を待っている大樹はどう見ても邪悪な魔物系にしか見えない。アンジェリカ達の前で言ったりは、しないけど。
その、どう見ても邪悪系な大樹の前に、ブラッドリー達は立っていた。
「……来ちゃったねぇ」
おっとりと――でも何処か途方に暮れたようにルーシャは呟く。
ルーシャは随分頑張ってアンジェリカを止めようとしたんだけど、上手く行かなかった。「このモードに入っちゃうと、アンジェリカ止まんないんだよねぇ」と零していた。
ブラッドリーにはどのモードだか分からない。基本的にアンジェリカは単純そうだ。ついでにじゃっかん思い込みの激しい猪突猛進系に見える。
「さぁ! 参りますわよ!」
アンジェリカはルーシャとブラッドリーを促すと、「1348小隊ですわっ!」と妖精の扉を管理している教師に声を掛けた。
教師は、アンジェリカとその後ろに立っているブラッドリーとルーシャを確認して微笑んだ。
「あら、プロウライトさん……無事に小隊のメンバーが集まったようですね」
「はいっ! 男子の人形使いだなんて不本意ですが、仕方がありませんわ! ……迷宮探索を希望いたします。どうぞご承認を」
「問題無く3人揃っているようですし、否やはありません。どうそ迷宮へお進みなさいな」
「えぇー……?」
ルーシャが教師とアンジェリカに聞こえないような声量で嘆いた。制服と人形以外、なんっっ……にも持っていないアンジェリカを見て、止めてくれることを期待していたらしい。
「ま、いきなり死ぬようなことも無いだろうし、いい経験になるんじゃないかな」
ブラッドリーが適当な事を言うと、ルーシャちょっと顔を顰めた。
「いい加減ねぇ……アンジェリカを止められなかった私が言う事でもないけど」
ルーシャはたたっと妖精の扉の方へ駆けて行って、アンジェリカよりも先に扉のノブを掴んだ。
「私が開けても良い?」
小さな顔に疑問符を浮かべて、それでもアンジェリカは頷いた。
「よろしくってよ」
妖精の扉は開けた人間に相応しい迷宮へ案内する――つまり、開けた人間の魔力に相応しい難度の迷宮へ案内すると、ルーシャは考えたんだろう。ブラッドリーだってそれが正解だと思う。
そうしたら、プロウライト家の豊かな魔力を受け継いだアンジェリカが扉を開けるより、ルーシャが開けた方が、せめてマシな迷宮に行けるはずだ。ルーシャはアンジェリカの信頼に足る策士っぽいなぁとかブラッドリーが感心した時。
「まぁまぁ、プロウライト家のメイドは健気に働きますこと!」
甲高い声がブラッドリー達に投げ付けられた。誰だ。いかにも2流の悪役みたいなことを言うのは。
ブラッドリーが声の主を探すと、存外すぐに見つかった。
やはり、妖精の扉を通って迷宮探索に向かうつもりなのだろう。人形と、それからブラッドリー達が用意できていない迷宮探索用の武具をきっちりと身に着けた少女が4人立っていた。その中のリーダー格っぽい少女が、口に手を当てて笑っている。仕草は品が良いけれど、言っていることは如何にもみっともない。
豪奢な紅茶色の巻き毛に、切れ長な緑の瞳の、アンジェリカとはタイプが違うものの結構な美少女だ。勿体ないなぁとブラッドリーは思う。
「あら、ベンフィールドさん。御機嫌よう」
アンジェリカは額に青筋を浮かべながらも、淑女らしく優雅にスカートを摘まんで挨拶をした。
「御機嫌よう、プロウライトさん。メイドとキモーな男子生徒を連れて、迷宮探索ですの?」
ピキピキっ、とアンジェリカの額に青筋が増える。
「……同じ学園の生徒をメイド呼ばわりとは、失礼にも程がありますわよ。ベンフィールド家のご令嬢は、礼儀作法を初等学校で習い忘れたのかしら?」
ひくっ、とベンフィールド家のご令嬢――そういや名前も知らんわ――の顔が引きつる。アンジェリカも負けてないっぽい。こういう陰険勝負は苦手そうなのに。
「良い所のおうちだと、どうしてもねぇ」
ブラッドリーの内心を読んだように、ルーシャが小声で囁く。
「アンジェリカはこういうの苦手だけど、ある程度は頑張らなきゃいけないんだよねぇ」
とか、当の侮辱されている本人はあんまり気にしていない様子だ。ブラッドリーも小声で尋ねる。
「ルーシャは、腹、立たないの?」
「あんまり立たないよ。ブラッドリーくんは?」
「……あんまり立たない」
言われてみりゃ、そうだ。ブラッドリーだって、キモーとか言われている。まだ言い合っているアンジェリカ達を見て、むしろ微笑ましそうにルーシャは目を細めた。
「アンジェリカやベンフィールドさんみたいに良いおうちのお嬢さんは、ああやって頑張って、この世の中には『悪意』があることを確認しなきゃいけないんだよ」
「確認?」
そんな事をしなくても、世の中に悪意なんてむせ返るほど溢れている――と言おうとして、ブラッドリーは、それはどうかな、と否定した。確かにこのレインウォーター学園でルーシャと過ごしていては、アンジェリカは悪意を感じる事はきっとほとんどないことだろう。
ブラッドリーの事を『キモー』と呼ぶのも、本気でそう思って嫌悪しているというよりは、男の人形使いの事は伝統的にそう呼ぶから言っているだけの雰囲気がある。
口籠ったブラッドリーに気付いたのか、満足そうにルーシャは頷いた。
「そう。そうでもしないと、社会に出た時に打ちのめされちゃうから。だからああやって訓練をして、慣れておかないといけないんだよ」
「……大変だなぁ」
あるいは、幸せだなぁ。
どちらの感想を抱くべきなのかは、ブラッドリーには良く分からない。ただ目を閉じた。働きたくない。何もしたくない。幸せになりたい。
けど、何をどうすればそうなれるのか。訓練をしなければ悪意に出会えない様な、そういう場所に生まれたかった。
頭の上に乗せている人形のオニキスを撫でる。お前に任せたい。何もかも。そうして寝て暮らしたい。