第3章 ブラッドリーと迷宮探索①
ぺたり、べしゃり、と歩く度に音がする。積もった泥と、腐った葉っぱが混ざり合った地面のせいだ。妙に柔らかくて、歩きづらい。時々、水が溜まっている所を踏み抜いてしまって足首まで泥に浸かる。あちらこちらに生えている木に手をついて、1歩ずつ確かめる様に進む。
湿気が酷い。今にも降り出しそうだ。降るなよ、と祈る様にブラッドリーは思う。ただでさえ、濡れた足元から冷気が這い上がって来るようなのに。
「……っくしゅ!」
ルーシャがくしゃみをした。「お大事に」とブラッドリーが言うと、「ありがとう」と弱々しい声が帰って来る。
樹海、と言っていいだろう。広い。あまりにも広すぎる樹海迷宮だった。
ブラッドリーの横を歩くルーシャからは、いつもおっとりした笑みが消えている。必死さを滲ませて、辺りを見回していた。後ろを歩くレオノーラとアンジェリカは、お互いを支え合うようにして何とかついて来ている。
地面はぬかるんでいるだけじゃなくて、急に登り坂になっていたり、落とし穴のような窪みがあったりする。相当歩きづらい。ブラッドリーでさえしんどいのだから、アンジェリカ達は言うまでも無いだろう。
今は昼間だからほんの少しだけ明るい。夜になってしまうと全くの闇に包まれてしまうから、移動するなら今だけだ。朝霧が消えて、ほんの少し木漏れ日が射す数時間。その間に、何とか魔物や妖精の扉を探す。
ルーシャがちょい、とブラッドリーの肩に触れた。
「……ブラッドリーくん、いる。前方5マルクル(約5m)くらい、かな」
「分かった」
小剣を、出来るだけ音を立てないようにして抜く。アンジェリカが小さな声で言った。
「どうなさいましたの……?」
「魔物がいるらしい」
オニキスが小声で返すと、アンジェリカはラピスラズリを呼んだ。
「ラピスラズリ、オニキスの主の手伝いを」
「承知した」
ラピスラズリの代わりみたいに、オニキスをアンジェリカに渡す。頭の上にオニキスを乗せたままじゃ、戦えない。オニキスがブラッドリーの代わりに申し訳なさそうに言った。
「申し訳ない、プロウライト嬢」
「気にする事はないのですわ」
ブラッドリーはルーシャと足音を忍ばせて歩いて行く。ルーシャは長いスカートの裾が泥に汚れるのも構わず、木の陰にしゃがんで、敵の方を観察する。彼我の距離は魔法の射程圏内に入っていたのだろう。抱き締めたパールに囁く。
「パール、お願いね」
「任せてください」
パールがもにゃもにゃと唱える。ブラッドリーも覗き込んだ。いる。
そいつを一言で表すなら、直立する熊だった。背丈は大人くらい。ブラッドリーより、頭1つ分くらい背が高い。
全身は茶色の毛皮に包まれていて、オニキスとは比べ物にならない位に鋭い爪が両手に3本ずつ生えている。あれに引っ掻かれたら大変な事になりそうだ。幸い、ブラッドリーは今のところ引っ掻かれていないけど、いつまで続く事か。
クローベアー、って言うんだよ、とルーシャは言った。熊型の魔物の事を総称して、そう呼ぶの、と。
クローベアーは、何かを探しているようにうろついている。何かって言うか、ブラッドリー達人形使いを、迷宮に入り込んだ人間と人形を探しているのだろう。迷宮内の魔物は人間に害意を持っている。らしい。これもルーシャ情報。
「ブラッドリーくん」
「うん」
ルーシャに呼ばれて、大きく息を吸う。吐く。よし。
パールが、白いもやもやをクローベアーの後ろ頭に向かって放った。直撃だ。だけど、クローベアーは眠そうに膝を突くだけで、眠り込むことはしない。どころか、ブラッドリー達の存在に気付いて辺りを見回し始める。
「あぁ、もっと魔力、欲しいなぁ……っ!」
心底悔しそうにルーシャが呻く。ブラッドリーとラピスラズリは、無言でクローベアーに駆け寄った。今だ。今やるしかない。
クローベアーが片膝を突いたままで、爪を横薙ぎに振るう。うぉわっ。ブラッドリーは思わず飛び退って爪を躱す。胃が縮んだ。どうしたって、布の服しか着てない人間のブラッドリーは慎重になる。ラピスラズリはそうじゃないけど。
クローベアーの爪の下を潜って、ラピスラズリは剣のように伸ばした爪でクローベアーの胸を狙う。厚い毛皮に弾かれた。だけど、位置は分かった。そこか。
剣の使い方なんて付け焼刃程度にしか習ってない。だからもう諦めて、ただの鈍器として使う。ブラッドリーはクローベアーの側面に回って左腕を殴る、殴る。毛皮がほんの少し裂けて、中身の魔法水晶の液体が滲む。
クローベアーが煩そうに左腕を振るう。しゃがんで何とか躱す。こえーよ、もう! そのまま、後転してクローベアーから離れる。何でこんな事になってんだ!
ブラッドリーが内心毒づいている間にも、ラピスラズリは爪でクローベアーに襲い掛かる。
「ラピスラズリ、わたくしも頑張るから、頑張って!」
アンジェリカがラピスラズリに声援を掛けながら魔力を送る。ラピスラズリの爪がぶっとくなった。ラピスラズリは猛攻をかける。効かなくても、やる。人形は主に従う事しか出来ないのだ。
クローベアーがラピスラズリに注意を向けた。その瞬間、ブラッドリーは飛び上がる様にして背後からクローベアーの胸に剣を突き刺す。ラピスラズリが最初に狙った場所だ。ちょっとずれたけど、クローベアーの体内を掻き混ぜる様に剣を動かす。
「頼むよ! 頼むから――!」
死んでくれ。
ブラッドリーは頑張った。
何かを砕く感触があって、クローベアーが倒れる。ブラッドリーの方に圧し掛かって来て、泥の中に背中から突っ込む。もう、4回目だから、汚いとかは思わない。濡れて寒いけど。
「うぇぇ……重てぇ……」
クローベアーの下から這い出そうとブラッドリーがもがいている内に、クローベアーの身体が7色の光に包まれて、魔法水晶と化した。
呆気ない様な、感慨深い様な。
「……倒せた、ねぇ」
ルーシャが溜息のような声で言った。
「うん、良かった」
ブラッドリーは泥の中から魔法水晶を拾って、アンジェリカに渡す。
「ありがとう……なのですわ」
答えるアンジェリカの声は相当消耗している。そりゃそうだろう。ほぼ飲まず食わずで2日目だ。しかも、未だこの迷宮から抜けられそうな気配は無い。先が見えない。それが一番しんどい。
どうしてこんな状況になったか。ブラッドリーは2日前の事を思い出していた。




