第1章 ブラッドリーとお嬢様⑨
「魔物って、迷宮の何処かに住んでて、歩いて近付いて来るわけじゃないの?」
歩き出しながら、ルーシャに尋ねる。ルーシャは甘えるように「パール、辺りを見ててね」と言ってからブラッドリーに向き直る。
「うん。大概の魔物はさっきみたいに突然現れるよ。魔物の生態って良く分からないんだよね。魔物も結局は魔法水晶で動いているわけだから、主のいない人形みたいなものだって説が、一番有力だけど」
人形のようなもの。だけど、オニキスは消えたり突然現れたりは出来ない。パールだってラピスラズリだってそうだ。
「でも、突然現れる?」
「そう。何処か一か所に魔物がいっぱい集まっていて、迷宮によって突然人形使いの前に送られてくる説とか、地中の魔法水晶を迷宮が集めて生み出すから、突然地面から現れたように見えるっていう説とか、色々あるよ。その辺りは私も詳しくないし、知りたかったら帰った後に図書館で調べてみると良いんじゃないかな。エイミー・キッシンジャー女史とか、グロリア・プレイステッド女史の論文は読み甲斐があると思うよ」
「う、うん……」
だいぶハードル高そうな感じだ。っていうか。ブラッドリーは頭上のオニキスに尋ねる。
「オニキス、お前、本気出せば全知の人造人間なんだろ? どうして魔物が突然現れるか分からないのか?」
「我が主よ……真理の書を読み解くには、我が主の魔力が不足している」
「それもそうか」
人形に尋ねて返ってくるような解答だったら、とっくの昔に誰かしらが解明させているか。
「ルルラ・レラ・ルルゥなら知ってるかな」
何気なくブラッドリーが言うと、アンジェリカとルーシャが揃って息を呑んだ。
「……あなた、ルルラ・レラ・ルルゥ様の何ですの?」
アンジェリカは少しだけ怯えたようだった。
ルルラ・レラ・ルルゥ。
もちろん本名じゃない。かつて使われていた、今では誰も使う事のない古い古い言語で『世界は私のもの』という意味らしい。何ともまぁ、傲慢な名前である。
その魔女の何、と問われると、ブラッドリーは良く分からない。
何だろう。
分からないから、正直に答える。
「気まぐれで拾われただけだよ。拾われて……しばらく、城みたいなところに一緒に住んでた。っていってもそこは滅茶苦茶広くて、俺の身の回りの事を手伝ってくれる人形が死ぬほどたくさんいたから、ルルラ・レラ・ルルゥにはほっとかれてた。話したのだって、初めて会った時と……あとは、2、3回話したくらいかな。食事が足りてるかとか、何処に行きたいかとか。レインウォーター学園に入学してからは、1回も会ってない」
「だけ、ではありませんわ! とっても、とーっても凄いことですわよ!」
アンジェリカが憤慨したように叫ぶ。ルーシャも呆れたようにブラッドリーを見た。
「生きる伝説。稀代の魔女。不老不死を達成した賢者。一人治外法権。歩く災厄の箱。歌う物好き――ルルラ・レラ・ルルゥ様だよ。会った事があるだけで本当に凄い事なのに、しばらく一緒に住んでた、なんて! 世界中の真理を探る人形使い達が羨ましがって卒倒しちゃうような凄い環境だよ」
「そんなもんかねぇ……」
ブラッドリーからしたら、命の恩人にして、未来永劫ブラッドリーの頭の上に君臨し続けるやっかいな保護者でしかない。一生頭が上がらないのは確かだけど、卒倒するほど羨ましがられるかと言うと微妙だ。
基本放置だったし。ルルラ・レラ・ルルゥの部屋とかとんでもない汚部屋だったし。
アンジェリカは拳を握りしめて、目をキラキラさせて力説する。
「そういったものですわ! 全ての人形の母、東オルグと西オルグの戦争を止めるために大渓谷を作り、北の永久凍土を溶かし、南の砂漠に恵みの雨を降らせ、人類の天敵たる悪魔メダルリゼルを滅ぼし――そうそう、近年では戦争奴隷、鮮血の子供達を救い出し――とにかく、とーっても凄い御方なのですわ!」
そんなにキラキラされると困る。それだけ聞いたら、ルルラ・レラ・ルルゥが女神みたいじゃないか。あの人、基本は魔女だ。適当なのだ。
「まぁ、凄い人なのは認めるけど。ただ、馬鹿でかい大渓谷作ったせいで、東オルグと西オルグが和平した後も行き来が滅茶苦茶大変になってるし、北の永久凍土溶かしたから、積もってた雪が全部海水になって海面が上昇して東の島国、幾つか沈んだよね。南の砂漠に雨を降らせる為に、別の土地から雨を奪ったらその土地が砂漠になったし。メダルリゼルを滅ぼしたら、メダルリゼルが支配してた土地を巡って大戦争起こったような」
「……むぅ!」
そうなのだ。
ルルラ・レラ・ルルゥは、後の事をなんっ……にも考えていないのだ。
子供が『こうなったら世界は平和になるんじゃないだろうか』と思い付くようなことを、そのまま実行してしまうような危うさがある。
「それに……」
まだまだルルラ・レラ・ルルゥに対して言いたい事はあったけど、何か背中を押される感触。まさかルルラ・レラ・ルルゥが怒ってるんじゃないだろうな。
そういうわけではなさそうだった。ただ、ぐいぐいと背中を押される。2、3歩前に進む。それでも何かは追いかけて来て、ブラッドリーの背中を押してくる。
「何だこれ」
つんのめるブラッドリーを不思議そうに見ていたアンジェリカだったけど、アンジェリカも背中を押されたのか「きゃっ!」と悲鳴を上げる。
「どうしたの?」
先頭を歩くルーシャが振り返る。
「何か、背中押されてるんだけど」
別に辺りには何も見えない。だだっ広い草原が広がっているだけだ。だけど今もなお、背中をぐいぐい押される。押されると言うか、壁が迫って来る? みたいな感じだ。ルーシャがぱちぱちと瞬きをした。
「……もしかして、迷宮が縮んでる?」
「今頃?」
「そろそろパール達に魔法水晶が消化される頃かも。しばらく続くだろうから、走ろう」
ルーシャに言われて、走る。真っすぐ走ってるつもりだけど、何の目印も無い様な場所だから少し曲がったかもしれない。だけどそのお陰で、今まで見えなかったものが見えて来る。
「あ。あれって……」
ブラッドリーが遠くを指差すと、ルーシャ達は足を止めた。アンジェリカは髪を手櫛で軽く整える。
「どうなさいましたの?」
「何か茶色い物が見えるんだけど。四角くて、扉っぽくないかな」
「んー……」
ルーシャは手でひさしを作ってブラッドリーが指差した方を見る。
「あ、本当だ。何かあるね。ちょっと目指してみようか」
迷宮がどんな形をしているかは分からないけど、一辺だけが縮むってことはないだろう。あの扉も、壁に押されて近付いて来たのか。
アンジェリカが拍子抜けしたように呟いた。
「魔法水晶5つで終わりだなんて、妖精は随分と可愛らしい迷宮に案内してくださいましたわね」
「確かにねぇ。でもまぁ、私達が初めて入るにはちょうど良かったんじゃないかな」
「そうですわね」
ルーシャがおっとりと応じると、アンジェリカも微笑んで頷く。仲が良さそうで何よりだ。アンジェリカはほんの少し顔を引き締めて続ける。
「それにわたくし達の課題もはっきりしたのですわ!」
「課題?」
「オニキスの主ですわ! 人形の怪我も治せないだなんて、お話になりませんの!」
ブラッドリーはアンジェリカの脳内で『オニキスの主』として位置づけられたらしい。良いけど。
「う……」
アンジェリカにオニキスの怪我を治して貰った身としては、返す言葉も無い。
「帰ったら、特訓ですわ! 決まりなのですわ!」
高らかにアンジェリカは宣言する。ブラッドリーに拒否権は無さそうだった。




